第五十話「真宵の覚醒 3」
ユニゾンソフトと仙才先生の間で交わされた契約書。
その中身を要約すると、こうだった。
一カ月あたり二体分のデザインを納品すること。
一体あたりの報酬はニ十万円。
報酬は成果物の合格通知をもって支払いとする。
納品の遅れや途中での契約破棄の場合は一般的な延滞金、違約金が発生する。
契約期間はプリプロダクションの完了まで半年間。
以降の期間は半年ごとに再契約とする。
詳細については、別途開発チームとの連携によって進行すること。
「契約の内容次第だと、ひと月で四十万円ですか! 私のお給料って新人だから二十万円ぐらいだし。すっごくうらやましいです~」
彩ちゃんが感嘆の声を上げると、仙才先生が意外そうに驚いた。
「え? イロドリ先生としてはお仕事されていないんですか?」
「えへへ。うちの会社って副業禁止だし、個人の仕事をバラしたくないから、今は仕事してないんですよ~」
「じゃあ年収がかなり下がったのでは?」
「えへへ。どうしても憧れの人と一緒にゲームを作りたくって、会社員になっちゃいましたっ」
……なんだか興味を引かれる話題だ。
彩ちゃんって、個人で仕事してた時はどのぐらい儲けてたんだろう?
そうとう活躍してたはずなので、会社員の給料とは桁が違うかもしれない。
おっと。話題がそれている。
僕が突っ込むべきなのは契約の内容だった。
「……彩ちゃん。ちょっと確認したいんだけど、うちの会社でキャラクターデザインを作るとき、だいたいどのぐらいの時間がかかるの?」
「時間? 個人差がかなり大きいんだけど……」
「神野さんのチームで仕事してた時はどのぐらいのスケジュールで見積もられてた?」
「う~ん。神野さんから昔聞いた時は、一カ月に二体はちょっと余裕がないぐらいで、二か月に三体ぐらいだとスケジュールが安定するって言ってたかも……」
「えっ!? あのイロドリ先生。ゲームってそんなに時間をかけるんですか!?」
「あ、はい。ゲームの場合だとデザインのラフだけじゃなく、動きやゲームアイデアと関連したアイデアも出すから、本当にラフスケッチが膨大に必要なんですよ……。ディレクターさんとやり取りしながら、徐々にイメージを固めていくんです」
「ですね。キャラクターの見た目がゲーム性に絡むときは、かなり慎重に検討します。……ちなみに彩ちゃんの場合は?」
「ど……どうなんだろう。一か月で七、八体ぐらいは仕上げまで描けるかも? いや、調子よければもっともっと?」
「え、イロドリ先生はそんなに早いんですか!? さすがです!!」
仙才先生が驚いている。
僕もあらためて聞いて驚いた。
一緒に仕事をしていた時は知らないうちに全部の仕事を終えていたし、彩ちゃんの仕事の速さは計り知れない……。
「彩ちゃんは……規格外だね。……とりあえず、仙才さんの契約内容は、うちの社員がけっこう頑張る程度の量ってことだ。……なるほど」
「どうしたの?」
僕が考え込んでいると、彩ちゃんが不思議そうにのぞき込んでくる。
そこで、契約書で気になる部分を指さした。
「まず気になるのが、デザインのリテイク回数について言及されていない件。詳細についての言及も避けてるし、契約書としてはアバウトすぎますよ。これだとOKが出ない限りは無制限にリテイクがかかる可能性があります」
「そういえば……そうですね」
「特に、あの伊谷見さんのようにまともにチェックできない担当がついた時が問題なんです。ノーチェックで通してくれるならラッキーですけど、あやふやな返答に振り回されてチェックがいつまでも通らないってこともあり得る」
実際にリテイク回数の記載が問題となって揉めたケースはネットでも目にする。
鬼頭が知らないとも思えないし、意図的に書かなかった恐れがある。
「あと設定金額がね……。人気作家にお願いするには安すぎる気がするんだよ。人によっては懸命に頑張ってようやく達成できるほどの物量なのに、月額で四十万円。お手軽な副業でもないのに、安すぎだと思う」
「あの……真宵くん、質問していい? ひと月で四十万円ってお安いの?」
それはとてもいい質問。
これから僕が指摘しようとしていたことだ。
「うん。うちの社員の一か月分って、九十万円なんだよ」
「え、私そんなにたくさんもらってないよ!?」
「ははは。会社員ひとりが働くってことは、給料以外にも社会保険とか機材費とか光熱費、社屋の家賃なんかが同時に発生するんだ。ユニゾンの場合は九十万円。あ、仙才さん、これは絶対に秘密にしてくださいね!」
「あ、はい。大丈夫です。今日の話は絶対に他言しません」
仙才先生の言葉に安堵し、僕はさらに続ける。
「一人当たりのコストで四十万円と九十万円。かなり違います。……これって、うちの社員に仕事を任せるより、外部作家に外注したほうが安い契約になってるんです」
「真宵くん。それってネームバリューを利用しつつ、買い叩いてるってこと?」
「そうだね。四十万っていうと、かなり安い外注先に発注してるレベルだよ」
会社としてはお安く発注できるうえに、実力と名前を兼ね備えた人を使えるわけだ。
これはお得以外のなにものでもない。
単発の仕事ならまだしも、長期の契約で縛るとなると、人気作家に失礼以外のなにものでもない。
すると、彩ちゃんが目を輝かせて僕を見つめ始めた。
「真宵くんって、本当に頭がいいね!」
「え、そうかな?」
「そうだよっ! ディレクターとして凄いのはもちろん、労基のことで率先して動いたり、高跳さんを連れ戻してくれたり、今日も契約書の穴を見破ったり!」
「僕も本当にそう思います。真宵さんが気付いてくれなかったら、僕はぼんやりしたままでした」
「い、いや……。考えるぐらいしか取り柄がないだけです。はは……」
謙遜するものの、実はめちゃくちゃ嬉しい。
特に彩ちゃんにはいつもお世話になりっぱなしだったから、面と向かって褒められると顔がニヤケてしまう。
へへへ。
いや、いかんいかん。
気持ちを引き締めないと!
……むしろ、モノづくりに秀でた人ほど契約書を読み込まないところがあるかもしれない。
鬼頭が作家と一対一で会食するのも、おそらくそういう弱さを利用しているのだ。
僕がちゃんとみんなを守らなきゃと、いっそう気持ちを引き締める。
「あ、そうだ。気になったんですが、仙才先生って、どうしてこのお仕事を受けられたんですか? 有名作家にお願いするには決して高くはない報酬だと感じます。漫画家さんって、たくさん稼いでるイメージがあるので……」
かなりデリケートな話題に踏み込むと分かっているけど、そのあたりの事情を知らなければ理解できないことがある。
僕は失礼を承知で聞くことにした。
仙才先生は予想通りに顔を曇らせたが、少し間をおいて、話し始めてくれる。
「……金額よりも、継続してお仕事をもらえるっていう安心感が欲しかったんです」
「本業の漫画があるのに?」
「恥ずかしいのですが、人気だったのは以前の連載作品の話。僕の今の作品……売り上げも人気もいまいちなんです」
……確かに、仙才先生の最新作は雑誌の掲載順番も後ろの方に下がってきている。
客観的に見ても低迷しているようだった。
「人気に左右されて安定しない自分に不安が募り……。そんな時にこのお話をいただきました。まとまった期間で契約してくれることが魅力だったんです」
作家は会社員と違って安定とは程遠いと聞いたことがある。
特に人気で将来が左右されるとなると、不安にならないわけがない。
鬼頭は会食するなかで彼の隙を見つけて、取り入ったのかもしれない。
「金額設定も絶妙ですしね。普通の会社員よりは多くもらえて、会社としては安く抑えられる。……でも、名のある作家を安い外注扱いしてるなんて、うちの会社が情けないです!」
人の弱味を利用して安く叩こうだなんて、性根が腐っている。
神野さんたちから聞いた話でも、今のユニゾンには人件費の高い社員を追い出して、安い外注や外部作家に仕事を依頼する流れがあった。
クリエイティブの世界でクリエイターを冷遇するなんて、あってはならない。
本当に腹立たしくなってくる。
彩ちゃんを見ると、彼女は心配そうに仙才先生を見つめていた。
「仙才先生、どうしますか? 私としては本来の漫画のお仕事の支障にならないなら、そこから先をどうこう言う権利はないと思ってます」
「そうですね……。特にイロドリ先生なら月産二体は余裕でしょうから、先生ならこの程度の契約は楽にこなせるでしょうね。……それに引き換え、僕は四か月目に突入してるのに成果ゼロ……。情けで後れを帳消しにしてもらったものの、このままだと延滞金を支払う始末ですし……」
「うん。わかりました!」
「彩ちゃん、どうしたの?」
彼女を見ると、満面の笑みを浮かべている。
「契約はあと三か月弱で終わりますし、デザイン六体分ぐらいパパっとやっつけちゃいましょう! 仙才先生は自信を無くされてるわけだから、納得できるものをつくることが、何よりの元気の源です!」
「で、でも……。僕、不安で……」
「だいじょーぶ! 三人寄ればなんとやらですよ。今からアイデア出ししましょう!」
◇ ◇ ◇
その後、仙才先生と一緒にアイデア出しで盛り上がった。
仙才先生は当初「アイデアなんて僕にはないんです」と落ち込んでいたけれど、彩ちゃんの言葉で意識が変わったようだ。
「一人で生み出せるアイデアなんて限界がありますよ~。私も真宵くんと一緒に考えてるんです。これは私たちの作品なんだから、仙才先生も一緒に考えましょう!」
確かにゲーム開発でアイデアにつまづいた時、みんなでアイデアを出し合って、面白い発想を発見する『ブレインストーミング』という手法を使う。
何よりも「私たちの作品」という言葉に仙才先生が含まれていたようで、それが彼に響いたらしい。
漫画は編集者というパートナーがいるけど、今回のゲームの仕事は本当に孤独だったという。伊谷見は相談にのってくれなかったのだ。
今、仙才先生は仲間の存在を感じて、心を震わしているようだった。
そして、仙才先生は吹っ切れたように絵を描き始めた。
憧れのイロドリ先生に励まされて、彼はとても楽しそうだ。
僕の女神は、今日も輝いていた。
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