第四十九話「真宵の覚醒 2」

「はじめまして。新任のディレクター、真宵 学です」

「よ、よろしく……お願いします。漫画家の仙才せんさいです。ま、まずは謝罪を! デザインが提出できておらず、誠に申し訳ございません……!」


 漫画家の仙才先生の仕事場を訪問した瞬間に、いきなり先生が土下座し始めた。


「そんな! 軽々しく土下座しないでください!」


 僕は慌てて彼を抱き起こす。

 先生は疲れ切っているようで、目の下には色濃いクマがあった。



 ――僕はずっと仙才先生とコンタクトを取り続けていた。

 鬼頭の信頼を得るためという名目はあるけれど、何よりも彼が心配だったのだ。

 あの伊谷見のせいで心を摩耗させるなんて、そんなことはあってはならない。


 はじめのころはメールでも全く返信がなかったけれど、僕が元々の企画立案者であることを明かすと、「企画書の絵を担当したデザイナーを知っていますか」と返信があった。

 どうやら、仙才先生は彩ちゃんの絵に敗北感を覚え、スランプに陥っていたらしい。

 僕は事の経緯を簡単に伝え、詳しくは直接お会いして話すということにした。

 もちろん、伊谷見は先生の希望で同行不可ということにして。


 そして初めて先生の仕事場を訪れたわけだけど、開口一番に土下座が始まってしまったのだ。



「そ、それで……。あの絵を描かれた夜住やすみさんも、い、いらっしゃるんですか……?」


 やつれた表情の仙才先生は、すがり付くように僕を見上げる。

 その言葉につられるように、抱き枕をだきしめて一人の女性が顔をのぞかせた。


「はいっ! 私が夜住 彩ですっ!」


 その瞬間、仙才先生の目が光ったように見えた。

 彼は即座に立ち上がり、姿勢を正す。


「あ、あ、あなたもイロドリ先生の……」

「ふぇっ?」

「イロドリ先生の、ファンなんですか?」



   ◇ ◇ ◇



「……まさか夜住さんがイロドリ先生ご本人だなんて、お、お、思いもよりませんでした! 絵柄を変えられてたのか……。くっそう。見抜けなくて悔しいです。絵が似てると思いましたけど、ものすごく上手いフォロアーが現れたと思って、勝手に落ち込んでいました……」


 仙才先生は元気がないと聞いていたけど、彩ちゃんを前にした彼は本当に饒舌じょうぜつになっていた。

 はじめは彩ちゃんをイロドリ先生の絵を真似するファンだと勘違いしていたらしい。

 彩ちゃん自身のカミングアウトで本人と分かってからの慌てぶりは凄かった。


「あああ、そうだっ! サ、サ、サインをいただけないでしょうか? もちろんサイン本は持っていますが、今日の記念に……」


 そう言うと、彼はおもむろにぶ厚い本を棚から取り出す。

 それはイロドリ名義で出版されている、彩ちゃんのイラスト集だった。

 僕も当然持っている。

 ……けれど、先生は同じ本を何冊も何冊も取り出し始める。


「え、同じイラスト集を何冊お持ちなんですか?」


「鑑賞用と保存用と、保存用の予備と、他にも布教用が五冊ほど……。実は僕、イロドリ先生のし、し、信者なんです。サイン会では不思議なマスクをつけられてましたけど、まさかこんなに可愛らしい方だったとは……!」


「ふぇぇ……。先生がぐいぐい来るよぉ~」


 仙才先生は興奮のあまり、冷静さを失っているようだった。



 ――彼のスランプの理由は、話を紐解けばこういうことだった。

 ずっと世界一の『イロドリフォロアー』を自認していたのに、自分以上にイロドリ先生らしい絵を見てしまい、完全に自信を無くしてしまった。

 なんとか勝とうと頑張っても、あらゆる部分で自分が劣っていると自覚してしまう。

 そしてオリジナリティで勝負しようと思った時、自分には独創性がないと思い知ったのだという……。


「……でも、イロドリ先生ご本人が相手なら、負けても仕方ありませんね。……スッキリしたどころか、最新のお仕事に触れられて、本当に本当に光栄です!」


 そう言う仙才先生の顔は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていて、気が付けば目の下のクマも消えている。

 彩ちゃんはというと、ずっと照れっぱなしで縮こまっていた。


「えへ……えへ……。あの、今回はイロドリ名義ではないので、どうか内密にお願いします……」

「分かっています。僕は信者なので、絶対に先生を守ります!」



   ◇ ◇ ◇



 ひとまず彼に落ち着いてもらい、今の状況を整理することにした。

 まずは伊谷見のせいでご迷惑をかけたことの謝罪。

 そして連載を落としたことを編集部に陳謝し、現状のデザインの遅れについても帳消しにさせていただいたことを伝える。


「遺恨を残したくないこともあって、今回は改めてご挨拶に伺いに来ただけなんです」

「遺恨なんて、とんでもないです。もとはと言えば僕の弱さが原因なので、許していただけただけで救われた気持ちです……。本当にありがとうございます」


 仙才先生はとても腰の低い人のようだ。

 こんな人が伊谷見と接したら、心を病むのも無理はない。


 そして、彼は僕と彩ちゃんが置かれている状況に強く共感してくれた。

 本来の担当デザイナーが外れている理由を説明するには、追い出し部屋を巡る騒動に触れる必要がある。

 彼の誠実そうな人柄を信じて事情を話すと、我が事のように憤慨ふんがいしてくれた。


「イロドリ先生がまさか社員になっていたなんて。……それなのに会社でひどい境遇に置かれてるなんて……。僕、許せません!」

「会社でも、特に上の方が腐ってるようなんです」


 あくまでも「まだ内密に」という前提で打ち明けると、彼は思い当たる節があるのか、目を光らせた。


「……もしかして、鬼頭さんですか?」

「…………! 鬼頭を知ってるんですね!?」


「……はい。一番最初に会った白髪の男性。すごく怖い印象だったのでよく覚えています」


 その言葉を聞いて、僕は彩ちゃんと田寄さんから聞いていたことを思い出す。

 たくさんの作家の名前が並ぶリスト。

 ……その中には仙才先生の名前も書いてあった。

 彩ちゃんも「ユニゾンの人と一対一で会う話があった」と言っていたので、間違いなくあのリストは鬼頭が作ったに違いない。



 鬼頭と会った時のことを詳しく尋ねると、仙才先生は思い出すように話し始める。


「オファー自体は鬼頭さんから頂いたんです。とても高級な料亭で、しかも一対一で接待されたので、緊張しました」


「何を話されたんですか?」


「なんでも、コンテンツ業界の結束を深めるために、色々な作家さんと縁をつなぎたいと。そしてクリエイティブな仕事を安定的に依頼することで、作家を経済的に支援したいと。……その時は業界のことを考えられててすごいなぁと思っていたんです」


 なんとも聞き触りのいい言葉だ。

 しかし鬼頭の言うことだ。

 下心がないわけがない。


「経済的な支援っていう部分が引っかかりますね……。もしかして、いきなり契約を結ばれたんですか?」

「いやいやまさか。何度か会食はあって、何度目かに契約書が出てきました」


「契約の時には伊谷見さんも来ていましたか?」

「いえ。ずっと鬼頭さんおひとりです」


 ……おかしいな。

 伊谷見は「外部作家はぼくの判断で起用したんだ」って言っていたのに、話が食い違う。

 鬼頭のことだから、伊谷見が自分で判断したように仕向けて、裏では着々と契約を進めていたってことかもしれない。



「言いにくければ秘密で構わないんですが……どんな契約内容なんでしょう?」

「秘密なんて、そんなそんなっ。真宵さんはディレクターさんなんですから、こういう話はちゃんと共有しておかないと」


 仙才先生は立ち上がり、作業机の引き出しから書類を取り出す。

 ……それは、ユニゾンソフトと仙才先生の間で交わされた契約書だった。

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