第五十一話「真宵の覚醒 4(終)」
「あはっあはあはあはっ。
路上でけたたましく笑い転げる伊谷見を前にしながら、僕はうろたえていた。
背後には
江豪先生に追い出された僕らは、途方に暮れるしかなかった。
――いったいどうしてこんなことになったのか。
時は一時間ほど前にさかのぼる。
◇ ◇ ◇
「いやぁ先生! 本日の玉稿も大変感激いたしましたよぉ~。ついに悪魔王と主人公が手を取り合う大団円。これが絆というものですねぇ~」
「ははは、そうだろう。何章も前からの布石が生きてきているわけだよ」
「素晴らしいっ! 映画化間違いなしですねぇ~!」
馬鹿みたいに笑う伊谷見と、
その姿はひどく
僕は伊谷見の案内の元、脚本家の江豪先生の元を訪ねていた。
江豪先生は鬼頭局長の公認チームと契約しているシナリオライター。
しかし伊谷見のなあなあな態度と江豪先生の暴走のせいで、シナリオや世界観設定はとんでもない方向にずれていた。
伊谷見は江豪先生の暴走を諦めているようで、ゲームにシナリオを反映しないつもりのようだ。
だから聞くに堪えない伊谷見の言動も、すべて嘘だと知っている。
有名脚本家ともあろう人間がこんな無能に踊らされてるなんて、見るに堪えなかった。
彩ちゃんがここにいたら、どうするんだろう。
きっと放置しない。
彩ちゃんはクリエイターやお客さんの心に寄り添うことを第一に考える。
伊谷見をたしなめて、江豪先生の暴走を止めようとするだろう。
……だから、僕は口を開くのだ。
「江豪先生。正直に申します。……今のシナリオは未採用が決定しています」
「ま、真宵っ! なな、何を言うんだ!?」
伊谷見は当然止めようとするが、そんなこと、知ったことではない。
僕はぐいっと先生に詰め寄った。
「今のまま進められても、メインターゲットが望むものと
「先生、嘘ですよぉ、嘘!」
「伊谷見さんは黙ってください!」
「……その慌てぶり。本当なんだね?」
僕らのやり取りを見ていて察してくれたのか、江豪先生は神妙な面持ちになった。
そして、眉間にしわを寄せて僕をにらみつけてくる。
「真宵くんといったかね。……私のシナリオのどこがまずい? 言ってもらおうか」
父親ほどに歳が上の男性に凄まれては、心臓を
自分の行動がまずかったのかと不安になったが、まだ何も伝えられていない。
僕は心を奮い立たせて立ち向かう。
「まず『歌』がテーマになっていることです。本作のメインターゲットは小学校高学年の男の子です」
「それが何なのかね? 映画でも歌で盛り上がることがある。小学生なら合唱も身近だろう」
「身近でも、恥ずかしいものは恥ずかしいんですよ。……僕が小学生の頃に観たアニメで、急にキャラが歌い始めた時があったんです。もう胸がムズムズして、早く終わってくれないかなって思いました。先生もアニメの脚本を担当されているのなら、そんな話を聞いたことはないでしょうか?」
「真宵、もう黙れぇ!」
「いいから続けさせたまえ」
伊谷見が悲鳴を上げるようにつかみかかってきたが、なんと江豪先生が伊谷見を止めてくれた。
二人の視線が注がれる中、僕はターゲットの子供たちを想いながら、言葉を絞り出す。
「と……特に我々のゲームは、友達同士やネットワーク越しの誰かと一緒に遊ぶゲームなんです! 思春期に差し掛かろうという男の子がワイワイ遊ぶのに、気恥ずかしい気持ちなんて持ち込ませたくないんです!」
その想いが通じたのか、江豪先生は目を泳がせながら胸に手を当てる。
「一緒に遊ぶときの……気恥ずかしさ、か」
……そうつぶやき、噛みしめるように目を閉じた。
分かっていただけたのか?
不安と期待が混ざり合う中で、先生の言葉を待つ。
……しかし続いて出た言葉は、先ほどまでの話題と異なっていた。
「そもそものことを思い出したんだが、事の発端はゲームの世界観の意味だったのだ」
「意味……ですか?」
「ああ。物語をつくるにあたって、重要な要素にメッセージ性を込めねばならん。本作では『魔法』と『悪魔』がそれにあたるのだが、どうしてそのモチーフを採用した?」
試されている。
……そう思った。
否定や批評をするのなら、僕の作品の価値を証明してみせろ、ということだ。
きっと高尚な理由を求められているのだろう。
でも、ここで取り繕っても仕方がない。
僕は正直に話すことにする。
「悪魔はわかりやすい敵ですし、悪魔が持つ特殊能力を魔法と呼ぶのは自然です」
「それだけ? では、なぜ主人公の魔法使いに『悪魔の力を借りている』という設定を付けた?」
「悪の力を用いて正義を成す。普通にダークヒーロー的でカッコよくないですか?」
意表を突かれたような先生を前にして、僕は飾らずに言葉を続けた。
すると、関係ないはずの伊谷見が唐突に食って掛かってきた。
「おいおい真宵くぅん。そんなん、ぼくも考えてたよ! でももっと、こう……なんか必要だろ? 高尚なメッセージ性がさぁ。先生のシナリオはそのあたりが素晴らしいんだ。なぜ戦うのか、なぜ味方を踏み台にするのか……。そんな疑問に丁寧に答えてくれている。戦いばかりのゲームの中に、一つの物語を作っていただけてるんだよぉ!」
江豪先生も代弁してくれたことを感謝するように、伊谷見の言葉にうなずいていた。
でも、そもそも今回のゲームに求めるシナリオとして、前提が間違っている。
僕はディレクターとして指摘しなければいけない。
「……あの。今回のゲームって『悪い敵をやっつけてスカッとしたい』って気持ちを満たしてあげたいんです。あと『他の誰よりも俺スゲー』って気持ちも満たしてあげたい。……戦うことへ疑問を投げかけるなんて、邪魔です」
「じゃ……ま?」
「何度でも申し上げます。邪魔です」
呆気にとられた表情の二人を前に、僕はハッキリと言葉を口にする。
「ゲームでは、お客さんの欲求を叶えることが一番大切なんです。今作ではスカッとした気分にさせたいのに、余計なメッセージをまぜてモヤモヤさせたくありません!」
ここまで来て、江豪先生は酷く落ち込んでいるように見えた。
当たり前だ。
何か月も作り続けてきた作品を、根底から覆してしまったのだから。
「……真宵くん。君の言い分はよぉくわかった。私のシナリオが使い物にならないこともね。…………しかし、しかしだ。今までに書き上げてきたものはどうなるのかね? この私の時間と努力。そしてこの想いは……どうなるのかね?」
「これまでの成果物は受領いたします。それは、ここの伊谷見がディレクターとして判断したものですから」
「なんだよぉ真宵くん。場を乱しただけで、結局受け取るんじゃないかぁ! せ、せ、先生に謝りなさいな!」
伊谷見は勢いよく僕の頭をつかむと、無理やりに頭を下げさせようとしてくる。
やめろ!
話はまだ終わっていない!
僕は必死に耐え、そして江豪先生に向かって目を見開いた。
「……しかし、今のディレクターはこの真宵です。今後の判断は僕がやります! このままでしたら、一切受け取る気はございません!!」
――長い沈黙。
僕は伊谷見の手を振りほどき、うつむいたままの江豪先生に歩み寄る。
先生は、肩を震わせていた。
「私は……私はねぇ。敵と味方が歌で手を取り合う物語をずぅっと書きたかったんだよ」
「それはご自分で、自由に執筆なさってください。今のシナリオは、このゲームと間違いなく相性が悪い。このまま製品に使うとお客さんのバッシングに合います。……先生の名前が
「……少しぐらい、よくないかね?」
「ダメはダメと言う人が必要なんです。僕はディレクターとして、言葉を変えられません」
僕は背筋を伸ばし、そう伝えた。
すると次の瞬間、真っ白い紙吹雪が宙を舞った。
先生が原稿を破り捨て、ばらまき始めたのだ。
ある原稿はグシャグシャに丸められ、ある原稿は舞い散りながら床一面に広がっていく。
そして野獣のような唸り声を上げながら、江豪先生は伊谷見につかみかかった。
「伊谷見くん、君は言ったよねっ!? 『歌はいい』と!!」
「えっと。あ、はい。素晴らしいと思いますよぉ」
すでに先生は僕を見ていない。伊谷見を追求するように目を見開いている。
伊谷見は愛想笑いを浮かべながら、顔を引きつらせていた。
「ふん! ……君、私の機嫌をうかがっているだろう! そのぐらい分かるよ。私をおちょくっているのかね!? 腹の底ではボツにするつもりで、物語の完結まで書かせておいて!」
「い、いやそんなぁ!」
「では、なぜ今までオッケーを出していたのかね? 一人で盛り上がっている私を滑稽だと笑っていたのではないかね?」
「あああ、あのぉ……」
江豪先生は伊谷見の巨体をものともせず、玄関を開け放つと彼を外に放り出した。
つまずいて後ろ向きにゴロゴロと転がり出ていく伊谷見。
「伊谷見! 君は金輪際、立ち入りを禁ずる!! 出ていけーーーーっ!!」
怒号を浴びせられ、あっけにとられる伊谷見。
そして玄関の扉は無情にも閉ざされたのだった。
嵐のような一時が過ぎ、玄関の内側では僕と江豪先生の二人きりになる。
先生は呼吸を乱しながら、僕を静かに見据えた。
「真宵ディレクター。……こんな滑稽な私の原稿が、今でも欲しいか!?」
「もちろんです。ディレクターとして、とことんお付き合いする所存です」
真摯な姿勢で先生と向かい合う。
僕にできることは、それだけだと思った。
江豪先生は表情を硬くしたまま、僕に背を向ける。
そして去り際につぶやいた。
「…………ふん。渡す物なんてない。帰りたまえ」
◇ ◇ ◇
「あはっあはあはあはっ。真宵くん、終わりだよぉ。あ~んな馬鹿正直に言う奴がいるかよぉ。ほ~んと馬鹿!」
江豪先生のお宅を出ると、路上で伊谷見がけたたましく笑い転げていた。
自分が怒鳴られたのに、なんで笑えるんだろう?
意味が解らなすぎて途方に暮れるしかなかったが、絶望しすぎると笑うしかないのかもしれない。
自分のやってきた罪をバラされ、断罪された。
あまりに自業自得で、なんのフォローもしようがない。
しかし僕も困っているのは同じ。
こうなったきっかけは僕にあるのだから、鬼頭に責任を取らされるのだろう。
なんとか鬼頭に近づきたかったが、ここまでか……。
でも、後悔はしていない。
ここで止めなければ、江豪先生は間違いなくお客さんに叩かれていた。
あの人を道化にしなくて済んだのだ。
これもディレクターとしての責任。
僕は自分の判断を誇りに思う。
◇ ◇ ◇
――しかし数日後。
僕と伊谷見は、満面の笑みの鬼頭と対面していた。
「いやぁ真宵くん! さすがは俺が見込んだ男。見事な手腕だな」
「えっと……。どうしたのでしょうか?」
状況が飲み込めないままでいると、鬼頭は局長室のデスクの上に大きな封筒を置いた。
封筒の中には紙の束が入っている。
「これを見なさい。江豪先生の新たなシナリオだそうだよ。準備に時間がかかって申し訳ないとおっしゃっていた。本来ならすぐにでも渡したかったのだと」
「う……嘘でしょぉ? あ、あ、あの江豪先生が?」
うろたえている伊谷見に構うことなく、鬼頭は満足そうに僕を見つめてくる。
「江豪先生が君に特別な感謝を述べられたのだ。暴走してしまった自分を想い、戒めてくれた。……新たなディレクターのおかげで目が覚めた、とな」
そしておもむろに立ち上がると、鬼頭は僕の目の前までゆっくりと歩み出てきた。
「それにしてもだ。真宵くんの成果は目覚ましいな! 仙才先生からもデザインが届き、プロトタイプもちゃんと動くようになっているではないか。伊谷見が三か月以上も達成できなかったことを、ほんの一か月ほどで覆してみせたわけだ」
僕の目の前に突き出される右手。
それは鬼頭の信頼を勝ち得た証だった。
「よくやったな、真宵くん」
「あ……ありがとう……ございます」
宿敵の信頼を得て、僕はホッと胸をなでおろす。
触れたくもない右手だが、今だけは喜んで手を取ろう。
僕は鬼頭と固く握手を交わした。
そして次の瞬間、鬼頭の表情が豹変した。
鬼のような形相で伊谷見をにらみつける。
「伊谷見ーーーっ!!」
「ひゃ……ひゃいっ!」
「貴様。開発チームから『邪魔してくる』と抗議が来ているぞ!」
「えっ……?」
「さらには江豪先生。お前のおかげでいらぬ手間が生じたと、この俺に抗議があった! 仙才先生をノイローゼにするわ、邪魔ばかりするわ。恥をかかせおってっ!!」
圧倒的な怒声と共に、デスクが激しく叩かれた。
その拍子にすっ転んだ伊谷見に、さらなる怒声が浴びせかけられる。
「貴様は本当にいらんわーーーっっ!! 開発チームはクビだ!!!」
「ぼ、ぼく……どうすればいいんですかぁ?」
半泣きの伊谷見。
その言葉を打ち消すように、鬼頭はバンバンとデスクを叩き続ける。
「黙れ! 知らんわ! キャリア開発室に行くかぁぁっ!!?」
ああ、まずい。……僕は思った。
伊谷見が追い出し部屋に追放されると、彩ちゃんたちが仕事できなくなってしまう。
僕はとっさに鬼頭の前に躍り出た。
「局長! 伊谷見さんはずっと僕をサポートしてくれた恩人なんです。追放することだけは勘弁していただけませんか!?」
「真宵……。君は本当に優しい男だな。はっはっは。その姿勢で江豪先生を惚れさせたわけだ」
鬼頭は豪快に笑い、そして伊谷見をゴミを見るような目で見降ろす。
「ふん。伊谷見。真宵くんの心意気に感謝するんだな。……勝手に次の仕事を探せ。俺の目の前に二度と姿を見せるな!」
「は……はいぃぃぃ……!」
悲鳴を上げながら、床を這うように退室していく伊谷見。
よかった。
彩ちゃんたちを邪魔することもなく、邪魔な伊谷見も排除できた。
鬼頭を見ると、伊谷見の去りざまを満足そうに眺めている。
そしてその笑みのまま、僕に視線を戻した。
「ああ、ところで真宵くん。来週あたりでも打ち合わせをしたいのだが、よいかね?」
――なにか内密の
僕は瞬時に察した。
ついに、鬼頭の懐に潜り込めたのだ。
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