第三十八話「転落の予感(仇敵の転落 3)」

 追い出し部屋の開発が順調に進んでいる頃、会社公認の開発チームを率いる伊谷見いやみは困り果てていた。

 キャラクターなどのデザインを依頼した漫画家・仙才せんさいがいつまでたってもデザインを納品してこないのだ。

 ゲーム性に関わるモンスターデザインは仕方なく社内のデザイナーに任せることにしたが、さすがにキャラクターまで社内で引き取るわけにもいかない。

 電話やメールでも応答が無くなってしまったので、意を決して仙才先生の仕事場を訪問することにした。


 ……したのだが、伊谷見は困り果てていた。

 丸めた紙が床中に散らかり、仕事机の上には真っ白な原稿用紙。

 そしてやつれ果てた仙才先生の姿があったのだ。


「せんせ~。さすがにそろそろデザインを上げてもらわないと、困りますよぉ~」

「すみません……すみません……。何を描いてもピンと来なくて。アイデアが降りてこないんです……」


 仙才先生は頭を下げるばかりで、こちらに視線を合わせようとしない。

 伊谷見はあきれ果て、床に散らばる丸まった原稿用紙を拾い上げた。


「でもほらぁ、たくさん絵があるじゃないですかぁ……」


 それは描きかけのデザインであり、気に入らなかったのか、ペンでグシャグシャと消してある。


「はぁぁ……。仙才先生ともあろう方が、どうなさったんですぅ?」

「……いくら描いても、企画書の絵に勝てないんです」


「いやいやぁ。企画書の絵なんてなかったことにして、ゼロから作り替えてもらってもいいんですよぉ。なにせ、先生の作品ですからぁ」


 しかし、仙才先生は頭を横に振るばかりだ。


「なかったことになんか……できないんです。一度見てしまえば脳裏に焼き付いて離れない。……何を描いても引っ張られてしまって。でもそれは僕の絵としては提出できない……」


「じゃあ衣装とかは企画書の絵のままでいいですよぉ。大事なのはキャラの顔立ちなんです。先生が描けば、どんなデザインでも先生のものですよぉ」

「で……で……できるはず、ないです。そんな恥ずかしいこと……」

「大丈夫ですってぇ。企画書の絵なんて世の中に出ませんしぃ~」


 しかし、仙才先生はさっきから頭を横にしか振らない。

 伊谷見はさすがに苛立ってきた。


「……ったく。迷惑なんですよぉ」

「え……?」

「仕事の締め切りは絶対厳守。それをこんなに遅らせて……」


「……っ! すみません、ごめんなさい……」

「デザインなんて企画書と同じでいいんですよぉ。ぼくが欲しいのは先生の『絵』なんですから。今度の締め切りには間に合わせてくださいねぇぇ~」

「……はい」


 まったく困ったものだねぇ。

 先生の仕事場を後にして、伊谷見は思う。

 こっちがデザインを使っていいって言ってるのに、無駄にプライドだけ高くて仕方ない。

 まあ「はい」と言わせたし、今からなら何とかモデルも間に合うだろうねぇ。


 ……とにかく、ぼくは忙しいんだ。

 次は脚本家の江豪えごう先生との打ち合わせなのだから。



   ◇ ◇ ◇



「え、そもそもなんで魔法と悪魔をモチーフにしたのか……ですかぁ?」


 脚本家・江豪先生のお宅にお邪魔した伊谷見は、またしても困った事態になっていた。


 世界観設定とシナリオの進捗を確認しに江豪先生宅にお邪魔したのだが、これまでの数週間で設定が煮詰まってきていたのに、今頃になってそんな根本的な質問をされるとは思いもよらなかった。


「うむ。これまでは魔法と悪魔を前提として物語を組み立ててきたがね、メッセージ性について掴みかねていたのだよ。悪魔は敵キャラクターかと思いきや、主人公もその力を借りている設定だろう? そこが引っかかりだったんだが、そここそがメッセージ性になり得る気がしてね」

「……はぁ」

「そこでディレクター自身が、なぜそんな前提にしたのかをお伺いしたくなったのだよ」


 そんなことを言われても、ぼくの知ったことじゃない。

 伊谷見は内心で困り果てた。


 そもそもそんな設定にしたのは真宵であって、ぼくじゃない。

 それに決めた理由なんてどうだっていいだろう?

 悪魔は悪い敵。

 主人公の設定に悪魔を関連付けてるのも、ダークヒーローがターゲットに受けるっていう意味以上はないだろう。


 ただ、この先生は深い考えを欲しているようだ……。

 ここはディレクターらしくビシッと決めなくてはならない場面なのだが……。


「伊谷見ディレクター。どうしたのかね?」

「……え。ええっとですねぇ。はは……」


「はっはっは。まあすべてのディレクターが深く考えているとも思わんよ。私も業界歴が長いからねぇ」

「は、いえ。……恐縮です」

「そう思ってだね、用意したのが……」


 先生はおもむろに立ち上がり、書類の束を持ってきた。

 手渡されたソレをめくると、膨大な設定資料と冒頭のシーンが書かれている。


 圧倒されながら文字を目で追うと、唐突に出てくる『歌』の文字。


「……っ! これは……?」

「私も色々考えてみたんだがね、『歌』をテーマにした物語にしようかと思うのだよ」

「歌!? ええっと。……本作は魔法を使ったバトル物なんですがねぇ……」


「ほら、魔法と言えば詠唱をするだろう?」

「……まあ」


「味方やライバルとの共演といえば『セッション』ともいえる。歌は文化を越えて世界をつなげる。歌は律動。宇宙とさえも交信できる。悪魔とその契約者同士の戦いは、魔法という『歌』を通した『絆を結びなおす物語』だと考えてみたのだよ」


 熱弁する江豪先生。

 しかし伊谷見は先生の言葉の意味がさっぱり理解できなかった。

 先生はすでに自分の言葉に酔いしれているのか、伊谷見を置いてきぼりにしながら熱く語り続ける。


「私はずっと物語に歌を取り入れてみたかったんだよ。今作ではその可能性を大いに感じますなぁ」


 ヤバい。変なスイッチが入ってしまった。

 これは作家の暴走という奴だ。

 くそ、どうしようかねぇ……。

 下手にへそを曲げられても困るし、遠回しに却下するしかなさそうだよ。


「……ええっと。……歌! いいですよねぇ! ぼくも好きだなぁ。ただ……今作には合わないというか、何というか~」

「しかし、ゲームも音楽と映像を用いる総合芸術だろう? 親和性は高いはずだ」

「そうですね、大変すばらしい!」


 仕方ない。

 伊谷見は覚悟を決めた。

 どうせプリプロではムービーシーンを入れないし、設定とシナリオの紙の分厚さだけでも成果物としては十分だろう。

 本制作でなんとか軌道修正するとして、今は放置することに決めよう、と。



 その時、唐突に電話が鳴った。

 伊谷見のポケットの中から音楽が流れてくる。


「おおっと、打ち合わせ中に大変失礼いたしましたぁ。まったく誰なんですかねぇ……」


 焦りながら伊谷見はスマホの画面を見て、その表情が凍る。

 ……鬼頭局長の社用電話からだった。


「はい、伊谷見です! ……ええ、ええ。……はいっ? 明日、局長室でお話!?」


 鬼頭局長からの突然の呼び出しだ。


「あの、ご用件は……? いえいえ、滅相もありませんよぉ。では明日! まいります。よろしくお願いいたしますぅっ!」


 鬼頭局長の言葉には熱がこもっておらず、妙に冷たい。

 いったい何があったのか分からないが、あまりいい話ではなさそうな空気だと、伊谷見は感じるのだった。

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