第三十四話「仮面の職人 1」
ふぇぇ、死んじゃう死んじゃうっ!
押しつぶされるぅぅぅぅっ!
なんで日本の通勤電車って、こんなに混んでるのかな!?
私は今、朝の通勤中。満員電車の中なんだけど……。
毎日のこととはいえ、辛くて仕方ないっ!
通勤時間って、ただでさえ抱き枕がなくって死にそうなのに……。
もう私のHPはゼロだよぉ。
こんな時、手のひらの中の『ドラゴンズ スフィア』のストラップフィギュアだけが心の支え。
早くこの苦痛が終わって欲しいと、願い続ける――。
その時、車体が大きく揺れた。
そして『緊急停車します、おつかまりください』のアナウンス。
いやいや、むりっ!
私の背の低さをなめちゃダメ! どこにも掴まれないんだから……!
その時、誰かに両肩をしっかりと掴まれた。
目の前には飛び切りきれいなお姉さん!
「あ……あああ……ありがとうございます」
「いいよ。……ところでドラスフ、好きなの?」
おお、なんかカッコいいハスキーボイス。
そしてお姉さんの視線は……私の手の中にあるストラップに注がれている。
「は、はい。私、大好きで……」
「わたしも好きだよ」
そう言ってお姉さんが取り出したスマホにぶら下がっていたのは、同じくドラスフのストラップフィギュアだった。
◇ ◇ ◇
「……でさ、彩ちゃん。その話がどうして3Dを勉強することに繋がってるの?」
午後の追い出し部屋。
3Dソフトに悪戦苦闘している私を見て、真宵くんが不思議そうに尋ねた。
「その時見せてもらったフィギュアね、見たことなかったヤツだったんだ! 質問してみたら、自分でモデルデータを作って3Dプリンターで出力したとか……。自分でフィギュアを作れるなんて凄い時代になったんだね~」
朝の電車での出来事を真宵くんに話す。
あの後、お姉さんとフィギュアの話で盛り上がったのだ。
どうやら自分でもオリジナルフィギュアが作りたくなって、家で作っているらしい。
「自分が見たことないからって、よく自主制作の物って結びついたね」
「だって私、ドラスフのフィギュアは全部知ってるも~ん」
「そっかー。全部か~。……あの人気シリーズのフィギュアって、数えきれないほど出てたんじゃ……」
「ファンだからね!」
胸を張って答えると、真宵くんがちょっと引いている。
まあ、確かに『ドラゴンズ スフィア』シリーズのフィギュアは大小合わせて232体が発売されてる。その全部を把握してるんだから、驚くのも無理はないかもしれない……。
「……まあ、彩ちゃんの熱意はわかったけど。忙しいのにフィギュアづくり……?」
「べ……別に。そうやってモチベーションを高めつつ、3Dソフトの勉強をしてるんだよぉ」
今、追い出し部屋にはキャラクターモデラーが不在らしい。
何人か3Dモデリングできる方もいるのだけど、それぞれが建物や武器、乗り物など『硬い物』を得意としてる方たちらしく、キャラクターはどうにも不得意ということだった。
だから私が一念発起してキャラモデルを作ろうと思ったんだけど――。
「勉強の進み具合は……悪そうだねぇ」
「ふぇぇ……。私、3Dの才能は無いみたい~~。だいたい、ソフトの機能が多すぎてわけわかんないんだよぉ……」
「彩ちゃんにも苦手な物があったんだねぇ……」
まあ自分でも分かってたんだけど、得意不得意はどうしても仕方ないかもしれない。
「キャラモデルがなくて……プロトタイプチームは困ってない?」
プロトタイプチームは今、ゲームを実際に組み上げながら技術検証やゲーム性の検証を行ってる。
真宵くんと田寄さんを中心としたチームで、熱心に議論しながら着々と作り進めているようだ。
「うん。今は背景モデラーさんが用意してくれた仮データを使ってるから、仮組みは進んでるよ。……ただ、敵は人型じゃないから代用できるデータもないし、ただの四角いモデルを使ってるけどね……」
「見たい見た~い!」
「今はちょうど、ゲームでも重要な戦闘部分を作り上げてるんだ」
真宵くんは説明しながら、パソコンを操作した。
ゲームが起動すると、まずは作り込まれた背景が映ってワクワクする。
……だけど、そこに登場したのはのっぺらぼうのマネキンのようなキャラクターの3Dモデル。そして多数のマネキンが対峙するのは真四角のお豆腐だった。
このお豆腐みたいな直方体の真っ白な3Dポリゴンが、敵の仮モデルらしい。
あまりにもお粗末な画面で、目を覆いたくなる。
「ふぇぇ……キャラができてなくてゴメンね……」
「大丈夫だって~。まだまだ初期段階だし、ちゃんとしたキャラに変われば雰囲気もガラッと変わるよ」
「うう、ゴメン。……あれ、そう言えば、なんだかキャラの動きもぎこちないねぇ」
マネキンキャラは武器を振ったり魔法を使ってるけど、素人目にも動きが安っぽい。
……というか、明らかに変だ。
「うん。うちのチームにはアニメーターさんもいないから、仮データなんだ」
アニメーターとは、キャラクターモデルに動きをつけてくれる人のこと。
いわゆるアニメ作品のアニメーターとは別の業種の人らしい。
「仮データかぁ。よかったぁ! 今はさすがに変だもんね!」
「見よう見まねで……僕が作ったんだ」
「あっ、ごめん……」
「別に……いいよ。うん。……プロにはかなわないなぁって落ち込んでたところだから……」
変って言っちゃった。
ゴメン、真宵くん……。
その時、隣で作業をしていた田寄さんがこっちを向いた。
「キャラモデラーとアニメーターだけどさ。……とびっきり優秀な人がココにいたんだよ。男二人で仲良くタッグを組んでてさ」
「え、そうなんですか!? じゃあ何も問題ないですね!」
「『いた』んだよ。……今はいないのさ」
「ふぇ? どういうことですか……?」
「……一人はここを去って、一人は出勤停止処分さ」
田寄さんの話によると、アニメーターさんはどうしても開発の仕事に戻りたくて、会社の偉い人に頭を下げて戻ったらしい。
ただ、その時になにか問題が起きたらしく、キャラモデラーさんは出勤停止処分になってしまったのだという。
「その時に何が起きたのか、アタシらが聞いても何も教えてくれないんだよ。電話も着信拒否されるし、家に行っても顔を見せてくれないし……」
すると、真宵くんが
「彩ちゃんってこの部屋に来て以来、そのキャラモデラーさんに会ったことある?」
「う~ん。覚えがないような……」
「だとすると、もう三週間以上になるよね。確か会社の処分で出勤停止の場合でも二週間程度のことが多いと思う。……ひょっとして無断欠勤中なんじゃないかな?」
真宵くんがつぶやくと、田寄さんは天を仰いだ。
「……実はそうなんだよ。出勤停止処分が終わった後も、無断欠勤で一週間以上。これ以上だと会社もクビにできちゃうだろうねぇ」
田寄さんはため息をつきつつ、「まあ、クビになりたいんだろうけどね」と付け加えた。
◇ ◇ ◇
「ちょっと彩ちゃん! 待って!」
「とびっきり優秀な人って言ってたよ! うちのチームでゲームを完成させるなら、絶対にその人たちの力が必要なの」
「だからって、クビになりたい人の家に押し掛けてどうするんだよぉ~?」
私は田寄さんからキャラモデラーさんの住所を聞き出し、さっそく突撃しようとしていた。
こんな時の自分の行動力が怖くなる。
でも、追い出し部屋のみんなでゲームをつくるって決めたんだ。
やれることは全部やっておきたい。
「真宵くんはついてこなくていいんだよっ!」
「男の家にひとりで突撃なんて、危険だからだよっ!」
「危険ってなにが?」
「ああ~もうっ! 彩ちゃんは女の子なんだから、もっと危機感を持って!」
そうこうして、たどり着いたのは二階建てのアパート。
……その二階。
階段を駆け上がって一番奥の扉が、凄腕キャラモデラー『
一気に駆け上がると、扉の前に一人の男性が立っていた。
「彩ちゃん、彼が片地さんかな?」
「……ううん。違うと思う」
扉の前に立つ男性は、扉をノックして中に話しかけていた。
住人としては不自然だ。
なによりも、その金髪とピアスの姿には見覚えがあった。
「えっと、えっと……機材管理室にいたお兄さん?」
「あれ、夜住さんじゃないっすか?」
確かこの人、機材管理室で気さくに話しかけてくれたお兄さんだ。
「えっと、長さんから名前を呼ばれてた……なわとびさん!」
「高跳っす!
「高跳さんも、この……片地さんに用事なんですか?」
「オレの友達なんすよ。でも全然顔を見せてくれなくなって……」
そして高跳さんは扉を見つめる。
その表情は切なく、悲しそうだった。
私は意を決して扉に向かい、ノックする。
「あの、片地さん! ……私は『追い出し部屋』の夜住 彩って言います。今、どうしても片地さんの力が借りたくって、お願いに来たんです。……お話、聞いてもらえないでしょうか?」
緊張しながら呼びかけてみたけど、まったく返事がない。
まるで誰もいないように、物音一つしなかった。
不安になって表札を見ると、そこには二人分のお名前が書いてある。
『片地 創馬』
そして『片地 玲奈』
妹さんなのか、お姉さんなのか。
片地さんは二人で暮らしてるらしい。
するとその時、コツコツと階段を登る足音が聞こえてきた。
振り返ると、長身で髪の長い女性の姿。
「――あ!」
そこに現れたのは、今朝の通勤時間に出会った、飛び切りきれいなお姉さんだった。
「……弟に用ですか?」
「はい! お仕事のことで相談がありまして……。私、同じ会社の夜住 彩って言います!」
「創馬は会社を辞めるって話してます。……どいてください」
まったく取り合ってもらえないまま、お姉さんはお部屋の鍵を開けた。
扉の隙間からは狭そうなワンルームのお部屋が見える。
そして閉じゆく扉……。
「今朝、お会いしましたよね!」
呼びかけながら、一気に片足を扉の隙間に突っ込んだ。
お姉さんは私の言葉に驚いたのか、目を見開いて止まっている。
この隙に、私は一気にお部屋に突入した。
「ちょっ、彩ちゃん!?」
「や、やめて!」
「すみません、お邪魔しますっ!」
制止するお姉さんを尻目に、お部屋の中に飛び込む。
……だけど、中には誰もいなかった。
いや、いた形跡がない。
お部屋の中には一人分のベッド、一人分の机と椅子、一人分の歯磨きセット。
ここに二人で住んでるとは思えない。
振り返れば、あっけに取られているお姉さんが一人。
もう、疑いようがなかった。
「……お姉さん、あなたが創馬さんですね?」
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