第十八話「最後の威勢(古巣の凋落4)」

 彩と真宵の企画が仕上げに入っている頃、井張は作業部屋で危機に瀕していた。



井張いばりぃぃぃーー!! 説明しろぉぉぉーーっ!!」


 出社したばかりの俺を出迎えたのは、碇部長の怒鳴り声。

 理由はわかってる。

 スマホRPGのガチャ更新でネット炎上したからだ……。


 下手くそなイラストは十分な修正が間に合わないまま、世の中に出ることになってしまった。

 反応が気になってエゴサし続けたが、ネットのコメントは「ブサイクすぎて草」、「これで集金とは終わったな」、「俺のエルルたんのSSSレア昇格をけがしたヤツ死ね」と散々な評価だった……。


 しかし、たかがイラストの質が一度崩れただけで、こんなに派手に炎上するわけはない。

 一番の炎上理由は、部長がやった『SSSレア追加レアリティの実装』のせいだった。

 事前告知なしのサプライズだったので、少し前のガチャフェスでSSレア目当てにお金をつぎ込んできた既存ユーザーの怒りはすさまじかった。

 しかも目玉のSSSレアでいきなり作画崩壊を起こしたわけで、ユーザーの失望は目に余るほどだ。


「申し訳ございません! 外注先のイラストレーターが知らないうちに変わってまして、その尻ぬぐいに奔走してたんですが……」


 部長の怒りをなだめようと頭を下げるが、いつまでたっても怒声は止まらない。

 なんとかしろ、面子が丸つぶれだ……と、なんの解決にもつながらない小言で頭が痛くなってくる。


 くそ、くそ、くそ!

 自分の失敗の苛立ちを俺にぶつけやがって!

 八つ当たりじゃねーか!

 俺だって一言ぐらい言い返したい。


 そう思って頭を上げた時、顔を真っ赤に染めた部長が机をぶん殴った。


「お前は現時点でクビだっ! 俺の顔に泥を塗りやがって!」

「ま、ま、待ってください! クビって何ですかっ!?」

「俺の企画の担当をだ! 進捗が悪い上にリーダーとしても役立たずの、この無能がーー!」


 部長の企画を下ろされる?

 必死に頭を下げて、ここまで頑張ってきて、ようやくつかんだキャラクターデザイナーのポジションを?

 それだけは手放したくない!



 ……気が付けば、俺は部長の足元で土下座していた。


「何とかしますから、クビだけは勘弁してください! 必ず今日明日で修正してみせますから!」

「お前はバカか!? 今日明日っつったら、俺の企画書と丸かぶりだろうが! 審査会までの時間を分かってんのか? あと二日しかないんだぞ!」


「ど、ど、どちらも必ずやりますからっ……」

「ここまで悪化させておいて、どの口でほざくか、このアホが!!」

「ひぃぃ……っ!」


 怒声に全身が震え、思わず床に額をこすりつける。


「ソ、ソシャゲの修正の方は、うちのデザインチームを動員させますっ! 企画書は俺が全身全霊をかけて担当しますから、どうか、どうか……」

「その言葉、忘れんな! 死ぬ気でやれ!」


 部長はゴミ箱を蹴りあげると、けたたましい音で扉を閉め、去っていった。

 金属製のゴミ箱がひしゃげ、中身をバラまきながら転がってくる。

 俺にはそれが、自分自身のように見えていた……。



   ◇ ◇ ◇



 業務時間中、デザインチームと俺との空気は最悪だった。


 それも無理はない。

 ……碇部長の暴言にさらされた上に、目下炎上中のソシャゲのイラスト修正を押し付けられたのだから。

 なんと言っても、土下座した俺の威厳は地に落ちてしまっていた。



 部下にまで頭を下げつつ、それでも何とか修正作業をやってもらう。

 しかし、デザイナーの数や作業時間だけではどうにもならない問題に直面していた。


 絵柄がどうしても似ないのだ。

 癖がないようでいて絶妙に特徴のある絵柄は似せるのが難しい。

 似せようとするたびに違和感が強くなっていった。


 レアリティの低いイラストなら許容範囲にするわけだが、注目の集まるSSSレア最高レアリティのイラストとなると、そうもいかない。

 修正作業は完全に暗礁に乗り上げていた。


「あのさ、もうちょっと似せられないかな? ほら、目の位置を2ピクセル離すとか」

「そう言って、さっきから離したり近づけたりしてるじゃないですか。精一杯やってますけど、もう無理ですよ。……そもそも私たちはキャラ担当じゃないので、これ以上のやっつけ仕事じゃどうにもなりません!」


「じゃ、じゃあっどうすればいいんだ!?」

「井張さん。リーダーなんだから、ご自分で考えれば? 私たちの相談なんて、今まで一度も聞いてくれたこと、なかったじゃないですか」


「お、ま、え、ら……!!」


 下手に出てやれば付け上がりやがって……!

 俺の弱味を握ったと思ってんのか?

 苛立ちが抑えられず、顔が歪んでしまう。


 すると、デザイナーどもが威勢よく俺をにらんできた。


「部下の一人も守れないリーダーの後なんて、ついて行きたくありません!」

「なんだ、誰のことだよっ?」

「彩さんですよ。夜住やすみ あやさん。いつの間にかいなくなってるし、噂では追い出し部屋に追放されたって話じゃないですか」


「あれは部長が勝手に……」

「井張さんが正確な報告をしてなかったからじゃないですか? 彼女が可哀想」


 そう言われた瞬間、目の前が真っ赤になった気がした。

 バンッとゴミ箱を蹴り飛ばし、叫ぶ。

 自分でも何を叫んだのか分からなかった。


 ――そして、デザインチームの心は離れてしまったのだった。



   ◇ ◇ ◇



 一人で孤独にパソコンに向かう。

 俺の目の前には企画書の絵素材作成と要修正のイラストの山。

 デザインチームはそっぽを向き、二度と手伝ってくれることはなかった。



 時計を見るたびに心が蝕まれ、叫びまわって逃げ出したくなる。

 それでもキャラクターデザインをやりたいという渇望が俺を椅子に座らせ、手を動かし続けた。

 だが、どう考えても時間が足りない。


 その時思い出されたのは『夜住 彩』のことだった。



 そういえば、あの新人が担当していた間は問題が起きてなかった。

 ひょっとして、あの新人がうまくまわしていたのか?

 想像したくなかった可能性に苛立ちを覚える。

 まさか『金食い虫の無能』と思い込んでいた女に守られていたとは、考えたくなかった。


 ……とはいえ、ここまで状況が切羽詰せっぱつまっていると仕方がない。

 こうなったら夜住に頼むか?

 あの追い出し部屋の住人に、この俺が?


 悔しさに胸が焼け付くようだ。

 しかし背に腹は代えられない。

 俺は重い腰を上げ、追い出し部屋へと歩き出した。



   ◇ ◇ ◇



「ふふふんふ~ん! 二人なら~ムテッキ~~さぁ~!」


 執務区画を抜けて倉庫の区画に踏み込んだ時、バカみたいに間抜けな歌が聞こえてきた。



 廊下の曲がり角から恐る恐る奥をのぞくと、そこには大きな抱き枕をかかえた女。

 ――夜住 彩が歩いていた。


 相変わらずのふざけた格好。

 俺が死ぬほど働いて疲れているのに、あいつは追放されたくせに呑気なもんだ。


 追い出し部屋は残業もなく、さぞや快適だろうな!

 さっさと辞めればいいものの、仕事もないのに会社に居座り続けるなんてムカついてくる。

 奴の間抜けな姿を見た瞬間に、『夜住に頼む』という選択肢は消え去っていた。


 そうだ、馬鹿馬鹿しい。

 俺は何を血迷っていたんだ。

 追放された奴に仕事を頼んだと知られれば、部長に何を言われるか分かったものじゃない。


 くそ、やってやる。

 俺が自分で直してやる。

 俺は凄い! 俺は凄い!

 あんな新人にできたこと、俺にできないはずがないんだっ!



 ――これが、井張の最後の威勢になった。


 彼はまったく分かっていなかったのだ、夜住 彩の筆の速さが常軌を逸していることに。

 彩の作画スピードと画力に依存していたのに、その事実を知ろうともしなかった。それどころか、自らの欲求にばかり突き動かされて周りをないがしろにしてきた。

 その愚かな行為のつけを払うときがやってきたのだ。


 結局、井張はガチャ用イラストの修正を終えられず、そして碇部長の企画の絵素材もそろえられなかった。

 最悪の状態のまま、企画審査会になだれ込む――。

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