第十話「誰がために企画はある? 6(終)」

 息子の翔太が寝静まり、騒がしい我が家にもようやく静けさがやってきた。

 今は夫と二人きりの晩酌タイム。好物の日本酒をグイっと飲み干す。


 翔太と言えば、彩ちゃんが憧れのイラストレーターだと気付いてからは、なぜかアタシを見る目が変わったんだよな。

 息子いわく「神絵師が部下なんてカッケー」だそうだ。

 部下じゃないって言ったんだけど、同じ会社にいてアタシが年上だから『部下』っていう認識らしい。

 子供らしいというか、なんというか。微笑ましいもんだ。


しきさん、上機嫌だね」


 そう言って夫がお酒をついでくれる。


「ああ、週末に会社の子たちが来てね。ちょっと楽しかったんだよ」

「そっか。式さんが笑うのって久々で嬉しいよ」


 笑うのが久々か……。自分では意識してなかったけど、夫が言うなら間違いはないだろう。


 すると夫が言いにくそうに口を開いた。


「そろそろ転職したらどうかな。君の技術をそんな会社で腐らせるのなんてもったいないよ」

「う~ん……。辞めるのは簡単でも、未練があるんだよねー」

「でも、今のままだと昇進どころか活躍の機会もない。……式さんがこのまま埋もれるなんて、世界の損失だと思うんだよね」


 夫はいったん言葉を区切ると、なんだか真面目な顔でアタシを見据える。


「前にも言ったけどさ、うちの会社に来ないかい? ゲーム業界を支えるのはソフトをつくるだけじゃない。CGの表現の幅を広げる仕事だって、十分にクリエイティブだと思うよ」


 夫の会社はCGの様々な表現技法をサポートする『ミドルウェア』を開発していて、確かにアタシの力が生かせると思う。『遊びを作る』ことから離れることになるけれど、業界での活躍を想えば十分に魅力的だ。

 それに言われるまでもなく、今の会社にしがみついてても楽しい出来事なんて望み薄だった。

 曇ったままの気分を押し流したくて、一気に酒をあおる。



 かつてアタシは『神ゲーの生みの親』と呼ばれる人と一緒に仕事をしていた。

 作るゲームは当然のように大ヒットし、望まれるままに続編を作り続けた。


 だけど、続編開発は転がれば転がるほどに大きくなる雪だるまだ。

 もっと面白く。

 もっと新しく。

 もっと沢山に。

 もっときれいに。

 求められるクオリティはどんどんと高くなり、同じ遊び味であることも許されない。

 必要がなくなった要素も無くしただけで非難の的になり、削ることさえままならない。

 雪だるまが肥大化して押せなくなった時、アタシたちのチームは『金食い虫の無能』の烙印らくいんと共に追放されてしまったわけだ。


 誰も手を付けていないまっさらな雪原で新しい雪だるまを作れたら、どんなに楽しいことだろう。

 だけど現実の雪原は隙間なく遊びつくされ、なるべく目立つ大きな雪だるまを作ろうとして、作り手は疲れ果てている。


 そう。アタシはゲーム作りに疲れ果てているのだ。



「……そうだね。そろそろ転職も考えたほうがいいかもね……」

「そうそう。まあ式さん、グイっといっちゃってよ」


 夫はアタシのおちょこにお酒を注ぐ。


 確かにこのあたりが引き際かもね。

 追い出し部屋のみんなは限界をとっくに超えてるし、そろって辞める頃あいか……。



 そう思い、おちょこを手に取った時だった。

 夫が思い出したように口を開く。


「そう言えば翔太、最近いっしょに遊ぶ友達が変わった? なんか大人しそうな子が来てたけど」


 大人しい子……。

 それは彩ちゃんのインタビューの時にも話題に出た『揶揄からかわれてる子』のことだ。

 今日はその彼を家に連れ込んで、なにやら楽しげに話していた。


「変わったというか、増えたかな。趣味が合う友達ができたみたいでさ。……その子はよく揶揄からかわれてたみたいなんだけど、翔太と遊ぶようになってからはそういうことは減ったらしいよ」


「『やめろよ』とか言ったのか?」

「違う違う。翔太がそういう正義っぽいの嫌いだって知ってるっしょ? ……なんつーか、共通のアニメの話題で盛り上がって、よく話すようになっただけみたいよ。今日なんか『神絵師のサイン会に行ったことあるんだぜ』って自慢してたしねー」


「あの翔太が? 『オタクなのは外では絶対秘密だぞ!』って言ってたのに?」

「憧れの作家に会えて、よっぽど嬉しかったんだね。ヤンチャなのは相変わらずだけどさ、以前よりも丸くなった感じがするよ」


 夫は「それは驚きだな」とでも言いたげに目を見開いている。


「そっか……。なんていうか、モノづくりって凄いな。アニメでもゲームでも、『好き』っていう気持ちで人をつなげられるんだもんな……」

「……うん、すごいよ」


 夫の言葉は何気ないものだったけど、アタシの胸に引っかかった。


 モノづくりの力に魅せられて、自分の能力との相性もいいからゲーム開発を選んだ。

 自分が作ったゲームの発売日の店頭。そこで見るお客さんの笑顔が忘れられない。

 アンケートとして届けられるお客さんの『好き』のメッセージが忘れられない。

 あの感動は、確かにアタシの心を揺さぶり続けていた。


 ゲーム開発はイバラの道だけど、退散するには早いかもしれない。

 何よりも、会社には作りかけの大事な物・・・・を預けたままだ。

 それが未完成のままでは、辞めたくても辞められないってもんだ。


「……ひと踏ん張りしなきゃ、だねぇ」


「ん……? 何か言った?」

「いやいや、なんでもない。仕事のこと」


 まあとにかく、後進に意思を託すにしても……あの若者ふたりだと頼りないんだよね。もっともっと大きくなってもらわないと……。

 でもまぁ、愛する息子にいろいろしてくれたんだ。ちょっとぐらいは応援しようかねぇ。



 若者たちの顔を思い出したところで、ようやく吹っ切れた気がした。

 夫に注がれたおちょこをテーブルに下ろす。


「ゴメン。さっきの話、なかったことに」

「んん? さっきの話って、どの話?」


「そっちの会社に行く話。まだやり残した大仕事があるし、後進をちゃんと育てないといけないなって、思ってさ」



 席を立って、息子の寝室に足を運ぶ。

 翔太は酷い寝相のまま、気持ちよさそうに眠っていた。

 このやんちゃ坊主も、寝顔だけはいつまでも変わらないもんだね。


 枕元には彩ちゃんのサイン本が置かれている。

 そして新しい友達と一緒に買いに行ったグッズの数々。

 それは息子の新たな出会いを祝福しているようだった。


「彩ちゃん、ありがとね。アタシもちょっと頑張ってみるよ」

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