第19話 発表と、それから。
何について話そう。
心理学部棟に向かう道中、私は考えた。名木橋先生に会ったら、あの人に会ったら、まず何について話そう。
院のことについて話そうか。去る九月。私は無事、予定通り大学院入試を受けた。筆記試験、面接試験、どちらも何とか合格し、一〇月。晴れて大学院への進学が決まった。
そのことについて話そうか。
いや……。
私のこの熱い気持ちをぶつけようか。先生のことが好きです。大好きです。好きでした。けど、先生にはもう大切な人がいるみたいだから、だから、諦めます……。
そんなしょっぱい話してどうするの。
色々考えている内に、心理学部棟二〇三号室の前に着いた。ドアの前で、固まる。
結局、何について話すか決めてない……。
いや、卒論の発表を見てくれ、と言ったのだから、卒論について話せばいいのだけれど、でも、せっかく先生に会えるのだから、それに、もう会う機会はないかもしれないのだから、先生と、最後の時間を、丁寧に、丁寧に、過ごしたい。
「よう」
そんなことを考えている内に、私の目の前でドアが開いた。名木橋先生が顔を覗かせる。美しい顔。端正な顔。
「入れよ」
「あ、はい……」
結局何について話すかは全く決まらないまま、完全に先生のペースで私は研究室に通された。
久しぶりの名木橋研究室は、少しだが、変わっていた。
まず、骨格標本。人間の頭蓋骨がひとつ、増えていた。おでこの辺りに、ポストイットで名前が書かれている。「トム」。何で外人っぽい名前なのだろう。
次にデスク。窓の近くにあったそれは、両サイドを囲む本棚と本棚の間に移動されていた。
デスクの上にはモニターが置かれていた。デスクトップパソコンも置かれている。私がぽかんとその様子を見ていると、先生が口を開いた。
「君の発表用にちょっと模様替えをしてな。発表が終わったら、元に戻す」
そういうことか。私は早速鞄の中からUSBメモリを取り出す。
「発表用のPowerPointは?」
もう作ったのか? という趣旨のことを訊かれたと思ったので、私は、「卒論の執筆時に、頭の中をまとめたくて、作っちゃいました。PowerPointは視覚的に情報をまとめられるから勝手が良くて」と述べた。先生は「用意がいいな」と笑った。
USBメモリをデスクトップパソコンに刺す。違う。違うの。本当はもっと、色々なことについて話したいのに……。しかし無情にも、先生のパソコンの中で私のUSBメモリの操作について訊かれる。ファイルを開く、を選択する。
私の卒論発表用のPowerPointが開かれた。仕方ない。ここまで来たら。私は覚悟を決める。ふう、と深呼吸をひとつ、する。
先生は椅子に座ってこちらを見ていた。脚を組んでいる。様になるなぁ。そんなことを頭の片隅で思いながら、私は発表を始める。
窓の外では、今も雪が降っているのだろうか。
ちらりと窓を見ようとしたが、しかし私は、発表を始めた。名木橋先生は黙って聞いていた。
一月一〇日。文学部最終口頭審問日。
一〇時。去年の一月、口頭審問があった時と同じ順番で発表は行われた。すなわち、英文学科、日本史学科、国文学科、世界史学科、仏文学科、独文学科、以下略……の順である。
英文学科の発表を聞いた。色々興味深い発表はあったが、私は中でも、『怪奇小説としてのブラム・ストーカー』という研究をしていた速水くんという学生の発表が気に入った。ミステリーと怪奇小説は近接領域ということもあるが、速水くんのブラム・ストーカー愛が伝わってくるような発表で好感が持てたのだ。
日本史学科の発表は、聞いてはいたがほとんど内容が分からなかった。私は大学入試も世界史で受けたので、日本史の知識は中学生で止まっている。でも、『写楽・考 東洲斎写楽はどこから来て、どこへ消えたか』の発表をした三上さんの研究は面白いと思った。写楽自体の謎に包まれた雰囲気もそうだし、何より三上さんのアプローチが独特で、興味をそそられたのだ。
そして、昼休みを挟み。
国文学科の発表が、来た。
夏目漱石のみに注目した研究が四件……思った通り、漱石は人気だ……それぞれ微妙に内容はかぶっていた。が、きちんと独自性は出せていて、多分先生方の受けもいいだろうな、とは思った。石川啄木、宮沢賢治など、詩人の研究もあった。森鴎外と夏目漱石の比較をした研究。芥川、太宰の系譜について研究したものもあった。
私が面白いな、と思ったのは、小川未明の研究をしていた高野くんという学生の発表だった。「人魚」とは神様のことではないか。そんな独特な着眼点が面白かった。
そして、里見の発表。
里見は、方向転換をしていた。すなわち、坪内逍遥の『小説神髄』はやっぱり、勧善懲悪を否定して世俗に沿うべきとしていた、という論調で話を進めたのだ。少しがっかりしたが、でも、通説と逆のことを言うのは難しいよな、と分かる気もした。教授たちも特にそこには触れなかったし、多分良い決断だったのだろう。
それから発表が五件、あった。一人、留年して卒業が遅れた学生の発表が、見ていられないほどひどかったが……見事に山本先生の地雷を踏みぬいた……、それを除けば、概ね順調に、発表は進んだ。
そしていよいよ、国文学科最後の発表が、来た。私の出番である。
私は、微妙にタイトルを変えていた。PowerPointが背後のスクリーンに投影される。
『乱歩のまなざし~江戸川乱歩の心を覗き見る心理試験~』
「心理試験」は言うまでもなく乱歩の作品『心理試験』からとった。教授たちはこの変化についてどう思ったのか知らないが、粟島先生と仁科先生は冷淡な笑みを浮かべていた。
そんな中、発表を始める。
「江戸川乱歩の作品には、数多くの窃視描写が登場します」
例えば、『屋根裏の散歩者』。例えば、『鏡地獄』。例えば、『人間椅子』、例えば、『D坂の殺人事件』。ここまでは去年も話した内容だ。
「これらの窃視描写は何故行われるのでしょうか? 当時の『変態的』行動の代名詞が、『覗き』だったから? それとも乱歩自身にそういう癖があったから? 今回私は、後者の立場を仮説に据えて研究を進めていきたいと思います」
ふん。粟島先生が鼻を鳴らしたのが聞こえた。仁科先生は両手を組んで前のめりに話を聞いている。私はそんなことを、視界の片隅で捉えながら話を進めた。
「そもそも『覗き見』、つまり相手を『まなざす』という行為はどういうものか。『まなざしの心理学』を書いた福井康之氏によれば、『まなざし』には二種類あります」
ひとつ。私はPowerPointを進める。
「愛の極致としての『まなざし』。愛する恋人同士が交わす目線、親しい友人同士が交わす目線。例を挙げたらきりがありませんが、概ね『良好な人間関係が築けている』時に起こる『まなざし』を、『愛の極致としてのまなざし』と呼んでいます」
ふたつ。再びPowerPointを進める。
「憎悪の極致としての『まなざし』。自分とは関係のない人から無遠慮に見つめられると不快感を抱くでしょう。また、『睨みつける』という行為からも、『まなざし』の攻撃性は分かるかと思います。これを『憎悪の極致としてのまなざし』と呼びます」
なるほど。山本先生が頷く。
しかし私は、目の前にいる五人の教授のことは、ほとんど見えていなかった。見えていたのは、名木橋先生の姿だ。ここにはいないが、私のイメージの中で、私は、他の誰でもない、名木橋先生に向かってこの発表をしていた。
それは、卒論提出日に名木橋先生の部屋で行われた発表の、再現でもあった。
「『まなざし』にはこのように、相反する二つの意味があります。本研究では、江戸川乱歩に、この二つの『まなざし』の観点から迫っていきたいと考えています」
PowerPointを進める。
「こうした『まなざし』の観点から見ると、『覗き見』はある意味を持ちます。『覗き見』とは、すなわち『相手にまなざされることなく、相手をまなざす』行為に他なりません。これは非常に攻撃的な『まなざし』であると言えるのではないでしょうか」
普通、健康的な人間ならば、と私は論を進める。
「『まなざされる』ことと『まなざす』ことはほぼ同義です。先程述べたように、『まなざし』が『愛の極致』としての性質を持つ以上、それは仕方のないことです。このことからも、『覗き見』という行為が如何に本来の『まなざし』の均衡を崩すものか、ご理解いただけると思います」
深呼吸。話を続ける。
「では、この『覗き見』をしたがる人にはどんな特徴があると言えるのでしょうか。それについて、まずは『まなざし』の特性から考えていきたいと思います」
PowerPointを進める。静かな室内。動くスクリーン。
「人は『まなざし』を集めたがります。それは、人が社会的動物だからです。他人から関心を向けられることは、すなわち他人の集合体である社会において円滑に生活ができることを意味します。つまり多かれ少なかれ、人は『まなざし』を集めたいと思う。この時の『まなざし』は『愛の極致としてのまなざし』です」
五人の教授の脇に、私は名木橋先生の姿を思い浮かべる。すらっと伸びた脚を組んでいる。切れ長な目はじっとこちらを見据えている。深呼吸する。大丈夫。私は、大丈夫。
「この、『愛の極致としてのまなざし』をより多く集めたがる人がいます。まず、赤ちゃんがそうです。一説によれば、母から愛のまなざしを受けるために、赤ちゃんは『目が顔の中央に来る』『額が広く見える』などといった特徴を備えている、という話もあります」
視線とはすなわち、愛なのです。
話はどんどん進んでいく。
「一方で、過度にこの愛を集めたがる人がいます。視線を集める、すなわち、『自分はそれだけ愛されているのだ』ということに満足感を覚える人です。一種のナルシストと言えるでしょう。彼らは『好意的な視線は渇望する』一方で、逆説的に『憎悪の視線は集めたくない』という感情を持っています。こうしたある種のナルシシズム的視線偏愛は、乱歩の作中でも頻繁に見られます」
例えば、『屋根裏の散歩者』の三郎は、女装することで他人の注目を集めようとします。『怪人二十面相』は変装の権化。あれはある意味、「いつもと違う自分」をまなざれたいのです。そう、論を進める。
「変装。それは、『普段の醜い自分』を隠し、『美しく、愛を集める自分』を演じるという行為です。『好意的な視線は集めたい』けれど、『攻撃的な視線は集めたくない』。視線を集めたいのに集めたくない。この矛盾は、どう解消されるのでしょう?」
……『覗き見』か。名木橋先生の言葉が蘇る。そうです。私は一度、頷く。
「『覗き見』。これは先程も述べたように、『相手にまなざされることなく相手をまなざす』行為です。日頃の『視線を集めたいのに集めたくない』という矛盾が、こういう屈折した形で実現されるという説には、頷けるものがあります。つまり、『覗き見』をしたい人は、視線を集めたいという願望を持つ一方で、視線から逃れたいという強い願望を持つことがうかがえます」
「つまり、乱歩に当てはめるとどういうことかね?」
粟島先生が野次を飛ばす。私は一瞬、彼の方を見て答える。そういえば名木橋先生も、ここで「どういうことかね?」と訊いてきたな。
だから、次のセリフは、もう、決まっていた。
「乱歩は視線から逃げているのです。乱歩の『覗き見』には、そういう意味があった」
それは『屋根裏の散歩者』だけではありません。『鏡地獄』では、鏡を使った光学的な技術を用いて相手を覗き見ています。『人間椅子』では、「相手にまなざされることなく相手に触れる」という、「覗き見」より変態的なことをやっています。『怪人二十面相』のブラックマジックは、「相手に見られたくない」という願望のあらわれです。
「では、乱歩は何故、まなざしから逃げるのですか?」
仁科先生。これも、名木橋先生に訊かれたな。やっぱり、次のセリフは決まっていた。
「ミステリーは言うまでもなく『犯罪』をテーマに扱います。白日の下の泥棒がいないように、これは『まなざしを忌避する』行動のひとつです」
扱うテーマに作者が影響を受ける。これは十分に考えられることです。「犯罪」をテーマに扱ったが故に、視線を避けるようになる。
私の言葉に仁科先生は黙った。
「しかし、乱歩の作品を改めて見返した時、そこには『犯罪を扱ったが故に視線を避けるようになった』という説以上の、新しい事実が浮かび上がります」
ほう。粟島先生がふくろうのような声を上げた。仁科先生もより、前のめりになる。
「『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『芋虫』。こうした作品には、どれにも必ず『醜い人物』が登場します」
そして不思議なことに、と私は息を継いだ。
「こうした『醜い人物』が出ている作品ほど、顕著に『覗き見』描写は見られます。この『醜い人物』と『覗き見』には何か関係があるのではないでしょうか」
あるだろうね。
名木橋先生の言葉だった。そしてその言葉は、多分今、私の前に並んでいる五人の教授たちも思っているに違いなかった。
「例えばもし、事故に遭って自分が醜い姿に変えられてしまったら? 鏡などを避けるようになるのは頷けるでしょう。鏡とは、『他者のまなざしを自分にも見えるように変換する装置』なのです。すなわち、鏡の忌避は他者のまなざしの忌避に繋がります。では、この『醜いが故に、鏡を忌避する=他者の視線を忌避する』という行動が自動的に起こる条件は?」
それは、自分が醜くないのに醜い、という歪んだ外見認知が起こっている時です。
私はそう、続ける。すると想像の中の名木橋先生が口を開いた。
醜形恐怖、という病気がある。名木橋先生の言葉だった。
「醜形恐怖、という病気があります」私はそのままを告げた。
「客観的に見て大きな外見上の欠点はないのに、『自分は醜い』『自分は外見的に劣っている』という妄想を抱いてしまう、強迫観念症の一種です」
「つまり、君は、乱歩が……」
粟島先生が最後まで言ってしまう前に、私は言葉を切断した。
「乱歩は醜形恐怖症だったのです」
それが軽度であれ、重度であれ、少なからずその傾向があった。
私はPowerPointを動かす。乱歩の写真が出てくる。
「特に外見上の欠点は見られません。手足がない訳でも、顔のパーツに傷などの特徴がある訳でもない」
だがしかし、乱歩は自分が醜いと思っていた。私はさらに話を進める。
「乱歩の美に対する意識を考えてみましょう。『芋虫』や『人間椅子』では醜い人間が出てくる一方で、『孤島の鬼』では、絶世の美青年が登場します。乱歩がライフワークとした『怪人二十面相』シリーズの小林少年は美少年として描かれています。また、乱歩の本の表紙絵を担当し、乱歩と親交の深かった岩田準一は美青年として知られています。乱歩は、人一倍美に対する意識が高かった」
醜形恐怖は、とここで再び息を継ぐ。
「醜形恐怖は、ある意味『美意識の過剰な高まり』と言えるのではないでしょうか。自分の外見に対する過度な期待や、願望が、自分の外見認知を歪めている。そうは捉えられないでしょうか」
結論です。私は終盤に差し掛かったPowerPointを見せる。
「乱歩は、犯罪を扱うという自身の作品のテーマが故に視線を避けるようになったのでしょうか? おそらく、そうした部分もあるにはあったのでしょうが、私はここで違う説を唱えたいと思います。乱歩は、その美意識故に自分の外見に対する『歪んだ認知』を持っていた。それが故に、他者からの『まなざし』を極端に恐れ、結果、『他者からまなざされずに他者をまなざす』、すなわち『覗き見』行為を作中に頻繁に出した」
一方で、と、私は続ける。
「先程ナルシストが『愛の極致としての視線を集めたがる』と述べたのと同じように、美意識の高かった乱歩もおそらく、『愛の極致としてのまなざし』を羨望したのではないでしょうか」
その傾向は『人間椅子』のこの言葉に集約されそうです。
私はPowerPointを動かす。
「引用。『胸の中では、人知れず、世にも激しい情熱を燃やしていた、身の程知らぬ、甘美な、贅沢な、種々さまざまな『夢』に憧れていた人間なのです』」
おわりに。私は最後のPowerPointを見せる。
それは、今目の前にいる椎名先生に、「もっと為人を出して」と言われた箇所でもあった。
椎名先生は、私のこの「おわりに」を、気に入ってくれるだろうか。そんなことを思いながら、私は意見を述べる。
つまり、「乱歩のまなざし」は……。
「つまり、『乱歩のまなざし』は、愛情としてのまなざしを羨望する一方で、他者からのまなざしを極端に恐れた、とても恥ずかしがり屋で、かつ繊細なものだったのです」
私は女性ですが、と、五人の教授たちを見つめる。
「人に『覗き見』されるのは、とても恥ずかしいものです。だから、乱歩が視線を忌避する気持ちも、何となく分かる気がします。去年。私はこの研究の目的として、『乱歩を身近な存在として、より詳しく見ていきたい』と述べました。私は乱歩に共感できます。外見に自信が持てないというのも、理解できると思います。私が今、どれだけ乱歩を身近に感じていられるか、それは……」
今ここにいる皆さんの判断に任せたいと思います。
PowerPointを閉じる。
終わった。私の、卒論発表が。
質疑応答の時間に入る。
粟島先生が、真っ先に挙手をした。
「私は、君がもし不十分な研究をしたら成績評価にEをつけると宣言したが、今ここで評価を述べてもいいかね」
私は微笑んだ。
「どうぞ」
「Aだ」
粟島先生は、何故か不機嫌そうだった。むっつりと、仁科先生の方もみる。彼女も異論はなさそうだった。
「……以上」
ぱらぱらと拍手が巻き起こった。それは今までの発表者には皆向けられてきた拍手だったが、私にはとても大きく、まるで地鳴りのように聞こえた。
「お疲れ」
席に戻ると、近くにいた里見が小さな声で労ってくれた。
「終わったね」
「うん、終わった」
一月の室内は、暖房が効いているとはいえ寒かった。足の先が冷たい。
しかし私の胸は、ほくほくと熱かった。ふう、とため息を一つ、ついた。
それから、口頭審問はつつがなく続けられた。
一六時、四〇分頃。
文学部の口頭審問が終わった。やったぁ、という声や、リラックスするようなため息が周囲から巻き起こる。終わったね。誰もがそんな雰囲気だった。
私と里見は、微笑み合うと二人並んで講堂を後にした。
重たい、鉄の扉を開ける。
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