第11話 熱意と、反論。

「次。11E035D番」


 私の学籍番号が呼ばれる。私は深呼吸をして、壇上のパソコンへ向かう。


 PowerPointの資料は事前にこのパソコンに送っておく算段になっている。私は、私のPowerPointファイルを見つけると展開した。背後のスクリーンに、私の卒論タイトルが映し出される。


『江戸川乱歩とまなざしの心理学を交えた考察〜乱歩を窃視という観点から覗き見る〜』


 途端に、教授陣がざわめいた。


「乱歩?」

「江戸川乱歩……?」


 唖然とする粟島先生と、口元を覆う仁科先生が見えた。しかし私は、構わず発表を始めた。


「え、江戸川乱歩作品には、多くの窃視……覗き見ですね……場面が登場します」


 ここでマウスをクリックし、スライドを切り替える。


「例えば『屋根裏の散歩者』。主人公は天井の節穴から他人の私生活を覗き見します」


 続いて『鏡地獄』、『人間椅子』の窃視描写を取り上げた後、『まなざしの心理学』に話を移した。


「著者の福井氏によれば、『覗き見』とは、『まなざされることなく相手をまなざす』ことを示しており、この描写が多い乱歩作品は……」


「待ちなさい。待ちなさい」


 発表の途中。粟島先生が私の発言を遮った。それから続けた。


「君は国文学の研究がしたいのかね? それとも心理学の研究がしたいのかね?」


 あまりにも不躾な質問に、私は憤った。


「国文学です」


 そんなこと、国文学科なんだから当たり前だろうという意味を込めてそう返した。すると粟島教授の隣にいた仁科先生が失笑した。


「でも、乱歩でしょう?」


 すぐさま粟島教授が続く。


「ああ、乱歩はなぁ」


「どういう意味ですか?」


 せっかく用意した発表原稿も台無しにされ、私は半ば自棄になってそう訊き返した。

 すると粟島先生が笑って答えた。


「探偵小説は文学と呼べるのかね」


 仁科先生が続く。


「しかも、『窃視』表現ですって?」


 いやらしい。仁科先生は暗にそう言ってるかのような顔をした。まぁまぁ、と山本先生が仲介に入る。


「お二方とも、一応最後まで聞かないと、ですよー」


 沈黙。多分、私が発表を続けるのを待っているのだろう、と解釈した私は、口を開き、発表を続けた。


「……以上のことから、乱歩が何故『窃視』表現を多用するのか、その理由の解明、及び『窃視』表現に隠された乱歩の心理に迫ることができたら、と考えています」


 私は拍手を期待した。何故なら、今までの発表者には必ず拍手があったからだ。それが例えどんなに完成度の低い発表でも……山本先生の地雷を踏み抜くような……、である。


「もう一度聞きたい」


 しかし誰からも拍手は起こらなかった。しばしの静寂の後、粟島先生が口を開いた。


「さっきも聞いたが、君は心理学がやりたいのかね? それとも文学の研究がやりたいのかね?」

「文学の研究です」

 即答した。


「作家の内面とその心理について迫ることは、立派な文学研究の役目だと思っています」


 思いつく限り、誠実な言葉で粟島教授に私は反論した。すると先生は失笑した。


「だが、探偵小説だろう」


「ミステリー、と私は呼んでいます」

 私が反撃すると、粟島先生は明らかに機嫌を損ねた顔をした。


「その『ミステリー』とやらに、文学上の研究価値がどれだけあるのかな?」


「まぁまぁ、先生……」山本先生だった。


「推理小説……もとい、ミステリーは、確かに世俗的で学問として扱うには少々低級な印象はあるかもしれません。ですが、その分当時の文化や社会、風俗を知る良い材料となるのですよ」


「ならば、そういう文学作品を選べば良いのではありませんか?」仁科教授だった。


「純文学の作品にも、世俗や社会を表している作品はたくさんあります。それなのにどうしてこんな、江戸川乱歩なんて作家を選んだのか……それも、窃視表現だなんて……」


「何がいけないのでしょう。電車の中で隣の人が面白そうな雑誌を広げている時、または街角で好みのタイプの異性を見つけた時、私たちは『覗き見』しませんか? 私の、私の研究は……」


 言葉に詰まった。私の研究は。その後に続く言葉が見つからない。それは、私の研究を一言で表すという行為だった。


 沈黙。まずい。そう思った時、言葉がふわりと、私の肩に降りてきた。


「……私の研究は、大乱歩と呼ばれるほど、ミステリーの世界では名の知られている大作家を、より身近に詳しく見ていくという行為なのです。私は乱歩について詳しく調べたい」


 言えた。私は胸を撫で下ろす。そしてこれは、私の決意表明でもあった。


 その意図は伝わったのだろう。粟島教授が机に肘をつき、視線を下ろしながら話を続けた。


「……よかろう。その熱意は買った。しかし探偵小説を文学であると捉える風潮には、私は賛同できん」

「わたくしも同じです」仁科教授だった。


「よって、私は君の研究を国文学の研究とは認めたくない。君がもし、卒業したいと考えているなら、今すぐテーマを変えるか、こんな私でも……仁科先生もいるから、私たち、になるかな……納得できる内容にしないといけないよ」


 それにな、と、粟島教授は続けた。


「乱歩は難しいぞ。戦争を跨いだ作家だ。当時の資料も、残っているか分からん。そんな作家の心理分析が、果たして可能かな?」


「作家の心理分析が文学研究の目的の一つであることには同意していただけるのですね?」


 私は噛みつき返した。すると粟島教授は頷いた。


「認めるとも」


「では気にしていらっしゃるのは、乱歩が心理分析に値するか、という一点ですね?」


「そうなるな」


「乱歩は国内ミステリーの黎明期に一時代を築いた作家です。その功績は計り知れない」

 十分、国文学の研究対象たり得ます。


 私の熱意が勝ったのだろうか。粟島先生と仁科先生は互いに顔を見合わせると、こう告げてきた。


「乱歩には児童文学者としての側面もある。そういう意味では、よかろう。乱歩でやってみるといい」


 ただし、と粟島先生が念を押した。


「君の研究が少しでも不十分だ、と感じたら私は君の卒業論文の成績にEをつける。卒業不可という意味だ。五人いる指導教授の中で一人でもEをつける教授がいれば、対象の学生は不合格ということになるからね」


「はい」

 はっきり言ってこの「はい」は半ば自棄だった。本当はそんな条件で戦いたくなかったし、そもそも戦いに発展させたくなんかなかった。


「君が素晴らしい研究をしてくれることを楽しみにしているよ」


 粟島先生がそう締めくくったところで持ち時間が終わった。私の発表は終わりということになる。


 私はすごすごと壇上から降りた。やってしまった。そんな失望と後悔があった。


「あんた、頭大丈夫?」


 口頭審問……卒論テーマ発表会……の後、里見がそう言って駆け寄ってきた。


「粟島教授に噛みついたのなんて、後にも先にもあんただけだよ」

 ただでさえ、あの人の卒論指導厳しいって評判なのに。


「分かってる」


 私はつぶやいた。


「分かってるよ……」


 その日。私は帰ると家のベッドにうつ伏せに埋もれた。頭の中では粟島先生の言葉が響いていた。


 探偵小説は文学と呼べるのかね? 


 呼べる。私が呼べるようにしてやる。

 拳を握りしめた。最近手入れを忘れて伸び放題になった爪が、手のひらに食い込んだ。

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