第7話 幼さと、初心と。

 乱歩を卒論のテーマにすると決めたものの、具体的に乱歩の何を扱うのか、という問題はあった。


 しかし私も馬鹿じゃない。乱歩をテーマに据えるという閃きのきっかけを作ってくれた名木橋先生に、しっかりと泣きついた。


「乱歩の何をテーマにしたらいいか分からないですよう」

「そんなもん知るか。自分で考えろ」


 冷たくあしらわれた。しかし、乱歩を研究するというところまで決められたのは前進。私はむっつりと考え込む。


「乱歩と言えば……変態?」

「乱歩もきっと反論したいだろうな」

「怪人二十面相の化け方を研究しても面白くないし……」

「あの人は明智小五郎大好きだからな」


 うーん……。

 悩んでいると、名木橋先生がまたプリッツをポリポリ食べ始めた。


「江戸川乱歩なら新潮社から傑作選が出てるだろ。KADOKAWAからもベストセレクションが出ているはずだ。生協の本屋に寄って、買ってみたらどうだ」


 なるほど。百聞は一見に如かず。


「全部買おうと思ったらいくらくらいかかりますかね?」

「君、この間七〇〇〇〇円稼いだろ」

「あ、そっか」


 金は使ってこその金なのだ。それに、教科書代として親に請求できるかもしれないし。


「よく知らんが、この『D坂の殺人事件』ってやつがいいんじゃないか? 資料が足らなければ、後は、適当に見繕って買えばいい」


 先生がスマホを片手にそうつぶやく。どうやら乱歩の代表作について検索してくれたらしい。


『D坂の殺人事件』。初めて聞くタイトルだ。けれど面白そう! 私の胸は躍った。


「ありがとうございます! 私……頑張ります!」


 と、勢いよく立ち上がる。プリッツを食べている名木橋先生はニヤリと笑ってつぶやいた。


「まだ、テーマが決まった訳じゃないからな。油断するなよ」

「でも、大枠決まればとりあえずテーマ発表には間に合いますから!」


 先生は失笑……とも取れる笑い方をした。


「うまくいくといいな」


 生協の本屋さんで、早速KADOKAWAから出ている『D坂の殺人事件』や『人間椅子』、『屋根裏の散歩者』を買った私は、学内のベンチで……雨の当たらない場所で……それを広げた。短編集。どれも読みやすい。


『怪人二十面相』以外の乱歩に触れるのは初めてのことだった。


 ミステリー。人を殺す物語。殺人は罪。そして、人は罪から逃れたがる。逃れたくて工夫を凝らす。それがトリック。


 私は、ミステリーというとそういう「トリック」の物語だと思っていた。言い換えれば、文章で作られたパズル。


 しかし乱歩のミステリーは違った。『D坂の殺人事件』と『人間椅子』、『屋根裏の散歩者』に収録されていた作品を読んで思ったのだが、乱歩は犯罪者の凝らした工夫にというよりは、犯罪者の心に寄り添おうとしたのだ。


 それはパズルというより精密画に近かった。平面的だけど、奥行きが確かにある。いや、奥行きを感じる、とでも言うべきか。


 日が暮れる。本を読むには少し薄暗く感じる頃になって、私は三冊の本を一通り読み終えた。ぱたんと閉じて、灰色の空を見上げる。


 不思議な感覚があった。懐かしいような、切ないような。


 目の前に女の子が現れた気がした。スカートは履いていない。けれど、赤い靴だった。そうだ。私は昔から赤が好きだった。目の前の女の子は、私だった。私は言った。


「あのね、ご本でね……」


 そうだ。


 私はいつだって、出会った物語について誰かに教えたくてたまらなかった。


 私はいつだって、心躍らせる物語に出会うことに喜びを感じていた。


 乱歩の紡いだ物語。不思議な怪盗と、それを追い詰める頭脳明晰な探偵。私は大好きだった。


 そんな乱歩を、研究のテーマに。


 これしかないと思った。『D坂の殺人事件』、『人間椅子』、『屋根裏の散歩者』。三冊の本を見つめる。不思議な高揚感があった。


 と、同時に疑問が鎌首をもたげる。


 けれど、乱歩の何を……? 


 確かに大枠は乱歩でいい。けれど乱歩と何を組み合わせて研究しよう? 


 パターンはいくつかある。直感がそう告げた。


 一、突飛なものを組み合わせる。乱歩にとって乱歩らしからぬものを乱歩にくっつける。


 二、乱歩らしいものを突き詰める。「ザ・乱歩」をとことん追いかけるのだ。


 二の方がいい気がした。もちろん、研究のインパクトという点では一がいい。けれど私には時間がない。突飛な組み合わせの研究ができるのは時間という資源のある人だ。私は……。


 いやいや、と私は首を振る。


 置かれている状況は関係ない。誰かが言っていたけど、学問には真摯な姿勢が求められる。邪念は払って。純粋に、幼い頃の私が聞きたいと思うような研究を……。


 ……それでも二だ。本能が再び告げた。


 王道で行こう。「ザ・乱歩」を突き詰めよう。そう決心した私は立ち上がってつぶやいた。


「『ザ・乱歩』って、何だ?」

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