第4話 他学部の、卒論指導。
「君、学年は確か学部三年だったよな?」
実験の合間。休憩時間。名木橋先生にそう訊ねられる。
「そうです」
「三年生か……」
名木橋先生は遠い目をした。この人は一体いくつなのだろう。三十代……二十代の可能性も?
先生は私に、缶コーヒーを奢ってくれた。受け渡しの際、何だかデートみたいだな、とまたも胸がときめいてしまう。
「就活かな? それとも院進?」
「就活です」
私に学者としての才はない。それは、分かっているつもり。それに多分、椎名ゼミの私の代からは、院に進む人は出ないんじゃないかなと思っている。
「卒論のテーマ決めのシーズンでもあるね」
名木橋先生の言葉が耳に刺さった。
「そうですね……」
当たり障りのない返事をしておく。先生は私の方をちらりと見ると、鼻からため息をひとつ、ついた。私は缶コーヒーを傾ける。
「あの、気になっているんですけど」
意を決して、私は訊いてみた。
「あの実験、何を調べているんです?」
名木橋先生はじろりとこちらを見てきた。
「急に歌えって言われたり、電極つけて歌おうとしても歌えなかったり、でもその様子を具に見てる感じだし、一体、何を……」
「君は有名歌手が脳の疾患で歌えなくなったとしたら、どう思う?」
突然の問いに私はたじろいだ。
「どうって、お気の毒だなぁ、って……」
「そう。お気の毒。その歌手は生きていく術を失ってしまう。ところが、例えば脳に電流を流すことで、一時的にその症状……歌えなくなること……を取り除くことができたら?」
あるいは、と、名木橋先生は続ける。
「脳のどの場所が壊れた結果、『歌う』という行為ができなくなるのかを調べることで、同じ症状に苦しむ人を減らすことができたとしたら?」
朧げながらに、名木橋先生のやりたいことが見えてきた気がした。
「君にやってもらったのは、症状の再現だ。『歌えない』という症状のな」
すると名木橋先生は、私の頭に手を当て……何だかいい子いい子されてるみたい、とまた胸がときめいた……私に向かってこう続けた。
「『歌う』という行為には右脳が関わっていることが既に判明している。では、右脳のどこか? 歌に直結する脳部位があるのか? 私の研究の目的は、歌と右脳の関係について、より細かく明らかにしていくことだ」
「じゃあ、あの電極は……」
と、私の言葉を名木橋先生が引き継ぐ。
「磁力により電流を流し、右脳の機能を麻痺させる装置だ。右脳全体を麻痺させる訳じゃないから、左半身の……右脳が左半身を制御しているのは有名な話だね……麻痺は起こらない。まぁ、頭痛程度のことはあるかもしれないが」
あった。私は頷く。
「そういう訳で、私は自分の研究について、語れる。今みたいに簡易的にも、発表用にたっぷり時間をかけても、な」
君はどうだ? そう訊かれ、私は硬直する。
「君は自分の研究について語れるか? 卒業論文だから、という言い訳は通じない。学部生だから、も同様。何かについて調べ、その結果をまとめ、発表するのは立派な学問だ。学問には、真摯な姿勢が要求される」
真摯な姿勢。私は己を振り返った。卒業案件だから。必要単位だから。そのくらいの気持ちで、私は卒業論文に臨んでいた。ふと、恥ずかしくなる。缶コーヒーを見つめる。
「さっき『卒論のテーマ』について触れた時、君は語らなかったな。何か固まった信念のようなものがあれば、先のトークテーマには反応するはずだ」
痛いところを突かれ、私は項垂れる。ずるいよ、心理学の先生だから、私の心を見透かせるんだ。しかしそんな私にトドメを刺すように、先生は続ける。
「卒論のテーマ、決まってないようだな。三年生のこの時期にそれは、まずい」
分かっている。そんなこと、分かってはいるけど……。
正直、もっと楽観視していた。私みたいな学生なんてたくさんいるでしょ。そう思っていた。
けれどその思い込みには何のデータも裏付けもなくて、ただ私がやってないから皆やってないに違いないという決めつけが入っていて、私は自分が極めて危険な思考をしていたことに今更気づいた。缶コーヒーは、そんな私の手の中でもぽっかり口を開けていた。
「頑張りたまえ。三年生になるだけでも努力が必要な学生もいる。ここまで上ってこれたのだろう? もう一踏ん張りだ」
「先生は……」
私は口を開いた。
「先生は、何にしたんですか? 卒業論文のテーマ」
すると先生は笑った。
「もう忘れた」
卒論のテーマ。
それが、私を悩ませた。
来る就活も、それなりに私を悩ませたが、そっちの方は意外とというか、サクサクやれた。多分、向いているのだろう。卒業生にアポを取って職場の見学をさせてもらったり、エントリーシートに自分のアピールポイントを書いたりすることに私は何の抵抗もなかったし、努力も必要なかった。
ただ、卒論。それだけが問題だった。
やっぱり私は学問に向いていない……。そう、実感した。
その自覚は大学一年の頃からあった。
高校までやっていた勉強は、そんなに嫌いじゃなかった。自分を高める。ゲームのレベルアップに似てる。私は、多分弟の影響で結構ゲーマーなところがある。だから「勉強」は嫌いじゃなかった。
けれど学問は別だ。大学に入学して最初の講義。確か、基礎教養の哲学の講義だった気がする。私は絶望した。
死んでいる、とはどういう状態か。それについて問う講義だった。
今にして思えば一年生向けの基礎教養なのだから、哲学史とかギリシャ哲学とかその辺をやれよ、と思うのだけれど、当時の私にはそんな思考回路があるはずもなく、ただ教授の展開する話に耳を傾けるだけだった。そして、思った。
これ、何の役に立つの?
勉強している時はそんなことは思わなかった。これは、将来何かの役に立つ。そう思ってやっていた。けれど学問は? 死について考えたところで死はなくならない。いつか来る。じゃあ、考えるだけ無駄じゃない? そう思った。
しかし周りの学生……特に男子……はそうではなかったらしく、講義が終わった後も講義のテーマについて語り合う人はいた。
死について語り合う学生。
私にはその人たちが、何だか死神みたいに見えた。
それ以降だったと思う。必要最低限の単位を取る、必要最低限の努力だけをして、学年を進めるようになったのは。
要は私は、用意されたものを消化するのは得意なのだ。
けれど自発性を求められると途端に駄目になる。自分がない、己がない。名木橋先生の言葉を借りれば、信念がない。
大学三年間で私が学んだことはそれだった。私には、何もない。
実験から解放され、給料を手渡しでもらって、家に帰ってもその虚無感は拭えなかった。
七〇〇〇〇近くのお金をもらっても、胸の中は寂しかった。
私って、何なのだろう。
私って、何がしたいのだろう。
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