メリカルドダルヘリムの家畜

浅見朝志

階層都市

 空きっ腹が音を立てて目が覚めた。カーテンの奥から差し込む陽の光が朝を知らせている。夏も手前となる暖かな空気が流れる部屋で、僕は寝床に残る温もりに未練なく別れを告げて起き上がった。

 朝のお務めは決まり切ったことで、僕は洗面台の鏡の前で身なりを整えて蛇口を捻って出てきた水をジョッキ一杯分をちょうど飲むとさっそく外に出た。




 寮舎の179階にある自室からこの階層都市2ndフロアの農業・畜産エリアにある豚舎へは歩きで片道40分ほどかかって面倒くさいのだが、真冬でないだけいくらか気分は楽である。冬は完全な防寒対策をして歩いていても底冷えがして、お務めを終えた後は必ず熱いシャワーを浴びなければ手先足先の凍えがとれないのだ。僕は今日の予定を頭の中でさらいつつ、無心で豚舎へと足を動かした。


「よう、愛しいお前たち」


 豚舎に着いて、その中の僕に任されている部屋に入って本日の第一声を放つ。

 返事がない代わりに愛らしいピンク色の家畜たちが10頭、鼻息たくましくこちらに群がってきた。その目は『飯係がきたぞ!』と言わんばかりにキラキラと輝いている。この豚たちとはそろそろ半年くらいの付き合いになるが、未だに僕のことを識別しているかは怪しい。

 僕としてもいちいち個体を見分ける努力をしているわけじゃないから、それはお互いさまだ。ただこうして農業・畜産部門豚係に任命されてかれこれ10年。今日という日に思うところはある。


「ごめんな……。出荷の日まで面倒を見てやれなくて」


 網上に仕切られた木製柵の内側から鼻を突き出してこちらをうかがう豚たちに小さく告げた。そしていつも通りにエサをやって水を替えて、食べることに夢中になった豚たちに背を向けた。


「じゃあ、元気でな」


 そう言い残して振り返ることなく部屋を立ち去る。

 あまりこの場所に未練を残して行きたくはなかった。

 明日は僕の18歳の誕生日。その日の朝にはもう、僕はこの階層都市には居ない。

 全市民が決まってそうであるように僕もまた、メリカルドダルヘリムへと旅立つ日なのだから。




 朝のお務めを終えて部屋へ戻ってきた僕は、腹の虫の音を鳴り響かせながら外行き用の服に着替えて改めて外に出る。今日中にお世話になった同胞たちへ最後の挨拶をしに行かなくてはならない。

 まずは階層都市4thフロアに存在する商業エリアで、今まで長年衣服や食べ物、雑貨の面でお世話になった商業職の知り合いたちへとお別れを言って回る。みんな一様に別れを惜しむような顔をしてくれて、僕としても別れを悲しむ気持ちが半分、そして彼らとそこまでの親密な関係を築けた自分に対して誇らしく思う気持ちが半分だった。


「他業種の知り合いなんてなかなか得られる機会がありませんから。ロムロさんはいつもよく話しかけてくれて、楽しかったですよ。それにもう豚のおもしろ話が聞けなくなるかと思うと寂しいですね」




 昼過ぎ、相変わらずお腹を空かせたままに僕は5thフロアに広く設けられた娯楽エリアにやってきた。いつ来てもここは往来が多く、自然が多めの2ndフロアの閑静さとは大違いの雑多さがある。最新の体感型ゲームセンターやスポーツセンター、喫茶スペースにライブラリなど各種いろんな遊びを提供するエリアの中、僕は待ち合わせ場所として指定していたライブラリ前の混雑が比較的少ない公園スペースに設置されたベンチに座って友の到着を待った。


「よう、ロムロ」


 待ち合わせの時刻から5分遅れで、ポケットに突っ込んでいない方の手をこちらに振ってその友――リチャードはやってきた。


「遅いよ。お前、今日くらいは僕の時間を大切にしろよな」

「ワリーな。ちょっといろいろと準備にゴタついててよ」

「ゴタついたって、もしかして食品加工のお務めの方で何かあったのか? おいおい、今ここに来ていて大丈夫なのかよ?」

「まあ、大丈夫だろ。なんとかなるさ。だいたい今日がお前と会える最後の日ってことになってるからな、多少無茶してでも来てやるぜ」


 そう言って歯を見せて笑うリチャードに対し、まさかお務めをサボってきたのではという心配がありつつも素直に嬉しさを感じる。彼もまた、僕との別れを惜しんでくれているのだから。


「お前は本当に積極的なヤツだったよな、ロムロ。子供の頃、まだお務めを上手くこなせなくてベソかいてる時にお前に話しかけてもらってよ、それが俺たちの出会いだった」

「そんなこともあったなぁ……」

「お前は違うかもしれないけどよ、俺があけすけに何でも話すことのできる友はとうとうお前だけだったよ。寮舎で出てくるマズい夕飯ランキング、寮監の悪口、ヤッた女のランクごとの評価やらなんやらさ」

「ははっ、俺もそうだよ。いくら知り合いが多いって言ったって、さすがに何でも話せる友はお前以外にはいないさ」


 僕たちは話を続けつつ場所を変えて、娯楽施設のフロアを歩き回った。8歳の時にどこにあるとも知れない機関で初等教育を受け終わった僕たちがこの階層都市に連れられてやってきてからというものの、お務めの終わった後の自由時間に遊びに来続けること10年、もはや目をつむってでも歩くことのできるこのフロア。僕はメリカルドダルヘリムに旅立った後もこの光景を忘れないようにするために、1歩1歩を大切に歩いた。


「そういえばロムロ、今日は他の予定は無いのか?」

「うん? 僕はリチャードと適当に遊び倒して帰ろうかと思ってたけど。それがどうかしたのか?」

「おいおい……階層都市で過ごす最後の日だぜ? 『マッチング』しなくていいのかよぉ~?」


 肘でわき腹を突いてくるリチャードに、僕は嘆息しながらも答える。

 

「やりたくてもできないんだよ。昨日の昼に明日で18歳なる同胞が集められてメリカルドダルヘリムから来たっていう人間からの講習があったんだが、昨日の夜から明日の朝にかけて固形物の摂取は禁止なうえ、マッチングもしちゃダメなんだとさ」

「えぇっ⁉ マジかよ……っ⁉」

「みんな驚いてたよ。もっと先に言ってほしいよな……。まあ今は腹が減り過ぎてて性欲も起こらないんだがな」


 腹をさすると、今日何度目かの腹の虫が鳴く。なんだか侘しい気持ちだ。

 

「ロムロ、お前が最後にマッチングしたのっていつよ?」


 とリチャードが小声で話しかけてくる。


「あー……1か月前くらいだったかな。確か」

「うへぇ! そんなにご無沙汰でよく平気だな。俺なんて1週間に1回はヤってるぞ……ちなみにロムロのその相手のランクは?」

「Cだ。僕と同じ。まぁまぁCって感じの普通の女だったよ」

「あらら……。この街での最後くらいAランクなんて贅沢は言わないから、せめて餞別に一個上のBランクを抱かせて欲しいもんだよな……」

「僕らが良くても相手が嫌がるだろ。時の運だから仕方ない、Dランクじゃないだけよかったと思うさ」


 下種な話をヒソヒソとやりながら、席の空いている喫茶スペースを見つけてそこに座る。接客用自動人形がやってきたので僕は水を、リチャードは断食中の僕の目の前だというのにあろうことか丸焼きチキンとコーヒーを頼んで下がらせた。


「俺らもせめてBに生まれてればなぁ……。ロムロは顔面偏差的には全然Bランクでも良さそうなツラしてるのに、Cランクってのも残念だよな」

「きっと遺伝子情報によっぽどの欠陥を抱えてるんだろうよ。あるべき情報がなかったり、無い方がいい情報があったりするのさきっと。それよりもリチャード、ツラも頭もソコソコに良いお前がCランクなのはきっと社会的常識とか友への配慮が欠けてるからだと思うぜ」


 自動人形がこちらに運んでくる丸焼きチキンを見ながら、僕は腹を押さえるのだった。




「それじゃあしばらくのお別れだな、リチャード」


 夕刻になって寮の門限もだいぶ近づいてきていた。

 天井のモニターに映し出された外の空の景色は赤く色づいていて、1日の終わりが近づいたのだと告げている。心が締め付けられるような気持ちになってしまうのはやはり、今日で友と別れることになるからだろうか。

 18歳を迎えた市民はメリカルドダルヘリムへと行かなくてはならない。それが階層都市に住む僕たちの慣習なのだ。

 そこでは仕事をする必要はないし、食べ物に困ることはないし、熱さや寒さに苦しむこともないという。『あなたたちを待っているのは理想郷です』と初等教育時代の教師は口を酸っぱくして言ったものだった。


「リチャード。今までありがとうな。僕はこの10年間、お前と共に過ごせてとても楽しかった」

「……ロムロ」


 初等教育課程で、この世は再生と破壊の繰り返しで成り立っているのだと教えられた。それは万物に共通することであり、今僕たちが足を着けている石畳も吸い込む空気も食べるご飯もそして友との縁もその繰り返しの途上に在るものなのだという。

 そうなのであれば、きっとこの別れは縁の破壊でありそして次に続くのは再生のはずだ。だから。


 ――きっとまた、メリカルドダルヘリムでまた会おう友よ。


 僕は彼に歩み寄り、そして右手を差し出した。




 目の前に置かれた赤色のカプセル錠剤を口に含み、そして水を飲んだ。

 それが朝、僕が18歳になって一番最初に行ったことだった。

 朝、寮監がやってきて『この薬を飲んで迎えを待て』と言われたのでその通りにしたが、いったいいつになったらまともなご飯が食べれるのだろうか。

 相変わらずの空きっ腹に水を流し込むと僕は寝床に腰かけて迎えの人間が来るのを待った。

 10時頃に来るとのことだったが今はまだ9時。1時間の手持ち無沙汰な時間が生まれてしまった。

 寝ないようにしようとは思っていたが、どういうことか次第に強い睡魔が襲ってくるようになる。

 もう丸1日以上の間食事を我慢していたからエネルギーが足りないのだろうか、まぶたを閉じれば意識が少しずつ薄暗闇に吸い込まれていくようだった。


「フェーズ3、完了。これよりフェーズ4、C-80072号の出荷作業に入ります」


 ドアの外からそんな声が聞こえた気がした。その時だった。

 破壊的な喧騒が寮の廊下に響き渡り、そして怒号と悲鳴が聞こえる。

 しかし濃い霧がかかったような僕の頭はそれを音としてとらえるのみで、それが何の音なのか誰の声なのかもはや判別もつけられない。

 ただ意識が完全に途切れる直前に耳元で僕の名前を呼んだその声は、どこか聞き慣れたもので身体の底に温もりを与えるものだった。




 頭がガクガクと激しく揺れるのを感じてぼんやりと目を開ける。薄暗い、夜だろうか。

 耳元で雄牛の威嚇音のような野太い音がステレオがかって鳴り響きとても五月蠅かった。耳を塞ごうとして自分の手足が縛られていることに気が付く。それも誰かに背負われた状態で。

 背中から伝わる振動で先ほどから鳴り響く野太い音の正体がわかった。それは僕を背負っている者とその周囲を取り巻く同胞たちの雄叫びの声だった。


「……リチャード……?」


 僕を背負う者に対して言葉をかけるも返事はない。小さな声は周囲の雄叫びに簡単に掻き消されてしまう。彼らは遠くの薄暗闇の景色の中で、一部の空を真っ赤に染め上げるほどに燃え盛る巨大な建造物を見上げてただただ叫んでいた。


「――ありがとうクソッたれな階層都市、俺たちの種をただただ保全する醜い社会よ、今日まで俺たちを生かし育ててくれて本当にありがとうッ‼ だが俺たちは社会を動かすためのただの歯車でもなければ繁殖のために生きるだけの獣じゃない、アクアリウムを作りたいなら真の自由に気づいていない家畜たちで作っていろッ‼ 俺たちは抜けさせてもらう。生きるために辛さや苦しみや不自由が必要なのだというのなら、俺はそれを受け入れよう。それでもなお生きて友と18の歳月を超えた先を見る、それが俺の願いだからだ……ッ‼」


 リチャードと同胞たちはひとしきり叫び終わると燃え盛る遠くの景色に背を向けて、目前の森に向かって歩き出した。未だもやがかった僕の頭は上手く働かず状況がよく掴めないが、しかしリチャードが自分を背負って歩いてくれているならそれだけで何も問題はない気がしていた。

 行き着く先が例えメリカルドダルヘリムではなかったとしても。

 友がいて生きる目的がありさえすればきっと生きていける。だって階層都市での10年間ずっとそうして生きてきたんだから。僕はそうして目を閉じた。意識は温かい沼の中にゆっくりと沈んでいく。

 

 

 

 その後、階層都市からの脱走者――蜥蜴人リザードマンたちの姿を見た者は誰もいない。

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メリカルドダルヘリムの家畜 浅見朝志 @super-yasai-jin

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