第32話 運命の日 朝



 夢で示された三日後の朝。


 普段通り早朝に目を覚ました俺は一人、流れ作業のように日課の支度を進める。

 今日までは眷属の襲撃が嘘のように平和が続いていた。

 しかし、奴が提示した『妄執の獣』なる敵が襲来する日。


「……警戒するに越したことはない、か」


 これまで以上に万全を期す必要がある。

 エルナ経由で室長に届けられた手紙の返答は「任務続行」の簡潔なものだ。

 信用されていないというよりも、何があってもレンカを守れという意味らしい。

 証拠に哨戒にあたる軍警の数が増加している。


 なんにせよ、俺がやることはただ一つ。


 レンカを守る……それだけだ。




 日課を終えて部屋に戻り、まだ熟睡していたレンカを起こす。

 肩を揺すり、声をかける。


「起きてー、朝だよ」

「んん……っ、ふぁぁ……」


 一度、黒い睫毛が花開く。

 しかし、眠たげな蒼い瞳は辛そうに再び閉じてしまう。

 まだ夢から覚めていないのか声にならない音を発して、ひとりでにレンカの左手が空を探るように伸びる。

 途端、呼吸のリズムが僅かに乱れた。


 まるで水底でおぼれるように藻掻もがき、表情がくもっていく。

 苦しげに眉を寄せ、額に汗が滲んだ。

 妙なものを感じたため起こすのを取りやめて、彷徨うレンカの手を握る。


 ゆっくりと指と指を絡めると、左手は驚いたようにぱっと開かれる。

 慎重に、完全に硬直してしまった細い指を畳ませて下ろしていく。

 その手は酷く冷たく、震えを帯びていた。


「……なんだろう、これ。今すぐ起こすべきなんだろうけど……多分、違う」


 明らかに異常なレンカを起こした方がいいのは百も承知だ。

 だが、俺の勘は起こすなと言っている。

 こういう時の勘は案外バカにならない。


 しばし手を繋いだまま出した結論は――鎮静化の魔術の行使。

 自分の勘を信じることにする。

 すると効果があったのか、徐々にレンカの呼吸が安定を取り戻す。

 手を握る力が強まり、比例して熱を取り戻していく。


 苦しげな表情も引いていき、いつもの寝顔に戻ったことを確認してほっと息をつく。

 目元を覆う金色のカーテンを払って可愛らしい寝顔を観察していると、


「……ん、ぁ……あれ」

「あ、起きた」


 不意に、意識が朧げなままのレンカが声を上げた。

 ぱちくりと瞬きを繰り返して、ぎこちない動作で首を傾ける。

 そして、目が合って。


「カズサ、さん。生きてる……?」

「何当たり前のこと言ってるの?」


 開口一番に生存確認をされた。

 まじまじと視線を合わせるレンカの目は真剣そのもの。

 嘘や冗談を言っている気配はない。


 困惑したようだったレンカが体を起こして両手を俺へ伸ばす。

 頬や頭、肩から腹のほうまで実在を確かめるように触れていく。

 まるでなくしたものが突然帰ってきて信じられないかのような様子だ。


 そして、最後にぎゅっと抱き留められ――耳元で啜り泣く声が響く。

 華奢きゃしゃな身体は柔らかく、力を込めれば容易く折れてしまいそうで。

 突発的な涙に驚きつつも、宥めるように軽く笑って頭を撫でてやる。


「どうしたの、急に。変な夢でも見た?」


 返事は少し後。

 落ち着きを取り戻したレンカが胸の中で細く零す。


「……夢、だったのでしょうか。あまりに現実味を帯びていて、むしろ今が夢なのではないかとすら疑っています」

「夢じゃないよ。大丈夫、私はここにいる」

「そう、ですね。この温度も、声も、匂いも、雰囲気も本物です」


 レンカは深呼吸を繰り返し、頭を肩へと委ねる。


「これじゃあ動けないよ、レンカ」

「いいじゃないですか。どうせ今日も休校でやることがないわけですし」

「自堕落人間の誕生だね」

「一日くらいは許してくれますよ、きっと」


 なんて、軽口を叩けるくらいには回復したようで、表に出さず安堵する。


 寝起きの尋常ではない様子は目に余った。


 それに……レンカがみた夢も気がかりだ。


「……ねえ、聞かせて。その夢で何があったか」


 びく、とレンカの背が伸びる。

 怯えるように身を縮こませ、小さく首を横に振った。


「怖い、です。口にしてしまったら、本当になるような気がして」

「大丈夫だよ。所詮は夢、現実じゃない」


 嘘だ。

 夢に干渉できる『魔王』を少なくとも一体知っている。

 夢は何かを暗示していることも多い。

 余程ショックを受ける内容だったのかもしれない。


 だとしても、今日が襲撃予想の日である以上、不安要素は取り除いておきたかった。


 それに、レンカの場合は特殊な事情を挟むことになる。

 未来を見通す力である神託オーラクルム』。

 過去にいた保有者……巫女たちは夢で未来を見ることもあったという。


 恐らくはレンカもそれを知っていて、話すのを恐れている。


 けれどそれは、一人で背負うには重すぎる。


 レンカは長い、長い沈黙ののちに。


「…………こんなこと、本来は話すべきじゃないんです。私は。そういう感覚があるんです」

「やっぱり話してくれない?」

「正直、話したくありません。ですが、カズサさんには知る権利がある。私だけ知って、口を閉ざすのは不公平です。たとえそれが、どんなに残酷で取り返しのつかない結末であっても」


 意を決したレンカが腕から離れ、正面で向き合う。

 その表情はこわばっていて、今にも泣きはらしそうに蒼の瞳がうるんでいる。


 それでも、レンカは伝えるために口を開く。

 俺が頷いたところで、


「――私が見た夢。判然としない部分もありますが、はっきりと見えたものもありました」

「…………」

「崩れた校舎、倒れる沢山の人、何かと戦っているようでした」


 記憶を頼りに言葉を綴る。

 完全に襲撃が起こった際に引き起こされるであろう光景と重なっていた。

神託オーラクルム』でも見えたなら、十中八九来る。


「カズサさんも私を背にして戦っていました。そして……っ」


 言い淀み、レンカは唇を噛む。

 伏せた目に宿る迷い。


 だが、すぐに頭を振って顔を上げて。


「――カズサさんは、四肢をバラバラにされて死にました」


 目を逸らさずに、夢の世界で見た俺の死を告げた。


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