第31話 近ずきじゃない?



 湯気が立ち込める浴室に足を踏み入れば、エマが浴槽の壁に背を預けながら肩まで湯に浸かって温まっている最中だった。

 一人での入浴が困難なエマをレンカが補助して先に洗って温まってもらい、場所が開いたところで俺が入った形になる。


「ん。来た」

「まあ、そういうことになってたし」


 エマは薄っすらと目を開けて俺を映す。

 桜色の髪を頭のてっぺんで束ね、お団子を作っていた。

 なんとなく正月の鏡餅のように見えなくもない。


 それはそうと。


 レンカに見られるのとはちょっと違う感覚。

 俺の事情を知っている相手だからか、妙に恥ずかしくて正面からエマを見返すことができない。


 それでも、狭い空間故に色々と見えてしまうのは避けられなくて。


 可能な限り視線を逸らそうとするも、逃げ腰の思考は筒抜けのようで。


「……気にしなくていいよ」


 ぼんやりと半ば蕩けたエマの声。

 エマは俺を気にする様子もなく、ほわわと欠伸を一つ。

 こうも堂々とされると一方的に意識していたのがバカらしく思えてくる。


 風呂椅子に腰を下ろし、レンカの背を正面に据える。

 水気を帯びた滑やかで白い肌。

 なんとなしに指先を這わせたくなる衝動を堪えて、


「じゃあ、髪からね」

「私の髪をカズサさんに託します」

「言葉が重い……」


 レンカの悪ふざけにため息を返しつつ長い金髪をシャワーで濡らす。

 しっとりと濡れたところでシャワーを止めると、髪を水滴が伝い滴る。


 シャンプーを手に取り軽く泡立て、両手を頭へ。

 強すぎず、優しすぎずの絶妙な力加減で手を動かす。

 雲のように白い泡が頭を覆っていく。

 指を撫ぜる金糸のような髪を丹念に洗い、頭皮を揉み解す。


 心地よさそうに目を細めるレンカの表情を鏡で確認し、安堵する。


「……カズサさん、知らない間に腕を上げましたね」

「いつまでも昔の私じゃないんだよ」


 ふっふっふと笑いつつ、謎のやり取り。

 レンカに何度もやられていれば覚えるというもの。


 それにしても、だ。


「髪長いと色々大変じゃない? 戦いのときもだし、手入れにも時間かかるし」

「そうなんですけど、なんだか切るのがもったいなくて」

「ここまで伸びるとね。私も似たようなものだけど。流すよ」


 一声かけてシャワーの温度を調節し、泡を残さず洗い流す。

 時間をかけて、しっかりと。


「カズサ、楽しそう」

「意外と楽しいものだよ」

「……そうなの?」

「そうそう」


 小話を挟みつつ、手を進めてレンカの背中も洗い終える。

 もう妙な感情も抱くことはない。

 完全に慣れたのか、感覚が麻痺してしまったのか。


 今の姿で過ごすならいい傾向なのだろうけど、複雑な気分だ。


「では、交代しましょうか」


 前後を入れ替え、今度は俺が洗われる番。


 しかし、


「レンカ。エマもやる」


 待ったをかけたのは湯船に浸かっていたエマだった。

 立ち上がる代わりに両手を俺の肩へ伸ばしている。


 珍しく露わになったライトブラウンの双眸が真っすぐに俺を映していた。

 厳密には俺の髪を、だが。


 恐らくはさっきのやり取りで興味がわいたのだろう。


「いいんじゃないかな。もちろんレンカが良ければ、だけど」

「……むう。正直、結構楽しみにしていたんですけど。ですが、今回はエマさんに任せましょうか。私はいつでもカズサさんを好きにできますから」

「いや私いつからレンカのものに……?」


 何故か勝ち誇った笑みを浮かべるレンカに返すも、聞いている様子がない。

 立ち上がったレンカが浴槽に足を沈め湯の嵩が増す。

 そのままエマを抱きかかえて湯から引き揚げ、風呂椅子に座らせた。


 両脚の自由が利かずとも、魔術が扱えるのならば他で補助ができる。

 背もたれがなくともエマなら倒れる心配はない。


 エマと正面から向かい合う形。


「後ろ向いて。洗えない」

「っ、うん、ごめん」

「別にいい」


 素っ気ない返事に早まっていた心臓の鼓動が僅かに遅くなるのを感じた。

 じわりと罪悪感のようなものが込み上げてくる。


 エマが気にせずとも、こんな状況になれば嫌でも気にしてしまう。


 自分の胸を撫でて気分を落ち着かせる。


「――緊張、してる?」

「ひぅっ!?」


 咄嗟に喉を飛び出した細い声。

 耳元で囁かれた声と吐息にびくりと肩が跳ねて、背筋が震えた。


 割と本気で驚くからやめてほしい。

 敵意が介在していないため反応もままならないのだ。


「カズサさんは相変わらず耳が弱いんですね」

「うるさい」

「あー、拗ねちゃいました」

「拗ねてない」


 揶揄うような口ぶりのレンカにそう返して、目を瞑る。


「流す」

「お願い」


 短い言葉を交換し、温かな湯が勢いよく吹き付けた。

 首が押されるような感覚を覚えつつも、徐々に勢いを調節したのか弱まる。


 十分に濡れたと判断したのかシャワーが止まり、軽いポンプの音が響く。


「始める」

「……任せた」


 実はほんのちょっとちょぴっとだけ心配だ。


 主に……距離感。


「……手、届かない」

「少し前に押しましょうか」


 浴槽の中からエマの身体と風呂椅子を押して、俺の背に近づいてくる。


 そこまではいい。


 けど――


「――近すぎじゃない?」

「これくらいじゃないと届かない」

「だからってほぼ密着状態は……」

「我慢して」

「っ、うん、なるべく理解した」


 平静を保ちつつ、背中にくっつく柔らかな感覚が精神を乱す。

 とやかく言うのはエマの信頼に反する行為な気がして、口を噤んで受け入れる。


 細く小さな手のひらが髪に触れた。

 弱めの力加減、指の腹が濡れた髪と地肌を解し、じんとした温かさが身体へ広がっていく。

 普通に髪を洗っていてもこうはならない。


「もしかしてだけど、何か魔術使ってる?」

「鎮静化と持続回復。なんか、疲れてそうだったから」


 当たり前のようにエマがいう。

 髪を洗いながら二種の魔術を併用とは器用なことをする。


 それにしても疲れている……か。

 完全にあの夢のせいだろうな。

 あれで精神力を持っていかれているのはある。


「疲れているというよりも、何かを思い詰めているような感じです。悩みがあるならいつでも相談してください」

「エマでもいい。話くらいは聞ける」

「……うん、大丈夫。ありがと」


 二人の優しさが身に染みる。


 けれど、ダメだ。


 特務兵に課せられた使命は都市を脅かす『魔王』を殺すこと。

 その上でレンカの護衛を務めあげる必要がある。


 戦うことは怖くない。

 それよりも、誰かをまた失う方がよっぽど怖い。


「力抜いて」

「~~~~っ!?」

「カズサ、可愛いくなった」


 背中をなぞったエマの指先に反応してびくっと肩が跳ねた。


 湯に浸かったままうんうんと頷いているレンカの笑みが、この時ばかりは恨めしく思えた。


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