第29話 初めての鍋



 夕飯は何にしようかと考えた結果、鍋にすることにした。

 作る手間も少なく、身体も温まる。

 それに、レンカは多分食べたことなさそうだし。


 エルナの要望に応えての品は、買ってきたチャーシューと白髪ねぎを辛味噌で和えたものを作ってある。

 合う合わないは知らないが大丈夫だろう。


 そんなわけで、リビングのテーブルではカセットコンロにかけられた鍋が蓋の下でぐつぐつと煮えていた。


 丸いテーブルを囲むのは俺とレンカ、そしてエマの三人。

 エルナの姿はまだない。

 いずれ来るだろうと見切りをつけて準備を進めている。


 具材が溶け合った優しい香りが漂うリビングにて。


「……これが鍋、というものですか」


 興味深そうにレンカが土鍋の様子をじーっと見つめている。

 まあ、外側からでは中が見えないのだが。


 構うことなく鍋を眺めるレンカは無邪気そのものだ。


 楽しそうならいいか。


「ねむ……」


 一方エマは眠気が覚めないのか、俺が背もたれになる形で座りながら器用に舟を漕いでいる。

 車椅子では低いテーブルに丁度良く座れないため、このような形に落ち着いた。


 寝起きのエマは瞼を擦りつつ後頭部を胸のあたりへ凭れている。

 こっちとしては作業をするときにエマの髪を巻き込まないよう気を付けるだけで、特に重いとかはない。

 むしろこのくらいの年齢にしてみれば軽すぎるくらいだ。


 ほぼ背格好が変わらない俺が言うのもなんだが。


「眠いならベッドに運ぶ?」

「いい。リクライニングカズサだから」


 椅子になった覚えはないけれど、問題ないので放置。

 ほのぼのと、鍋が煮えるのを待っていると。


 コンコン、と窓がノックされた。


 こんなことをする人は一人しかいない。

 盛大なため息を飲み込んで、


「ごめん、レンカ。窓開けてくれる?」

「……? わかりました」


 疑問に思いつつも窓を開けてくれたレンカに感謝する。

 開けた窓から入り込む夜の涼し気な空気。


 そして、


「――っとう!」


 飛び込んできた白い影。

 それは奇声を上げつつ一条の白い線となって部屋へ潜り込み、縦にくるくると回って無事に着地した。


 窓を開けたレンカは何が起こったのかわからずに目を丸くして闖入者ちんにゅうしゃを見る。


 エマはほわわとマイペースに欠伸をして、俺の口からため息が漏れた。


「超天才美少女エルナちゃんただいま推参すいさんっ! ……って、みなさんどうしてカラスが撃ち落とされたような顔してるんです?」

「それを言うならはとが豆鉄砲を食ったような、じゃないんですか。あと、土足はやめてくださいね」

「いやいや。カラスも似たようなものですよ。靴のことは心配しなくても脱いでますって。それより今日はお鍋ですか!」


 おお! と心から嬉しそうに表情をほころばせながら、エルナはテーブルの空いている場所へ「よいしょっ」と胡坐あぐらで座った。


「エルナ先生、どうして窓から……?」

「このほうが楽じゃないですか」


 レンカの疑問にあっけらかんと答えるエルナ。

 残念ながら常識なんてエルナには通用しない。


 だが、この一か月ほどでエルナの奇行に毒されていたレンカは「そういうものですか……」と納得してしまう。

 薄々何を言っても無駄だと察しているのか、レンカは窓を閉めて座りなおす。


 エルナは抱えていた袋を傍らに置く。

 がちゃん、とガラスを打ち鳴らしたような音色。


「ほんとに持ってきたんですかお酒」

「ボクは有言実行の女ですからね。飲むと言ったら飲みますし、飲まないといっても何かしらの理由をつけて飲みます」

「結局飲むんじゃないですか」

「まあボク酔えないんですけど」


 ならなんで酒なんて飲んでいるんだ。

 いやまあ、俺には関係ないからいいか。

 レンカとエマに飲ませないように注意するくらいにとどめよう。


 それから数分ほど雑談を楽しみ、ようやく鍋が煮える。

 蓋を取ってみれば、食欲をそそる香りが部屋に満ちた。


 きゅるる、と誰かのお腹が鳴る音。


「あ、ボクです」

「自己申告どうも」


 適当にあしらって、「いただきます」と手を合わせる。

 具材は俺からすれば基本的なものだと思うが、個人差が激しいと思っている。


 長ネギ、豆腐、エノキ、白菜、大根、糸こんにゃく。

 お肉は経済的にもカロリー的にも優しい鶏肉だ。


「これはどうしたらいいのでしょうか……?」

「取り皿に好きに盛り付けたらいいよ。お鍋のお玉を使ってね」


 お玉を手渡すと、おもむろに具材を取り皿へ取り始めた。

 慣れない手つきで取り分けるレンカを三人で眺めつつ、


「庶民的な皇女様ってタイトルで隠し撮り写真をばらまいたら稼げないですかね」

「絶対やめてください」

「やー、流石にボクでも無断ではやりませんって。ちゃんと証拠を捏造ねつぞうしてからやりますよ」


 ……誰かこの頭無法地帯を止めてくれ。


 とりわけ終わったレンカからお玉を貰って、残り三人の皿に盛りつけていく。

 エルナは一人、酒盛りの準備をしていた。


「今日は飲み口があっさりした白ワイン。まるでジュース感覚で飲めると話題ですよ! 飲みます?」

「未成年に飲酒を進めないでくださいよ」


 この都市の成人年齢は18歳。

 飲酒も同様なので酒は飲めない。


 ……俺の場合、パーティとかで数回飲んでしまっているのだが。


 立場的にそういう機会があったというだけで、自分から進んで飲んだことはない。


 俺も酔わない体質らしいからな。


 そんなこんなで、和気藹々とした夕食の時間が始まるのだった。

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