第18話 今を楽しむ



 下半身麻痺と左目の失明……とてもではないが、軍人として活躍するのは難しい大きなハンデだ。

 エマが続けていられるのはオペレーターという後方支援の兵科かつ、本人がハンデすらものともしないほど優秀だからに過ぎない。


「別に気にしてない。むしろ、動かなくていいから楽」

「……申し訳なく思っていた時間を返せ」

「時間は平等。有限資材は有効活用して」

「今しがた無駄……にはなってないか。少しでもエマのことを知れて収穫はあったからな」

「……そ」


 素っ気なくそっぽを向いて、窓の外へ視線を流した。

 片目を隠していることもあって表情が読み取りにくい。

 エマなりの照れ隠しなのだろうか。


 しばらく沈黙が続いて、ようやくエマが正面を向きつつテーブルに置いてあったメニュー表を差し出してくる。


「何か頼まないの」

「ああ、そうだな。じゃあ……」


 メニューを開いてみると、品揃えが豊富だった。

 写真付きのそれらを眺めて……決まったところで店員さんを呼ぶと、すぐにウェイターさんが来る。


「ご注文は」

「ケーキセットのティラミス。ドリンクはコーヒー……いや、カフェオレでお願いします」

「ティラミスとカフェオレのセットですね。少々お待ちください」


 丁寧に腰を折ってウェイターさんが去ったところで、メニューをテーブル端へ戻してエマの方を向く。

 なぜか、エマは物欲しそうな目で俺を見ていた。


「……いや、パフェ食べてるでしょ」

「甘いものは別腹。別腹の別腹?」

「どうでもいいよ……」


 頭痛が痛いみたいな言葉だ。

 別に分けるくらいはいいけれどさ。

 夕食もあるからそんなに量を食べる気はないし。


(――本題。室長から)


 突然エマが声を出さず口だけを動かしたのを読唇術で確認し、緊張が走る。


(手紙を預かってる)


 すっと、エマがテーブルに封蝋がされた手紙を置く。

 それを受け取り、一旦鞄の中へ。


(内容は聞いているか?)

(あんまり。予想はつくけど)

(……心当たりはあるな)


 真っ先に思い当たるのは入学式の日に襲撃してきた魔王崇拝者。

 エマも心を読んだかのように頷く。


 軍部が口を出してくるとすれば第三皇女――レンカ絡みの内容なのは容易に想像がつく。

 俺の任務にも関わるだけに、早めに室長のもとへ窺おう。

 ……その間の護衛はどうなるんだ?


「エマとサエさんがやる」

「さりげなく心を読まないで」

「読みやすいのが悪い」

「これでも表情が乏しいって言われ続けてきたんだけど?」

「エマにはわかる。それだけ」

「……そっか」


 釈然しゃくぜんとしないが一応納得しておこう。

 でないと話が一向に進まない。


 そんな最中、ウェイターさんが頼んでいたケーキセットを運んでくる。

 小皿に乗ったティラミスは白と黒の二層構造が二重になっていて、とても美味しそうだ。

 カフェオレの甘い香りが漂い、すんと鼻を鳴らして頬を緩める。


 なんだか最近になった甘いものが恋しくなっているのは気のせいではないだろう。

 これも変わった影響なのかと考えつつ、なんでもいいかと思考を打ち切る。


「それではごゆっくり」


 ウェイターさんが去ったところで早速カフェオレが入ったカップを持ち、口元で傾ける。

 温かく優しい甘味と仄かな苦みが広がった。

 インスタントのそれとは違う美味しさだ。


 続いてティラミスをスプーンで掬って、一口。

 マスカルポーネチーズの濃厚な風味、そして後から訪れるコーヒーパウダーの苦み。

 緩急のある味を楽しんでから、再びカフェオレを飲む。


 うん、幸せの味がする。


 ……今度、レンカと来たいな。


「美味しい?」

「うん」

「エマにも」


 エマが小さく口を開けて、餌付けを待つ雛鳥ひなどりのように待機している。

 仕方ないかとティラミスをすくってエマの口元へ運ぶと、パクリと食いついた。

 スプーンを引き戻すと、掬った分は綺麗さっぱり食べたらしく何も残っていない。


 もごもごと口を動かし、やがて飲み込んだエマが目じりを垂れさせて、


「美味しかった」

「喜んでくれたなら何より」


 笑顔で言われればあげた甲斐があったというもの。

 それからエマはパフェを、俺はティラミスを無言で食べ続ける。


 しかし空気は気まずくない。

 曲が穏やかなクラシックに変わったところで、エマが思い出したかのように呟く。


「カズサ、楽しい?」


 ふとした質問に、俺は過去を振り返る。

『魔王』、そして眷属との戦いに明け暮れていた日々。

 いつ死ぬとも予想できない張り詰めた世界で生きてきた俺という人間の固まった心。


 それが今は、どうだろうか。


 第三皇女――レンカの護衛として訓練校に入学し、授業を受けて平和に過ごしていることへ違和感がないとは言わない。

 だが、楽しさを感じているのも事実ではあった。

 何気ない日常こそが大切で、小さなきっかけで崩壊する脆いものだとしても。


「ああ、楽しいよ。とても」

「……そ」


 その答えに、エマは満足したように目を僅かに弓なりに細めた。


「エマはどうだ?」

「……楽しいと思う。少なくとも今は」

「なら、よかった」


 曖昧な答えではあったけれど。


 後悔は微塵みじんも感じなかった。


 恐らく俺の専属オペレーターであるエマも、長期的な休暇を与えられているのだろう。

 もちろん緊急時は駆り出されることになるはずだ。


 束の間の平穏。

 今も誰かが戦って勝ち取っている安寧の時間。


「今は、今を楽しむ。それでいい」

「……そうだね。折角の学校生活だし」


 エマの言う通りだ。

 カフェオレを飲みながら、しみじみと頷いた。


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