第17話 改めて、はじめまして
光陰矢の如し……というような速度で、訓練校での日々は過ぎていく。
授業や訓練に明け暮れ、レンカと二人での寮生活にも慣れてきた頃合。
入学後すぐの忙しさも鳴りを潜め、比較的落ち着いた学校生活を普通に楽しんでいる。
求めていたのはこういう日常だと再認識を得た俺は、特務兵として『魔王』と戦っていた頃とは毛色の違う充足感を感じていた。
そんなある日の早朝。
日課のランニングで敷地内の庭園を通りかかった時、車椅子に乗った少女を見かけた。
肩口までの淡い桜色の髪が左の目元までを覆っているため少女の表情は
手馴れた様子で車椅子を漕いでいた手を止め、ぼんやりと空を見上げたかと思えば再び漕ぎ出す。
この時間から一人で散歩……ありえない話ではないか。
現に俺もランニング中の身。
お互い不干渉でいいかと思い、立ち去ろう足を進めた時。
――少女の意識が俺へ向く。
「……見つけた」
呟きは細く、短いもの。
しかし、自然と耳に馴染む声音。
まさかと思いつつも、足を止めて振り向く。
すると少女は車椅子を漕いで近寄ってきて、正面で止まった。
間近で見ると少女は人形のように整った顔立ちをしているが、表情は時が止まったかのように微動だにしない。
少女はひじ掛けに乗せていた腕を持ち上げ、俺へ差し出す。
その手は病的なほどに白く細かった。
結ばれていた小さな口が開き、
「――七生カズサ」
俺の名前を、確信めいた口調で告げた。
偽名の一条ではなく、本来の七生。
彼女に正体がばれていると知るも、その声でようやく得心がいく。
まさか彼女が訓練校にいるなど考えもしていなかった。
動揺を胸の内に秘めて口を開く。
「……なるほど、そういうことか。はじめまして、というべきか?」
「ん」
こくりと頷いた少女は口元に薄く笑みを浮かべ、
「一応自己紹介?
幾多の戦場を共にしてきた専属オペレーター、比那名居エマが頭を下げた。
そしてやる気なさげに欠伸を一つして猫のように目を擦る。
インカム越しの声だけで薄々察してはいたが、かなりのマイペースなようだ。
「じゃあ、私も。一条カズサ、『魔術科』の一年。改めて、はじめまして。そして久しぶり。こんなところで会えるとは思っていなかったよ」
「エマ、知ってた」
「そうかよ……」
わざわざ口調まで気を使ったのに軽く流されるとショックだ。
室長から話が通っているはずなので当然といえば当然なのだが。
「んんっ」と軽く咳ばらいを挟んで、
「で、エマはこんな時間から何をしていたんだ?」
「……朝のお散歩?」
「なぜに疑問形」
「天気よかった。あと、そういう気分だった」
要は偶然か。
「あ、嘘。カズサを待ってた」
……前言撤回。
やはりエマの思考は読めない。
「ちゃんとお話したいと思った。今日の放課後、カフェテリアで」
「ここでじゃないのか」
「ん。朝は眠い。いつもそこそこ眠いけど。授業中が特に」
「……頼むからちゃんと授業は受けてくれ」
「問題ない」
問題しかないと思うのだが。
エマのことだから知識は頭に入っているのだろうけれど、少しばかり心配だ。
特務室のオペレーターを務めているエマは、俺と同じく学生レベルは知識経験共に凌駕している。
居眠りをしていても学校の授業で後れを取ることはまずないだろう。
成績だけは心配だけど。
卒業後の配属先を決める基準として、訓練校での成績が特に重視される。
良い成績を修めていれば先が楽になるのだが、それは既に特務室へ配属されているエマには関係ない。
……本当に教員泣かせの生徒だな。
「そろそろ帰る。カズサ、車椅子押して?」
「自分で漕げるんじゃないのか」
「そのほうが楽」
「酷すぎる理由だ。別にいいけど」
俺も丁度帰ろうと思っていたところだ。
エマの後ろについて、なるべく揺らさないように車椅子を押して寮への帰路についた。
それからいつものようにレンカを起こし、朝食を取り授業を受けての放課後。
「ごめん、レンカ。先に帰っていてもらえる? ちょっと用事があって」
「そうなんですか? わかりました。くれぐれも遅くならないように気を付けてくださいね」
「子供じゃないんだから大丈夫だよ」
護衛対象のレンカと離れて行動するのはあまり褒められたことではないだろうが、エマと二人きりの方が話せることもある。
それに、訓練校の敷地内くらいなら気配を察知できるので問題はない。
教室でレンカと別れて、エマと待ち合わせたカフェテリアへとやってきた。
ここは訓練校に通う生徒ならば自由に使うことができる場所だ。
落ち着いたジャズが鳴る、暖色の明かりに照らされた店内。
席には数十名の生徒の姿が見られる。
「エマは……っと」
探すのに姿を見る必要はない。
目を瞑って魔力を探知し、今朝と同じものを探す。
すると、すぐに見つかった。
カフェテリアの奥へと進む。
店内の隅にあたる席では車椅子に座ったままのエマが巨大なパフェを細長いスプーンでつついていた。
「ごめん、待たせた」
「ん。いっぱい待った」
「……記憶が正しければつい数十分前に授業が終わるはずでは」
「最後自習になったから抜け出してきた」
「サボり魔め……」
自慢げに言うエマの誇らしげな態度に眉間を揉んだ。
エマのことだから戻ってこない確信があってサボったのだろう。
戦況の隅々まで把握するオペレーターのエマならば造作もない。
「まあ、大丈夫ならいいけど。で、話って?」
「ん。この前捕まえた魔王崇拝者からの情報」
言って、エマはテーブルに数枚の紙を置く。
バラバラになった紙をため息交じりにかき集め、順序を整理して暗号化された文章へ視線と落とす。
「……あー、予想通りといえばそうかな。まさか初日から来るとは思ってなかったけど」
「せっかちだから。でも、カズサがいるなら問題ない」
「それはどうだろうな。護衛なんて初めてだし」
「大丈夫、エマもいる」
「意外だな。てっきり協力はしてくれないものだと思ってた」
今朝の感じからしてエマの助力があるとは考えてもいなかった。
かつてはインカム越しにしか話したことがなかった相手。
初めて顔を合わせたとしても、驚くほどに不安はない。
「話はそれだけ。カズサはなにかある?」
「んー……じゃあ、ひとついいか」
「答えられるなら」
パフェをつまみつつ答えたエマへ、かねてからの疑問を投げる。
「――車椅子ってことは、脚が悪いのか?」
それは、エマが車椅子で生活していることへの問い。
ここは軍訓練校……当然ながら、身体は資本である。
エマが座り仕事の多い通信科とはいえ、車椅子というのはかなり珍しい部類だ。
だが、エマはふるふると首を横に振って、
「……その表現は微妙に違う。正確には下半身麻痺、それと左目も見えない」
何でもないかのように、エマは自身の身体障害を明かした。
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