第19話 『風邪薬』ですよ



 エマとの遭遇から数日後の平日、朝。


 レンカのベッドで仰向けに眠る俺の顔を心配そうにのぞき込む蒼い瞳。


「風邪、でしょうね。今日は休んでください」

「……ん」


 ぽやぽやと浮ついた思考のまま頷く。

 額に手を当ててみれば、明らかに平時よりも熱を感じる。


 レンカの診断の通り風邪をひいていた俺は身体を動かすのが厳しいだろうと考えたレンカから、半ば強制的に下段のベッドで寝かされていた。

 悪いと思いつつも、好意を無駄にできず根負けした結果だ。


 レンカが起きて入れ替わるように入ったため布団の中には温もりが残っていて、眠気が顔を出してくる。

 目元をこすりつつ時間を確認すれば、もう八時前。

 準備を整えたレンカは未だ、ベッドの傍らにいる。


「ちゃんと寝ていてくださいね。私に移すとか考えなくていいですから、今は身体を休めることを優先してください」

「……心配しなくても大丈夫だよ。それより、遅刻するよ?」

「まだ間に合います」


 確かに校舎まで急げば三分とかからないけどさあ……。

 レンカがここまで心配性だとは思いもよらず、罪悪感がこみあげてくる。


「寮母さんにも伝えておきますから、お昼は心配しないでくださいね。帰りに何か食べやすいものとか買ってきます。ちゃんと薬を飲んで、絶対安静ですよ」

「うん、うん。大丈夫だから。子供じゃないんだし」


 するとレンカは渋々納得したのか、おもむろに立ち上がって教科書類が入った鞄を持ち、


「……そうですね。では、行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 手を振ってレンカを見送り、一人になった部屋で。


「――どうしてこんなことに」


 重いため息を吐くのだった。



 ■



 事は昨日の放課後まで遡る。


「あ、カズサちゃーん。ちょいちょい」


 本日最後の授業はエルナが担当する魔術薬学で、終わってから流れのままエルナに連れられて屋上に来ていた。

 屋上は平時から解放されているものの、今は授業が終わってすぐということもあってか人はいない。


 エルナと並んで備え付けのベンチに座ったところで、彼女は白衣のポケットに手を入れる。


「……で、何の用だ」

「つれないですねえ。もっと雑談を楽しもうって気はないんですか?」

「一方的にの間違いだろ」

「よくわかりましたね。ご褒美に……はいこれ」


 エルナが俺の手へポケットから取り出した何かをねじ込んだ。

 開いてみれば、白い錠剤が入った小瓶が目に入る。


「これは」

「『風邪薬』ですよ。文字通り、風邪をひくための薬です」

「……また変なもの作ったな」

「またとは何ですか! 折角ホムホムに会いに行くのをサポートしてあげようと思ったのに!」


 がたっ、と立ち上がってエルナは叫ぶ。

 素直にうるさいからやめてほしい。


 というか、エルナの薬で被害を受けているのだから警戒するのは当然だ。

 ましてや直接的に風邪になる薬なんて言われれば尚のこと。


 室長からの手紙には確かにエルナの協力があるとは書かれていたが……これが協力なのかは怪しい。

 間違いなく好奇心や悪戯心に類するものだろう。

 また碌でもない薬の被検体になるのかと考えると、途方もなく気が重くなる。


「てか風邪になる薬なんて何に使うんだよ」

「そりゃあずる休みのために決まってるじゃないですか」

「まともな使い方を期待した俺がバカだった」


『変身薬』なんてものを作る奴がまともな思考をしているはずがなかった。

 しかも失敗作だったし、性別変わるし。


 回りに怪しまれないためには病欠が都合がいいのだろうけど。

 ……『無限再生レナトゥス・コード』で即回復できるため、理にかなっているのが無性に腹が立つ。

 エルナの思うままに動くのは負けた気分になるが……任務のためだと我慢しよう。


「カズサちゃんはホムホムに呼ばれているんでしょう? なら学校を抜け出していくのが一番手っ取り早いじゃないですか」

「……変な副作用とかないだろうな」

「それに関してはご心配なく~。ボクが何度も使っているお墨付きですし」


 お墨付きってなんだよ。

 仕方なく小瓶をポケットへしまい、ため息を一つ。

 これを使うとなると酷く憂鬱ゆううつだ。


「ではではボクはこれでっ。留守の間、皇女様の安全は任せてくれていいですよ」


 エルナはひょい、とベンチから立ち上がって、後ろ手を振りながらフェンスを乗り越えて飛び降りた。

 軽業師のような身軽さだ。

 本職が研究者なんて十中八九嘘だろうな。


 室長のこともホムホム呼ばわりだし……何かを隠しているのは間違いないだろうが、敵対する気がないのなら気にするだけ無駄か?


「本当に何者だよあいつ」


 呟きは風に溶けて、消えていった。



 ■



 そんな訳で早起きした俺はエルナから貰った『風邪薬』を服用し、見事に風邪を引いた。

 症状としては発熱、頭痛、倦怠感などなど、典型的なものが相当に高いレベルで発症している。

 ……無駄に性能高いなこれ。


「……そろそろ、起きないと」


 身体の怠さに鞭打って、自らへ『無限再生レナトゥス・コード』を使用。

 本来の姿に再生するが体調不良を霧散させていく。

 熱に浮かされていた思考が安定し、明瞭めいりょうに澄んだ頭の中。


 額に手のひらを当てて熱が引いていることを確認し、ベッドから起き上がる。


 さっと軍服へ着替えて、周囲に人の気配がないのを確認してから素早く寮を出た。


 軍警が目を光らせる監視網を悪いと思いつつも掻い潜り、軍基地がある中央区へ。

 だが、今の俺は七生カズサではないため、室長が出迎えてくれることになっている。

 指定されていた軍基地近くのカフェで時間を潰していると、不意に気配を感じて顔を上げた。

 すると丁度、一人の来客。


 燃えるような赤髪、軍服に緋色のコートを羽織った男がテーブルへ近づいてくる。


「――ああ、すまない。待たせた」


 幾度となく聞いた声。

 朱雀ホムラ室長だ。


「っ、お久しぶりです。室長」


 すぐさま立ち上がって敬礼をすると室長も返して、視線が俺のつま先から頭のてっぺんまでをなぞる。

 その後に席へ腰を落ち着け、おもむろに口を開いた。


「そうだな。もうじき二か月になるか。にしても……随分と様変わりしたな。写真では知っていたが、いざ実物を見ると驚いてしまうな」

「……っ、出来ればあまり気にしないで頂けると幸いです」

「カズサがそうなった原因の一端は俺にもある。エルナが自信満々だったから大丈夫だと思っていたが、失敗だった。本当に済まない」


 誠意をもって頭を下げる室長。

 数秒かけた謝罪を受け止めて、


「――今があるのは室長のおかげです。結果としてこんな姿になったとしても、やるべきことは変わりません」

「そう……か。すっかり強くなったな。外で拾ってきた頃はもっと子供だったと思っていたんだが」

「もう五年は経ちますから」

「時の流れは早いものだ」


 昔を思い返しつつも、室長は「さて」と立ち上がる。


「本題に入る前に場所を移そう。店主、裏の部屋を借りる」


 室長が告げると店主が頷く。

 店主は室長のことを知っていそうな雰囲気だ。

 軍基地が近いこともあって息がかかっているのだろう。


 俺は室長の後を追って、店の裏部屋へと歩いて行った。


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