第13話 午前、授業



 エルナによる出席確認すらまともにないホームルームを終え、早速授業が始まった。

 一限は魔術概論、続いて戦術学。

 レンカは皇宮で習っているだけに、担当教員の話を聞きながらしきりに頷く素振りを見せている。


 ほかの生徒に関しても『魔術科』に合格しているため、そのあたりの勉強は欠かさず行っているのだろう。

 俺も教科書を眺め、思い出しつつ話を聞いている。

 退屈といえばその通りではあるが、欠伸でもしようものなら弱い電撃の魔術が飛んできかねない。


 とはいえ。

 俺は今、結構な充足感を感じていた。

 切望した普通の生活を送っているのだから。


 死と絶望が隣り合わせの『魔王』討伐よりも、よっぽど未知が溢れている。

 知りたいと願うのは人間に与えられた欲求の一つ。


 端的に言って、とても楽しい。

 しかも隣には護衛対象ではあるが友人と呼べる相手がいるわけで。


(どうしました? なんだか、少し目元が笑っている気がします)

(……? ああ、なんでもないよ)


 授業の妨げにならないよう小声でレンカと会話しつつ、白紙だったノートへペンで文字を綴っていく。

 一文字、一行、一ページと文字や図解で埋まっていく。

 見直すときにわかりやすいよう色分けや線も引き、その出来栄えに内心で笑みを浮かべる。


 戦いばかりの日々で見失っていたが、案外と勉強が嫌いではないらしい。


 やっていることが戦いのための勉強というのはおいといて。


 あっという間に午前中最後の授業である魔王生態学が始まった。

 教室に入ってきた教員は、妙齢の女性。

 背筋がしゃんと伸びた老婆の登場に、教室中で「えっ」と声が漏れる。


 俺は声すら出せずに絶句していた。


「――えー、私が魔王生態学の授業を務めます、斎藤サエです。一応、昔は『魔王』狩りもしていましてね。引退後はこうして、教鞭をとっている次第です」


 朗らかに笑う彼女……斎藤サエは、元『特務兵』だ。

 二つ名エイリアスは『紫電の魔女』。

 自在に空を駆け巡り、迸る紫電で『魔王』を屠る使


 俺より一世代まえではエース級の戦果を誇っていた正真正銘、都市の英雄と呼ぶべき人間が教師として立っている。


「色々とお話ししたいのは山々ですが……そうですね。魔王生態学ですし、『魔王』の生態について話すべきなのでしょうが、『魔王』に関してわかっていることのほうが少ないです。というのも、教科書を見ていただければわかると思いますが」


 自分の前に広げている教科書へ視線を落とす。

 魔王生態学の教科書は、他と比べて露骨に薄いのだ。

 それだけ、『魔王』に関する情報は少ない。


「ですので、この授業では私の主観が少なからず混じります。まあ、老いぼれの戯言とでも思って聞き流しても構いません。ただ……この中に『魔王』狩りを。『特務兵』を目指そうという人がいるなら、いつか有益な時間だったと思い出してもらえたらいいと思っていますよ」


 ぐるりと教室を見まわす。

 ふと、視線が俺とレンカのあたりで止まり、口元がほんの僅かに緩む。


 ……これ、多分俺のことも室長から知らされているな。


 後で何か言われそうだが……まあいい。

 可能な限り知らん顔で過ごそう、精神衛生は大事だ。


「まずは基本的なことからおさらいしましょう。そもそも『魔王』とは、空気中に存在する魔素が作用して引き起こされる突然変異現象……通称『魔王化現象』によって生み出されます。作用する対象は動物、植物、無機物有機物を問わず、人間も対象に含まれていますね」


 開いた教科書には、過去に撮影された『魔王』の写真が掲載されている。

 緑に紛れ、獲物が通りかかったところで巨大な花弁を開かせて捕食する花の『魔王』。

 空を飛び回り、地上へ滑空して吐き出した空気の砲弾でクレーターを作る極彩色の羽をもつ巨鳥の『魔王』。

 悠々と地上を徘徊する山のような機械の城を思わせる無機物の『魔王』。


 そのすべての頭部には、禍々しい角が生えている。


『魔王』には定型がなければ、自然法則など皆無。

 異形、異物、異質。

 それこそが『魔王』である証。


「『魔王』は基本的に、都市が抱える『魔王』狩り……東京では『特務兵』と呼ばれる集団が討伐しています。彼らは一人一人が一騎当千の猛者。それでも、『魔王』に敗れて死ぬことは珍しくありません」


 運命のボタンが違っていれば、骨すら残らずこの世から消えていた可能性もある。

 奇跡と偶然の巡り合わせで生きながらえているに過ぎない。

 それは都市も同じこと。

『魔王』を殺す『特務兵』が敗れれば、次は黒鉄の壁に囲まれた都市が標的になる。


 明日とも知れない命。


 人類は、詰みの一歩手前だ。


「また、『魔王』は自らに従う眷属を生み出します。眷属でさえ、都市にとっては脅威です。人間は数人がかりで一体を倒すのがやっとですが、眷属は無尽蔵に湧き出ます」


 無限の戦力を生み出す『魔王』。

 絶望の使徒と呼ばれる所以でもある。


 人間が生存圏を確保するためには『魔王』を殺す必要がある。

 それが一番確実で、難しい。


 異常なまでの再生力と膨大な魔力量だけでも相当に危険な存在なのだが、それ以上に『魔王』には厄介な特性がある。

 奴らは角の本数と同数の『権能』を保有しているのだ。

 魔術ともとも違う、異質な力。

 世界の法則を書き換えるようなものから魔術、魔法の延長線上のものまで様々。


 そして、話にあった眷属生成を含めた三点が『魔王』の特筆すべき点……というのが教科書につらつらと書かれている。


「知ってはいると思いますが、『魔王』の強さは角の本数に比例し、数は反比例します。俗に下位と呼ばれるのが『二本角ツイン』まで。『三本角トリプル』から『四本角クアッド』が中位、『五本角クインテット』、『六本角ゼクス』が上位です。そして……『魔王』のなかでも『七本角セプテム』だけは、通称として『王』と呼ばれています」


『魔王』という生態系の頂点に君臨するのが、『七本角セプテム』。

 奴らは同格の『魔王』を六度共食いし、核と権能を角と同数の七つ保有している、実質的な不死身の化物。

 討伐履歴は世界でも片手で数えるほどしかない。


 基本的に自分が支配する領域からでることはなく、領域内に人間の都市があっても気に留める様子もない。

 温厚……とは少し違うだろうか。

 単に、人間如きは敵とすら認識されていないだけのこと。


 気分で消し去れるからと見逃されているに過ぎない。


『王』が来れば、都市は滅亡の未来しかないとすら喧伝けんでんされる圧倒的な力。

 実際、『王』の手で滅亡へ向かった都市は数多い。

 それも都市への攻撃ではなく『魔王』同士の小競り合い……その余波で、いとも容易く黒鉄の壁と防御結界に守られている都市は跡形もなく吹き飛んだのだ。


 世界を蹂躙じゅうりんする神の使いだといわれても納得してしまいそうな存在で、実際に『魔王崇拝者』たちは『王』を神のように崇めている節がある。


 俺は一度だけ『王』の姿を目撃したことがあるが……アレはダメだ。

 生物としての格が違いすぎる。

 震えと汗が止まらず、悪寒が走る身体を摩りながら気が変わるなと祈ることしかできなかった。

 恐らく、アレがその気になれば『無限再生レナトゥス・コード』を行使する間もなく消滅させられる。


 文字通り、肉片のちり一つすら残さずに。


 そんな昔のことを思い出していると、授業終了の鐘が鳴り響いた。


「――今日はこのぐらいでいいでしょう。特に予習は必要ありませんが、何か聞きたいことがあれば私のところへ来てください」


 では、と軽く腰を折ったサエさんが教室から出ていって、午前の授業は終了した。


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