第7話 漏らしてません
神崎エルナの名を都市で知らぬものはいない。
彼女が
魔術薬の安全性や価格、性能が大幅に向上したのは彼女の功績だと
だが、同時に彼女は極度の引きこもり体質で、極端に露出が少ないのだ。
特殊な軍関係者以外はエルナの顔を知らない。
それが今、衆目に
「あれが神崎エルナ……」
「意外と可愛い」
「可愛くてもアレは頭おかしいだろ」
などと、教室内でざわめきが起こる。
知り合いなのを悟られないため、驚いて言葉も出ないような雰囲気を出しておく。
レンカは立場上面識があるはずだが、流石に教員として訓練校にいるとは考えもしなかったのだろう。
「まあまあ皆さんそんなに褒めそやしてもなんにも出ませんよ? あ、お菓子食べます?」
教壇から降りたエルナはえへへ、と無表情で頬を掻き、白衣のポケットから小さな飴やチョコを幾つも取り出した。
自由すぎる立ち振る舞いに案内してくれた職員が頭を抱えている。
気持ちはとても分かるので強く生きて欲しい。
エルナは誰に何を言われようが止まらない、いわば暴走列車と同じだ。
「おや? そちらにいるのは第三皇女殿下ではありませんか。おひさー」
「……ええ。お久しぶりです、神崎さん」
「ボクたちほどの仲なのによそよそしいっ! 軽くショックですよ……」
レンカの静かな返答にエルナはがくん、と肩を落とす。
しかし直ぐに立ち直り、さてと手を打った。
「それじゃあ……どうしましょうか。暇ですし自己紹介でもします? 取り敢えずは名前と得意な魔術、好きな人のタイプとお風呂で身体をどこから洗うか……とかとか、喋りたいこと喋って下さい。精々悔いが残らないように」
適当極まる前フリで
前列の生徒から始まった自己紹介は
初めは緊張感に満ちていた教室の空気は、今や和やかなものへと変化している。
誰かが自己紹介をすれば、エルナが内容とは無関係の部分に首を突っ込み、散々かきまわした挙句に放り出す。
そんな工程を全員へ
恥ずかしい思いをしたのは自分だけではない。
そんな考えが教室全体へ浸透し、神崎エルナという理不尽の
多分、狙ってやった訳ではないだろう。
狙っていたとしたらタチが悪すぎるので、怪我の功名ということにしておく。
そんなこんなで、俺の番がやって来た。
すっと立ち上がり、
「私は一条カズサです。得意な魔術は……治癒です。よろしくお願いします」
斜め45度の綺麗な角度で腰を折り、座る。
名前と得意魔術の最低限だけを喋ったのは、それ以外に話すべき内容が思いつかなかったからだ。
元より『特務兵』として生きていた俺が任務以外で話せることは少ない。
世間話も
強いていえば眠ることくらいか。
だからこその端的なものだったが、そんな事情は奴には関係ない。
ついでに言えば、俺の事情を全て知っているが故に狙いを定められるのは必然。
「随分と少ない自己紹介ですねー、カズサちゃん」
「残念ながら私が話せることは少ないので」
「そーですかそーですか。でも、もっと色々知りたいのでボクから幾つか質問しましょう」
エルナはニッコリと口の端を緩め……もとい、歪めて悪魔的な笑みを浮かべる。
彼女の質問で
おいやめろ、俺はまだそっち側に行くつもりはないぞ。
必ずこの戦場を生き残ってやる……!
「では、一つ目。入学式が始まる直前、急いでトイレに駆け込みましたよね。漏れそうだったんですか?」
初っ端からそれはないだろ。
というかどこで見てたんだ気配感じなかったぞ。
「黙秘ですか? あっ……もしかして漏らして」
「漏らしてません」
真顔で怒気を抑えつつ答える。
誤解を生んでは後の生活に影響が出てしまう。
結果は知っていたのか、エルナは露骨にため息をついた。
「つまらないですねー。ユーモアがないとこの先やっていけませんよー?」
「神崎先生のそれはユーモアではなく嫌がらせかと」
「うーん、辛辣っ! 初対面でそんなこと言われるのはショックですね」
大嘘だ。
だが、ここは話を合わせるべきか。
初対面だと周囲に印象づけておけば、俺の名前が『
苗字が違う時点で察して欲しいが、俺に軍と関係があると発覚すれば
「まだ聞き出したいことが山ほどありますが……次の機会にしましょうか。時間もありませんし、ボクは仕事したくないですしウィンウィンです。そんな訳で、第三皇女様〆お願いしますねっ」
「訓練校では第三皇女として振舞うつもりはないのですけれどね……その役目、
困ったように笑みを見せてレンカは立ち上がる。
自然に視線が集中するも、緊張は感じられない。
立場上、人の前に立つことには慣れているのだろう。
レンカはほんの少し考える素振りをとってから、結ばれていた口を開く。
「私は天道レンカ……身分としては皇族、第三皇女に当たりますが、訓練校では皆様と同じ一人の学徒です。どうか、普通に接して頂けると嬉しく思います。複合魔術を得意としています。そして……私の目標は、特務兵と成って都市を脅かす『魔王』を屠ることです。これからの三年間、皆様とは良好な関係を築けることを切に願っております」
丁寧に、しかし強い決意を秘めた口調で言い切り、ゆっくりと腰を折った後に座席へ座った。
しん、と生徒は水を打ったように静まり返る。
教壇に立つエルナだけが腹を抱えて笑って……否、爆笑していた。
俺も彼女の言葉には少しばかり驚いている。
都市の
強大な力で世界を
現に東京で活動する特務兵の数は二桁を超えたことがないそうだ。
そもそも特務兵になれるほどの使い手の絶対数が少なく、『魔王』討伐に失敗すれば待つのは死の結末だけであることも人員不足を加速させている。
血を血で洗う
「あはっ、ふっ、やば、お腹痛いですって……っ。冗談じゃないあたりが最高です。ボクは好きですよ、そういう
復帰したエルナが満足げに言い放つ。
内容が無茶苦茶でも、彼女はレンカを肯定する。
魔術薬学という未知を叶える学問に精通しているからこそ、無理難題へ挑むレンカに近しい感情を抱いているだろうか。
……なんとなく違う気がする。
単純に面白がっているだけではなかろうか。
それと何かを期待するような目で俺を見るのはやめて欲しい。
俺がわざわざ伝える必要なんてないだろうに。
残酷な真実は、誰よりも本人が一番理解しているはずだから。
キーンコーンカーンコーン。
授業時間の終わりを告げる鐘が鳴る。
「おっと、それじゃあ一旦ここまでで。また次の授業時間に会いましょう。それではーっ」
挨拶もなしにエルナは教室を足早に去っていく。
担任がそれでいいのかと、教室中の誰もが同じことを考えた瞬間だった。
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