最後のリーベン

あんちゅー

愛好

 もう感覚はない。


 体を起こすこともままならず、今一体どんな状況なのかも分からない。


 唯一動かすことの出来る右手でそっと触れてみた。


 今にも消えてしまいそうなほど弱々しい体温が心地よい。


 自分自身はすっかり冷たくなっているから。


 言おう、今なら言えそうだから。


 言おう、言おう。


 これが最後・・・だ・・・か・・・ら。


 どうやらそこで私は息を引き取ったみたいだ。



 人の死は突然である。


 個人が個々の終わりを明確に認識する方法はない。


 だからこそ、人は死に恐怖し、それらを回避するための最善手として医学の発達を選んだ。


 それならば、死ぬ間際人はどうなるのだろう。


 人の生きていると認識される条件は意識の有無または生命活動であると考えられる。


 生命活動に関しては明確に動作確認が行える。


 心肺機能が停止していればそれでもう生命活動を行っていないと言えるからだ。


 ということは生命活動の有無で生死を判別可能だろう。


 しかし意識の有無に関していえば、死んでしまっても無くなるし、気絶してしまっても無くなってしまう。


 となると、意識の有無のみで死の判別をすることは難しい。


 けれど、意識のある場合に生きているということは辛うじて言えるだろう。


 つまり前者は生命活動における生死は命題としての真であり、後者は命題としての偽であるということになる。


 しかし、偽とはいえ生きているという判断において意識のある場合には真であるようにも思うが、それは反面死んだ本人にしか分かりえないブラックボックスでもある。


 人間は多種多様な生き物という自負があるであろうが、その場合はそれらについても多種多様と言含めることは出来る。


 そうすると、前述の偽はともかく、真すらも真足りえないということにつながる気もするが、奇しくもここで解決に割く時間は短いのであろう。


 私はもうすぐ光の先へと消えていく。


 体感としての、自身の生い立ちをそれこそ遠ざかるように見て行った走馬灯。

 それは死ぬ間際では無いのかと問われる気もするが、しかし確かに私は死んだのだ。


 これは死後に見る走馬灯ということか。


 まぁ、いい、意識も持つのはここまでだろう。


 意識とは結局ただの身体電気が見せる虚構に違いない。


 この先どうなるのか、私には分からない。



「行って、行きなさい」


「嫌だ、嫌、私は一緒にいる」


「行きなさい!」


 彼女は大きな声で叫び、私の前に割り込んだ。


 こんなふうに声を出していれば見つかるのは時間の問題なのに。


 私達には正常な判断が出来ないでいた。


 それほどまでに緊迫していたのだ。


 こういった状況では一瞬が命取りだ。


 1歩踏み外せばそこは奈落。


 人の生死がこんなに簡単に決まってしまう世の中が、私は酷く恨めしい。


 まるで決まっているかのように、私たちから先の暗闇の向こうで破裂音がする。


 よくイメージしていたのよりはだいぶん軽い撃鉄の音と、跳弾する金属どうしの摩擦の音。


 更に人外の発するそれは大きなあくびのようにも聞こえた。


「どうするのどうするの?どうすればたすかるの?」


「あなたが行けばそれで助かるの!」


「だめ、私はそんなこと出来ない」


 そう、出来ないの。


 一言言うまでは。


 そんなふうに思った次の瞬間だった。


 闇の先から何かが顔を伸ばす。


 それはあまりにも早く、こちらへと向かってきた。


 それは彼女を避けてそのまま私の両足を食いちぎる。


 支えをなくした私はそのまま背中から地面に叩きつけられる。


「あぁ!」


 彼女は声にならない叫びを漏らす。


 私は痛さよりも両足を失うという恐怖と喪失感に苛まれ、また背中から大きくたたきつけられた衝撃から息を上手く吸うことが出来なかった。


「ああ、ごめん、ごめん」


 よく見えないこんな暗闇の中、それでも彼女には何とかわかったらしい、この状況に両膝を着いた。


 あぁ、これで終わりだろう。


 近くに足音が近づいて、引き金を引く音が聞こえる。


 そして間髪入れず、それは彼女の眉間を後頭部から貫いた。


 絶命。


 それだけ。


 最後にもう一度暗闇から伸びてくる首が私の体の半分を食らって行った。


 足音は次第に遠のいていく。


 得体の知れない恐怖も私達には興味を失ったらしい。


「あぁ、あ」


 感覚もなく、膝をついたまま血を流す彼女の頬に最後の力で私は触れる。


 唯一動かせる右手が彼女の消えゆく体温を見送っていく。


 もう少しだった。


 こともなげにそう思った。


 何がもう少しなのだろうか?


 どうでもいいか。


 しかしもう少しだったのに。


 私は息を引き取った。



 これが108回目になるのか、永遠を繰り返しているみたいだ。


 いちいち感じられていた痛みが今はすっかり感じない。


 それは自分を時折この世のものではなかったと思わせる。


 すっかりこの光景にも慣れている。


 色彩を欠いた、私の記憶が連続的な時間のトンネルのように私を運んでいるように感じた。


 そうだ、これは契約だった。


 少なくとも、追われる彼女を救うための。


 結果最終地点は変わらない。


 繰り返すだけだ。


 光に吸い込まれていく。



 その時の彼女の顔はどこか安堵した表情だった。


 お気に入りのバッグに押し込んでいたナイフが深深と突き刺さった目の前の女と、それを目の前で見ていた恋人のあの男。


 様式美を好むあの男は、男としての様式美を照らした結果の最低で低俗な人間だった。


 男を搾った泥を煮詰めたような悪臭のする男だ。


 少なくとも私はそう思った。


 その男は自身の恋人を殺されても冷静そのものであった。


 目の前の彼女を足蹴にして幾度となく腹を踏みつける。


 鈍い音が辺りに響く。


 どうして、どうしてこのまま。


 それはあまりに一瞬だった為に私はそのまま目の前の光景に顔をゆがめて立ち止まっていた。


 男は肩掛けのカバンから拳銃を取り出すと彼女に向けた。


 けれど、それを引き金として契約は履行される。


 突如大きな声で唸り声とともに空に暗い渦が起こる。


 それはみるみる形を得て、何か鋭い歯を讃える獣のような生首となる。


 これが契約の発動だ。


 男はその唸り声に驚き空を見上げた。


 その瞬間私は走り出して、彼女の手を握った。


 近くの大きな水路をおりて、その先のトンネルへと駆け出した。



 彼女は手を離してと叫ぶが、その口を私は必死に塞ぐ。


 恐怖で口が開かなかった。


 言いたいことも何も言えたものでは無い。


 次第に落ち着き始めたのは彼女の方であった。


 私は彼女を支えながら走るので精一杯だったからだ。


 彼女も覚悟を決めて走り出す。


 幾分か走ったところでしかし、足音が聞こえ始める。

 痺れを切らし引き金をならし始めている。


 そして、契約の獣の唸り声が私には聞こえる。


 彼女は、どうやら諦めたようだった。


「逃げて、逃げて!」


「嫌だ、嫌だよ、置いていけない」


「私のことはいいから早く」


「でも」


「バカ!」


 何より大事だと、あなたが大事だと。


 彼女はその場で私に口付けをした。


「わからない、わからない」


 なんで?なの?と彼女はすすり泣き始めた。


 あの人が好きで、あの人が好きだからこそ、私はあの人の恋人を殺したのに。


 何故か今はあの人への気持ちなんてこれっぽっちもない。


「少しだってあの人への気持ちがあったなんて信じられないくらい、あの人のことがどうでも良くなってる。」


 彼女は泣いた。


「私も、私もそうなの」


 私は元々あなたのことが好きだったのよ。


 そう言いかけた時、私たちは足音を聞くことを忘れていた。


「ようやく見つけたよ」


 そんな声とともに火花が散る。


 割れたザクロという言葉は誰が考えたのだろう。


 溢れ出る血がまるで噴水のように吹き出す様はザクロとは程遠い。


 慣れてしまった目は少量の光でもその光景を捉えることが出来た。


 むしろ、彼女が光っているのかと思われるくらいにその様は鮮明に見える。


 その瞬間私は左肩から右脇腹にかけてを食いちぎられる。


 情けなく私はちぎり捨てられる。


 彼女の隣で、そっと腕を伸ばす。


 暖かな血を感じなくなった時、私は死んだ。



 何度目か、もう忘れてしまった。


 すっかり最初の方のことを覚えてないけれど、どうにも過程が変わっているふうに思う。


 結果は変わらないから、意味は無いが。


 短いか長いか、あとは細部の違いのみ。


 いい加減なことを言うかもしれないが、そろそろどうでも良くなってきた。


 本当に私はこんなことがしたかったのだろうか。


 いつも、いつも暗い顔をしていた。


 それでも彼女の普通は有り体な癒しと言って差し支えない。


 私はけれど、不釣り合いだと思った。


 また光が見えた。


 もうそろそろだ。


 痛みを忘れてしまうと体の感覚がなくなっていくと言われている。


 何とか、意識を集中して痛みを作りだす。


 私はもはやそうしなければいけない実態のない意識だった。



 その存在を知ったのは10年以上昔のことだ。


 代々森には番の役目を司る守り人が居た。


 彼らが守るものは、願いを叶える狼人の頭骨だった。


 狼人とは遥昔、人々をいくつも食い殺した狼と人間の女の間に生まれた子供だ。


 その子供は人語を操るにもかかわらず頭が狼の形をし、一方体は人の形を成していた。


 狼人はその容姿とは違い、穏やかであった。


 彼は自身の父が食い殺した人を慈しみ、母とおなじ種族を愛した。


 しかし、人々は彼の父親である狼を憎悪し、母親である人間を嫌悪した。


 その悪意に満ちた感情を全て彼は自身の不徳の現れだと耐え忍んでいた。


 耐え忍び、それでもなお人を愛した。


 そんなところに狼人の噂を聞き付けた騎士が訪れた。


 騎士はなんの躊躇いもなくあっさり狼人を殺した。


 殺した上から体の皮をはいで自身が使える王に献上した。


 王はその騎士の願いをなんでも叶えると言った。


 騎士は言ったそうだ。


「王よ、そしてこの国の民よ死んでくれ」と。


 それはあまりに酷い参事であったという。


 その国の空には黒い魂の渦が出来上がった。


 騎士は狼人の頭骨を媒体にその魂を封じ込めて、森の守り人に託した。


 騎士の目的がなんだったのかは分からない。


 けれど、少なくとも狼人は愛した人間に殺され。愛した人間に恨まれ、愛した人間の憎悪を死した後にも一身にそれらを閉じ込められた。


 長い年月の後に狼人の人々の魂が絡まり合いひとつの呪いが出来上がった。


 それは呪いと契約することであらゆる願いを必ず叶えるものであった。


 叶えるまで死ぬ事が出来ず、叶えられるまで殺され続ける。


 そんな呪いだ。


 私は彼女が好きだった。


 誰よりも好きだった。


 そんな彼女に一言を告げるために私はその頭骨と契約した。



 記憶は常にリセットされてしまう。


 繰り返すその死までの瞬間を、何度か行ってるうちに詳細な流れが変わってくるがそれでも終わりは同じだ。


 けれど、それでもようやくだ。


「愛してる」


 彼女が撃たれるそのほんの一瞬前に私は言って、跡形もなく食われて死んだ。

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最後のリーベン あんちゅー @hisack

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