#40 子は鎹
事務所に入ると少女がいて、夏目は面食らった。肩甲骨くらいまでの黒髪をうなじで一つに結い、淡い水色のワンピースを着た少女が姿勢正しくソファに座っていた。夏目が発したおざなりな「お邪魔します」の声に振り向き、目があった。
「……こんにちは」
「こんにちは。お邪魔してます」
少女ははきはきした声で答え、ぺこりと座礼をした。それから手元に視線を落とした。どうやら読書中のようだ。
夏目は飲み物を取りに行くふりをし、じっと少女をうかがった。依頼人だろうか。おそらく小学生、それも中学年くらいではないか。先にこの部屋にいたということは島崎が通したはずだが、彼の姿はない。
考えるのが面倒になって一度思考を放棄した。彼女をうかがえば、テーブルには何もない。
「何か飲みますか?」
声をかけると、少女はまたこちらを向いた。警戒されないよう、冷蔵庫に入っていたドリンクを掲げる。「オレンジジュースとリンゴジュース、どっちがいい?」
「リンゴがいいです」
「はーい」
グラスに氷を入れてジュースを注ぐと、彼女が寄ってきた。グラスを手渡しすると律儀に小さく礼をし、「いただきます」と言ってから元いた場所に戻った。上品な子だと思った。
自分用にアイスコーヒーを作ったころ、玄関が開く音がした。足音から島崎だと分かった。姿を見せた彼の顔には湿布も痣もない。眼鏡もかけていなかった。会食の日から日が経ち、傷はすっかり癒えたようだった。黒いTシャツに同色のパンツで、文庫本を数冊手にしていた。
「やあ」
「お邪魔してます」
島崎は彼女へ声を掛けた。「
少女が再び寄ってくる。島崎は手にしていた本を彼女に渡した。
「おすすめはこれとこれかな。こっちは小学生には難しいと思う。辞書を引きながら読みな」
「ありがとう」
快活に彼女は礼を言った。島崎は時計を見て言った。「迎えまであと少しあるから、ここで読んでてもいいよ。……この人は俺の仕事仲間の夏目くん。夏目くん、妹の知佳。小学3年生」
いもうと。発せられた言葉に夏目は少々面食らった。
知佳は飲み物を渡されたときと同じ角度で礼をした。「島崎知佳です」
「……夏目拓未です。よろしくね」
愛想の良い返答をしつつ、正対した彼女の顔を眺めた。島崎がくっきりとした二重なのに対して知佳は切れ長の一重でやや面長。畠山桜子のような華やかさはないが、涼やかで優しげな顔立ちをしている。知佳と島崎が並んでいても兄妹とは思わないだろう。ただ、二人とも色白だというのは似ている。
島崎の父は彼が中学生のころに再婚したと聞いていた。年齢から逆算すると、島崎が高校生のときに生まれた異母妹ということになる。大学から一人暮らしをしている島崎からすれば滅多に会わない存在だろうが、兄妹仲は見るところ良好のようだ。
知佳は本についてあれこれ島崎に尋ねている。「お兄ちゃん」ではなく「さとくん」と呼び、島崎も夏目に接するのと同じように――つまりは質問に質問で返したり、適当な返事であったり――彼女に接していた。
迎えが来るまでの1時間、知佳は島崎から受け取った本を読んでいた。夏目も少し話をした。彼女は最近読書にハマっているのだという。隙を見て島崎に自分が作家であることを明かしているのか小声で尋ねたが彼は首を振った。家族では父しか知らない、と島崎は言った。
雇用主の家族団らんのひと時を邪魔している気になった夏目が辞去を申し出たころにインターホンが鳴った。訪れたのはスーツ姿の中年男性で、その顔立ちを一目見て夏目は男性が島崎の父だと分かった。親子はよく似ていた。知佳は母親似なのだろう。
また島崎に紹介されるかたちになり、夏目は彼に挨拶をした。男性は夏目に名刺を渡した。島崎
穏やかな男だった。彫りが深く、笑うと目じりに皺が寄る。夏目の挨拶に「知聡がお世話になっています」と低めの声で応じ、スマートに握手を求めてきた。その姿が様になっていて俳優のようだと夏目は感じた。この人が畠山桜子の実父なのだとすとんと理解できた。
聡一はすぐに知佳を連れて帰るのかと思いきや、島崎が彼を連れだし、しばし二人は隣の島崎の自宅に行った。残された知佳は気にするでもなく本を読み進めるので、夏目も持ちこんだ本を読んだ。ほどなくして二人は戻り、知佳は聡一に連れられて部屋を出た。島崎と夏目にひらひらと手を振り、玄関先で「お邪魔しました」と言うのも忘れなかった。
グラスを片付けてから夏目も帰路についた。聡一と島崎は、何の話をしに隣へ引っ込んだのかと思ったが、そこではたと気がついた。会食の席で島崎にヒントをやったのは他ならぬ自分ではないか。つまり、畠山桜子に近い存在で、島崎とも関係のある人物。それが島崎聡一だ。
きっと島崎は、父に何かを尋ねたのだろう。別のアングルから探る方法を。そこまで考えた矢先、見計らったタイミングで島崎からメッセージが届いた。
『研修旅行に行かない?』
*****
東京から車を走らせて2時間弱が経った。運転をしながら、島崎は夏目にあらかたを話し終えていた。
父が異母妹を連れてきたのはイレギュラーだったことから話した。知佳があの事務所に足を踏み入れたのは初めてで、もちろん異母兄が作家だとも知らないし、謎の遺言配達業をしているとも知らない。継母が私用で遠出しているさなか、断れない急用が入った父が娘の一時預け先にと島崎宅を選んだ。最近は読書に熱中しているという妹のために島崎は彼女が好みそうな作家の本を自宅で見繕ってやり、その間に夏目が訪れたかたちになった。
迎えに来た父を自室へ呼び、いきなり自宅にやってくるのはやめて欲しいと島崎は頼んだ。どのような糸口から自身の正体が知られるか分からない。知佳はまだ9歳だが才気煥発で察しが良い。下手に自室に上げたら異母兄が小説家だと見ぬきそうで、自宅ではなく仕事部屋に彼女を入れた。
父は浅慮だったと詫び、今後は何かあれば外で会うようにすると約束した。その話はそこで終わり、次いで島崎は母について尋ねた。訝しまれるのを危惧したせいか「俺が姉さんに会ったとき、母さんも今の俺みたいに警戒してたのを思い出して」と言い訳じみたセリフが口から滑り落ちた。幸い、彼はそれを不審に思う素振りは見せなかった。
「お父さんとそういう話はしてこなかったんですね」
隣で、途中のサービスエリアで買ったアメリカンドッグを食べつつ夏目が言った。不思議そうな口ぶりだった。彼と亡き母の間には島崎と父母の間にあったような隔たりがなかったことを明瞭に表していた。
「しづらかったわけじゃないが、もう別の家庭を持った人だから」
別の道を歩き始めた人にわざわざ昔の話を聞くのも気が引けたというのが正直なところだった。島崎が今の知佳の年ごろになるまで、家のあらゆることは父が回していた。家事だけでなく、地元自治会の寄り合いの参加までなるべく父がこなした。父方の祖父母が離婚の際にあまりにも母を悪く言うものだから折り合いがやや悪くなったのもある。祖父母は孫息子には甘かったが、孫息子に実母の悪口をそれとなく言う機会も多かった。
祖父母の悪口は、父がのちの再婚相手を連れて来たときから鳴りを潜めた。新しい母は父より一回り以上若く、むしろ島崎のほうが年齢差は近かった。かつての教え子で今は助手をしているという彼女の登場で祖父母は破顔した。島崎はちょうど思春期になろうかというころで、彼女に対して悪い感情は抱かなかったが、彼女がこちらのテリトリーに侵入してくるのがどうにも座りが悪く、塩田泉の店に足しげく通うようになった。今は助手とはいえ、教え子に手を出した父へも一時期は嫌悪感に似た複雑な感情を抱えてもいたが、じきに薄れた。
相手方の両親は結婚適齢期の娘の初婚相手が子どものいる40代男性である点でかなり反対していたらしいが、押し切る形で彼らは結婚し、数年後に知佳が生まれるとわだかまりは解けた。
そんな過程があったものだから、父は長らく元妻・高瀬直江の話をしなかった。島崎も聞かなかった。直江と聡美が亡くなった際も、父はひどく意気消沈していたが、島崎と彼女らの思い出を語り合おうとはしなかった。とはいえ離婚当時は島崎はわずか2歳で、語りあえる思い出がなかっただろうけれど。
「お父さんはどんな話をしてくれたんですか」
咀嚼まじりに夏目が言う。この助手の、人が割とヘビーな話をしようとしているにも関わらず彼自身はどうでもよさそうな態度を取るところを島崎は密かに気に入っている。変に構えられてもこちらの口が重くなるから、どうでもいい話を聞くかのような態度でいてくれるほうが話しやすい。おそらく彼はそれを見越しているわけではなく、ただの自然体だ。そのわりに、聞いた話にすぐ感情移入をする。だから依頼人は夏目相手だと臆面なく話せるのだろう。納得しつつ島崎は口を開いた。
「人となりと、姉を溺愛していたことは聞いた」
母は元から実の両親と折り合いが悪かった。田舎に生まれたゆえに機会に恵まれなかったのを汚点だと捉えていて、実家に帰りたがらなかった。女優の夢は諦めたが観劇は好きだった。信念を曲げず、時には意固地になる性格を父は好意的に捉えていた。両親の血を色濃く受け継いで美しく生まれた娘・聡美を溺愛していた。どこに行っても何をしても聡美を優先して物事を考えていた。新車のナンバーは3103で娘の名だったし、キャッシュカードの暗証番号は誕生日か出生体重だった。感受性を鍛えるために絵本を繰り返し読み聞かせをしており、聡美が読み書きを身に着けるのは早かった。2歳下の弟が生まれると、そらで言えるようになった絵本を読み聞かせてやった。
「で、遺品が茨城の実家にあるはずだって話になった」
「亡くなったとき、お父さんは受け取らなかったんですね」
「離婚してからずいぶん経っていたからね」
「それで、お母さんの実家に向かっているわけですか」
「そう。話はしてある」
「母方のおじいちゃんおばあちゃんと交流はあったんですか?」
「成人するまでは毎年なにか贈られてきたよ」
母は祖父母と連絡を取っておらず、渡米したことも知らなかったし畠山桜子のマネージャーになっていることも知らせなかった。畠山桜子が孫娘だと彼らが気づいたのは亡くなってからだ。だが父・聡一は律儀に折りに触れて島崎の写真を彼らへ送っていた。毎年四月になると図書券が贈られた。その礼に電話をかけ、夏には暑中見舞いを、冬には年賀状で近況を知らせていた。成人祝いで時計を貰った折には父に連れられて彼らを訪れた。その際、成人したのだから贈り物はもう大丈夫だと丁重に辞退をした。次に彼らに会ったのは母の墓参りに行ったときで、四十九日をとうに過ぎ、事故のほとぼりが冷めたころだった。
「祖父母孝行がてらに会いに行くにはちょうどいい頃合いかと思って」
「なんで俺も連れていくんです?」
「人懐こい子のほうがジジババのウケがいいから」
「だと思った」
高速を降り、緑深い中を車は進んだ。遠くの方に山々が連なって見え、絵に描いたような夏の田舎を島崎は文章であればどう表現するかを考えた。
茨城県の北部、栃木県と福島県の県境にある町が母の生まれ故郷だ。滝が有名なのだと夏目に話した。それ以上に詳しい情報は知らない。木漏れ日がきれいな町だと思う。
カーナビに登録された住所に着く。古びた2階建ての家屋は以前訪れた記憶のままだった。「高瀬」と彫られた木製の表札の下にある黄ばんだインターホンを押す。間延びした鐘の音が鳴り、はあい、と祖母の声が返ってきた。
*****
「大きくなってねえ」
「仕事はどうだい」
「お蔭さまで、順調です」
外装はやや古びていたが、リフォームをしたのか内装はきれいな家だった。祖父母のみで暮らしているようだがきちんと整頓されている。そして田舎特有の、あるいは高齢者だけが住まう家特有のにおいがした。
島崎の祖父母は70代くらいで、背はぴんと伸びておりハキハキと喋る人たちだった。祖父は白髪をしっかりとなでつけ、白いポロシャツに濃紺のズボンを合わせていた。祖母は白髪染めをしているのだろう、黒々としたショートヘアだ。淡い水色のシャツにクリーム色のロングスカート。どちらも若かりし頃は美形だっただろうと思わせる面立ちだった。知的で上品な雰囲気があり、島崎の祖父母だと納得もした。
着くなり島崎は夏目を仕事で組んでいるアルバイトだと紹介した。仕事で近くに来たから寄ると話をつけていたらしい。玄関入って左手の和室に通される。続きの和室に仏壇があり、島崎は手を合わせていた。そのあいだ、夏目は彼の祖父母とあれこれ会話をした。暑かったでしょうと冷たい麦茶を出された。島崎も加わると話が膨らんだ。
しばらく世間話が続いた。祖父は先日終わった夏の高校野球の話題を出したが、島崎は見ていなかったようで曖昧に返事をしていた。代わりに夏目が言葉を返すと、祖父は喜んだ。
話が落ち着いたタイミングで、島崎が墓参りをしてくると申し出た。ついでに掃除もしてくるからと言えば、祖父母は喜んだ。いわく、息子は水戸に家を建てたが仕事が忙しくなかなか帰ってこず、二番目の娘は静岡に嫁いで何年も顔を見ていない。高齢者二人だとなかなか手入れが行きわたらないと嘆き、久方ぶりに会ったのに悪いねえと何度も言いながら、手入れに必要そうなバケツやら鎌やらを家屋の隣の小さな物置小屋から引っ張り出してきた。
もうまもなく9月になるといえど外にいると暑くて仕方がない。着替えを持ってきて正解だったと思いつつ、島崎に案内されて家の裏手の道を進んだ。10分ほど歩いた小高い場所に墓地はあった。景色が開け、眼下には集落一帯が見渡せる。近隣世帯の墓もあり、自治会でたまに掃除をしているようで荒れてはいない。
一番奥まった場所に高瀬家の墓はあった。他の墓に比べると雑草が多く、盆に供えたものはカラスに取って行かれたようで残骸が砂利に散乱していた。
「悪いね、手伝ってもらって」
供物をよけながら島崎が言った。キャップを忘れた彼は、大きめのタオルをかぶっている。
「時給が発生してるからちゃんと働きます。島崎さんは休んでていいですよ。運転して疲れたでしょう」
「君にやらせて俺が休んでるわけにはいかないよ」
無心で草をむしる。こういった作業は嫌いではない。キャップを被っていたが汗がこもる。何度か外して汗を拭く。蚊がどこからともなくやってきて、4か所刺された。抜いた雑草を所定の場所に放る。
島崎は散乱した供物を片付け、近くを通る川の水で花立てをゆすぎ、祖母に持たされた花を生けた。夏目はそのあいだにミネラルウォーターの中身を墓にかけ、雑巾できれいに拭った。墓石に刻まれた名を見る。畠山桜子――高瀬聡美の名はない。
「お姉さんは」
「うん?」
「ここじゃないんですね」
「そう。海に散骨したから、墓はない」
「ご本人の意向で?」
「テレビでそう言っていたらしい。事務所の人の強い要望でその通りにした」
沈黙が流れた。墓石を磨きながら夏目はたずねた。
「お姉さんってどんな人でした?」
花立てまわりの雑草を抜いていた島崎は手を止め、タオルで額を拭った。今日も眼鏡をかけていない。自らが畠山桜子の実弟だと知る人物の前では眼鏡をかけないのかもしれない。
「即断即決って人だったな」
「どういうところが?」
「食事に行くとメニューを決めるのが早い。行き慣れた店だったらいつも頼んでいるもので、行ったことがなければ店員におススメを聞いてそれにしていた」
「あんまり冒険しないタイプ?」
「そう。メニュー表を開きもしなかった。迷うと脳のキャパを使うから嫌なんだと」
「なんとなく気持ちはわかるかも」
「好きなものは何回でも食べられるとかで、中華料理店では必ず鶏肉のカシューナッツ炒めを頼んでた」
「チョイスが絶妙ですね」
「ほんとにね。誰に似たんだか」
しばしすると墓は綺麗になった。持参した煎餅を数種供え、線香をあげた。顔も知らない人に手を合わせるのは不思議な心持ちだったが、島崎さんにはいつもお世話になっていますと胸の中で彼の母に語り掛け、いやどちらかというと俺の方が世話をしているかもしれないですと訂正しておいた。
短時間の作業だというのにTシャツが絞れるほど汗をかいた。戻った二人を祖父母は労い、シャワーを浴びるよう勧めてくれた。ありがたく順番に浴び、持ってきた服に着替えた。塩のきいたおにぎりと数種のおかずを出され、夏目は旺盛に食べた。
食事をしながら島崎はそれとなく実母の話題を出した。墓掃除をしながら色々思いだしたのだと話したが、2歳で母と別れた彼にそんな記憶があるのか夏目は訝しさを覚えた。だが彼の祖父母は不思議には思わなかったようだった。
ぽつりぽつりと彼らは娘について語った。成績優秀であったこと、弟妹がおり裕福でもなかったから家から通える場所で働き口を見つけるよう日頃から言っていたこと。水戸市内の大学に受かり一人暮らしを始めたが、仕送りできるほどの余裕はなかった。娘もアルバイトばかりしていて、なかなか実家に帰ってこなかった。東京の会社に就職しても観劇にばかり行っていると話すものだから、嫁の貰い手がいるか不安だった。ところが、大学で教えている偉い人と出会ったから玉の輿だと嬉しかった。
「一姫二太郎で子どもにも恵まれて、良かったねえって喜んでたんだけどねえ」
祖母はそう言い、悲しげに笑った。となりで祖父は難しい顔をして黙り込んだ。
夏目は助け舟を出した。島崎さんも顔が整っているし、おじいさんとおばあさんも美形ですし、お母さんも綺麗だったんじゃないですか。そう言うと祖母は照れ笑いを浮かべ、娘もよくラブレターを貰ってきたのだと言った。
「若いころの写真ってある?」
島崎が問うと、二人は顔を見合わせてから2階へと案内した。少し急でぎしぎしと軋む階段を4人一列で登った。2階は樟脳の匂いが強く、窓から射す日がほこりをきらきらと映しだし、人の出入りが少ないことを表していた。足腰が悪いと上がるのが億劫でねえ、と祖母は苦笑いした。
2階は3部屋あり、一番奥が高瀬直江の部屋だった。6畳ほどの和室で、年季の入った学習机が隅に置きっぱなしになっていた。押入れは開け放たれていて、古びた学生鞄とランドセルが見えた。
本棚に「直江」とタイトルがつけられたアルバムがあり、祖母はそれを抜いてぱらぱらとめくり、島崎に見せた。夏目も彼の肩口から覗きこんだ。セーラー服の女性が二人、ピースサインをしている。左が高瀬直江だとすぐに気づいた。目鼻立ちが島崎とそっくりだった。
「この部屋にあるのは、ぜんぶ母さんが出て行く前のもの?」
部屋を見渡して島崎がたずねると、祖父は「いや」と言い、隅に数箱重ねてあったクリアケースを指した。
「あれは、事務所の人が持ってきた。それで知ったんだよ、畠山桜子が聡美だったのを」
「びっくりした?」
「直江に似てるとは思っていたが、聡美だとは思わなかった」
衣装ケースを見、島崎は言った。「これ、中身見てもいい?」
「いいよ。俺たちは手をつけてない。持って帰りたいものがあれば持って帰りなさい」
ゆっくり見るといいと言い置き、彼らは先に階下へ戻った。夏目は改めて部屋を見渡した。アルバムが挟まっていた本棚には、色あせた文庫本が何冊も挟まっている。森村誠一、司馬遼太郎、三浦綾子といった面々の著作。当然ながら藤原雅之の著作は一冊もない。壁には往年の男性アイドルのポスターが貼られている。誰なのかも分からない。時の止まった部屋だと夏目は思った。
島崎はクリアケースに積もった埃を払い、蓋を開けた。
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