#18 血は水よりも濃い
仕事の内容は、簡単な盛りつけと配膳、接客だったと思います。
未経験だと言っていましたが、おぼつかないながらも懸命に覚えようとしていて、母は気に入っていたそうです。
母も最初は、「詐欺師だったらどうするんだ」なんて父と口論になっていたみたい。でも、働きぶりを見て気持ちを改めて、優しく接していました。
お給料は週ごとに手渡しだったのかな。茶色い封筒を父が菊池さんに渡すのはいつも定休日前の月曜夜で、火曜日にはお菓子を買ってくれました。
ふみちゃん、お菓子食ったら歯みがくんだよ、って優しい声で言われた覚えがあります。
母屋に物置きとして使っていた部屋があって、菊池さんはそこで寝泊まりしていました。朝は早く起きてきて、母の代わりに私を起こしてくれたこともありました。
なんで忘れてたんだろうなあ。ふみちゃん朝だぜ、学校に行かにゃいかんよ、って、どこの方言だったかなあ。
居候だからって掃除もやってくれて、私はいつも自分がやることになっていたお風呂掃除をしなくて済んだからか、菊池さんにすっごく懐いていました。掃除するうしろを、ちょこちょこついて回って歩いたりして。
勉強も教えてもらいました。ひまなとき、菊池さんは木材を切りだしたもので人形を作ってくれました。もうどこに行ったか分からないけど、紙やすりでピカピカに磨かれた人形の、つるつるした感触は覚えています。
生まれ変わる気持ちでいないといかんよ、と父はよく菊池さんに言ったそうです。 叱るっていうより、言いふくめる感じのニュアンスで。
菊池さんも、面倒くさいお客さんの相手もしたし、常連さんの好みも覚えようとしていました。他人の家に居候して気を遣って、覚えることがいっぱいで、きっとすごく大変だったと思います。逃げ出すことも潰れることもなくて、いつもあの穏やかな笑顔のままで頑張ってくれていました。
常連さんのなかには口の悪い人もいて、菊池さんに、あんたその年でこんなことしていていいんかね、みたいな意地悪を言う人もいました。
菊池さんは気にせず黙々と働いていました。その姿勢が気にいったのか、三か月くらい経ってから、ぽつぽつとドライバーさん伝いに菊池さんを紹介してくれる動きがあって。
近場もあれば、かなり遠方の会社もあったんですけれども、紹介された会社には必ず応募していたようです。稼いだお金で新しくスーツを買って、閉店後に父や母と残って面接の練習をしたり。
私は、それがごっこ遊びに思えて、菊池さんにお話ごっこをしようとせがんで、インタビューのまねごとをしたりしました。
好きなお歌はなんですかと聞いたら、ふみちゃんの「手のひらを太陽に」が好きだな、と言ってくれたので、よく歌ってあげていました。ときどき、一緒になって歌いました。
半年経つか経たないかのとき、常連さんの知り合いの知り合いに東京の運送会社に勤めている人がいて、その人が足を悪くして車を降りることになって後任を探している、と話を持ってきました。
菊池さんはすぐさま応募して、車で何時間もかけて東京まで面接を受けにいって、めでたくそこに決まりました。
誕生日でもないのに夕ご飯にごちそうが並んで、ケーキも食べて、なにがめでたいのか分からないけれど、私もすごく喜んで。……確か、夏の終わりごろです。ヒグラシの鳴き声が、開け放した窓から聞こえてきていたから。
顔なじみになっていた人たちも喜んでくれて、祝い品を持ってきてくれました。なんでみんなプレゼントを渡すのか分からないでいる私に、母が「菊池さんはお仕事が決まったから、もうすぐバイバイなんだよ」と言いました。
もうすっかり家族の一員だと思っていたので、やだやだと駄々をこねて押しいれに閉じこもって泣いていました。事情を聞いた菊池さんが、いつか私がやったようにアライグマのぬいぐるみにティッシュを持たせて、私の鼻水を拭いてくれました。
彼が家を去るまで、私は母の手伝いをいっぱいしてお小遣いを貯め、赤いタオルを買いました。
なんで赤なんだろう、って思っていたけれど、たぶん「手のひらを太陽に」の歌詞から思いついたんじゃないかな。真っ赤に燃えるぼくの血潮、ってやつです。
最後の日に、首にかけてあげました。菊池さんは泣いてくれて、私もつられて泣いた気がします。この写真は、泣きやんでから父が撮ったそうです。
父は、いつか恩を返しに来ますと言った菊池さんに、「なんもいらねえから、今度はあんたが誰かを助けてやりなよ」と声をかけました。
東京に出て、しばらくのあいだは手紙や電話のやりとりもありました。休みの日に、訪ねてきてくれたこともありました。
ですが、中越地震が起きまして。店も家も大きな被害を受けて、取っておいた手紙がどこかへ行ってしまって。そこから、菊池さんに連絡を取る手段を失ってしまいました。
でも、菊池さんを就職先に紹介したドライバーさんが家を訪ねてきてくれました。トラックのなかに必要な物資を積んできてくれて、「菊池さんがほうぼう回って集めてきてくれたんだよ」と言ったそうです。
父が礼をしたいと言っても、恩を返しただけだと言って
それから少しして、届けてくれたドライバーの方が病気で亡くなられてしまって、とうとう彼がどこで生きているかを知るすべがなくなってしまいました。
店は再建のときに移転して、別のインターチェンジのそばに構えました。お互いに連絡が取れないかたちになり、菊池さんも忙しくなったんだろう、便りがないのはいいことだからと両親は納得していたみたいでした。
思いだすと懐かしくなってしまって。すみません。
そうか。菊池さん、亡くなったんですね。
もう一度会いたかったなあ。
元気ですって伝えたかったです。歌も歌ってあげたかった。タオル、使ってくれていたんですね。持っていてくれたんだ。あれからずっと。
そっかあ。会いたかったなあ。
なんで私、忘れていたんだろう。
あんなに懐いて一緒にいたのに、どうしてだろう。
*****
ひとしきり話をして、森文香はハンカチで涙をぬぐった。思い出を口にするたびに情景が目に浮かぶのか、声が詰まり、嗚咽が漏れることもあった。通りすぎる客はこちらのテーブルを気にするそぶりを見せたが、無関心を装って素通りしてゆく。
隣の夏目がつられて目を赤くしていることに島崎に気づいていた。
なにかにつけて辛辣な
話を聞きながら、俺が二人を泣かせたように見えないといいのだが、とも考えた。
ハンカチを目に押し当てながら森がたずねた。
「菊池さんは、どうして亡くなったんですか。ご病気ですか」
「おそらく病死ですが、突発的な発作かもしれないし、持病だったのかもしれません」
「……島崎さんは、会ったんですよね」
「会いました。ただ、まだお元気だったころの話です。彼の死は官報で知りました」
「官報……」
つぶやく彼女に、夏目に見せた官報のページを差しだした。
食いいるように文面を読んでいく彼女の瞳にみるみるうちに水が張り、こぼれ、紙にしみが浮かぶ。ハンカチでまぶたを押さえ、嗚咽交じりに彼女は言った。
「誰にも看取られずに、一人で……」
しゃくりあげて泣く彼女に、お気の毒です、と言葉を紡ごうとして、口を閉じた。
何が気の毒なのか。一人で孤独に死んだこと? 孤独に死ぬことは可哀想なのか。満ち足りた思いで死を迎えたのなら、たとえひとりであっても、決して可哀想という言葉で表現すべきではない。
菊池宗助の最期は誰にも分からない。突如起こった発作に
いまなおこうして生きている自分が、
「これは、公園でボランティア活動をしているときに、彼からあずかりました」
ホームレスに関する取材を手伝っているうち、彼と出会い、流れで自分のしている副業を話した。世間話のひとつに過ぎない。
誰かお手紙を残したい人がいたらあずかりますよ、と、わりかし軽い気持ちで告げた。
『もう、いま、どこに住んでるか分かんねえんだけどなあ』
苦笑する彼に、名前が分かれば調べてみますと言い、森文香の話を聞いた。
訥々と彼は身の上を語り、自分がこうして今も生きていられるのは、あのときあの場で森文香が歌を歌ってくれたからだと言った。
『親父さんにもおふくろさんにも世話になった。んでもなあ、死ぬのはよしとこう、って思ったのは、ふみちゃんの歌を聞いたからなんだよなあ。汚えおっさんのために一生懸命に歌ってくれて、どうともないことのはずが、涙が出るほどうれしかった』
込みあげるものがあるのか、彼は涙を流し、持っていたタオルで雑にぬぐった。
『つれえなあ、って思うときは、このタオルを見る。ふみちゃんの声を思いだして、あそこから生まれ変わってきたんだから、ってもうひと踏んばりする。死ぬまで忘れねえ恩だよ。死ぬまで俺はこのタオルを持ってるよ。あの世まで持ってく』
丁寧に手入れされ、過ぎる月日をともにしてくたびれた部分のあるタオルを、菊池宗助は大事そうに見つめていた。
会う手段すらない少女、自分のことをとうに忘れたかもしれない少女が、自分のために小遣いを貯めて買ってくれた1000円程度のそれを、彼は大事に扱っていた。
叔父と合流してからも、彼の話は続いた。叔父は彼の境遇に思う部分があったのか、途中から了承を得て彼の言葉を録音していた。
恩人一家は地震の被害に遭ったと聞いた。仕事が立て込んで新潟まで飛んでいくことはかなわず、代わりに必要な物資を知人にあずけ、届けてもらった。
半年のあいだ世話になった者としてはまだまだ恩を返す心づもりでいた。何度か店の会った場所を訪れたが、店は取り壊されており、彼らがどこに居を移したのか分からずじまいだった。
つぶさに震災の情報を追っていたので亡くなってはいないことだけは分かっていたが、彼らとの唯一ともいえるつながりであったドライバー仲間が急死し、とうとう手がかりと呼べるものもなくなった。
神様を信じるつもりはないが、なにかの巡り合わせなのかもしれないと思いはじめた。受けた恩を施してくれた人に返すのではなく、別の誰かに優しくしてあげなさいというお告げなのかもしれない。
馬鹿げた考えだが、そうも思わなければ彼らと連絡が取れなくなったことをいつまでも嘆き、気落ちしてしまうと思った。
ボランティアに登録し、公園の清掃をするようになった。貯めた金のうち
感謝されることもあれば、同情しているのかと言われたこともある。自己満足でやることではないと諭されたり、彼らを堕落させるだけだと批判されたこともある。ただ、なにもせずに自分の身だけを養っているだけのほうが、よほどつらかった。
自己満足と言えば自己満足で、自分の気持ちを落ちつけるためにやっているに過ぎない。本心から彼らのためを思っているというよりは、自分が受けた恩に報いた気持ちになって安堵できるだけの話だ。
なにかを求めているわけでもない。座りが悪いからこうしている。ボランティア仲間には、感謝されることがやりがいだという人もいるが、正直な話、自分は感謝などされずともかまわない。
自分も一つ道を
あのときあそこで歌を歌ってもらわずに、ただ食事を終えただけであったのならば、自分はすでに山中で骨になっていたかもしれない。
あくる日、公園を訪れた島崎を見るや菊池氏は近より、一通の封筒を差しだした。
『俺ぁ学がねえから字は下手くそだけどよ、気持ちはちゃんと込めたからさ。俺がもし死んだときは、独り身だから誰にも気づかれねえかもしれねえけどさ、もしあんたが、なんかの拍子で俺が死んだのを知ったら、ふみちゃんに届けてくれねえかなあ』
頼むよ、と肩に置かれた手は、皺が刻まれた分厚い、労苦を幾度も乗り越えてきた手だった。
島崎は、契約書を彼の代わりに書いた。
依頼人、菊池宗助。受取人、森文香。
受取人との続柄の欄を空白にして次の事項を埋めたそのとき、なんとも言い表せぬ苦く重い感情が彼の胸を
他人。森文香と菊池宗助は、赤の他人。
人生そのものを変えた間柄であっても、血縁においてはなんの関係もない。
他人。その一単語が、どうしようもなく残酷な響きをもって島崎の心に突きささり、流れでたものは奥底で
血縁とはなんだろう。それを考えるとき、島崎の頭に浮かぶのは実姉・実母だった。最後の姿を見ることも、骨となった彼女らを拾うこともできなかった。
姉は、とうとう自分の作品を読んではくれなかった。ドラマなら見たよ、映画なら見たよ、アニメは見たよ、と告げる彼女に、原作を読めとたびたび呆れ声をあげた。
覆面作家をしていることを実母にも継母にもひた隠しにしていたが、姉には打ちあけていた。彼女の口から周囲に漏れれば
思い返せば、いま自分の横で依頼人と受取人のために涙を流している、平時は少し生意気な部分のあるアルバイト。
彼に初めて依頼人から聞いた話をしてやったときも、同じような感覚をいだいた。水に押し流されるようにするりと、口から言葉がついて出た。
話していると不思議と言葉がついてくる。それは彼の生まれついての特性かと思っていたが、意外に本質は別のところに潜んでいたのかもしれない。
島崎は打ちよせる感情の波と言葉をいっさい表情に見せず、胸のうちに去来する言葉を注意深く観察しては、眼前の彼女の涙がとぎれるときをひっそりと待ち続けた。
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