#15 袖振り合うも他生の縁




「せっかく来ていただいたところ申しわけありませんが、お時間をいただいてもいいですか」


 すまなさそうに森は詫び、深くこうべを垂れた。

 島崎は手を振り、とんでもない、と応じる。


「ご両親は覚えておられるのかもしれませんし、いちど時間をおいて考えてみるのも手かと思います。ああ、写真があるのでお見せしますね」

「お願いします」


 島崎はスマートフォンを繰り、菊池氏の写真を見せた。

 黒いキャップに水色のポロシャツ、黒のジャージズボンという出で立ちの菊池氏は、カメラに向かって微笑んでいた。照れているのだろう、眉尻が下がっていた。

 首にはトレードマークだという赤いタオルが巻かれている。長年使い込んでいるもののようで、写真ごしでもずいぶんくたびれているのが見てとれた。

 朴訥ぼくとつや素朴といった言葉がふさわしい面立ちで、柔和な印象をいだいた。孫やひ孫に囲まれて老後を楽しんでいる好々爺に見えなくもない。

 ただ、六十代という実年齢よりは年上に見受けられた。直面した艱難かんなん辛苦しんくの数々が、彼をそう見せるのかもしれない。官報でも、彼の年齢は七十代くらいと書かれていた。

 じっと見入っていた森は、ややあってから力なく首を振った。


「……思いだせません。両親なら分かるかも。写真をお借りしてもよろしいですか」

「構いません」


 Airdrop機能で彼女に写真を送信したのちに、島崎は「そういえば」と話題を変えた。


「CMの案は、どういった経緯で思いついたんですか」

「えっと、なにかきっかけがあったわけではなくて、パッと頭に浮かんだんです。どうしてだか、自分でも分からないのですが」

「そうなんですね。菊池さんはあなたに助けてもらったと言っていました。もしかすると、誰かを助けたり助けられたりしたご自身の経験からなのかと思いまして」

「……先ほどおっしゃられたと思いますが、私の実家は、インターチェンジのすぐ近くで定食屋をやっているんです。長距離ドライバーや観光客の方に美味しい郷土料理を食べてもらおう、ってコンセプトで。

 でも父が、常連さんから『近くにコンビニがないから困っている』という話を聞きつけてすぐに、ちょっとした食品や日用品を仕入れて売り始めました。寒さのきびしい日にはホッカイロを無料で配ったり、お惣菜があまりそうなときは、残っているお客さんにパック詰めして分けてあげたりもしていて」


 森は故郷に思いを馳せるように、窓の外を見つめた。


「なんで利益にならなさそうなことばかりするんだろうって思ったし、父に言ってみたりもしました。父は父で、『いつか別の形で返ってくるもんだ、こういうのは』とどっしり構えていて。そのうち、近隣に似たような飲食店がぽつぽつとできて、呑気な商売をやっていたらお客を持っていかれるんじゃないかとヒヤヒヤしていました。

 けど、常連さんがほうぼうで店の話をしてくれて、いろんな方に愛されて、いまでも店を続けることができています。父の言ったとおり、やったことは別の形で返って来て、何かしらの形でみんな誰かの力になっているのかもと思うようになりました。それで、『善意はめぐる』というタイトルが浮かんだのかもしれません」


 窓の外にやっていた視線を、森はまっすぐと島崎にうつした。


「島崎さん。私がどうしても思い出せず父と母が覚えているとき、お手紙をいただいて父と母に読んでもらうことは問題ありませんか」

「大丈夫です。秘匿義務はありませんので、お渡ししたあとはご自由に」

「分かりました。……でも、せっかく私に宛てて書いてくださったんだから、思いだしてみせます」

「保管期限などはありませんので、なにかあれば名刺の番号までご連絡ください。今日はお忙しいところありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」


 森は必死に思いだそうとしていたが、最終的には自らの記憶をたぐることを諦め、両親に聞いてみると言った。

 そのうえで遺言状を受け取るかどうか決めると言い置いた。去りぎわ、会計をどうするかで森と島崎のあいだに問答があったが、島崎が会計票を手放さず、彼女は恐縮して礼を述べて店を出ていった。


「思いだせるといいですね」

「どうだかね。菊池さんですら覚えているかどうか分からないと言っていたから」

「保管料はどうなってるんですか、期限はないと言ってたけれど」

「取材に応じてもらったからタダで受けた。森さんが思いだせなくて、座りが悪いから受けとらないと言っても別にかまわない」

「島崎さんの家で保管するだけだから?」

「弊社では、おあずかりした遺言状はすべて銀行の貸金庫で厳重かつ丁重に保管しております」

「わあ、安心だ~」


 喫茶店の窓から、さっそうと歩いていく森の背中が見えた。頭が少し下がっていて、菊池氏のことを思い出すべく考え込んでいるのだろうと夏目は思った。

 午後は松川と会う予定があるという島崎は会計票を持って立ちあがる。

 財布を取りだすも、経費で落とすから、と制された。経費で落ちるならもっと高いものを頼めば良かったと、アルバイトとしてあるまじき考えがよぎった。


「世の中が善意で満ちていればいいのに」


 喫茶店を出、伸びをしながら言う。

 ぞんざいな手つきで釣銭を財布にしまった島崎が目を細めた。


「ずいぶんロマンチックなことを言う」

「言いたくもなります。こんな世の中、誰かに優しくすることだって難しい」

「見返りなしに人になにかするハードル、上がったよな。ネットが発達して情報は手に入るが、景気は悪く貰える金は少ないうえに税金は高い。手元に残る金が少ないなかで人のためになにか出来る人はよほど裕福か、それこそ善意に満ちた人か」

「島崎さんは人のために何かしたこと、ありますか」

「寄付ぐらいかねえ。ボランティアには行ったことがない。君は?」

「俺は逆に、ボランティアなら。寄付はしたことないです。募金くらい」

「いいんじゃない、まだ学生だし。人になにかをしてあげられるってのは、それだけでひとつの才能だと思うよ」


 事務所に戻る道すがら、島崎はタイレイフーズのCMを見たいと言い、夏目はYoutubeにアップされているものを流してやった。運転する彼に、音声だけで内容が伝わるか心配だったが、杞憂だった。

 CMは音声だけでもきちんと内容が理解できるように構成されており、あらゆる層に届けたいという作り手の強い意思を感じた。


「いいCMだね」聞き終えると彼はうんうん頷いた。「メッセージが分かりやすい」

「でしょう」

「俺はこの方面に明るくないけれど、ずいぶん研究して作られたってのは分かる」

「この発想が森さんのアイディアだっていうから、すごいですね」

「彼女、この先は発案者としてけっこうメディアに出るんじゃないか。係長クラス、あるいは若い女性の意見も尊重する風通しのいい会社っていうイメージが作れる」

「戦略的だなあ」

「戦略を考えないと売れないのが現代社会ってもんだろ」島崎はトントンと指でハンドルを叩きつつ言う。「パンチの効いた要素がないかぎり、よほど分かりやすいものじゃないと売れない。最近のテレビCMはそうじゃない? なんの宣伝をしているかよく分からないけど絵面が面白いとか、設定がユニークだとか」


 言われるまま考えてみれば、確かにそう思えなくもない。

 携帯会社のCMは昔話をモチーフにしたり、不思議な構成の家族を扱っていたりするし、パッと見ただけではなんのCMか分からず、最後の最後で企業ロゴが出てくるものもある。

 島崎はひとりごとのように続ける。


「CMもだけど、音楽や小説もそう。分かりやすいタイトルか、キャッチーなりか。音楽は配信サービスの影響でイントロが短い方が売れるって言うし、ライトノベルはあらすじかよってくらいタイトルが長いほうが売れる。いまの時代、情報があふれすぎていて、ひとつひとつ吟味する時間が惜しい。でも中身を見てからガッカリするのは癪だ。その結果、パッと見てパッと決められる材料がそろっているものが優位にたつ」

「……小説を書くときも、そういうことを気にしているんですか」

「書きたいテーマはあるけれど、映像化を念頭に置いて書いたのもある。勧善懲悪で登場人物が分かりやすい。なおかつ一巻ごとに話は完結していて新規読者を取りこみやすく、説教がましくない程度で教訓を入れている、って感じに」

「そこまで考えて書くのなら、執筆のペースも考えればいいのに」

「『言うは易く行うは難し』って言うだろ。俺の頭ん中じゃ毎回締め切りに余裕で間にあってるんだ。でも現実はそうじゃない。なんて不思議なんでしょう」

「そういうのは『絵に描いた餅』と言うのでは?」

「夏目くんってさあ、人懐っこいわりに言うことは容赦ないよな」

「島崎さんに心を開いているから、つい率直な言葉が出てきてしまうんですよー」

「なんで棒読み?」


 マンションの駐車場には松川の車がすでに停まっていた。

 げ、と分かりやすく不満の声を漏らすさまからして、この様子ではまだ原稿が仕上がっていないのだなと察する。

 運転席でスマートフォンをいじっていた松川はこちらに気づいてにっこりと笑い、小さく手を振った。

 合流すると早々に、島崎は指を二本立ててみせる。


「二時間以内で終わります。飯食って待っててください」

「分かりました。夏目さんは? このあとのご予定は」

「特に何もないです」

「一緒に食事でもいかがですか。おごりますよ」

「じゃあ、遠慮なく」


 料理をして食べるのも、出前を取るのも外食するのも、なんとなくひとりだと味気ない。

 誰かと食べたほうが食事はおいしいなどという世間で言い尽くされている言葉の真意を、夏目はこのところ身をもって実感していた。タイレイフーズの合わせ調味料にも大変世話になっている。


「では島崎さん、いつものお店で待ってますので」

「分かりました、終わったら行きます」


 島崎がエントランスに入っていくのを二人で見送り、彼のあとをついてマンションの敷地を出た。


「近くなんですか、いつものお店っていうのは」

「はい。五分くらいですかね。昔ながらの喫茶店で、島崎さんの親戚の方が経営しています」

「あ、叔父さんですか。ジャーナリストをしているっていう」

「聞いていましたか。そうですよ。ご夫婦で経営していて、店主は奥様のほう。島崎さんのお父様の妹に当たります」

「叔父さんっていうのは、義理の叔父さんなわけですね」

「そういうことです」


 喫茶店は、大きな通りから二本外れた道沿いに構える雑居ビルの地下にあった。

 薄暗い階段をくだり、狭い廊下の突きあたりにその店はあった。「café&BAR Demian」と書かれた古ぼけた黒い看板がイーゼルに立てかけてある。


「喫茶店というより、バーみたいだ」

「夜はバーもやっています。営業はその日の気分で、今日はやっている日ですね」

「気まぐれなんですね」

「叔母さまがね。ちなみに、島崎さんが読書をするようになったのは、叔母さまの影響だそうです。それが高じて、書くほうに」

「じゃあ、島崎さんが小説家になるきっかけになった人?」

「そうとも言えます」


 いったいどんな人なのだろう。

 松川が黒いドアを手前に引いた。からんからんと鐘が鳴る。

 中からピアノの音色が漏れ聞こえ、柔らかな淡い光が目に入った。


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