#14 情けは人の為ならず
約束の時間より、かなり早く着いた。高層ビルが立ちならぶ都心の街は、誰もが
ビルのひとつに入り、二階の喫茶店に腰を落ち着けた。受取人とは十一時に会う約束を取り付けている。
ソファ席に案内されてから、受取人が正面に座るならば自分は島崎の隣に座ったほうがいいか、受取人がくるまでは正面に座ったほうがいいか悩んで、正面に座した。
「身に覚えがない人からの遺言状の配達に、よく応じてくれましたね」
「気さくな人だったのも大きい。『よく分かんないけどいいですよ!』ってOKしてくれた。
「
「いい人でしょ」
「うん。今もなにかと気にかけてくれて」
当初、母の担当に名乗りをあげてくれたのが神崎琴美弁護士だった。まだ元気だった母は、彼女の名刺を眺めては「すっごい良い人だったなあ。話も弾んじゃってさ」と述懐していた。
神崎弁護士は大神源太郎氏が所長を務める法律事務所に所属し、事務所の立ちあげ当初から籍を置いている。
母と彼女は境遇が似ていた。夫と離婚し、女手ひとつで一人息子を育てている。当人同士の年齢も近く、息子同士は一学年違い。事務所で彼女と顔をあわせた際にはなにかと話が弾み、あれこれ語りあったと楽しげに話していた。
母は彼女をたいそう気にいったが、それゆえに担当弁護士になってもらうことを断った。似た部分が多いから、彼女がつらくなってしまうのではという母なりの思いやりだったと夏目は感じている。源一郎先生が担当となってからは顔をあわせることも減ったが、母の葬儀には駆けつけてくれた。その後も、一人暮らしとなった夏目を気にかけては連絡をくれる。
彼女は離婚訴訟と企業法務を得意分野とし、受取人の所属する株式会社タイレイフーズの顧問弁護士も務めている。受取人への連絡も彼女を通したおかげで、変な業者だと怪しまれることはなかった。
「CM、有名ですよね。タイレイフーズ」
「へえ。あまりテレビ見ないから分からない」
「広告関係の大きな賞を受賞してます。代理店主導じゃなくて企業側がすじがきを細かく指定したのが話題になってました」
「詳しいね。夏目くん、大学の専攻はそういう分野なの」
「なにを専攻してると思います?」
「質問を質問で返すなよ」
「島崎さんの真似ですけど。……このまえの日曜、朝の番組で特集してました」
株式会社タイレイフーズの主力商品は冷凍食品や合わせ調味料であり、メインターゲットは一人暮らし世帯と共働き世帯。一人前の合わせ調味料数種をアソートパックにした商品が話題となり、またたく間にシェアを広げた。
続いて打ちだされた商品も、コンビニで手に入る材料で五分以内に作れるという手軽さを前面に宣伝し成功をおさめ、いまではCMを見ない日はない。
さらに、「手抜き」は決して悪いことではないとアピールするコマーシャル戦略、手間を極力まで減らしたレシピを積極的に発信するSNS戦略が功を奏し、
最近では総菜パンの開発をはじめ、安価ながら栄養バランスのとれたパンを続々と世間に送りだしており、こちらはトレーニングやダイエットをしている層に受けている。
商品開発や広告宣伝の部署は女性の比率が高く、いっぽうで試作やレシピ考案には男性社員や新入社員が積極的に割りあてられ、料理の得意不得意の別に問わず、中年から若年層まであらゆる層のニーズをとらえようとしている。
勢いに乗る大企業の舵を取る社長は現在四十代。阪神・淡路大震災で被災した経験をもち、多くの人からの支援に報いるべく、就任後は慈善事業や被災地支援、備蓄用食料の開発に力を入れている。
その企業理念に惹かれる就活生も多く、番組内では数年前の豪雪で故郷が孤立した折にタイレイフーズの支援に助けられたという男性が、この春から新入社員として働いていると紹介されていた。
夏目の言ったCMには、「善意はめぐる」というタイトルがあった。
タイレイフーズのこれまでの支援の歴史を振り返りつつ、支援を受けた人々のその先を描いている。
避難所で炊き出しを受けた学生が警察官を志し勉強する姿、豪雪で立ち往生していた人が近所の除雪を手伝う姿、家を流され避難所に身を寄せていた女性が別の災害でボランティアとして働く姿が映される。
親切と優しさを受けた人は、別の場所で違う誰かに同じことをし、善意はめぐる。タイレイフーズもその巡りゆく善意のうちのひとつでありたい、といったふうなメッセージで締められる。
そこまで説明すると、島崎はホットコーヒーを飲みつつ「そりゃすげえなあ」と感嘆した。
「タイレイが寄付や支援をするたび、『さすが俺たちのタイレイ』ってネットで称賛されてます。一種の合い言葉というか、歌舞伎のかけ声みたいな感じのノリで」
「
「ああ、まさに。……依頼人の菊池さんは、受取人の、えっと」
「
「森さんに、自殺しようとしたところを助けられたんでしょう。そしてその菊池さんは、東京に出てホームレスの支援ボランティアをしていた。ここでも善意は巡っている。いい話ですね」
「受取人が慈善事業を推進する会社の社員ってのも、巡りあわせなのかねえ」
「小説が一本書けそう。書いたらどうですか」
「顧客に関することを勝手に書くのもねえ。誰か書いてくれないかな」
「俺には無理です」
「だろうね。夏目くん、本読まなさそうだし」
「島崎さんの本は読んでますよ」
「へえ、どうだった」
「まだ最初の二十ページくらいなんで、なんとも」
「それは『読んでいる』とは言わない。『読みはじめた』と言う」
「そうとも言います」
島崎がなにか言おうと口を開いたのを、「早く着きすぎましたかね」と話の矛先を変えて封じた。彼は小さくため息をつき、左手首のスマートウォッチを確認した。
「まだ十五分ある」
「森さんが自殺未遂を止めた経緯を聞いてもいいですか」
「いいよ。ざっくりと説明すると」
二十年ほど前、勤めていた運送会社が業績悪化により倒産。身ひとつで放りだされ、菊池宗助氏は途方にくれた。
すぐに再就職先が見つかるかと思いきや、社長がほうぼうに迷惑をかけての倒産だったせいで、近隣の同業にはことごとくそっぽを向かれた。妻との仲も冷えこみ、ほどなくして離婚。
貯金を切りくずす生活を続けつつ就職活動に精を出したものの、四十代という年齢がネックになって、なかなか見つからない。
景気がじりじりと後退し、第二次平成不況とも呼ばれていた当時。消費税が上がり個人消費は冷えこみ、先ゆきが見えぬ日々が続く。
結婚後に建てた家を断腸の思いで手放してもなお、生活は苦しいままだった。
六畳間のアパートでひとり
道ぞいの景色を眺めながら車を走らせ、どうやって死のうか、首を吊ろうか練炭を使おうかと思いなやんでいた。
新潟県へ入ったあたりで雪が降りはじめた。途中のサービスエリアで夜を明かしたが、一晩のあいだに雪は驚くほど積もり、走り出してすぐに立ち往生してしまった。
ようやく車が動けるようになったころには精神的にも肉体的にも限界が訪れていた。
自分の人生はなにをやってもどうせダメなのだという気持ちが押しよせては牙をむく。運転する気力も
わりにさびれていて、小高い丘や森が望める土地だった。
雪景色がとつぜん幻想的に見え、あの森のなかで眠れば凍死できるのではないかと、視野のせまくなった頭は考えをまとめた。
最期にあたたかいものを食べたいと欲し、近くの定食屋にはいった。そこで受取人の森文香と出会い、すんでのところで自殺を思いとどまった。
「……こんなところかな」
島崎はそう締めた。夏目は、じとりとした目を彼に向ける。
「肝心の『なぜ自殺を思いとどまったのか』と、『受取人とどういうやり取りをした』のかが抜けているようですが」
「まあ、そのへんは想像力を働かせてもらって」
「推理小説で殺人現場の描写がないのに犯人を特定できると思いますか」
「この話を殺人事件にたとえるのは不適切じゃないかな。……お」
島崎が入り口に目をやった。つられて夏目も身体ごと後ろを向いた。
スーツ姿の女性がきょろきょろと店内を見回している。島崎が軽く手を挙げると、女性は会釈してこちらに近づいてくる。彼女に席を譲るべく、夏目は通路に出た。
「森さんでいらっしゃいますか。島崎です」
「そうです。お待たせしてしまい、申しわけありません」
「いえ、まだ時間には早いですし。こちらこそ、お忙しいところお時間をいただき恐れいります」
島崎はマスクを外し、にこやかに挨拶をした。夏目も礼をする。
森と島崎は名刺を交換した。名刺を持たない夏目にも彼女は丁寧なしぐさで名刺を渡してくれた。彼女の肩書は、宣伝部係長とあった。
夏目がいた席に彼女は座り、島崎が席を詰めてふたり並ぶ。
二十年ほど前に小学生だったということは、高く見積もっても三十代前半。夏目には係長という役職がどれほど偉いのかがはかりかねたが、目の前に座る森文香氏からは、はきはきとした仕事が出来る人という印象を受けた。
耳を出すスタイルのショートボブは若々しさや初々しさを彼女に与えるが、所作のひとつひとつは丁寧で洗練されている。何度もビジネスの場面を経験してきた人だとすぐに分かった。
落ち着いたトーンで、文の区切りや発音をしっかりと意識した発声はアナウンサー顔負けだった。にこりと笑むと頬にえくぼが浮かび、こちらまでつられて微笑んでしまうような明るさと
彼女の注文したコーヒーが届くまで、島崎は雑談を振った。
仕事を抜けてくるのは大変ではないのかという問いに、彼女はちょうど新しいCMの制作が山場を終え、落ち着いた時期なのだと答えた。
「新しいCMというと、以前から話題の?」
見てもいないくせに、まるで以前からのファンのように島崎は振る舞った。
こういう大人は世のなかに沢山いるだろうから、振る舞いや言動だけを見てだまされないようにしようと夏目はひっそりと心に誓った。
「はい、あれの続編です。なるべく早くに地上波に乗せたいと思っていて、急ピッチで最終チェックを進めています」
森の言葉に、夏目は口をはさんだ。
「いいCMですよね。このまえテレビでやっていた特集、見ましたよ」
「ありがとうございます。嬉しいです」彼女が笑み、その頬にえくぼができる。
「番組で取りあげていた新入社員さん、宣伝部配属でしたよね。部下のかたですか」
「そうなんです。頑張ってくれていますよ。新商品の試作にも一生懸命で、
「新しいCMでまた魅力が発信されたら、もっと応募者が増えそうですね」
「そうだといいなあ」それから彼女は、はにかんで言った。「自慢になっちゃうんですが、あのCMは、私が考案したものが骨子になっているんです」
「そうなんですか? 企業主導で作ったんですよね。内容とか、ナレーションの内容まで」
「よくご存じですね。企業の宣伝部がそこまでやる必要はないですよって代理店のかたに言われたのですが、どうしても譲れなくて」
「次のCMも、森さんの案が?」
「はい。一部署の係長に過ぎない私の意見が取りいれられたのは素直に嬉しいし、責任も感じます。完成が楽しみです」
ウェイターが彼女のまえにコーヒーを置いていく。
夏目は森と少しのあいだ、CMの話をした。おもに夏目が感想を言い、森は聞き役に回っていた。ひとしきりCM談義に花を咲かせてから、時間を割いてくれている人に本題と関係のない話をしたことに思いいたり、慌てて頭を下げる。
「すいません、お時間を取ってくださっているのに、CMの話ばかり」
「いえいえ。視聴者さまの感想を生で聞けて、とっても嬉しいです。次のCMもぜひ、よろしくお願いしますね」
彼女が社交辞令などでなく本心から喜んで聞いてくれていたのが幸いだった。
話を促すように島崎を見やると、彼は契約書を取りだし、説明を始めた。
「依頼人の菊池宗助さんは、ご存じですか」
「いえ、残念ながら。二十年前ですと、私は小学生ですし」
「そのようですね。ご実家の定食屋さんに一時期出入りしていた方のようです。アルバイトとして勤務した経験もある」
彼女は記憶をたぐるように腕を組み、
「ごめんなさい、本当に覚えていません。……でも、私に手紙を書いてくださった」
「ええ。亡くなられたあとは、森さんに渡してほしいと依頼を受けました」
「知らない方からのお手紙ですので、おいそれと受け取るわけには……けれど、菊池さんという方は、私宛に、その手紙を……」
事実をかみくだくように、彼女は区切りをつけて言った。自らに言い含めるようでもあった。
「はい。まぎれもなく森さん宛です。受け取ったあと、見ずに捨てても構いません。遺産相続や金銭に関わることが書いていないのは保証します」
森は必死に思い出そうとしていた。だが、覚えている方が難しいというものだ。
菊池さん、赤いタオルのおじちゃん、おじちゃん、赤いタオル。
ちいさく何度もつぶやき、うんうん首をひねる彼女を、島崎も夏目もじっと見守った。けれども、どれだけ彼女が記憶の奥底まで手を入れてかき回しても、それらしき人物に関するエピソードが指先に触れてくることはなかった。
彼女のために手紙を書いて、彼女は命の恩人で、彼女のおかげでボランティアをするようになって、それでも彼女は自分のことを覚えていない。
夏目は、覚えていなくても渡してほしいという手紙に、なにがつづられているのかに想像を巡らせた。
皺だらけの手で懸命に字を書きつらねる菊池宗助の、丸まった背中を想像した。
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