ある身元不明者の手紙

#13 人間万事塞翁が馬



「依頼人は、いつ亡くなったんですか」

「たぶん、半年前くらい」

「たぶん?」


 車を走らせる島崎は、助手席で怪訝な表情を浮かべる夏目に、後部座席のかばんをあけるよう言った。

 彼は今日、いつもの黒いリュックではなくビジネスバッグに近いものを持参していた。シートを倒し身体をひねって後部座席から引っ張りだし、透明のクリアファイルを取りだす。A4サイズの紙が一枚入っている。

 一見、新聞かと思ったが違った。似た体裁ではあったが、「官報かんぽう」とある。


「新聞、じゃないですよね」

「官報って知らない? 簡単にいえば国の広報紙。休日以外は毎日発行されてる。ネットでも見れるよ」

「国からの通知が載ってる?」

「そう。一番重要な役割は法令の公布かな。あとは国会の議事日程に公務員の人事異動、閣議決定の内容、皇室関係のもろもろ」

「その官報と今日の依頼になんの関係が?」

「まあ、話は最後まで聞けよ。官報にはいま言ったような公文こうぶんのほかに、公告も記載されるわけ。アドバタイズメントの広告じゃなくて、おおやけに告げる、のほうね。入札公告とか、裁判所からの破産公告とか。そのなかに、地方公共団体からの公告も含まれてる。具体的には、行旅こうりょ死亡人しぼうにんに関する公告」

「コウリョシボウニン?」

 耳慣れない言葉だった。島崎は指先で漢字を書くそぶりを見せる。

「行動のコウ、旅行のリョ、それに死亡の人、って書く。行き倒れて亡くなった人を法律上そう呼んでる。本人の名前か住所が不明で、遺体の引き取り手がいない人……右下にあるだろ」


 見れば、確かに「行旅死亡人」と太くしめされているスペースがあった。

 最初に記載されている内容を、夏目は読みあげてみる。


「『本籍・住所・氏名不詳、年齢20~30歳の男性、身長168cmくらい、中肉、着衣は長袖Tシャツ、長ズボン、黒色スニーカー。上記の者は、平成30年10月4日午前11時ごろ、北海道○○市××の公営団地B棟前倉庫内において、ロープで首を吊って死亡しているのを発見されたもの。身元不明のため遺体は火葬に付し、遺骨は保管してありますので心当たりの方は当市生活福祉課まで申し出てください』」


 最後に、日付と市町村の首長名で締められている。


「そんなふうに、年齢に性別、身体的な特徴、あと遺留品があればその内容、亡くなっていた場所と状況、遺骨をどこで保管しているかが記載される。いまのみたいに遺骨を保管している場合もあれば、納骨まで済ませていることもある。それを見た血縁者が申し出るのを待つわけだ。……今日の依頼人は、そのつぎ」


 右折すべく専用帯に車は進入した。ウィンカーのかっちん、かっちん、という独特の音がリズムを刻む。夏目は続く内容を黙読した。


『本籍 不明、住所 東京都武蔵野市○○町○丁目○○番○号 コーポ○○101号室、氏名(自称)菊池きくち宗助そうすけ、推定年齢70歳位、男性、身長170cm位、やせ型、頭髪白髪交じり、着衣は青色半袖Tシャツ、黒色ジャージズボン、首に赤色のタオル 上記の者は、平成30年10月5日に上記住所室内六畳間畳上で、倒れている状態で発見されました。身元不詳のため遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。保管期間経過後は合葬いたします。心当たりのある方は、当市健康福祉部生活福祉課まで申し出てください。』


 独居老人の病死、という言葉が浮かぶ。島崎はいましがた、依頼人は身寄りがないと言っていた。


「この方が、今回の依頼人」

「うん」

「どこで会ったんですか」

「公園。菊池さんは、よくホームレスの人たちに日用品や食料を提供していてね。俺が叔父の手伝いで取材に行ったときに出会った」


 島崎は、叔父が自営業のかたわらでフリーのライターをしていると話した。

 都内のホームレス問題に関心を持った彼は島崎に助手を頼み、東京オリンピックの開催決定に伴い徐々に開発が進行する街と、その裏で居どころをなくしていくホームレスたちの苦境、彼らを取り巻く就労問題を取材して記事にしたという。


「菊池さん、どんな人でしたか」


 行旅死亡人の文面を見ながらたずねる。身体的特徴や年齢、性別。最低限の情報のみにとどまる文章からは、男性の素性は分からなかった。


「穏やかで人のために尽くす人って印象。地元の企業に勤めていたけれど、会社が潰れてしまって家を売る羽目になって、離婚も経験したと言っていた。四十代で東京に出て、退職するまで小さな物流会社でドライバーをやったそうだ。ホームレス支援や炊き出しのボランティアを始めたのはこちらに来てからって言ってた。

 あまり人付き合いの得意そうな人じゃなかったな。愛想がないわけじゃないが、輪の中心にいる感じでもない。饒舌でも寡黙でもなくて、話をしているうちに徐々に言葉が口を出てくるタイプ、っていえば伝わる?」


 夏目の中で描かれていた、官報でつづられていた特徴を持つ老齢男性が島崎の言葉で肉づけされていく。

 長年ボランティアに従事してきた物静かな男性の姿が明瞭に浮かんだ。

 節くれだっていながらも力強い、皺の刻まれた手を夏目は思い描いた。

 彼が手を差し伸べてた相手を思い描いた。彼がひとりで部屋に横たわり、黙してゆくさまを思い描いた。彼の魂がこの世を離れ、その死が明らかにされるまで続いた部屋の沈黙と、彼の手が温かさと柔らかさを失っていくのを静かに包みこむ仲秋の空気の温度を思い描いた。


「……誰が、亡くなっているのを見つけたんでしょう」

「更新時期になっても連絡がつかないのを不審に思ったアパートの管理会社の人。親類縁者を辿れなくて、遺骨の引き取り手がない」

「元奥さんはダメなんですか」

「いま現在血縁者じゃない人が遺体を引きとるのは原則NGなんだと。それに、別れてからすっかり疎遠になったって言ってたし、連絡がついても可能性は低い」

「……『保管期間経過後は合葬いたします』ってあるけど、どれくらい?」

「五年って聞いたことがある。自治体によるかも」


 島崎は、彼のような死を迎えるものは少なくはないと言った。

 彼は取材を通じてホームレス問題や孤独死に興味を持ちいくつか書籍を読んでおり、分かりやすく夏目に説明してくれた。


 生涯未婚率の増加や核家族化の進行で、一人暮らしをする老人は増えた。六十五歳以上の男性で約百九十万人、女性で四百万人という統計が出ている。一九八〇年代は男女合わせて九〇万人に満たなかったのに比べると、その数は膨れあがっている。

 誰にも看取られずひとりで亡くなる「孤独死」は東京二十三区に限れば年間で四五〇〇人おり、この数字を全国基準に当てはめれば年間約三万人にのぼる。

 単純計算で一日約八十二人、一時間に三人以上が、日本のどこかで誰にも知られず、たったひとりで死を迎えている。

 この三万人という数字には、高齢者のみならず若い世代で一人暮らしをしている者なども含まれているが、やはりと言うべきか、若者の方が早期に発見される。

 反面、会社勤めを終えた高齢者は発見が遅れがちである。

 そして孤独死を迎えた約三万人のうち、千人ほどは名前さえ判明せず、ひっそりと公営の無縁墓地に埋葬されていく。


「自治体でも孤独死対策に乗り出しているところは多いけど、いかんせん数が多い。これからはもっと増えるんじゃないか」

「せめて、家族の元に戻れたら良いのに。……こんなシンプルじゃなくて、もっと詳しく説明すればいいじゃないですか」

「官報に載せるのもタダじゃない。だいたい二十字くらいで一行だろ。その一行につき千円近くかかる。ただでさえ役所は無駄をなくせとせっつかれてるんだ、詳しく書いたところで『死んだ人間に金をかけるなんて無駄だ』って怒るやつが出てくる」

「……なんだかな」

「なにが引っかかる?」 島崎は生徒に疑問点を聞く教師のようにうながした。

「なんというか、その」

 口ごもり、自分の心のうちを表現するにふさわしい言葉を探す。「あっけないというか、冷たいというか。事務的な感じがして」


 母の通夜と葬儀の様子がよみがえった。大きな斎場にはたくさんの弔問客が訪れ、悔やみの言葉を述べ、焼香をした。多くの人に見送られた母と、ひっそりと亡くなり、荼毘だびに付され、引きとり手なく保管されている人たち。

 同じ国に生き、同じ国で死んだのになにが違いを生み出してしまったのかと思いたくなる。行旅死亡人たちのなかにも、その死をいたみ、骨になる前にひと目でいいから会いたかったという人がいたのではと、思わずにはいられない。


杏子きょうこさんを見送ったときのこと、考えてる?」

 島崎は信号待ちの間にナビを操作し、なんの気なしに言った。たいして気を遣うそぶりのない言いかたが、かえってありがたかった。黙って頷いた。

「……死ぬことひとつ取っても、なんでこんなに差が出るのかな、と」

「……宮澤喜一って誰だか知ってる?」

 だしぬけに島崎が問いを投げかけた。むっとして答える。

「元首相でしょう。それくらい、俺でも知ってます」

「じゃあ、彼の葬儀はどこで行われたかは知ってる?」

「さあ。都内の斎場じゃないですか」

「残念。正解は日本武道館です。政府から約七七〇〇万の予算が投じられました」

「……ななせんななひゃく……」

「かたや孤独死して火葬され引き取り手なし。かたや政府の予算で大々的に葬儀。『天は人の上に人を造らず』とか言うけど、どうだかねえ」


 立場も責任も違う。元首相とあれば国葬になるのだから、国の威厳を保つためにも大々的に行う必要がある。

 納得しうる理由はあった。だからといって、やすやすと納得はできなかった。

 考えれば考えるだけ、言いあらわせぬ思いが深まる。気が滅入りそうになり、小さく首を振った。


「……亡くなっていたのは、ご本人で間違いないんですか」

「役所で遺留品を確認させてもらった。間違いなく本人」

「遺留品? どんな?」

「官報に、『赤色のタオル』ってあるでしょ。菊池さんはいつも首に巻いていた。『死ぬまでこうするんだ、俺は』って言っていたな。彼に世話になった人らも「赤タオルのじいちゃん」って呼んでいたくらいだった」

「その菊池さん、なんで受取人に赤の他人を指名したんですか。受取人も覚えてないかもしれないんですよね」

「受取人にとっては赤の他人。でも、菊池さんにとっては恩人」

「いったい、なにがあったんです」


 車は駅の近くのパーキングに入った。機械から吐き出された駐車券をサンバイザーにはさみ、島崎は言った。


「二十年くらい前、自殺しようとしていたところを受取人に助けられたんだそうだ。受取人は、当時小学生」



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