#10 能ある鷹は爪を隠す
「これ、とは」
「藤原雅之は、島崎さんです」
小説家。
人となりから想像もつかなかった職業に開いた口を閉じられないでいると、男性アナウンサーはフリップ片手に藤原雅之に関する説明を始めた。
現代社会を風刺する社会派小説、弁護士を主人公にした本格法廷ミステリーシリーズ、ウーバーイーツの配達員目線で社会問題に切りこんだ短編集、近未来を舞台にしたクライムサスペンスと、立てつづけにヒットを連発。
法廷ミステリーは映画化、短編集は連続ドラマ、クライムサスペンスはアニメ化と続々と映像化が進んでいる。とりわけアニメは深夜帯の放送にも関わらず回を経るごとにファンを増やし、一気に彼の名を世に広めた。
今回ベストセラーランキングで二か月連続一位を取ったのは法廷ミステリーシリーズの最新作で、すでに映画化も噂されている。
デビュー前後を通じて表舞台に姿を現すことはいっさいなく、法廷ミステリーの三作目はその完成度の高さから直木賞を獲るのではと目されていた。しかし実際はノミネートそのものを辞退している。ノミネートや受賞となると世間に顔を晒すことになるからではというのが大方の見かただった。
Youtube動画では市販のパペットを用い、ボイスチェンジャーでトーンを変えた声で話している。
動画の一部が流される。ダックスフントを模したパペットがそこそこドスの効いた声でファンタジー小説のレビューをしている様子はいささか不気味にも映った。
パペットをしている腕は長袖で、ゆったりした服を選んでいるせいで骨格から性別を判断することさえ難しい。
エッセイや寄稿で私生活について触れることはあれど、住環境や出身については言及を避けており、徹底して覆面作家のスタイルを貫いている。
すでに多数の根強いファンを獲得しており、作品背景や文体の特徴から年齢や性別を探ろうとする者も多い。
幾人かのファンが映り、「文体が硬めだから、中年男性」「意外に女性かも」「もしかしたら学生なのでは」と三者三様の考えを述べている。
「……本当に、島崎さんが?」
「本当です。作風とご本人のお人柄に
松川の言葉はそれとなく失礼に聞こえたが、このさい夏目は気にしない。
「なんで正体を隠すんですか」
「理由はきちんとあります。もう、夏目さんは気づいているかもしれません」
茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべて言う松川の目じりに、笑い皺ができる。
首をかしげ、隣の部屋に続く壁を見つめた。本当に彼が藤原雅之という小説家なのか? 母が大好きで作品を集めていた、あの? だとしたら母は知っていたのか?
番組が書店員へのインタビューに切り替わったタイミングでスマートフォンを手に取り、藤原雅之のウィキペディアを検索して読み始める。
夏目、という単語があって一瞬びくりとしたが、なんのことはなく、彼が夏目漱石に影響を受けていると書かれているだけだった。
サイン会を開いたことはないが、書店に掲示するサインをしたためる動画をアップしている、という記述を見、Youtubeに切り替えて該当動画を確認する。
最初はパペットにサインペンを握らせているふうだったが、次第に疲れてきたのか、途中からパペットの存在を無視して装着したまま通常の筆記の要領でサインペンを握り直していた。そのあたりの適当さや、見え方を気にしないところはどことなく島崎らしさがある。
ウィキペディアに戻る。厳格に覆面作家であることを貫き、映像化作品の撮影現場に足を踏み入れたことはない。担当者とビデオ通話で現場の様子を送ってもらうにとどめ、試写会もすべてオンライン参加。ダックスフントのパペットを使うか、背格好すら分からない着ぐるみ姿で現れ、ボイスチェンジャーを使って話す。
人気が出たころに週刊誌記者が本人を特定しよう嗅ぎ回った時期があったらしいが、本人がブログで「自分の個人情報が明るみになった時点で断筆し、引退する」と表明した。
すでにいくつもの人気作品を抱えている身であったため、週刊誌や正体を探ろうと躍起になっている一部ファンに批判が殺到し、以後、正体解明についてはタブーとされている。
ネット上では、特定を試みた週刊誌版元が大人気シリーズの刊行を手掛けている社であったことに言及されており、利権が絡んでいるから手を引いたのだとか、さすがに版元は正体を知っているだろう、とか、そこまで隠すのならば前科者なのでは、とか、いや既にデビューしている作家が名義を変えているのだとか、実はあのお笑い芸人なのだ、とか、覆面作家なのは自演なのだ、といった憶測がいくつも飛び交っていた。
「……母が、ファンだったんです」
「では、知らないあいだに好きな作家と対面していたのですね」
「ええ。読むたび、どんな人かを予想していて」
私が思うにさあ、この藤原雅之って名前はブラフだよね。名前からして、なんとなく中年男性を想像させるじゃない? あえてそうしてるんじゃないかな。取り上げるテーマは重めだけど、感性は若い気がする。Youtubeも割と手慣れてる感じするし、なんかね、いってても三十代半ばじゃないかな。もしかしたら拓未と同じくらいの大学生かもよ。どう思う?
彼女の言葉が思い出された。その言葉に、自分がどう返したのか思い出せない。
確か、ドラマのエンディングテロップを見ながら言っていたはずだ。自分も見ていた。原作小説は読んだことがなかった。
藤原雅之の正体は二十代半ばの男性で、質問すると質問で返してくるタイプで、よく分からない副業をしていて、人を食ったような掴みどころのない性格で、仕事の催促から逃れるために俺をおとりにして浴室に隠れるような人です。
心のなかで母への言葉をつむいでみるも、あまり彼の良い部分を強調できなくて笑いそうになった。
テレビ画面では大ファンだというコメンテーターが彼の作品の良さを語り、人となりを予想していた。
真面目かつ几帳面な性格で、ひとつの仕事をとことん極めるタイプの、地方在住で子どものいる五十代半ばの女性、と彼は自信満々に言い切った。
それだけ細かく予想しておいて一つも当たっていないのは逆にすごいと思った。
なぜ、そこまでして正体を隠したいのだろう。
なぜ、遺言配達の仕事はやっているのだろう。
島崎知聡という男の謎がますます深まり、その謎を解明したいという好奇心も同時にわいてくる。
直接そのわけを聞いてみたい。そう思ったとき、玄関ドアが開く音がした。自然と居住まいが正しくなる。なんだか、飼い主が散歩に行くのを悟った犬のように思えて、我ながら笑みがこぼれる。
「あ、早いな」松川はビスケットを口に放りこんで時計を見やった。彼が部屋を出てから一時間半ほどが経過していた。
「松川さんは、原稿の回収で来たんですか」
「そうです。いくつか直してもらう箇所がありまして。……夏目さん、念を押すようですが、島崎さんの正体についてはくれぐれもご内密にお願いしますね」
「もちろんです。ファンの人たちをがっかりさせたくないですから」
島崎の人となりを知ったら、思い描いていた人物像とのあまりの違いにファンが嘆くのではという意図をこめた夏目の言葉を、松川は、正体が露見し彼が断筆することで続きを読めなくなるファンが出ては困る、という意にとらえたらしく、相好を崩して礼を言った。
「僕もファンのひとりです。ひょんなことから正体を知って、彼を説きふせて弊社に所属してもらい、窓口になることを名乗り出ました。ちょっとした自慢です」
「大好きなんですね」
「ええ、作品が」
「島崎さんは?」
「催促せずとも原稿を出してくれれば、大好きです」 松川は営業スマイルを浮かべてみせた。
「お待たせしました」
紙の束を手に島崎が部屋に入ってきた。ラフなスウェットに着替えていて、マスクも外している。松川は束を受け取って中身をあらためた。
「大丈夫です」
「良かった。あー、よく働いた」
「二時間もしてないでしょうに」
「今日は副業が忙しかったから」
「なるほど。ああ、情報番組で特集されてましたよ。その流れで夏目さんにもお話をしました。お母さまがお好きだったとか」
「うん、何かの拍子でその話になったのを覚えてる」
「あの」ここぞとばかりに会話に割りこむ。「母には言ったんですか、自分が藤原雅之だって」
「どっちだと思う?」
笑っていなされる。
この人絶対に底意地が悪いタイプだと夏目は強く思い、松川も呆れたような目線を彼に送った。二人ぶんの視線を受け、島崎は苦笑いを浮かべる。
「冗談だよ。気になるなら、杏子さんの本棚を覗いてみたら?」
そう言って彼は下を向き、着ていたスウェットの袖で眼鏡のレンズを拭き始めた。そのぞんざいな手つきに、大人気作家の影はまったくない。信じろというほうが難しいくらいだった。
質問をしても、なかなか望む答えが返ってこない。なかば意固地になって続ける。
「なんで覆面作家を貫くんですか」
「えー? 顔を出したくないから」
「どうして」
「さあ、どうしてでしょう」
からかうような声音に、腹の底でふつりとなにかが沸く思いがした。
だが、その沸きかけた感情は、顔をあげた彼の顔を見た瞬間に消し飛んだ。
「どうしてだと思う?」
眼鏡を外し、マスクも取った島崎の顔を、夏目はそのとき初めて目にした。
同時に、彼の顔を見たときからずっと抱いていた既視感の正体を悟った。
素顔の彼は、若くして不慮の事故で亡くなった女優・畠山桜子とそっくりだった。
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