本質と偏見
#9 灯台下暗し
「取り立て屋ってどういうことですか、入ってきたんですけどあの人」
「暗証番号教えてあるからね」
頭の中にハテナが飛びかう。島崎は彼に金を借りているのだろうか。金に不自由している人には見えないのだが。
インターホンに映った男は島崎くらいの年齢で、服装もまともだった。そういった仕事をしている人間には、とても見えない。
何がなんやらと困惑している夏目をよそに、島崎は「夏目くん、俺はいないって言っといて」と勝手なことを言いのこし、浴室に引っこんだ。
ばたばたばた、と浴槽の蓋を閉めるとき特有の音が続く。もしや、浴槽のなかに身を隠したのか。
俺に何かあったらどうしてくれるんですか、と声をかけようと口を開いた瞬間に部屋のインターホンが鳴った。浴室に目を向けるも、彼が出てくる気配はない。
掴みどころがない、マイペース、質問には質問で返してくるし、割と自分勝手で、隠れ場所の選定が小学生並み。
自分の雇い主はあまり信用できないのではないか。夏目の頭に不信感がもたげる。
仕方なく、チェーンをかけてからそっとロックを外した。
数時間前にもチェーンをかけて見知らぬ来客を迎えたな、と思った。
何かあればすべてを島崎のせいにしようと強い決心を込めて多少やけぎみに開けたのもあってか、ドア前にいた男はその勢いに驚いて「おぉっ」と声を上げた。
「あれ? こんばんは」
男は島崎が出ると思っていたのか、夏目を見てややまごついた様子を見せた。
ビジネススーツに紺のスプリングコート。アクセサリーの類はつけていない。身なりは清潔感があり物腰も柔らかだった。取り立て屋と称される存在とはかけ離れた印象だった。
怪訝な顔でこちらを見ている男を前に捻りだす言葉が思いつかないでいると、相手が先に問いかけてきた。
「島崎さんはご在宅ですか?」
「……どちらさまでしょう」
「うーん、それは僕のセリフでもある」
男は困ったように笑った。目じりに皺が寄って、人の良い雰囲気を深めた。
もしかしたら、取り立て屋というのはなにかの比喩かもしれない。
夏目の頭にそんな考えが浮かぶ。
「僕は、島崎さんの仕事の受取人です」
「ああ、遺言配達の」
「はい」 仕事内容も知っている。そこそこ親しい仲に違いない。男への不信感が一気に崩れ、いっぽうで適切な説明をしなかった島崎への不満が膨張する。
「ちなみに島崎さんは、いま……」
「……居留守使って風呂場に閉じこもってます。入りますか」
ぶすくれた顔と声で言うと、男はにっこり笑った。
「ぜひ、入れていただけるとありがたいです」
ロックを外して迎えいれる。彼はありがとうございます、お邪魔します、と軽く一礼をして入ってきた。玄関先で同じ目線になって、彼が自分と同じくらいの背丈で、つまりは島崎より十センチかそこら低いのだということが分かった。
彼は室内に入りこむなり迷いなく浴室へ足を向け、浴槽の蓋を開いた。
「見ーつけた。遊びは終わりです。お仕事の時間ですよ」
「……夏目くん、いないって言うように頼んだでしょ」
「島崎さんより、この人のほうが信頼できそうだったから」
「さらっと酷いこと言うね」
「信頼できるほうの味方をする主義なんです」
あーあ、と子どもじみた声を上げて島崎は浴槽から出、リビングに向かった。男がその背に向かって声をかける。
「まだですよね? できるまでお待ちしています」
「できるかなあ」
「できるかな、じゃなくて、やるんです。弱気にならない」
「分かったよ。あ、でも夏目くんを家まで送っていかないと。もう五時だし、急いで帰りたいよね」
島崎は同意を求めるようにこちらを振り向いた。
どことなく、仕事を先延ばしにしているダメな大人を見た気分になって、「いえ、特に急いではいません」と口から言葉が出た。
「だ、そうですよ。ちなみに最寄駅はどちらでしょう」男の問いに答えると、彼は「でしたら僕が帰りに送っていきましょう。じゃあ島崎さん、なるべくお早めにお願いします」と有無を言わさぬすばやさで提案と指示をした。島崎も観念したように頷く。
「了解。……一時間くらいで終わらせる。夏目くん、悪いけど待ってて。部屋にあるものは適当に飲み食いしていいから。テレビも見ていいし」
「はあ」
「じゃ、お待ちしています」
はーやだやだ、と大きめな独り言をつぶやき、島崎は部屋を出て行った。
どこに行くのかと思ったが、すぐに隣室のドアが解錠される音がした。隣りあった二部屋を借りているらしい。
そして夏目は、会って数分もしない男と部屋に置きざりにされた。
島崎は男に自分を紹介することもなければ、夏目に男のことを説明するでもなかった。社会人としての立ち居振る舞いこそしっかりしているが、世間的な常識だとか気遣いだとかいう面について、彼にあまり期待しない方がいいかもしれない。
そう考えていると、男が気を遣ってか「すみませんね、巻き込んでしまって」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ全然。家に帰ってもやることないですし」
「僕のことは、島崎さんからなんと聞かされていますか?」
「取り立て屋って言ってました」
「取り立て屋」 反芻した男は声をあげて笑った。「ものは言いようですねえ。当たらずとも遠からずではありますけど」
「島崎さんの本業関係のかたですか」
「そうです。本業がなにかは聞いていますか?」
「いいえ。副業の方をこれから手伝うつもりではあるんですが」
「遺言配達のお手伝い?」
「そうです」
「失礼ですけど、おいくつですか? 学生さんかな?」
「
「そうなんですか。……立ち話もなんですし、座って話しましょう。飲み物を用意します」
「ありがとうございます」
勝手知ったる、というふうに男は振る舞った。リビングに入って荷物を置き、軽く腕まくりをしてキッチンに立つ彼を夏目はぼうっと見ていた。
男はシンクのマグカップを洗って水切りかごに入れ、真後ろの食器棚からグラスとコルクのコースターをふたつずつ取りだし、氷を入れて緑茶を注いだ。菓子盆をどこからか取りだし、食器棚の下部、観音開きの扉を開いてファミリーパックの菓子を数種選んで盛り、トレイに乗せてテーブルまで運ぶ。
そして、テレビ台の下からスマートフォンの充電器を取りだし、自らのそれと繋いだ。
一連の動作はこの部屋の
「よく来られるんですか、ここには」
「ええ、ここで待つことが多いですね。……先ほどの話に戻りますが、夏目さんはどういった経緯でお手伝いをすることに?」
今日あったことを簡単に説明した。
母が亡くなって一週間経ち、なるべく自立しようとアルバイトを探していた。自宅に島崎が訪れて遺言状を渡された。たまたま居合わせた弁護士の先生から彼の身分を保証され、アルバイトをするなら島崎の助手はどうかと提案された。午後、配達の仕事に同行して仕事内容を見、手伝いをしたいと申し出て今に至る。
彼は口を挟むでもなくひとしきり聞き役に回り、話し終えるとまず、母への悔やみの言葉を丁寧に述べ、ポケットから名刺入れを取りだした。
「すっかり申し遅れました。僕はこういうものです」
受け取った名刺を、両手で持ち、じっと見つめる。
「株式会社ビッグ・ブラザー マネジメント事業部
「芸能事務所ですか?」
「ええ、モデルやYoutuberのマネジメントもやっています。良く言えば発展途上、悪く言えば超弱小で、知名度の高い会社ではありません。島崎さんに初めて名刺を渡したときなんか、『マネジメントやる会社がこの名前はダメでしょ』と笑われました」
「……どうして?」
「ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説を読んだことは?」
「ないです」
「もし興味があれば読んでみてください。ウケ狙いでつけるにしても縁起の悪い名前だと分かります。弊社の社長は良くも悪くも常識に囚われない人でして」
へえ、と分かったふうな分かってないふうな相槌を打ってから、小野邸に向かうまでの車中で島崎と交わした会話を思いだした。
「島崎さん、俺の質問に芸人でもモデルでも俳優でもないって言っていたんですが、もしかしてYoutuberですか?」
「そうでもあります。Youtuberも副業です。弊社ではYoutuber業のマネジメントと、本業の仕事依頼窓口を担当しています。僕は言うなれば、彼のマネージャーですね」
Youtuberが副業、遺言配達も副業。では本業は何だ。
質問を重ねようとしたが、松川のスマートフォンが着信を告げ、かなわなかった。失礼、と断りを入れて彼は廊下に出ていく。
しばらく待っていたものの、断続的に話し声が聞こえ、すぐに戻ってくる気配はなかった。手持ち無沙汰になってテレビをつける。
夕方の情報番組が芸能ニュースを流していた。大物芸能人夫妻に第一子が誕生したニュースを、春らしい色あいのブラウスを着た女性アナウンサーがにこやかな笑みで読み上げている。
「続いてのニュースです。……突然の死去から丸二年。多くのファンが花を
打って変わって悲しげな表情を浮かべたアナウンサー。画面下部に『死去から丸二年 事故現場にファンが黙祷』と表示される。流す順番が逆のほうが良かっただろうに。内心、ささやかな意見を申し立てる。
当時人気絶頂だった演技派若手女優・
都内の道路の一角が映された。事故現場付近に有志のファンが許可を取って設置したという献花台に、色とりどりの花束が置かれていた。その多さに、今もなお彼女の人気が衰えていないことがうかがえた。
畠山桜子は母の好きな女優でもあった。亡くなったときには出演作品を引っ張り出して見返しては「まだ26歳でしょう、若すぎるよねえ」と肩を落としていた。母が、自身を
母は、畠山桜子の凛としたたたずまいやハキハキした受け答えを気に入っていた。彼女は大御所女優の若いころにそっくりだとたびたび言及されており、老若男女問わず人気があった。二〇一二年のデビュー以来、破竹の勢いで映画・ドラマ・CMに出演を続け、数々の賞を手にした。
それだけに、彼女の非業の死は大きなショックをもたらした。ニュース速報が流れるとすぐにSNSやネットニュースで彼女の死が拡散され、夜の情報番組は急きょ生放送で現地の様子を伝え、報道はしばらく尾を引き、多くの人がその死を悔やんだ。
献花台の映像が切り替わり、彼女が最後に主演を務めた映画のワンシーンが流れる。画面に映っている彼女も、彼女を好きだと言っていた母もこの世にいない。
なにを見てもけっきょく母の死が近く感じられて、なんとも言えない空虚が夏目の胸にわきあがる。
今でも信じられません。何かの拍子に、ひょっこりと出てくるんじゃないかと思ってしまいます。
畠山桜子とは祖母と孫ほど年齢が離れていそうな、しゃんと背を伸ばして糊のきいたシャツを着た老齢の婦人は、白いハンカチで目もとの涙を拭いながら答えていた。
母の死からここまで、まったく同じことを感じていた夏目はもらい泣きしそうになって慌ててチャンネルを変えた。最新ベストセラーランキングを流している局に落ち着ける。
簡単な内容紹介を交えて、五位から発表されていくのをぼうっと眺める。ちまたで話題の絵本、最近亡くなった女優のエッセイ本、アニメ映画のノベライズ、大御所作家の新作と並び、藤原雅之のシリーズもの最新作が先月に続いて一位に輝いていた。
そういえば母はこの新作を読めたろうか。本棚で見た記憶があるような、ないような。まだこの作品は続いている。あちらで続きが気になっているんじゃないか。
みたび、込み上げてくるものを感じた。目をしばたたかせていると、松川が部屋に戻ってきた。
「失礼しました、仕事の連絡が立てつづけに、ほうぼうから」
「お忙しいんですね」 泣いていたことがバレないように、わざと明るい声を出す。
「ぜんぶ、島崎さん関連なんですけどねえ」
「本業のほう?」
「ええ」
「島崎さんの本業って、なんですか」
芸人でも俳優でもモデルでもない。Youtuberも副業。新車をすんなり買えて、二十三区内に1LDKのマンションを二部屋借りることができるくらいに稼いでいる。
松川は夏目の顔を見て、それからテレビを見、おお、と声を上げた。
「ナイスタイミング。これですよ、これ」
なんのことかと、画面に目を戻す。
男性アナウンサーが一冊の本を指ししめしていた。
「先月に続き、第一位は藤原雅之さんのシリーズ最新作。現在も大好評発売中です。さて、作者の藤原さんは五年前のデビュー以降は一度も表舞台に出ておらず、年齢・性別ともに不明の覆面作家としても有名です。ここで改めて、藤原さんのこれまでの歩みを特集します」
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