#4 渡りに舟


「手伝いって、遺言配達の?」

「そう。いまは知聡くん一人でやっていて……このまえ、手伝いがいればいいとか言ってなかったっけ」

「そりゃ言いましたけど、突拍子すぎません?」


 島崎は呆れたように返し、夏目の視線に気がついたのか、さりげなくマスクを戻した。

 あまり顔を見られたくない事情があるらしい。


「そうかな。飲食店のアルバイトで摩耗するよりはいいと思うけど。知聡くんなら労基法しっかり守ってくれそうだし」

「飲食店が労基法守ってないみたいな言いかたはどうなんですか、仮にも弁護士先生でしょう」

「失礼だなあ。正真正銘、弁護士だよ」


 軽口をたたきあうふたり。

 そもそも彼らの関係性はどういったものなのだろう。母の依頼の仲介という間柄というより、古くからの付きあいといった感じを受ける。

 源太郎先生にも世話になっていると島崎は言ったが、何用で世話になったのか。


「二人は、長いお付きあいですか」

「そうだね、僕の父が知聡くんのお父様と旧知の仲で、その縁でいろいろ。僕が彼の本業の手伝いをしたり」

「島崎さんの本業? この仕事じゃなくて?」

遺言配達これは副業だよ」


 そう言いおいて、島崎はごちそうさまでした、とコーヒーカップを手前に押しやった。


「俺は次の配送があるんで失礼します。……夏目くん、落ち着いてからもしこの仕事んに興味があれば、名刺の住所まで来ればいい。仕事の内容を説明するよ」

「お、二件目があるとは。今日は働く日だね」

「俺にしては、ね」


 席を立つ彼に、あの、と思わず声をかける。

 リュックを背負って帰る準備を整えた彼に、夏目はやや躊躇して視線をはずし、わずかなあいだ逡巡して、それから目をあわせて告げた。


「次の配送、ついていっていいですか。興味があります」

「マジで言ってる?」島崎は、一足す一を八と答えた人間を見るような目でこちらを見た。「俺はこれから身内を亡くした人のところに行くんだぜ。君だってまだ杏子さんのことを引きずってるんじゃないの。余計につらくなるんじゃないかな」

「そうかもしれないけど、母がどうしてこのサービスを利用したのか気になります。それに、次の受取人が俺みたいに遺言状を読むまで一緒にいてほしいって言ったら、その人の気持ちに寄り添って話を聞くくらいはできるんじゃないかと思って」


 純粋に興味があり、また、母がなぜ彼に依頼をしたのかが気になった。

 手紙の内容は生前に遺しておいても問題ない内容だった。サプライズのためだったり、自分が死んだことで落ち込んでいる息子を良いタイミングで励ますつもりだったという意図もあっただろう。

 ただ、それを上回るなにかが彼女の中にあったのではないかと思えた。思いたい、とも言える。

 彼女が最後に遺した手紙につづられていた「本質を見極める」というのがどういうことなのか、いますぐにも社会に触れて確かめたい気持ちもあった。

 島崎はしばらくこちらを見つめ、夏目の決意が覆らなそうなことを察すると、源一郎先生のほうを手でしめした。


「いいけど、先生は。用があって来たんじゃないの」

「僕の用事は別にいつでもいいから。立ち直るきっかけが出来るのは喜ばしいことだよ」

「立ち直れると決まったわけじゃないですよ」島崎は小さくつぶやく。「嫌な部分を見ることもある」

「それでもいいです。合わなかったら合わなかったで」

「そ。じゃあ準備できたら来なよ」


 こうなったら好きにさせてやろうという、ある意味投げやりな姿勢を見せて島崎は先に玄関に向かった。また後で連絡する、と源一郎先生も続く。

 忙しいところをすみませんと深く頭を下げると、彼は鷹揚に笑って言った。


「気持ちが落ち込んでいるときは新しいことを始めたり、なにかに没頭するといい。これがそのきっかけになるといいね」

「いきなり不躾すぎたでしょうか、俺」

「いいんじゃない? 彼はそういうの、気にしないタイプだ。チャンスは目の前に現れた瞬間に掴まないと。どんな類のものであれ、ね」


 それじゃあまた。穏やかに笑んで彼は帰っていった。

 見送ったのちに、急いで自分も身支度をととのえる。

 遺族に会いに行くのだから、きちんとした服の方がいいだろう。とはいえ、島崎はそれほどかしこまった服でもなかった。

 彼の着ていたのと同系統の服を引っ張り出して着替え、母の手紙は大切に自室の机におき、ふだん大学に行くのに使っているリュックに貴重品と島崎の名刺を放りこんで、これまたいつも履いている黒いスニーカーに足を突っ込む。


「いってきます」


 誰も返事をしないと分かっていても、これまでの癖でついリビングに向かって声をかけてしまった。

 いってらっしゃーい。

 間延びした母の声が耳の奥で鳴って、寂しさが胸にぶり返した。部屋の奥からひそやかに打ち寄せてくる静寂からのがれるべく、やや強めにドアを閉めた。


 島崎はマンションのエントランスで待ってくれていた。お待たせしましたと会釈すれば、手まねきされて共に駐車場に向かう。

 黒のコンパクトカーのロックを解除した彼に助手席に乗るよう指示され、シートベルトを締める。最近発表された新型モデルで、車に多少興味がある夏目は内装をきょろきょろ観察した。生活の匂いが染みついていない。まだ買って日が浅いようだ。


「これ、新型ですよね」

「そう」

「発表を待ってたんですか」

「ディーラーで勧められて、試乗したら悪くなかったから買った」


 島崎はこともなげに言った。自慢するわけでもなく、事実を述べただけという感じで、その答えから彼が車に頓着するタイプではないことを悟る。

 思わず彼の横顔をうかがった。

 年齢は、源一郎先生よりは若いが自分より上なのは間違いなさそうだ。20代半ばくらいか。彼の年齢で普通の会社勤めであれば、新車をポンと買うのはなかなか決心がいることだと思うのだが。本業でよほど稼いでいるのだろうか。


「本業ってなんですか」

「自由業」

「……合法なやつですか」

「ふは」


 声を出して彼が笑う。当たり前だろー、という声が続く。


「弁護士と知りあいなのに阿漕あこぎな商売できるかよ」

「勧められた車をポンと買えるってことは、それなりに稼いでるのかと思って」

「夏目くん、初対面の人と話をするときに金の話はタブーだと思わない? ローンにヒイヒイ言ってるかもしれないよ、俺」

「初対面の相手に嘘をつくような人に言われても、ピンと来ない」

「なかなか痛いところを突いてくるね。じゃあ、何の仕事だと思う?」


 ううん、と首をひねる。

 エンジンが静かに駆動し、車はするりと駐車場を抜けていく。先に出て行った源一郎先生のシルバーのプリウスは、挨拶がわりにハザードランプを数度光らせてから右折していった。こちらの車は左折し、大通りに合流する。


「俳優」

「違う」

「株の、なんかする人」

「トレーダーでもない」

「モデル」

「違う」

「芸人」

「違う」

「転売屋」

「ちーがーう」


 島崎はどこか楽し気に答えた。夏目の想像が、正解から遠くかけ離れているのをからかっているようでもあった。

 誰かの車に乗るのは久しぶりだと思った。

 少し前までは母も運転できた。助手席に乗って、なんのことはない話で盛りあがっていたのが懐かしい。それが今日は、会ったばかりの人の仕事を見学するために乗っている。人生、何が起きるか分からない。


「この仕事、儲かるんですか」

 答えに辿りつくのが難しいと理解し、質問の矛先を変えてみる。口に出してから、初対面の人に金の話はタブーだと思ったがこのさい気にしない。

「道楽みたいなもん。いちおう、遺言状の保管は一日につき一万円取ってるけど」

「……高く思えるんですけど、俺の感覚が子どもなのかな」


 母は彼に七万円を支払って、あの手紙を託したのか。

 七万円。バイト情報誌に載っていた時給を思い出せば、稼ぐのにどれだけ大変かは容易に想像できた。


「高くても届けてほしい、っていう人がいるんだよ。杏子さんみたいにね」

「次の配送先は、どれくらいの期間を置いてますか」

「一か月。依頼人は一か月前の今日、亡くなってる」


 彼は簡単に次の依頼人について説明をしてくれた。

 源一郎先生の知りあいの紹介で受けた依頼。

 依頼人は50代前半の女性。依頼を受けたのは一年ほど前。依頼人の生涯を聞き、紙を一枚あずかっている。受取人に指定されたのは高校生の息子。夫もいるが、彼宛ての遺言状はなし。


「依頼人とは何度も会いました?」

「自分の身の上話をするのに一日だけじゃ終わらない人は多い。杏子さんもそうだったけど、何日かかけて話を聞いた」

「どうして、依頼を受けるのに身の上話を聞くんです」

「単純に興味があったり、ボランティアであったり、色々」

「興味?」


 興味という単語が下世話で不躾な色を帯びているように思え、返す声にほんのり棘が入った。 

 島崎は気にするそぶりも見せずにハンドルを動かす。運転は日常茶飯事のことなのだろう、停止や発進のタイミングで不用意に身体が揺れを感じることはなかった、


「自分がこの世に存在しないなかで人に言葉を届けるっていうのは、突き詰めれば一種のエゴとも言える。反論しようにも返事をしようにも、当の本人はいないわけだから。どんな人生を歩んできた人が、どういう人に向けてどんな言葉を遺すのかが気になる」

「なんだか、すごく……死をラフにとらえている感じなんですね」

「いずれ誰にでも訪れるものじゃん。神聖視するものでもなくない?」


 それは、身内を亡くしたばかりの人間に言うことではない気がする。

 と言っても、ついていきたいとせがんだのはこちらだ。彼が情緒的な面で配慮をするタイプではないのだと諦めるしかない。

 もやもやと説明できない感情が胸にたまる。小さく息を吐いてやり過ごす。


「あとは、感情を自覚するいい機会なんだよ」

「感情って、どんな」

「小説でもドラマでも、病気の人はさ、たいがいが周囲に感謝するでしょ。お世話になった人への感謝、家族への感謝。生きていることを実感できました、みんな今までありがとう、って。でも全員が全員、そうじゃない。言いきれない憎しみを抱えている人、どうしても言えなかったことを貯め込んでぶつけるすべを失った人、気づかないうちに自分の感情をうちに閉じこめてる人、さまざま」


 住宅街に入った。車同士がギリギリすれ違える幅の路地が続く。ナビの指示通りに島崎は車を進める。盗み見た横顔はマスクに隠れ、どんな表情をしているのか読み取れない。


「話すことで感情が自覚できる人もいる。自分はこういうふうに思っていたんだ、って理解して受取人を変更する人もいるし、当初言っていたことと真逆のことをしたためる人もいる。おかげで自分がどう思っていたか分かりました、ってお礼を言われたこともある」

「いろんな人がいるんですね」

「そうだね。杏子さんみたいに、……少し言い方は悪くなるけど、なんの変哲もない手紙を遺すほうがレアケースだ」


 雑居ビルがいくつか連なる通り沿いにあるコインパーキングに車は停まった。島崎はバックモニターをあまり見ず、ミラーを確認しながら一発で駐車した。

 車を出ると、島崎は何度も歩き慣れた道を行くように迷うことなく路地を入っていく。追いついて横に並ぶ。

 春風が頬を撫でる。アスファルトには桜の花びらが点々とちいさな水玉をいくつもつくっている。


「ちょっと歩く。その間にもう少し、今回の依頼人の話をしておこうか。たぶん受取人の息子には歓迎されないし、受け取り拒否をされるかも」

「どうして」

「母親をひどく嫌っているから」

「なにかあったんですか」


 島崎は、つと顔を上げた。

 見計らったかのように一陣の風が起こり、歩道に散った花びらが舞いあがる。


「依頼人、不倫してたらしいんだよね」

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