#3 眼光紙背に徹す



「嘘、とは」


 ゆっくりとしたトーンで返ってきた声。

 口調は柔らかだが、その目はどこか挑発するようでもあり、こちらの出方をうかがっているようでもあった。


「島崎さん、母と会ってるんじゃないですか。源一郎先生とも」

「根拠を聞きたいな」


 物静かな声には、年長者が年少者をあしらうとき特有の余裕が乗っていた。

 試されているのだろうか。何のために。

 浮かぶ疑念を押しのけて、夏目は口をひらく。


「名前で呼んだから。源一郎先生のこと」

「あなたが最初にそう言ったのでは?」

「言ってません。俺は『先生』としか言ってない。先に島崎さんが『源一郎先生』って言った。一度も顔を合わせていないなら苗字で呼ぶのが普通でしょう。それに、彼の趣味の話をしたとき、『あの年でレコードとは』って言いましたよね」

「……」

「メールでしかやりとりしていないなら、そんなこと言わない。大神源一郎って名前だけ見たら、おじさんとかおじいさんを想像する。だったら『あの年でレコードとは』なんて言わない。なのに、あなたは『珍しい』って言った。先生が若い男性だって分かっていたからじゃないですか」


 大神源一郎先生は親子二代にわたって弁護士で、父の源太郎氏が母の離婚案件を担当した。息子である源一郎先生のほうが相続関連は得意分野ということで、彼は何度もこの家に出入りし、母と話しあいを重ねていた。

 三十代なかばにして、レコード収集が趣味。そんな彼と会った人でなければ、その古めかしい字面から、老齢男性を想像していたはず。

 島崎自身、ボロを出したと気づいたのか即座に話題を変えていた。だから気になっていた。


「ネットで依頼を受けているのも嘘でしょう。名刺にURLもQRコードも書いてない。そういった情報を入れるはずです」


 

 普通、という言葉を強調しながらもらった名刺を掲げる。彼はうんうんと頷いた。

 なるほど合ってますよ、続けて結構、と言いたげな表情が、すこし癪に障った。


「それと、母が桜が咲いたのを見てから亡くなったのがどうして分かるんです」

「メールに書いてあったから」

「咲き始めた桜を見てすぐ、母の容体は急変して救急搬送されました。それからは昏睡状態が続いてメールどころじゃなかった。病院の近くに桜の木はありません。この家で外の桜の木が見えるのはあの部屋だけで、あなたが足を踏み入れたときにはカーテンは閉まっていた。予想できる材料がないのにどうして断定できるんですか。あなたはこの家に来たことがあるのでは」


 一気にまくし立てる。眼前の彼がえたいの知れない存在に思えて、嘘をつかれていたことに苛立ちもしたし、はかり知れぬ本意への恐れもあった。

 本質を見極める。母の言葉に従ったら、その言葉が書かれた手紙を持ってきた男が怪しい人物に思えてきた。

 にらむように見すえる。数秒おいてから、島崎はふっと表情をゆるめた。


「悪い、だますつもりはなかった。手紙を渡して終わりだと思ってたから、つい焦って要らないことまで話した」

「認めるんですね。母とは」

「会ったことがある。源一郎先生にもお世話になってる。この依頼は、源一郎先生が君のお母さんに紹介したのが始まり」

「仕事自体は本当なんですか」

「遺言を配達するサービスをしているのは本当。渡した遺言状も本物。嘘をついたのはふたりに会ったことがないというのと、この家に今日初めて足を踏みいれたってこと。下手に事情を話すのもどうかと思って、かえって不安にさせてすまない」


 島崎はそう言うと頭を下げた。つむじが見えて、そこで自分がひどく相手を責め立てる口調になっていたことに気づき、不安と警戒をいて非礼を詫びた。


「こちらこそすいません、喧嘩腰になってしまって」

「全然。俺の方が失礼なことをしてる。肉親を亡くしたばかりの人に、その人に関する嘘を言うなんてデリカシーのないことをした」


 一人称も変わった。慇懃いんぎんな口調も解けた。本来の彼はこういう人なのだなというのが垣間みえ、なんとなく夏目も口調をやわらげる。


「うちに来たこと、あるんですね」

「ある。自宅療養していたころだった。君が大学に行っている時間帯に、源一郎先生に紹介されて来たときは驚いた。『あの桜の木が満開になるころ、私の命はありません、って、人生で一度は言ってみたかったの』なんて、どう反応していいか分からない冗談を言っていたから。……本当にそうなるとは思わなかった」


 ぽつりとこぼした彼の声は沈んでいて、憂いを帯びていた。


「さっきの通り、俺は遺言の配達業をしてる。源一郎先生がこの仕事を面白がって自分の顧客に伝えてくれて、その縁で続いている。口コミで広まっているからホームページも何もない。遺言状を依頼人の死後に、指定した人に届ける。今回は亡くなって一週間後という指定だった」

「母とは何か話をしましたか」

「彼女が生まれてから死ぬまでの昔話をたくさん。それが依頼を受ける条件だから」

「条件?」

「そう。身の上話をすることが、依頼を受ける条件。君のこともよく知ってる。足が速くて運動会で1等しか取ったことがないとか、身のこなしがすばやいからイタズラしておじいさんに拳骨喰らいそうになったらひょいひょいけてたとか、色々」

「赤の他人に恥ずかしい過去を色々知られてるわけですか、俺は」

「そういうこと」

「なんだそれ……」


 恥ずかしさがこみ上げ、手で顔を覆う。知らないうちに知らない人にあれやこれやを知られている。母は何を考えているんだ。

 けれども、自分のことや息子のことを話している彼女の姿を想像すると、楽しげで活気に満ちあふれ、生き生きとしていた。

 羞恥や悲しみ、切なさ、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって押しよせている。それが目からあふれないように押しとどめているところで、ピンポン、とインターホンがまた来客を告げた。


「待っていてください、まだ話を聞きたいから」

「はいよ」


 言いおいて横をすり抜け、リビングのインターホンに飛びつく。

 モニターには源一郎先生が映っていて、ナイスタイミング、と謎の応答をしてしまった。



 *****



「なんだ、知聡ちさとくん来てたんだね」

「配達指定日が今日だったので」

「そうか、杏子さんは一週間にしていたのか」


 ドアを開けた源一郎先生は、夏目の後ろに立っている島崎を見るとわずかに驚きの表情を浮かべ、すぐいつもの人懐こい笑顔に戻って、やあ、と右手を挙げた。

 リビングに案内すると、島崎はごく自然に彼の隣に座して話を始めた。その流れに流されるかたちで夏目はコーヒーを淹れなおした。


「悪いね、拓未くん。事前に話をしておけばよかったんだけど、杏子さんから止められていて」

「大丈夫です。こういうサプライズ的なもの、母さんは好きだったし。別にこの人も、悪い人じゃないって分かったし」

「うん、彼の身分は保証する。この仕事は1年前くらいに始めたんだったかな。そこそこ軌道に乗っているよ」

「へえ。……そういえば、配達料とか支払わないといけないですか」

 島崎に尋ねると、彼は首を振った。「料金は全額前払い」


 彼は再びマスクを下げてコーヒーを飲んでいる。四角いフレームの黒縁眼鏡はやや彼を無骨に見せるが、どういう人かが分かった今は、最初にいだいたような動作のすべてが事務的な印象は薄まった。

 遠縁の親戚の兄ちゃん、といった感じがしっくりくる。

 ただやはり、顔が誰かに似ている。彼の放つ独特な雰囲気が絶妙に邪魔をして、ぱっと見ただけでは分からない。

 誰だろう、今まで会った人だろうか。テレビで見た人だろうか。


「拓未くん、バイトを探す予定だって言ってたね。いいのはあった? もう少し考えることにした?」


 源一郎先生がローテーブルに置きっぱなしの求人誌に目をやりたずねる。


「迷ってます。飲食店だとがっつりシフトに入ることになりそうで、勉強がおろそかになるかなあ、とか考えちゃって」

「ふうん。あ、じゃあさ」


 先生は名案を思いついたとばかりに手を叩き、島崎を指さした。


「知聡くんの手伝いしたらどう?」

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