三、君の優しさが痛い
「……なんで、分かったの」
それは、疑問というより確認のようだった。
言い訳なんてもうしない。
ただ、どうやって私が気付いたのか、それだけを知りたがっているように聞こえた。
そんな彼に、私はポツポツと話し始める。
「……正直、半分くらい憶測だった。確信したとまでは言えないけど、隠すつもりだったのなら、今日の島原くんは色々とミスを犯していたと思う」
それから私は、由良くんがやって来る前に組み立てた仮説について語り始めた。
島原くんは今日、自分の下駄箱の手紙を回収せずに教室に来ていた。
そのことは、私の方が島原くんよりも後に登校したのに下駄箱の手紙の存在を確認したことや、登校した休み時間に下駄箱から手紙を回収に行っていたことからも分かっている。
しかし、私宛の手紙に関しては「自分の下駄箱に間違えて入っていた」と彼は手元に持っていた。
そのことに少し、違和感を覚えたのだ。
積まれた手紙の一番上に私宛の手紙があって、それに意識が持っていかれてしまい、他の手紙を持っていくのを忘れてしまったというのも考えられるけれど、つい先ほど聞いた由良くんの言葉を聞いて、その可能性も低いように感じた。
さっき由良くんと話していた中で、彼は言っていたのだ。「ちゃんと私の下駄箱に手紙を入れたか、何度も確認して手紙を出した」と。
人間のすることだから、絶対に間違えていないだろう、とは言い切れないけれど、あれだけ断言した上で間違えたと考えるよりは、その後に来た別の誰かによって、島原くんの手に渡ったと考える方が自然なような気がした。
それなら、誰が私宛の手紙を、島原くんの下駄箱に移したのか。
――ああ、確かに下駄箱に手紙を置いたままだったね。私の方が後に登校してきたのに。
――そう。今日は、航平が朝早く用事があるって言ったから別々に来たんだ。おかげで、いつも俺が先に着いて航平を待っている分、早く学校に来ちゃってね。久々にあれだけ靴のない下駄箱を見たよ。
休み時間にした島原くんとの会話をそのまま信じるなら、それぞれ別々に登校してきたにしても、二人とも普段よりも早い時間に登校してきたことになる。
あの人の見回り時間に合わせて登校していた私は、いつも始業十五分前には学校に着いていた。それより島原くんは早く登校していたのだから、犯行を行える人間は限られてくる。
島原くんの手に手紙が渡るには、まず初めに由良くんが、私の下駄箱に手紙を入れていることになる。
そうなると、由良くんが手紙を入れ、そこから島原くんがやってくるまでの間に、誰かが私の下駄箱から手紙を抜き取って移動させたことになる。
そんな短い時間にも関わらず、前後にいた由良くんや島原くんに気付かれないなんて芸当が、果たして行えるものなのだろうか。
加えて、私の下駄箱は一番上の列だ。
だから同じ列でもない限り、一番上の下駄箱の中身なんてそうそう見ない。
その上の、いつもラブレターで埋まっている島原くんの下駄箱ならいざ知らず、私の下駄箱に手紙があるなんて予想する人もそうそういないだろう。
それに、手紙を移動させる動機だってない。
私宛の手紙を島原くんの下駄箱に移すことで、赤の他人が得をするとはどうしても思えなかった。
渡し主の由良くんにだって、動機は当然ない。
それなら、仲介人であった島原くんの「自分の下駄箱に間違えて入っていた」という証言自体を嘘だと考えるしかないと思ったのだ。
「……ああ、なるほど。凄いな、休み時間にちょっと話しただけで気付いたなんて。それは迂闊なことをしたなあ」
困ったように島原くんは頭をかいた。
そして、観念したように島原くんは私に向き直り、口を開く。
「……そうだよ、俺が、島岡さんの下駄箱から手紙を抜き取ったんだ」
――――――――――――――――――――
昔から、自分がそれなりに顔が良く、何か問題を起こしても周りから許されてしまう立ち位置にいることには、なんとなく気付いていた。
それを利用して、今までうまく立ち回ってきたことはない、なんて断言すると嘘になるくらいには、俺は要領よく生きすぎた。
だから俺は、異性から見ると魅力的な子で、同性から見ると相当いけ好かない子だったのだと思う。
別にそれが嫌だったというわけじゃない。
ただ、今後も俺の前に現れる人は、俺をちやほやしてくれる人か、あるいは嫉妬で貶してくるかのどちらかで、そのどちらでもない人なんて存在しないと思っていた。
「なあ、浬って呼んでもいい?」
そう言って、満面の笑みでこちらに手を差し出してくれたのは、まだ幼い頃の航平だった。
初めてだった。顔の良さとか、それに対するいけ好かなさとかを、全てどこ吹く風にして、一個人として俺のことを友達だと呼んでくれた人に出会えたのは。
だから、初めて打算なく気の合った友達が、そのまま親友になるまで、時間はそうかからなかった。
幼い俺は、もうコイツしかいないと思ってしまった。
そしてそのまま、その相手に好意を持ってしまうのも、俺からしたら自然な流れだったように思う。
でも、成長するにつれ、周りから見て俺が異質なことに気付いてしまった。
気付いてしまったから、絶対口に出すまい、この気持ちは墓まで持っていこうと思ったのだ。
だって、そうじゃないか。言えば、今まで築き上げてきた関係がぶっ壊れる。周りに知られようものなら、俺だけじゃなくて、相手にも相当の迷惑がかかる。
メリットよりデメリットしかないそれを、ただ「思いを伝えたい」という気持ちで突き進めるほど、俺は子供でもなかった。
それに、いつか「友達」だと面と向かって言った時の、アイツの顔。
心から俺を大事に思ってくれ、俺を友達だと信じて疑わないアイツの笑顔がふと頭をよぎる。
それを見てしまった時、このまま隠し通していこうと思えてしまったのだ。
「浬、もし誰かと付き合ったら教えてくれよ。さすがに彼女を差し置いて、俺が無神経に帰ろうなんて声を掛けたくないし」
じゃあ一生彼女なんていらないから、これからも一緒に帰ろうよ。
口にしなかったそれは、当然ながらアイツに伝わるわけもなかったので、俺は今日も彼の隣に居続けることができている。
積み重なる手紙に、本当に欲しい相手からのものはない。あるはずがない。
それが分かり切っているから、誰から来ても俺には断るしか選択肢はなかった。
アイツはよく羨ましいと言うが、そんなことはないだろうと思う。
好きな人から来なければ、ただの紙の束でしかないのに。でも、言わなかった。変なことを言って、勘付かれたくはなかったから。
一生好きであることを隠して、友達として生きていこうと思っていた。
その意志が崩れそうになってきたのは、中学に上がり、俺の隣の席に島岡さんという女の子が座ってからのことだった。
「おはよう島岡さん」
俺の席にやってきた航平が、島岡さんに「おはよう」と声をかける。
最近航平は俺の席に来ることが多い。声をかけられた島岡さんが、俺と航平の方に視線を移して同じように挨拶を返した。
「おはよう由良くん」
たったそれだけの言葉で、航平が嬉しそうに笑ったのを、俺は見逃さなかった。
それに、俺は知っている。島岡さんは、航平のタイプだということを。
小学校時代から似た雰囲気の子を「可愛い」と言っていたから、俺には分かる。
現に航平は、教室内でよく島岡さんに声をかけるではないか。島岡さんの隣の席に座る俺と話すことを口実にして。
島岡さんは、いい人だと思う。他の人より話すのも楽だし、俺と航平を比べたりもしない。
しかし、おそらくだが好きな人がいる。その相手が、担任の加治先生だと知ったのは、その少し後のことだった。
不毛なことだな、と思う。俺はその少し前、先生が校舎裏で、恋人らしき人と電話で仲睦まじそうに話している姿を見たことがあった。
だから彼女はいつの日か失恋する。でも、他にいい人――例えば航平とか――を見付けたら、きっと周りから祝福されるカップルになるだろう。
自然に、当然のように周りに恋人の存在を明かせて、そして祝福される立場にいるであろう島岡さんの姿を想像する。
それが少しだけ、羨ましいと思った。
俺の意志を崩す決定的なことが起きたのは、それからしばらくのことだった。
その日は、前日から航平に「用事があるから先に行く」と言われていた。
だから俺は、いつもは航平を待っている時間の分早く登校してきて、下駄箱の前に立っていたのだ。
まだ始業時間には早く、下駄箱も数人ほどしか埋まっていないような時間だった。
そんな時間でも、俺の下駄箱にはすでに手紙がいくつか入れられていた。まさか、昨日遅くに入れられて、誰にも気付かれないまま一晩放っておかれてしまったのだろうか。
しかしそんな考えも、そのすぐ上の下駄箱を見てすぐに引っ込んでしまった。
――見覚えのある筆跡の手紙が、俺のすぐ上の下駄箱に入れられている。
あれだけ「ない」と思っていたそれが今、俺の下駄箱ではない場所に当たり前のように置かれていた。
息が詰まって、視界が歪んでいく。
そのくせ頭では冷静に分析してしまうことに、自分で腹が立ってしまった。
俺の一つ上の下駄箱は、島岡さんの場所だ。手紙の筆跡は明らかに航平のもので、そして、島岡さんは航平のタイプだった。
しかも前日、航平は「用事があるから」と言って朝早くに学校に向かっている。さっき下駄箱を見た時、航平の靴も確かあったはずだ。
それらのことが目の前の手紙で、全て繋がった。繋がって、しまった。
視界がだんだんとぼやけていく。息がうまくできなくて、涙が出てきそうだった。
下駄箱に手をつき、なんとか立っているのがやっとの状態で、俺はもう一度顔を上げ、島岡さんの下駄箱に視線を向ける。
しかしそれは位置が変わることなく、残酷なまでに目の前に突きつけられている。
――手を伸ばせば、すぐに届く距離に、俺がずっと欲しかったものがある。
大きく息を吸う。指の先で彼女宛の手紙に触れた時、視界がプツンと途切れた気がした。
気付いた時には、俺は彼女宛の手紙を自分のポケットに入れて教室に駆け込んでいた。
「早いね、島原くん」とクラスメイトに声をかけられる。その言葉に軽く言葉を交わしてから、俺は席についた。
……なんてことをしてしまったんだ、と手紙を持った俺は今さら後悔の念に駆られていく。こんなことしても、何かが変わるわけでもないのに。
こっそりまた戻してしまおうと立ち上がった瞬間、本来の手紙の受け取り相手だった島岡さんが教室に入ってくるのが見えた。
もう間に合わない、と感じた瞬間、頭の中に案が浮かんだのだ。
――今、何食わぬ顔で返してしまえば、きっと誰にも気付かれない。そう思った。
幸い、俺は小学生の頃から、彼女宛の手紙を間違えて手にしていてもしょうがないと取られる状況に置かれていた。
だから、他の人より違和感なく理由を述べることができるだろう。
挨拶もそこそこに、俺は島岡さんに航平の手紙を差し出した。
「はい、島岡さん」
「何、これ」
島岡さんが淡々と尋ねる。だから俺も、淡々と返すことにした。
「ラブレター」
俺の言葉に、島岡さんが怪訝な表情を見せる。
ただ、それは俺の嘘に気付いたというよりは、俺からラブレターを渡される意味が分からない、という意味でのものだったらしかった。
「……俺からだ、なんて言ってないでしょ。朝見たら俺の下駄箱に入っていたんだよ、島岡さん宛ての手紙が。島岡さんの下駄箱って、俺の一つ上でしょ。多分間違えたんじゃないかな」
「じゃあ、なんでラブレターなんて断言できるの?」
確かに断言するのは怪しいよな、と思いながら、俺はもっともらしい言葉をつらつらと並べていく。
「あー、なんとなく? 下駄箱に入れられている手紙なんて、ラブレターか果たし状って昔から相場が決まっているじゃない? でも、島岡さんは女の子だから、果たし状はないかなって思って」
声は上ずっていなかっただろうか。言い分にどこかおかしな部分はなかっただろうか。
いつもの笑顔を保ちながら、俺は内心ひやひやして彼女の表情を窺っていた。
幸いにも、彼女からそれ以上の追求はなかった。これでもし果たし状だったらどうしようかなと笑いながら、実際には俺が彼女の下駄箱から抜き取った手紙が、数分遅れて受取人の手に渡る。
航平からの手紙。早々に自分で否定したが、さすがに果たし状ではないだろう。女の子に対して果たし状なんて送っていたらさすがに引く。
そうなれば、今さっき俺が言った「ラブレター」くらいしか選択肢はない。
――彼女は受け入れるのだろうか、それとも断るのだろうか。
航平から何の相談もなかった以上、俺から「告白の成果はどうだったか」と航平に聞くのは怪しまれるだろう。
受け取った彼女はしばらく手紙を眺めていたが、人目が気になったのか、手紙を開くことなくファイルの中にしまってしまう。
「あれ、見ないんだね。気にならないの?」
「気にはなるけど、ここで見ちゃいけないかなと思って」
「ふうん。そう」
それで彼女との会話は終わった。
前に向き直った彼女の横顔を、一度俺は横目で見る。どうやら俺のことを怪しんでいるそぶりはなさそうだったので、ホッとした。
――今なら分かる。それまでは、少し羨ましいなんて思っていたけど、そんなことはなかった。
俺はずっと、島岡さんのことが羨ましかったのだ。
なぜなら、彼女自身は今叶わぬ恋をしているかもしれないけれど、それは一時的なもので、いつかは周りにも祝福される相手を見つけられると思ったからだった。
俺のように、一生好きな相手を隠して生きていかないものではない。
きっと俺の方は、周りに知られてしまったらみんな離れてしまうだろう。
自然な流れで好きな人に愛され、周りにも祝される彼女が、ずっと羨ましくてしょうがなかったのだ。
胸が痛い。おそらく今日にでも失恋するであろう俺が、ちゃんと諦めをつけて友達としてこれからも接していけるのか分からなくて、不安になる。
でも、やるしかない。絶対に隠し通すと決めたのだから。
ああ、そういえばと、自分の下駄箱にあった手紙をそのまま放置してしまったことを思い出す。
次の休み時間にでも取りに行かないとなと思いながら、胸の痛みを忘れるように俺は一度目を閉じた。
――――――――――――――――――――
――そうだよ、俺が、島岡さんの下駄箱から手紙を抜き取ったんだ。
島原くんの告白を聞いても、私は落ち着いていたように思う。
だからだろう、島原くんはそんな私の様子を見て、少し驚いたような表情をしていた。
「……引かないんだね。勘違いとは言え、友達の恋路の邪魔しようとしていたなんて、人から見たらどうかしてるだろうに」
「私の方が引くでしょ。ただの先生なら一時の迷いだろうけど、それが姉の恋人なんて本当に笑えない」
「……誰も笑わないよ。島岡さんだって一生懸命に恋していたんでしょ。それなら誰かが笑う権利なんてないよ」
彼の言葉に、目元がじわりと熱くなった気がした。
ああ、本当に島原くんはできた人だ、と思う。
彼の思いがこの先、報われる未来が来ることを切に願いたい、私よりは確実に実る可能性があるのだからと、熱くなった目元を少しこすって、私は島原くんに向き直る。
「絶対、言わないで。特に航平には」
話の最後、念押しするように島原くんは口にした。
「うん、言わないよ。このことは私と島原くんの秘密」
おそらく由良くんは私の姉のことが好きだと思う、という言葉は飲み込んで私も口にする。
その瞬間、島原くんが顔を歪めて頭をかき、心底悔しそうに言葉を漏らした。
「……ああ、でも本当に迂闊なことをした。もう少しうまく立ち回れたら、俺だとも分からなかったのに、ミスだったな」
「え、急に人格変わった?」
いつもの島原くんとは違った雰囲気に、思わず本人に聞いてしまう。戸惑った私の声に、島原くんはどこか楽しそうに首をかしげて笑みを浮かべた。
「ああ、そう見える? 航平にもあんま見せてないけど、俺普段はこういう性格だから。クラスでは出さないようにしてたんだけど、いざバレちゃったら結構開き直れるもんだね。元々島岡さんのことは嫌いではなかったし、嘘もバレちゃったから、素で話してもまあいいかなって」
「まあ航平に言おうとしたら口封じするけど」と、本気か冗談か分からないトーンで付け加えられ、私は思わず苦笑いしてしまう。
「島原くんは、由良くんのことが大事なんだね」
あえて「好き」だとは言わず、私は口にする。
「まあ、そうだね。他の友達よりは確実に大事だよ。だから思わず手紙隠しちゃったな。それさえしなきゃ、まだバレなかっただろうに」
「……でも、その前から何となくそうかなって感じてたと思う。気付いた時、そこまで驚かなかったから……。だから、誤解とはいっても朝に手紙のことを聞かれたのは正直怖かったんだ」
私の言葉に、観念したように島原くんは俯く。
「……そっか。それはちょっと、申し訳なかったね」
そう言って目の前で立ちつくす島原くんを眺めながら、私は考える。
島原くんの好きな人に気付いた時、おそらく私は、島原くんのことを羨ましく思ったのだろう。
なぜなら、彼の恋は必ずしも諦めなければいけないものではなかったからだ。
私は諦めなければいけない。
来年に私の姉と結婚する人なんて早く諦めた方がいい。
頭では分かっているのに、私は今でもあの人のことが忘れられないのだ。
私と島原くんしかいない空き教室で、私はぽつりと「難しいね、恋って」と呟く。
彼はそんな私の言葉に対して「それでも俺は、航平から手紙を貰える島岡さんのことが羨ましいよ」と返した。
やはり君の優しさは、言葉の裏に辛さが滲んでいて、少し痛かった。
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