一、島原浬という人物
私が席に着くと、隣の席に座る島原くんが「おはよう」と言い、こちらに向かって微笑んだ。
普段は私の方が来るのが早いのに珍しいな、と思いながら、私も「おはよう」と彼に挨拶を返す。
整った顔立ちに、誰にでも優しい聖人のような性格。おまけに頭も良いし運動もできるので、天は二物を与えすぎだと思う。
クラスの女の子の大半が憧れるのも無理はないほどに、島原くんはとても魅力的な人だった。
そんな人と出席番号順とはいえ隣の席になった時には、周りに反感を買ってはいないだろうかと心配になったけれど、今のところ持ち物などは消えていないので、安心して私は学校に通えていた。
何か月かすれば席替えもするだろうから、島原くんとはその間きりの付き合いだ。
それ以降は、より安心して学校生活を送れるようになるだろう。
中学に上がり、出席番号順で島原くんと隣になった時、何人かの友達からは「役得」だと言われたことをふいに思い出した。
苗字が近いことが理由だから、まったくもって自分の意志とは関係ないし、完全に不可抗力だ。
何なら反感を買わないため、誰かと席を変わって欲しいとまで思ったけど、それはそれで逆に反感を買われるだろうなと思ったので、特に口にはしなかった。
実際に私が口にしても、「じゃあ私と交換して」と、堂々と手を挙げる度胸のある人も少ないだろうけれど。
きっと島原くんファンの女の子だって、遠くからじっと見つめたり、時々話したりするのがいいのであって、常基本隣の席にいるのは違うのだろう。
下駄箱にラブレターを多く積まれている割に、というのも失礼かもしれないけれど、島原くんはキャーキャー言われて女の子に囲まれるタイプではない。
きっと遠くから見るのが一番いいのだろう。そのあたりの微妙な気持ちは、私にはよく分からないけれども。
実際のところ、私に話しかける体で隣の島原くんを見に来ているという女の子も少なくないから、それくらいの関わりの方が丁度いいということなのだろう。
その関わりのきっかけにされている私は、全くもって役損だなと思わなくはない。
でも、恋とか憧れの前では、私の犠牲なんてちっぽけなものだろう。
恋をすると視野が狭くなる。自分のことでいっぱいになってしまえば、他人のことなんてほとんど見えていないも同然になる。
私はそのことを、よく知っている。
そんなことを考えていた私の思考を遮るように、隣に座る島原くんは「はい、島岡さん」と不意に何か手紙のようなものを差し出した。ようなもの、ではなく実際に手紙だった。
一体何だろうと思いながら、私はその手紙を受け取ろうとして、口を開く。
「何、これ」
「ラブレター」
その言葉で、私は出した手を引っ込めてしまう。
そんな私の様子を見て、島原くんは困ったように笑った。
「……俺からだ、なんて言ってないでしょ。朝見たら俺の下駄箱に入っていたんだよ、島岡さん宛ての手紙が。島岡さんの下駄箱って、俺の一つ上でしょ。多分間違えたんじゃないかな」
「じゃあ、なんでラブレターなんて断言できるの?」
「あー、なんとなく? 下駄箱に入れられている手紙なんて、ラブレターか果たし状って昔から相場が決まっているじゃない? でも、島岡さんは女の子だから、果たし状はないかなって思って」
確かに一理あった。これでもし果たし状だったらどうしようかなと笑いながら手紙を受け取って眺める。
チェック柄のマスキングテープで止められたその手紙を開こうとして、私は周りの視線が気になって慌てて閉じる。
こういうのはおそらく、一人で見た方がいいだろう。
本当にラブレターかどうかはさておき、相手は口頭ではなくわざわざ手紙にしたためてくれているのだから、大事な用件には違いない。
第三者に見られたら困るかもしれない内容を、人のいる場所で見るのは得策ではなかった。
そう結論付け、手紙を見ずにファイルの中にしまった私の一連の動作を見て、島原くんは不思議そうに尋ねる。
「あれ、見ないんだね。気にならないの?」
「気にはなるけど、ここで見ちゃいけないかなと思って」
「ふうん。そう」
島原くんは目を細めて口元に笑みを浮かべた。
それがどういう感情で示しだされたかは分からなかったけれど、相変わらず綺麗な顔立ちの人だな、とぼんやり思った。
「……まあ、実際にラブレターかどうかは分からないけど、島原くんはこういう時の対応慣れてそうだよね」
私がそう口にすると、島原くんは途端に苦笑いを浮かべた。
「……一瞬嫌味かとも思ったけど、そんなことないよね。島岡さんなら、俺の下駄箱も目に入るだろうから知ってると思うし」
今朝も見た、島原くんの下駄箱に入れられたいくつかのラブレターを思い浮かべながら、私は再び口を開く。
「いつも凄いよね。これから先、こういう内容で困ったことがあったら島原くんを頼ろうかな」
「……止めといた方がいいよ。断ってばかりの俺にアドバイスなんて求めない方がいい」
今の言い方的に、今までされた告白はすべて断ってきたのだろう。
一人くらいは好みの人がいて付き合った経験があったとしてもおかしくないと思っていただけに、少しだけ驚いてしまう。
それなら、彼の好みはどういう人なんだろうか。もしかして理想が高すぎてほとんどの女子が対象外だったりするのだろうか。或いは年上の人が好きで、同級生には興味がないとかだろうか。
どちらでも納得はいく。島原くんはモテている印象があるのに、今まで誰とも付き合っていないとなると、やはり謎が多いな、と感じた。
「島原くんは、昔からそんなにモテてきたの?」
「ストレートに聞いてくるなあ」
私の言葉に、島原くんは一度困ったように眉を下げる。
「――浬は小学生の時からこんな感じだったよ」
ふいに、島原くんじゃない声が聞こえ、私は声をした方へ視線を向ける。
そこにいたのは、クラスメイトの由良
例にもれず今朝も、十分な睡眠時間を取ったような明るい顔でこちらの方を見つめていた。
「航平は話を盛りすぎだって」
島原くんも由良くんの姿を見つけたようで、彼に向けて苦笑していた。
由良くんはそんな島原くんの様子なんてどこ吹く風みたいにして、私の方に向き直って笑いかける。
「おはよう島岡さん」
「おはよう由良くん」
挨拶し返すと、由良くんは目を細めて笑った。それを見て島原くんも小さく息を吐き、由良くんに対し微笑みかけている。
相変わらず二人は仲がいいな、と思う。小学校からの友達らしい二人は、休み時間などには一方がもう一方の席にやって来て話す姿もよく見かける。
今のように、由良くんが島原くんの席に来る時は、彼の隣の席にいる私も話に混ぜてもらう、なんてことも多かった。
「途中しか聞いてなかったけど、浬が凄いって話でしょ? 俺に任せてよ」
「全然違うんだよなあ……」
島原くんの言葉をよそに、由良くんはニコニコしながら口を開く。
よほど友達が褒められて嬉しいのだろう、島原くんの話をし始めた由良くんは、相変わらずとても楽しそうに見えた。
「凄いんだよ。だって浬ってバレンタインデーの時、クラスのほとんどの子からチョコを貰ってて、ホワイトデーにちゃんとお返ししてるんだから」
由良くんの言葉で、クラスの女の子一人一人にチョコを配り歩く幼い島原くんの姿が容易に想像できてしまった。
やはり島原くんは小学生の時から今までずっとモテていたらしい。
「へー。凄いんだね」
私がそう口にすると、二人が同時に私を見た。
「……どうしたの?」
「……いや、興味なさそうだなと思って」と、由良くんが言いにくそうに答える。
「……ああ、ごめん」
素直に謝る。今は一緒に住んでいない、年の離れた姉にもよく言われる。「
しかし、そんな私にも島原くんは優しかった。
「いいと思うよ。無理して合わせるより全然いい」
同級生のフォローまでできるなんて、どれだけできた人なんだ、と思った。
「あと、もうすぐ授業だから航平は早く席に戻った方がいいよ」
「マジでえ? ……うわ、マジだわ」
島原くんの言葉に、私と由良くんはほとんど同時に時計を見る。壁にかけられた時計の時刻を見て、由良くんは言葉を漏らし自分の席に戻っていく。
「あ、そうだ」
しかし次の瞬間由良くんは何かを思い出したように振り返って、こちらに向けて駆け寄る。そして、私の耳元に顔を近づけた。
「――あれ、もし都合悪かったら早めに教えてね」
小さく耳打ちし、さっとその場を離れていく由良くんの背中を目で追う。
その言葉で、私はまだ見ていない手紙が、誰が書いたものだったのか分かってしまった。
「――――内緒話?」
声のした方を向くと、隣の席の島原くんがこちらに身体を向けて私の顔をじっと見ていた。
一瞬で背筋が凍り付く。
――島原くんにも、聞こえてしまっていたのだろうか。
焦る私をよそに、島原くんはまたいつもの優しげな目に戻り、困ったような表情で口を開いた。
「……ちょっと聞こえてた気がするけど、聞かなかったことにするね」
そう言って島原くんは前に向き直る。
島原くんの言葉に、「何の話?」と濁してから、私も島原くんから視線を外し、次の準備を始めた。
島原くんは優しい。本当は聞こえていたのだろうけれど、知らないふりをしてくれている。
だけどその優しさが、少しだけ痛く感じた。
その後、授業が終わった後の休み時間の合間をぬって、私は空き教室に入った。
近くに誰もいないことを確認して、私は机の引き出しからこっそり持ってきた手紙を開き、中身を確認する。
「話したいことがあります。放課後、教室に残ってくれませんか」
その下には、綺麗な字で「由良航平」と記入されていた。
――下駄箱に入れられている手紙なんて、ラブレターか果たし状って昔から相場が決まっているじゃない? でも、島岡さんは女の子だから、果たし状はないかなって思って。
島原くんに朝言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
それと同時に、別の日の思い出が頭の中でフラッシュバックした。
――ねえ、柚琉は祝福してくれるかな。
リビングで両親と話していた姉が、こちらを向いて笑う。その後ろで少しだけ気まずそうな笑みを浮かべていた、あの人の顔を見た私はどんな表情をしていたのか。
どうして今、あの時のことを思い出してしまったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます