66話 終幕

「おっし、じゃあ俺から話させてもらおうかな!」

 勢い込んで手を挙げた慎太郎に、爺さんは嬉しそうに破顔した。

「ふぉふぉふぉふぉ、では慎太郎さん、お願いいたします」

「そうだな、これは俺の体験っていうよりも、皆の話を聞いてて思ったことだ。……言っちゃなんだけどよ、お前ら暗すぎると思うぜ?性癖が歪んでるのはしょうがないにしてもよ、セックスってものは生の相手がいてこそじゃねえか?」


 慎太郎のこの発言には俺もおっ、と思った。俺自身も薄々感じていたことだったからだ。

 皆が内に内にと深く潜っていくばかりで、それはそれで一面の真実を探求してはいるのだろうが、当たり前だがセックスというのは相手がいてするものだ。相手のいない場合の代償行為として仕方なくオナニーはするものだ。自慰行為……自分を慰める、という文字面は非常にこの行為をよく表していると思う。

 バカな物言いばかりしているこの男だが、意外と本質を見抜く能力は高いのかもしれない。

「で、皆の話を聞いてて思い付いたんだけどよ……俺シャバに出たら一つやってみたいことが出来たんだよな!」

「ふぉふぉふぉ、それはそれは……ワシらの話から何か刺激を受け取ってもらえたと仰るならば、これに勝る喜びはありませぬぞ……してそれはどのような、もし差し支えなければ教えて下さらんか?」

 胡坐を掻いていた爺さんが、立ち上がらんばかりに身を乗り出した。慎太郎の言葉がそれだけ嬉しかったのだろう。


 勿体つけたドヤ顔で慎太郎は口を開いた。

「俺、実は匂いフェチなんだよ。……分かりやすい女モノの香水とかの匂いを嗅いだだけでムラムラくるんだけどよ、特に一番くるのがデパートの化粧品フロアの匂いなんだよな」

 謙太のような匂いフェチの男は割と多いかもしれない。

 ましてこうして豚箱ムショ内で、一日おきにしか風呂に入ることも叶わない、汗臭い男だけの生活の中で、忘れていた女の匂いというものを思い出させられると……俺にもグッとくるものがあった。

「でよ、謙太さんの女装の話があったろ?あれを聞いて思い付いたんだけどよ、俺も女装をマスターしてだな……」

 うんうん、と一座は誰もが興味深く慎太郎の話を聞いていた。

「通勤時の満員の女性車両に乗り込んでやろうと思うんだよ!俺も男としては小柄な方だし、バレないと思うんだよな。……女の色んな香水と汗と諸々の匂いが混じった空間にぎゅうぎゅうに押し込まれる……あ~、考えただけでムラムラしてくるよな!」

「慎太郎君?……一応確認なんだけど、それは風俗でのイメージプレイだとか、妄想としてじゃなくて、実際に行動に移そうってことなのかな?」

 尋ねた謙太の口調は静かなものだったが、その顔は完全に引きつっていた。

「あったり前よ!俺はアンタらみたいな陰キャとは違うぜ、どんな妄想も現実に行動に移さなきゃ意味がないぜ、俺はなぁ……」


「この大馬鹿者!!!」

 その言葉が俺の耳に届く前に、慎太郎は身体ごと吹っ飛ばされていた。

 キレたのは謙太ではなく……爺さんの方だった。

 高齢で細身の身体のどこにそんな力が眠っていたのか、目にも止まらぬ速さで立ち上がった爺さんの膝蹴りで、胡坐を掻いていた慎太郎の身体は3メートル近く吹っ飛ばされていた。

「……何しやがるんだ、このクソジジイ!!!」

 一撃でノックアウトかと思われた慎太郎だったが、フラフラしながらも立ち上がると爺さんを睨みつけた。

「黙れ若僧!ワシらは確かにクズじゃ。……じゃが他人に迷惑を掛けてはならんのじゃ!それだけは守られなければならない、最低限のラインなのじゃ!それすらも分からんでおったのか、この大馬鹿者!」

 爺さんの怒号は怒りというよりも哀しみの色が強かった。

 渾身の力で説いてきたことが何も伝わっていなかった、という無力感なのかもしれない。

 ……いや、爺さんのキレるポイントもよくわかんねえんだけどな。『他人に迷惑を掛けるな!』ってアンタら今まで散々迷惑を掛けてきたんじゃねえのか?まあ、散々迷惑を掛けてきたがゆえの反省ってことなのか?




「おい、お前ら何をしている!大晦日だからと言って羽目を外し過ぎだ!」

 たちまち4人の刑務官が雪崩れ込んできて俺たちは拘束された。

 純粋に人数でいえば奴らの方が少ないのだが、抵抗しようという発想を囚人おれたちはとっくの昔に抜き取られている。実にあっさりと拘束は完了した。

「おいおい……『仙人』と呼ばれるお前が、どういう経緯でこんなザマになったんだよ、なぁ?……まあいい話は独房でゆっくりと聞かせてもらうぜ、くくく」

 羽交い絞めにされた爺さんに向かって、指揮者であろう刑務官が口の端を歪めて笑った。

 入口からはさらに5人の応援の刑務官が入って来た。恐らくこの部屋の外にはさらに多くの刑務官が待機し、万が一俺たちが抵抗を示した際の予備戦力となっているのだろう。

「連れていけ!」

 指揮官が鋭く号令を出すと、羽交い絞めにされたままの爺さんはさらに頭を押さえ付けられ、真下を向かされる体勢で歩を進めさせられた。


「爺さん!!」

 この場で声を発することが、囚人として大きなマイナスであることは分かっていた。きっと俺に対する懲罰もこの一言で大きくなる。そんなことは分かっていた。

 それでもそうせざるを得なかった。

 爺さんとの様々な場面の映像が浮かび上がってきた。ここに入った当初、新入りの俺のことをやたらと気に掛けてくれた。不自然なほど親切で何か裏があるのではないか?と何度も疑ったものだ。


 爺さんは羽交い絞めにされながらも足を止めた。

 本来拘束されている囚人にそんな自由があるはずはない。

 爺さんの不思議な威厳に刑務官も呑まれたのだろう。

 そして顔を上げ俺の方を見つめた。厳しさも優しさも憂いも悲しみも怒りも楽しさも含んだ複雑な表情だった。


「生き抜くんじゃ!……どんなに無様に転んでもいい!他人から笑われても気にするな!誰にも理解されなくて良い!一つでも、何かほんの一つでも楽しみがあれば、きっと人は生きていける!……だから生き抜くんじゃ!それだけがこの世界に対する唯一の反抗なんじゃよ!」

 爺さんはそう叫んだ。

 その声は悲痛な叫びにも聞こえたが、どこかウキウキと笑っている声にも聞こえた。






 (了)

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いきぬき きんちゃん @kinchan84

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