65話 仙人⑱

「ふぉふぉ、人間誰しも内面に宇宙を持っておるが、ほとんどの人間はその深みに到達する前に死んでしまう。一番身近な人間である自分についてすら知り尽くすことは出来んのです……それほどまでに人生というやつは短い。……結局「なぜ生きているのか?」という問いには「知りたいから」という以上の答えは無い。少しでも世界について知りたいという欲求だけが生きてゆく助けになる。……これはジジイが、皆さんより少しだけ長く生きてきた中で辿り着いた真実じゃよ。……勿論普通の人生を送ってきた人間ならばもう少し世界は広がっておる。他人と接し関係を築いてゆくことも自由じゃし、やってみたい仕事をやるのも、行ってみたい場所に行くのも自由じゃ。……じゃがワシらは豚箱ムショの中におる。無論いつかはここを出るかもしれんが、その後も普通の人よりは大きなハンデを背負って生きてゆくことになろう。ごく稀にここを出て立派に更生して人並みな幸せを築く人間もいらっしゃるが、ワシの見立てでは慎太郎さんも佐藤さんも正真正銘のクズじゃ。とてもそんな更生は望めまいて」

 ……え?ん?爺さん今、感動的な雰囲気を演出しておいて、とんでもなくヒドイこと言わなかったか?


 だがそんな俺の疑問を差し挟む間もなく爺さんの言葉は続いた。

「じゃがそれで良いのじゃよ。ワシらにとって今さら倫理や法律など何の意味があろうかて?人間誰しも何かしらのクズじゃし、何かしら歪みを抱えておる。一見まともで立派な人間もおるが、その差もやがて訪れる終わりの前ではほんの誤差みたいなもんじゃよ。他人と比べて嘆くことほど無意味なことはなかろうて。どんなに外界の状況に絶望しても内面だけは自由じゃ。時には内側に逃げられるだけ逃げれば良いんじゃよ。……どんな現実逃避をしてでも良い。生まれ落ちてしまったからには、ヤケになることなく最後まで生き抜いて欲しい。そう願うジジイのお節介じゃよ」


 爺さんの言葉で俺は自分のこれからのことを考えた。

 いつになるかは分からないが、よっぽどのヘマをしない限り遅くとも3年もすれば俺もこの場所から出ていける筈だ。

 だが、出てからどう生きていけば良いのか、今の俺には何の展望も無い。やりたいことなど思い付かないし、会いたい人間など一人も居ない。その時期が近付けば何か見えてくるのだろうか?今日のこの座で話したことが、爺さんの言う通り何か役に立つのだろうか?

 ……いや、絶対立たない気がする、うん。


「ふぉふぉふぉ、さて新入りのお二人さん。謙太さんの言った通りワシらは利己的な人間じゃ。自分のオナニーにしか興味が無いんじゃよ。ワシらの何かきっかけになるように、何かお二人の経験を語ってはくれませぬか?……ふぉふぉ、別に自慰行為に関わることでなくとも良いし、どんな小さな体験でも構いません。ここの生活が長くなると刺激が無くてのぅ、生きてゆくには、自分の考えを進めてゆくには刺激が必要なのじゃよ。あなた方の生きた生の体験をワシらに語って欲しいんじゃよ」

 ここまで一方的に受けるばかりだった俺だ。

 勿論俺はこの場の皆のようにオナニーに対して探求心を燃やしたことはなかったが、それでも自分の経験してきたことを語ってみたくなってきていた。

 だが先に語り始めたのは、慎太郎の方だった。



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