第四章 戦う女将

第21話

「駄目だ、駄目だ、ポーケントッターはいないって言ってるだろ! 会うことは出来ないよ!」


「そんな! 中庭の方にいるのであろう? ポーケントッター殿がこの宿の中庭に居を構えているのは町中の噂で先刻承知だ。居留守など使わずに会わせてくれ!」


「そんなことは知らないね」


「我が輩はアーチボルト伯爵家からの使いの者だぞ! ポーケントッター殿に伯からの仕官の誘いがあったのだ! これは重要かつ名誉極まる話なのだぞ!」


「あいつは好きで牢人やってるんだ。そもそもあのトーヘンボクが前いたのは侯爵家じゃないか。伯爵家じゃランクダウンだろ。話にならないね。却下」


「我がアーチボルト家を侮辱するのか!」


「ちょいと、アーチボルトだかアークボルトだか知らないけどね、ここはあんたのご主人さまの領地じゃないんだよ! ここは現ゴドワナ国王アルフレッド三世陛下の直轄領、自由港湾都市ポートホープだ! 貴族だからってなんでも思い通りになると思ったら大間違いだよ!」


「うぬ!」


「さあ、帰った、帰った! 今日はこれから重要かつ名誉極まる『儀式』があるんだ。あんたの相手をしている暇はないんだよ!」


「う、うわ、何をするかこの無礼者め! 我が輩は誉れあるアーチボルト家の――お、おのれ、覚えておれ、この平民め!」


 サンディスは聞く耳持たず、宿の入り口から、ジュストコールコートジレ袖無しベストキュロット半ズボン姿という、いかにも貴族の使い然とした男を追い出した。


 使いの男は顔を真っ赤にしてよく手入れされた髭を震わせたが、サンディスは意に返さない。


『春の微風亭』の門前で行われた押し問答は、サンディスの圧勝で終わった。


「――ったく、このくそ暑いのに鬱陶しいったらないね」


「ド、ドウモ、手数ヲオ掛ケシマシタ……」


 パンパンと掌を払いながら戻って来たサンディスに、ポーケントッター(目玉)が礼を言った。


「あんたもあんただよ。デカイ図体でコソコソ隠れてないで男ならビシッと自分の口で断りな」


「引キ受ケルノハ得意ナノデスガ、断ルノハ苦手ナノデス……」


「まったく情けないったらないね」


 気っ風の良い姐さんサンディスにやり込められるポーケントッター。


「でも最近、仕官のお誘いがほんと多くなってきましたね」


 そんな二人の遣り取りを見て、微苦笑を浮かべるメロディ。

 昼時を過ぎてちょうど暇になった時間帯で、酒場に客の姿はない。

 メロディとポーケントッター、サンディス。それにティアとその友達のクレアがいるだけだ。


「そろそろポーケントッターがこの町にきて半年だからね。ポートホープに牢人した英雄『白銀の稲妻』が居座ってるって、ゴドワナ中に噂が広がりきった頃だろう。国中の貴族が見栄の塊になって熾烈な争奪戦を繰り広げてるのさ」


 サンディスの話は貴族に対する偏見に満ちていたが、それ故に真実を射ていた。


 今ゴドワナの貴族の間では、どの家が牢人したポーケントッターを召し抱えるのか――が、話題の中心となっていた。

 話題とはこの時代、貴族・平民を問わず人々の娯楽に他ならない。

 英雄『白銀の稲妻』を召し抱えたとなれば家名は上がり、それ以上に強力なソウルアーマーを得たことで貴族間での発言力が強まり、家勢が上がる。

 ソウルアーマーを所有できるほどの財力を持つ大貴族は必死になり、そうでない中小の貴族はそんな大貴族たちを公然と賭けの対象にして溜飲を下げていた。


 ポーケントッターはそんな貴族たちからの誘いを避けるべく、最近はもっぱら『春の微風亭』の中庭に身を潜めている。


「ポーケントッターさんが宿の前に立っていてくれれば、いい宣伝になるんですけどね」


 メロディが残念そうに言った。

 当初は人々に怖れられていたポーケントッターだったが、『はぐれアーマー』から町を守り、聖火祭の火災から『聖ギルモア学園』を救ったことで住人たちの信頼を勝ち得、彼を目当てに宿を訪れる客も多くなっていたのだ。


 それに――。


 それにメロディの部屋の窓は通りに向かって造り付けられており、中庭には面していない。

 今は、朝窓を開けても、ポーケントッターの顔を見ることは出来ないのだ。

 もちろん誰にも言わず、表情にも出していないが、メロディは最近、それが物足りなく感じているのだ。


「ヤ、宿ノ売リ上ゲニ貢献デキズ、真ニ申シワケアリマセン……」


「い、いえいえ」


 ポーケントッターに頭を下げられ(目玉を前後に揺すられ)、メロディが慌てて顔の前で手を振った。


「ポーケントッターさんは平和を愛するソウルアーマーなんですから。仕官なんかしないで、町でみんなと楽しく暮らしている今の方が合ってるんですよ」


「ハイ、モウ戦争ハ懲リ懲リデス」


「ティアちゃんのパパって凄いね」


「エヘヘヘ」


 クレアの純粋な讃辞にティアがはにかんだとき、


「よ~し、それじゃそろそろ、重要かつ名誉極まる儀式を始めるぞい」


 と、老調理人のマートが二人の女給と厨房から出て来て宣言した。


「――半年の長きにわたり、その甘さと香りでわしらの口と心を満たし癒してくれた、焦げ茶色の天使チョコレートよ。ここにそなたのもたらした恩寵を讃え、わしら『春の微風亭』に集う全員でそなたとの別れを惜しむ! さらば、褐色の天使よ! ――捧げぇぇ、筒!」


 惜別の辞を述べ終えたマートの号令一下、酒場にいる全員が目の前にそれぞれの得物を捧げた。


 マートは包丁を捧げた。


 メロディはおたまを捧げた。


 サンディスは愛用のマグカップを捧げ、


 ティアとクレアはそれぞれ大小のスプーンを、


 二人の女給はナイフとフォークを捧げた。


 ポーケントッターは、なぜかホイッパーを捧げた。


「――よし、これが最後じゃ。心して味わえよ」


 敬礼を終えると、マートが万感の想いを込めて、カウンターに座った皆に小樽の底に残っていた最後のカカオ・パウダーで作った特性のデザートを振る舞った。


 それは九月のまだまだ残暑の厳しい日には、最高のデザートだった。


「……ああ、冷たい……そしてこの官能的な……罪作りなまでの味……」


 メロディが泣いた。


「……な、なんて食いものを作るんだい……こんなもの食べちまって、明日からわたしは何を楽しみに生きていけばいいんだい……」


 サンディスが泣いた。


「……ひゃ、ひゃっこくて……美味ちい……美味ちすぎる……」


 ティアが泣いた。


「……クレア、このまま死んじゃってもいいかも……」


 クレアが泣いた。


「……」


 二人の女給が、ただただ泣いた。


 町が泣いた。

 海が泣いた。

 山が泣いた。

 野が、谷が、河が泣いた。


 ハラハラと泣いた。


 元王宮料理人のマートが作った、夏の日には最高のデザート……チョコレート・ジェラート。

 平民なら、おそらく一生涯口にすることなく人生を終えるであろう食べ物。

 なんの運命の悪戯か、『春の微風亭』に集った平民たちは、その悪魔的なまでに蠱惑的な味を知ったのだ。


「……サンディスさんの言うとおりです……こんな味知らなければ良かった……ああ、齢16にして人生の喜びの大部分が終わったわ……」


 お口で溶けて、身も心も同時に溶ける……。

 この甘いデザートを、明日から口に出来なくなるなんて……。

 出会ってしまったが故に、別れは辛く悲しい。

 ああ、また出会える日は来るのかしら……?


 ピー! ピー! ピー!


 メロディを筆頭に、酒場の乙女たちがようやく出会えた運命の恋人と引き裂かれたかのような悲しみに浸っていた時、身体機能的に一人だけジェラートを食べられずに浮かんでいたポーケントッターが、突然耳障りな音を発し始めた。


警戒警報アラート・インフォメーション! 未確認機アンノウン一機、方位ヴェクター3-5-0ヨリ急速接近中! 距離五マイル! 高度500フィート! 速度650ノット! 警戒アラート! 警戒アラート!」


「ポ、ポーケントッターさん!?」


「パパ、どうしたの!?」


「な、なんだい、暑さにやられて、ついにおかしくなっちまったのかい!?」


「センサーニ突然反応ガ現レマシタ! 未確認ノ『ソウルアーマー』ガ急速ニ近ヅイテイマス! 低高度ヲ電波透過ステルス機能ヲ使ッテ、ポートホープニ接近シテキタ模様デス!」


「わ、分かる言葉でいって下さい!」


「ワタシノ『レーダー』ニ捉エラレナイヨウニ近ヅイテキタ模様デス! スデニコノ町ノ上空デス! ――目標ノ進路予測完了! コノ宿屋ニ来マス!」


「こ、ここにソウルアーマーが来るのですか!? ポーケントッターさんとは別の!?」


 メロディが訊ね返したときには、あの独特の飛翔音が宿屋の外から聞こえ始めていた。


 ソウルアーマーが空を飛ぶ際に発する、あの独特の金属音。

 その金属音が、すぐに鼓膜を破らんばかりの轟音と化した。


「な、なに!? なんなの!?」


 たまらず、ポーケントッターを除く酒場にいた全員が耳を覆った。


「コンナ外連味ノアル登場ヲスルノハ……」


 ポーケントッターの呟きは、未確認機の着陸(?)の衝撃音で掻き消された。

 金属音が収束していき、宿の外が静かになる。


 ティアとクレアはメロディにしがみつき、サンディスはフライパンを手に身構え、マートと二人の女給はテーブルの下に潜り込んだまま、しばらく固まっていた。

 それからようやく、おっかなビックリ外の様子を覗った。

 腰を抜かした通行人の真ん中に、ポーケントッターとは別のソウルアーマーが直立していた。

 プシュ! と空気の抜ける音がして、磨き上げられた光学透過装甲の腹が開く。

 クックピットから現れたのは、アーマードライバー専用にあつらえられた独自の搭乗服に身を包んだ、燃えるような赤毛の美少女だった。

 整いすぎるほど整った顔立ちに、白い肌。意思の強さを示すルビー色の瞳。


 その紅い瞳が、宿の中から現れたポーケントッターを射竦めた。


「――久しぶりだな、ナカト! 会いに来てやったぞ!」


 ポーケントッターの前の主人であるスカーレット・クロスフォード侯爵夫人が、呆気に取られた様子の『春の微風亭』の面々を、不敵な笑みを浮かべて見下ろしていた。


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