第22話

「久しぶりだな、ナカト」


 赤毛の少女――スカーレットは、もう一度ポーケントッターに言った。


「……クロスフォード侯爵夫人」


「どうした、我が愛機よ。よもやわたしの顔を見忘れたとは言うまいな。主を野外に立たせたままにするとは無礼であろう。さっさとその汚い宿屋に案内せよ」


 ポーケントッターはスカーレットに促されて、前の主を一階の酒場に招き入れた。


「ふむ、外観と同様に中も汚いな。まあ、これを平民的と呼ぶならそうなのだろう」


 勝手に丸テーブルのひとつに着くと、スカーレットは物珍しそうに酒場の中を見渡した。


「ここは平民による平民のための宿ですから」


 メロディはムッとした表情を隠そうともせずに、自分と同じ年格好のスカーレットに言った。


 メロディは特権階級である貴族に対してサンディスのような強い偏見は持っていなかったが、それでもスカーレットに対する第一印象は『最悪』以外の何ものでもなかった。

 それ以外にも言葉では上手く言い表せなかったが、メロディは様々な理由から(主に本能的な理由から)この少女に気後れしてはいけないと思った。

 誰にでも優しく親身になれるメロディにとって、こんなことは初めての反応だった。


「それでご注文はなんでしょう? レディ・バーミリアル」


 本来なら宿の経営者としての立場上、


『当宿にお越し下さいましてまことに光栄の至りです、クロスフォード侯爵夫人。あなた様をお迎えできたのは、この宿屋末代までの誉れでございます』


 ――とかなんとか、それらしい言葉は心には無くとも吐かなければならないのだが、自分でも予想外の敵愾心に煽られ、そこまでの気は回らない。そんな気にはとてもなれない。


 眉根を寄せて自分を見つめるメロディを、スカーレットも見返した。

 こちらもメロディに負けず劣らず、非友好的な視線だ。

 メロディがそうであるように、スカーレットもまた、本能的に彼女に対して身構えるものがあるらしい。

 好意的でない二つの視線がぶつかり合い、空中で見えない火花が散った。


「宿の者か」

「女将のメロディ・スプリングウィンドです」

「久方ぶりの遠乗りで喉が渇いた。赤ワインをくれ」

「あいにく安物しかございませんが」

「元より期待はしていない」

「ムッカー!」


「――そこにいるのは、もしかしてティアリンクか?」


 スカーレットは険悪な表情の若い女将を意図的に無視して、少し離れた場所で同年代の少女と寄り添いながら自分を見つめているティアに視線を移した。


「は、はい、そうです」


「おお、やはり! 見違えたぞ! 大きくなったものだ! 最後に会ったのは二年以上前だからな? 覚えているか? パルキアの駐屯地でナカトに乗って一緒に空を飛んだことを?」


「お、覚えています」


「あの時は楽しかったな。最初は怖がっていたお前もすぐに馴染んで、わたしはあの時、お前には将来アーマードライバーになる才能があると思ったものだ」


 打って変わって、快活に語るスカーレット。


 メロディは女給の一人に、地下のワインセラーから赤葡萄酒を一瓶取ってくるように命じながら、そんなスカーレットの声をツンケンした表情で聞いていた。

 スカーレットがティアと親しげに話をするのも気に入らないし、彼女が自分の知らないティアやポーケントッターとの想い出を持っているのも面白くない。


 面白くない。


(まったく、あんな傲慢な人がポーケントッターさんの前のご主人だなんて! ポーケントッターさんもポーケントッターさんです! あんな人、さっさと追い返してしまえばいいのに!)


「……お待たせしました」


 トレーから赤ワインの満たされたグラスを、スカーレットのテーブルに置くメロディ。


 香りを嗅ぎ、一口口に含んで、


「本当に安物だな」


 と、スカーレットは言った。


「ソレデ、侯爵夫人マーショネス。今日ハワタシニドノヨウナ御用デショウカ?」


 ガルルルル! とますます表情を険しくしたメロディがスカーレットに喰って掛かるよりも先に、ポーケントッターが訊ねた。


「しばらく会わない間に、マジックアイの集音力が落ちたか? メンテナンスが必要だな。久しぶりにお前に会いに来たと言っただろうが」


「ソノヨウナ理由ダケデ、北方軍総司令官デアル侯爵夫人ガ所領ヲ離レルトハ思エマセン」


 その言い分は、ポーケントッターには通じなかった。


「ふん、さすがにわたしの乗機を三年も務めただけのことはあるな。これがドライバーとアーマーの以心伝心か。古女房にとは言え、心を読まれるというのは気持ちの良いものではないな」


 嘘を見破られ、肩をすくめるスカーレット。


「またぞろメンデームの狐どもが蠢き始めた。戦だ。屋敷に戻れ、ポーケントッター」


 その言葉が、酒場にいる全員の顔面をまともに打ち、場の空気を一瞬で凍り付かせた。


 戦――戦争。


 隣国メンデームと何百年も続く、あのダラダラした、終わったと思ったらまた始まり、始まったと思ったらいつの間にか終わっている、あのくだらない戦争。


 あの戦争が、また始まる――?


「ちょ、ちょっと待って下さい! いきなり来たと思ったらあなたは何を言ってるのですか!?」


 たまらず、メロディが叫んだ。


「ポーケントッターさんは、もうあなたの家来でも部下でもないはずです! 例えまた戦争が始まるにしても、もうあなたにはポーケントッターさんを連れ戻す権利はないはずです!」


 無茶苦茶だ! 無茶苦茶だ! 無茶苦茶だ!


 ポーケントッターは、この町で、このポートホープで、この『春の微風亭』で、今ようやく穏やかな生活を手に入れようとしているのだ!

 愛する娘ティアとの、穏やかで愛情に満ちた暮らしを手に入れようとしているのだ!

 それなのに、突然現れたこの赤い髪の少女は何を言っているのだ?

 道理もなにもあったものじゃない!


 無茶苦茶だ! 無茶苦茶だ! 無茶苦茶だ!


「お前の意見など求めてはいない。わたしはポーケントッターと話をしている」


 メロディの抗議を、大貴族の傲岸さで一蹴するスカーレット。

 スカーレットのその態度に、メロディが怒りと屈辱に顔を青ざめさせて、さらに強い言葉を吐きかける。

 しかし、ポーケントッターがメロディの前に出て、若い女将が宿の賓客と最悪の事態に突入するのを制した。


「侯爵夫人。ワタシハ戦場ニ戻ルツモリハアリマセン。ワタシハ前ノ戦争デ充分ニ自分ノ責務ヲ果タシマシタ。ワタシハコレマデ娘ニ寂シイ思イヲサセテキマシタ。コレカラハ、ソノ罪滅ボシノタメニモ、娘ト心穏ヤカニ暮ラシテイクツモリデス」


 ポーケントッターの声は、静かだが強い決意に満ちていた。


「責務を……果たしただと?」


 マジックアイの言葉に、メロディ相手には余裕すら感じられていたスカーレットの表情が憤怒に歪んだ。


「臆したか、ポーケントッター! よもや貴様の口からそのような惰弱な言葉を聞くことになろうとはな! 身の程をわきまえよ! 貴様は戦うためだけに作られた『封魂型自律式重戦闘甲冑』であろうが!」


 ――戦しか能がない、戦争でしか役に立たない、戦闘人形だろうが!


 北方軍の総司令官として麾下の数万の将兵を叱咤するスカーレットの怒声が、『春の微風亭』の酒場に轟いた。


 雷鳴のような沈黙が訪れる。

 もはや誰も言葉を発する者はいない。


 息詰まるような静寂を引き裂いたのは、幼い少女の悲痛な叫びだった。


「嫌――――――――――っ!!!」


 ティアの悲鳴が、鋭いナイフの切っ先となって、その場にいた全員の胸に突き刺さった。


◆◇◆


 コンコン、


「入れ」


「失礼します」


『春の微風亭』の一番上等な客室のドアがノックされ、女将であるメロディ・スプリングウィンドが入ってきた。


「どうした?」


「入浴の準備が整いました。侯爵夫人」


「そうか、ご苦労」


 客室の主であるスカーレット・クロスフォードが頷く。

 軍隊生活が長いためか、その受け答えには貴族としての鷹揚さや優雅さよりも、厳しさが目立った。


「チップだ。とっておくがいい」


「いえ、全て前金で頂いた宿代に含まれていますので、お気遣いは無用です」


 スカーレットが差し出したオルフェイムス大型金貨を、メロディが辞退する。

 例え相手がどんな大貴族・大富豪であろうとも、設定してある料金以上は受け取らないのが『春の微風亭』の流儀であり伝統だ。相手を見てぼったりは決してしない。


「……そうか」


 スカーレットはメロディから顔を背けた。


「……ティアリンクはどうしている?」


「部屋に閉じ籠もっています」


「……そうか」


 もう一度、スカーレットは呟いた。


「ティアのことが気になるなら、あの子の気持ちを考えるなら、このまま一人で御領地に帰って下さい」


「それはできぬ」


 スカーレットが言下に答える。大きくはなかったが揺るがない決意が感じられる声だった。


「ことは一兵卒の話ではない。戦局を決定する最大要因である『ソウルアーマー』の話だ。ポーケントッターの存在の有無が、戦争の行く末に、ひいてはこのゴドワナの未来に直接係わってくるのだ。だから北方軍総司令官のわたし自ら彼奴を迎えにきたのだ」


 ――一人で帰るわけにはいかぬ。


「……」


 メロディは沈黙した。

 スカーレットの横顔には、自分と同年代の少女とは思えぬ厳しい表情があった。

 武家の名門クロスフォード家に生まれ、父親である先代のクロスフォード侯爵の急逝によって、女の身でありながら、しかも若干10歳で爵位を襲ぎ、侯爵夫人マーショネスになった娘の歳不相応の表情。


「ポーケントッターは連れて帰る。わたしを憎むなら憎め。軽蔑するなら軽蔑するがいい。所詮、戦場から離れて暮らす平民の娘であるお前に、領地と国を守るために戦うことを運命付けられたわたしの気持ちは分からぬ」


 それは逆らうことを許さぬ、硬く厳しく冷たい軍人の口調だった。

 そして、他者の理解も温もりも拒絶する孤独な少女の口調だった。


「湯を使う。浴室に案内せよ」



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