第20話
最初にその異変に気づいたのは、眠り込んでしまった不寝番の教師だった。
かがり火の前に置かれた椅子は適度に心地良く、同僚と交代で火の番をするはずだった中年の男性教師は、つい睡魔に負けてウトウトと船を漕いでしまった。
教師が目を覚ましたのは、別に睡眠中に異変を察知したからではなく、不自由な姿勢で寝ていたせいで身体がビクッと不随意の反応を示したためだ。
パキパキと木が燃え、弾ける音が教師の耳に届いたが、寝惚け眼の彼は、初めそれは目の前のかがり火が立てる音だと思った。
しかしすぐに、かがり火のさらに向こうで校舎の三階が燃えていることに気づき、教師は驚き、狼狽した。
それから大声で『火事だ!』と叫び、同僚の教師と教え子たちを起こした。
老婦人の学園長はくるまっていた毛布から飛び上がった。
慌てふためく男性教師の言うとおり、校舎の三階の一番西側の教室の窓から紅蓮の炎が噴き上がり、夜空を焦がしていた。
学園長は狼狽えながらも子供たちを校舎から離した。そして町に異変を知らせるため、鐘楼の鐘を鳴らすように教師の一人に命じた。
火勢は強い。
鐘楼は校舎の中央最上部にあるから、延焼すれば危険が及ぶ。
しかし、学園長に命じられた責任感のある教師は怯まずに校舎に飛び込んで行った。
階段を駆け上がり、息せき切って梯子を登り、鐘楼に辿り着き、青銅の大鐘を乱打した。
夜のポートホープに、非常事態を知らせ助けを求める、『聖ギルモア学園』の悲鳴が響き渡った。
◆◇◆
「ああ!? が、学校が――学校が燃えている!」
メロディが、口に両手を当てて驚愕した。
視線のずっと先で、二つの炎が燃えている。
ひとつは丘の上の学校で焚かれている、聖火祭のかがり火。
そしてもうひとつは、学校の校舎その物――。
「ティ、ティア!」
メロディが、彼女の大切な小さな友人の名を叫んだとき、すでにポーケントッターは発進態勢をとっていた。
「行キマス!」
高速飛翔能力を有するポーケントッターにとって、火災現場までは指呼の間だ。
マジックアイの方は格納はされずに単独で自警団の詰め所に向かっている。
泊まり込んでいる火消し番に本体からの情報を中継し、誘導しなければならない。事態は一刻を争う。
「ま、待って! わたしも行きます!」
今、まさに飛び立とうしているポーケントッターを、メロディが呼び止めた。
「わたしも連れて行って下さい!」
ポーケントッターは驚いた様子でメロディを見た。
しかし、すぐに頷き、膝を折って光学透過装甲の腹を開けた。
掌を、メロディに差し出す。
メロディは、ポーケントッターの巨大な掌に乗って、『クックピット鶏の巣』と呼ばれる彼の腹の中に潜り込んだ。
二回目のなので慣れている。
手早く身体を固定する安全ベルトを締めるメロディ。
「――女将、
メロディが宣言すると、ポーケントッターの腹が閉じ、ガスケットによって完全に密閉された。正面に設置されている数枚のガラスパネルに、古代レムリア文字だの記号だの大小の図形だのが灯り、明滅した。
「今日ハ荒ッポイデス! 舌ヲ噛マナイヨウニ注意シテ下サイ!」
「女将、了解!」
ポーケントッターは、宿の前に置かれていた空の大樽に海水を満たして、抱え上げた。
「ティアの学校を助けてあげて下さい!」
「
ポーケントッターが返答するや否や、機体と接地面のマイナスイオンが増大し、反発した。
同電荷の斥力によって、機体が弾けるように飛び上がる。
本当なら、最初からメインスラスター全開で上昇・加速したかったが、周囲に人家のあるこの状況では被害が出てしまう。荷重による搭乗しているメロディへの負荷も心配だ。
しかし、距離が距離だ。
文字通り一呼吸の間に、ポーケントッターは丘の上の『聖ギルモア学園』に到達した。
◆◇◆
「あ、ああ……学校が、学校が燃えちゃう……」
ティアは視線の先で炎を上げる校舎を見つめながら、恐怖に怯える瞳で呟いた。
握り合う手から、クレアの震えが伝わってくる。
夜の町を帰宅させる訳にもいかず、子供たちは炎上する校舎から離され、一塊にされていた。
寒さと恐怖で、全員が震えていた。
何度も繰り返される点呼に混じって、その音は聞こえてきた。
耳慣れた、硬質の金属音――飛翔音。
怯えに満ちていたティアの顔が、パッと明るくなった。
「パパだわ!」
ティアが夜空を指差した。
その上空を、樽を抱えたポーケントッターが轟! ――と通過していく。
「『そうるあ~ま~』だ!」
「『はくぎんのいなづま』だ!」
打ち震えていた子供たちから、やんやの喝采が上がった。
「パパ、お願い! あの火を消して! 学校を助けて!」
◆◇◆
「子供達ノ無事ヲ確認シマシタ!」
クックピット内にポーケントッターの声が響くと、光学透過装甲の腹の内側に四角い窓が表示され、子供たちが夜空に向かって快哉を叫んでいる姿が映し出された。その中にティアとクレアもいた。
「よかった!」
メロディは心の底から安堵した。
そしてすぐに気を引き締める。
次は学校を――ティアの『新しい世界』を救わなければ!
燃えているのは、校舎の三階の一番西側の教室だった。
「お、おかしいです、これ! 校舎の内側から燃えています!」
メロディは、すぐに眼前の火災の異常に気がついた。
聖火祭のかがり火から引火したのなら、校舎の外側から燃えているはずだ。
それなのに、これは建物の内側から燃えている。
「消火ノタメニ、校舎ノ一部ヲ破壊シマス!」
ティアの学校を傷つけたくはなかったが、外から水を浴びせても効果は薄い。
やむを得ずポーケントッターは、
激しい火の粉が散って、炎が噴き出してきた。
本来なら、こんなに強い火の側になどいられたものではないはずだが、ポーケントッターのクックピットには、どこからともなく冷たい風が送り込まれてきており、熱さを感じることはない。
「ポーケントッターさん、今です!」
外壁が壊れ、猛火に包まれた教室が露出すると、メロディは叫んだ。
同時に、ポーケントッターが大樽に入った海水をぶちまけた。
ジュッ!! と音を立てて、振りかけられた海水が一瞬で蒸発する。
火勢は弱まるどころか、ポーケントッターとメロディの小癪な抵抗を受けて、ますます猛り狂ったように見えた。
「駄目デス! 効果薄デス! コレデハ埒ガ明キマセン!」
確かにポーケントッターの言うとおりだと、メロディは思った。
海まで往復して樽に水を満たしている間に、校舎は燃え落ちてしまうだろう。
「な、なにか方法はありませんか!? このままでは学校が!!」
「ワタシニ考エガアリマス!」
ポーケントッターは持っていた樽を投げ捨てると、転進して海に向かった。
岸壁に着くや否や、両腕を海に突っ込む。
「な、なにをする気ですか!?」
「火勢ガ強ク、樽デ水ヲ掛ケタグライデハ、アノ火ハ消セマセン! ソコデワタシノ機体内ニ海水ヲ取リ込ミ、ハッチ密閉用ノ圧搾空気ト『バイパス』シテ、
イ、インパルス消火――!?
「わ、分かる言葉でいって下さい!」
「水ノ大砲デ、炎ヲ吹キ飛バシマス!」
メロディの耳に、ポーケントッターの両掌にある『プラズマ生成器』を通じて機体内に引き込まれる海水の、ゴポゴポという音が届いた。
「吸水完了! 戻リマス!」
ポーケントッターは海水の取り込みを完了すると、すぐさま燃える学園にとって返した。
飛翔中には電磁プラズマスラスターを噴射して加速。速度を稼ぐ。
「自警団ガ学校ニ向カッテイマスガ、マダ時間ガ掛カリソウデス!」
ポーケントッターは、別行動をとるマジックアイからの情報をメロディに伝えた。
人間の足では丘の上まで、一息というわけにはいかない。
――火消しは間に合わない! わたし達でなんとかしなければ!
メロディが口元を引き締めたときには、燃え盛る校舎が再び目の前にあった。
間髪入れずに、ポーケントッターが両腕を伸ばす。
両掌を、今まさに学舎を焼き尽くさんとする紅蓮の炎に向ける。
元々が消火のためのシステム機体構造ではない。機体内に取り込んだ海水の量は少なく、機会は二度ない。
ポーケントッターは
最も高温な炎の中心に水弾を撃ちこむつもりだったが、グラフィック化した情報はどこもかしこも真っ赤で、すでに中心と呼べるようなものは判別できなかった。
これでは目視での直接照準と変わりがない。
「ヤリマス!」
躊躇している暇はない。
ポーケントッターが意を決すると同時に、メロディの眼前の光学透過装甲に、二重の円と十字を合わせたシンボルマークが、燃え盛る炎に重なるように表示された。
メロディが見ても、それが狙いを定めるための『照準』であることが分かった。
「水弾ヲ発射シマ――」
ポーケントッターが炎に向けて水弾を発射しかけたまさにその時だった。
突然メロディの目の前にある三枚のガラスパネルのうちの中央が、黒く曇った。
同時に誤射防止のためのセイフティが掛かり、照準のシンボルマークも消える。
「――ウッ!?」
「ど、どうしたのですか!?」
「メ、メインカメラガ、ス、煤デ!」
劫火によって発生した激しい上昇気流により、木造校舎の極微細な燃えカスが巻き上げられ、ポーケントッターの両眼に付着したのだ。
「見えないのですか!?」
メロディが驚きと怒りと呆れのない交ぜになった声を上げる。
直後、そのメロディの視界も、ポーケントッターの両眼と同じように真っ黒に染まった。
大量の煤が、ポーケントッターの光学透過装甲の胴体部にも付着し、一瞬で覆い尽くしたのだ。
「――ああっ!?」
メロディが再び悲鳴じみた声を上げた。
ポーケントッターは、マジックアイを分派して自警団の元に向かわせたことを後悔した。
あの『魔法の目玉』が今自分の頭部に格納されていたなら、即座に射出し、三角照準で水弾を発射できたのに!
ポーケントッターの後悔は、ドライバーシートを通じてメロディに伝わった。
ポーケントッターの狼狽が、逆にメロディに冷静さと、そして闘志をもたらした。
「ここを――ここを開けて下さい!」
メロディが怒鳴った。
「わたしが狙いをつけます! わたしが直接狙います!」
「メロディサン!」
「早く! 学校が燃えてしまいます!」
ティアの学校が燃えてしまいます!
「ワカリマシタ、アナタノ握ッテイル
「女将、了解!」
「ソレデハ、『ハッチ』ヲ開ケマス!」
ポーケントッターが言うなり、プシュッ! とガスケットの抜ける音がして、クックピットの前面が解放された。
途端に熱風が吹き込んできて、メロディを包み込んだ。
乾燥した熱い空気が、メロディの鼻を、喉を、肺を焼く。
大量の煤煙で、メロディの白い肌が真っ黒に煤けた。
メロディが口元を拭う。
汚れが横に引き延ばされ、さらに広がった。
「ごほっ、ごほっ!」
過酷な火災現場に初めて直接身を晒し、メロディの顔が歪んだ。
両手で左右の操縦桿を再度握る。
ポーケントッターの言うとおり、突き出している彼の両手がスティックの傾きに合わせて、メロディの視界の端で動いた。
「メロディサン! 注水シタ水ハ少量デス! 水弾ノ発射ハ一度限リニナリマス!」
「りょ、了解です!」
燃やさせはしない!
奪わせはしない!
この学校はティアの学校!
ティアがずっと願っていた想い!
夢!
あの子の希望!
「絶対に――絶対に守ってみせる!」
メロディは決意と闘志を込めて、左右の親指に力を込めた。
ポーケントッターの両腕を、ガスケット用の圧搾空気によって高圧を掛けられた海水が駆け巡り、掌から、まるで竜のようにのたうつ炎に向けて発射された。
高速で撃ち出された水弾はすぐ霧状になり、蒸発する際の気化熱によって、延焼中の校舎の熱を奪い去った。
『春の微風亭』の若き女将の放った水弾は、燃え盛る紅蓮の竜を吹き飛ばし、駆逐した。
「はぁ、はぁ、はぁ――!!」
勢いを削がれ、減衰した炎を前に、メロディが肩で息をした。
や、やった――やったの!?
「オ見事デス、メロディサン! ココマデ弱マレバ、後ハ人間ノ手デモ消セマス!」
眼下に、バケツを手にした教師や近隣の住人たちが、火勢の衰えた校舎に駆け込んで行く姿が見えた。
守った――守れた。
ティアの――あの子の夢を守れた。
身体の中で張り詰めていたものが霧散し、メロディがガクッと頭を垂れた。
「パパー! メロディー!」
歓声を上げる子供たちの最前列で、ティアが飛び跳ねながら大きく手を振っている。
メロディは残っていた最後の気力を振り絞ると、煤で汚れた真っ黒な顔を上げて、ムンッ! とガッツポーズをしてみせた。
◆◇◆
「――イチ、ニ、イチ、ニ!」
『春の微風亭』の中庭に、ティアとメロディの元気の良い掛け声が響いている。
「ア、アア……ソコデス……ソコガ気持チイイ……凄クイイ……」
二人にデッキブラシで身体を磨かれ、ポーケントッターが声だけで身悶えた。
ポーケントッターの周りには、自分の全高と同じぐらいの足場が組まれており、ティアとメロディがその足場の上で、煤で汚れたポーケントッターの身体を磨いてた。
丸太と厚板で組まれた足場の費用は、煤けた『白銀の稲妻』では恰好がつかぬからと、ポーケントッター自身が月割りで払った。
全焼を免れた『聖ギルモア学園』を運営する町からも、謝礼として心ばかりの援助の申し出があったが、紳士であるところのポーケントッターは丁重に辞退した。
(この出費により、ポーケントッター父娘が新大陸ヘ渡航できる日はまた遠のいた)
「ティア、左のところがまだ汚れてるわよ」
「分かってる~」
「足元に気をつけてね」
「アイアイサ~」
転落防止のための命綱をしっかり結んだティアが、メロディが指摘した箇所にブラシを当てて擦る。
「うわ~、真っ黒! ――イチ、ニ、イチ、ニ!」
今日はティアにとって、数日ぶりの休日だ。
ポーケントッターとメロディの活躍によって半焼で済んだ『聖ギルモア学園』は、火事のあと一日休校しただけで、その後は残された半分の校舎ですぐに授業を再開した。
結局火事の原因は、校舎の中で『肝だめし』を試みた三人の学童が、ランプを落としたためと判明した。
いつの時代でも、学校に怪談はつきものである。
三人の男児は、友人や教師たちが寝静まったあとに校舎に侵入し、話に聞く幽霊を探した。そして突然『窓』を叩いた海からの突風に驚き、ランプを落として逃げ出した。
その後、すぐに報告すれば尻を撲たれるだけで済んだのだが、悪童たちには夜の校舎の怪異より、教師の方が怖ろしい。
結果として、丘の上の学校はしばらく校舎の半分を使えなくなったのだが、聖火祭のかがり火が飛び火した訳ではなかったので、あの楽しい行事は来年以降も続けられるだろう。子供たちにとっては朗報だ。
「どうです? よく見えますか?」
「ハイ、大変結構デス。視界ハ良好デス」
メロディに汚れた両眼を拭われ、視野を取り戻したポーケントッターが満足そうに答えた。
「ポーケントッターさんには、早く綺麗になってもらいませんとね。中庭の物干し場を潰してこの足場を組んだのですから、あなたにはシーツを干させてもらいませんと」
煤で汚れていたら、シーツが干せません――とメロディ。
「オ任セ下サイ! メロディサント、コノ宿屋ノタメナラ、不祥ポーケントッター、シーツデモ、オムツデモ、何デモ干シマショウ!」
「まあ、頼もしい」
ポーケントッターの大言壮語に、メロディが口に手を当てコロコロと笑った。
そして視線を、半焼した校舎の修繕が進められている丘に向けた。
「……良かったですね、学校が残って」
「……エエ、本当ニ」
あの学校は、ティアに多くの大切なものをもたらしてくれるだろう。
知識、経験、想い出、恩師に友人、喜びに痛み……。
どれも、あの子がこれからの人生を歩んでいくのに必要なものだ。
残せて、守れて、本当に良かった。
「ティ~アちゃん、遊~びま~しょ!」
その時、宿の外でティアの友人の声がした。
「あ、クレアちゃんだ!」
ティアが父親とメロディを振り返る。
「遊んできていい?」
「モチロンデス。クレアサンニヨロシク」
「下りるときに気をつけてね」
デッキブラシを置くと、ティアは腰縄を外して、足場に掛けられた梯子を器用に下りていく。ティアは木登りが得意なのだ。
その姿を見送りながら、メロディは思った。
ティアの世界は、着実に広がっている――と。
◆◇◆
その夜、メロディは夢をみた。
夢の中に現れた若く美しい金髪の娘は、
「――あの子の新しい世界を守ってくれてありがとう」
と、メロディに礼を言った。
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