第14話
「……ティア」
メロディとサンディスが顔色を曇らせ、同時にティアを見つめた。
「ティア、心配ハイリマセン。ワタシハ戦争デハナク、人助ケニ行クノデス」
その時、宿の外からポーケントッターの声が響いた。
「パパ!」
ティアが酒場から飛び出して、宿の前に出る。メロディとサンディスも続いた。
「……パパ……」
「ティア、ワタシ達親子ガオ世話ニナッテイル、コノ『ポートホープ』ノ人達ガ今困ッテイマス。ソシテ助ケラレルノハ、ワタシダケナノデス」
足元の小さな愛娘に、ポーケントッターが真摯な声で言った。
「で、でも! ……でも……でも! ティア、もう少しだってパパと離れたくない……!」
父を見上げるティアの瞳に大粒の涙が浮ぶ。
「ティア……人ハ自分ノタメダケニ生キテハイケマセン。自分以外ノ誰カニ、大切ナ価値ノアル何カヲ与エルタメニ生キナケレバ」
メロディサンガ、アナタニシテクレタヨウニ――と父は娘に教えを垂れた。
大人は子供に、人生の規範を示さなければならないのだ。
「……パパ……」「……ポーケントッターさん……」
「おお、それではご尽力くださいますか! このポートホープのために!」
「スグニ、
巨人は役人に頷くと、視線をメロディに移した。
「メロディサン、申シワケアリマセンガ、少シダケ娘ノコトヲオ願イシマス」
「え、ええ、でも……」
メロディは口ごもった。
これからポーケントッターは、突如現れた『はぐれアーマー』を阻止するために、予期せぬ戦いに赴く。
なんのために? 誰のために?
このポートホープのために。自分たち住人のために。
無論、突き詰めれば彼自身のためであり、娘であるティアのためであろう。
彼ら父娘がこのポートホープで生きていくためには、戦わざるを得ないのだ。
それでもメロディたちポートホープの住人が、ポーケントッターの決断と行動によって恩恵をこうむることには違いないのだ。
そのポーケントッターを一人で行かせてしまっていいのだろうか?
一人で行かせてしまって、自分たちは普段と変わらぬ生活をしていていいのだろうか?
「いえ、駄目です! わたし達も一緒に行きます!」
メロディはティアの両肩の手を置くと、ポーケントッターに言った。
「これが戦争なら――あなたが戦場に行くなら、わたしはティアと共にここに残って、あなたの帰りを待ちます! でも、今回は戦争ではありません! あなたは人助け――この町を守るために行くのです! わたし達にはあなたの仕事を見届ける義務と責任があります!」
一人の人間を戦いに赴かせて、その他の人間が安全な場所で結果と帰りを待つだけなんて間違ってる――メロディは言った。
ポーケントッターは沈黙した。
そして娘に訊ねた。
「ティア、アナタハワタシノ戦ウ姿ヲ見タイデスカ?」
ポーケントッターにしてみれば、自分が戦う姿を娘に見られたくはないのだ。子供は本能的に暴力を怖がる。
ポーケントッターはティアに怖れられたくはなかった。
「うん、ティア見たい、パパが戦うところを見たい」
しかし、口籠もるかと思っていたティアは、ハッキリとした口調で答えた。
「パパが戦ってるのを見て、パパが勝つように応援したい! ティア、もう一人でパパの帰りを待つのは嫌なの!」
その言葉と表情には、幼い少女の明確な意思が込められていた。
様々な経験を経て、ティアも強く、逞しくなっているのだ。
「よく言った!」
ティアの言葉に、サンディスが我が意を得たり! ――とばかりに叫んだ。
「ポーケントッター! あんた自分一人が戦って、自分一人だけが耐えればいいとか格好付けてるんだろうけどね、そうはいかないよ! 女だってね、戦ってるんだ! 男が戦に行っちまってた後にね、女だって戦ってるんだ! 女を弱いものだなんて思って気遣うのは、男の思い上がりだよ!」
サンディスが腰に手を当ててポーケントッターを睨む。
ポーケントッターは再びの沈黙後、
「ワカリマシタ。皆サンノ言ウトオリデス。ワタシハ思イ上ガッテイマシタ。ティア、メロディサン、サンディスサン。皆デコノ『ポートホープ』ヲ守リニ行キマショウ」
と頷いた。
「――話は決まりです! あなた達の馬車にわたし達三人を乗せて下さい!」
メロディが、なかなか話がまとまらずにハラハラしていた二人の役人に、叩きつけるように言った。
「え? でも、あの馬車は二人乗りで――」
「ティアは、わたしらの膝の上に座らせるよ! あんたらは屋根の上にしがみついてな!」
サンディスの無慈悲な言葉に、役人たちは青ざめた。
マートに後を頼むとメロディたちはすぐさま出立した。郊外に向かって馬車が疾駆する。
ポーケントッターは、電磁気力の反発を利用した低速静音飛翔で、馬車の上空を飛んだ。
西の街道は、ポートホープからの自警団や見物人で混雑していた。皆一様に西に急いでいる。
馬車の屋根にしがみついた役人が『道を開けてくれ!』 と怒鳴り、舌を噛みそうになって、ますます青くなった。
『はぐれアーマー』は、もうすぐそこにまで来ていた。
ポートホープの西の郊外に広がる牧草地に、ポーケントッターは降り立った。メロディたちを乗せた馬車がわずかに遅れて到着する。
牧草地にはすでに警吏やら自警団やらが先に到着していて、町を背に布陣していた。
ほとんどの人間がマスケット銃を手にしている。
中には農作業につかう三つ叉のフォークや大鎌を持っている者もいた。
その規模は見物人を含めて、数百人に上っていた。
「おお! ポーケントッターさん、来てくれたか!」
警吏と自警団と見物人とが混在した群集を掻き分けて、市長が現れた。
行政の長であり、治安の責任者でもあるのだから、この場に姿を見せるのは当然だが、もちろんポーケントッターが首尾よく『はぐれアーマー』を阻止した暁には、市民の陣頭に立って町を守った自分の功績を讃える演説をぶつ腹づもりである。
「遅クナッテ申シワケアリマセン」
「いや、いやいや、あんたさえ来てくれればそれでいいんだ」
市長はポケットにねじ込んでいたハンカチーフで汗を拭きながら、ホッと安堵の息を吐いた。
「なかなか現れてくれなかったのでヤキモキしましたぞ。部下が事情は説明したと思いますが――それで『はぐれアーマー』は任せてもいいんですな? 今さら見物に来たなどとは言わんでしょうな?」
「オ任セ下サイ」
簡潔に答えるポーケントッター。
「うむ、それでこそ英雄『白銀の稲妻』だ。わたしとしても市民としても、あんたの滞在を許してきた甲斐があるというものだ」
ポーケントッターは、前主人であるクロスフォード侯爵夫人と現国王アルフレッド三世が署名・捺印したゴドワナ国内全てで通用する通行許可証を持っているため、市長の滞在許可などはいらないのだが、そんなことはもちろん忘れている。
「それでその『はぐれアーマー』だが、物見(斥候)の報告だともうすぐ――」
「スデニ歩行時ノ振動ヲ探知シテイマス。生体金属反応モ捉エマシタ。マモナク視界内ニ現レマス」
市長の言葉をポーケントッターが遮る。
『魔法の目』を飛ばして索敵する必要もなかった。
ポーケントッターの鋭敏で優秀で各種センサー群は、すでに接近する『UNKNOWN』を直接探知していた。
やがて牧草地の果ての丘の頂きに、黒い陰が現れた。
遠目の利く人間が、『はぐれアーマー』だ! と叫んだ。
ポ、ポーケントッターさん!――市長が丘を見、そして味方のソウルアーマーを振り仰いだ。
「アナタ達ハ出来ルダケ離レテイテ下サイ」
ポーケントッターは市長にではなく、足元のティアとメロディとサンディスに言った。
「……パパ……」
「……ポーケントッターさん……」
「……怪我をするんじゃないよ……」
「スグニ済マセテキマス」
自分を気遣い心配する三人の娘を残して、ポーケントッターは接近する『はぐれアーマー』に向かって歩み出した。
すでに彼の量子頭脳の中で、『UNKNOWN』は『ENEMY』へと切り替わっている。
ソウルアーマーの歩行速度は速い。
二体の巨人の距離はすぐに詰まった。
まもなくお互いを近接戦闘距離に捕捉する――。
パチッ――!
その時ポーケントッターの頭脳に、
それは、固唾を呑んで彼を見守る娘のティアの脳裏にも――そしてメロディの脳裏にも飛び火した。
「……え?」
い、今の何? ――メロディは突然火花が散るように頭の中に浮かんだ映像に戸惑った。
緊張のせいで、身体が変調を来しているのだろうか?
「い、今、ティアの頭にパチッと――」
ティアが驚いた表情で振り向いた。ティアも同じ
い、今の映像は――光景は――メロディは困惑した。
ポーケントッターが『はぐれアーマー』への接近をやめて停止した。
そしてこちらを見た。
「市長サン、コノ人ヲ行カセテアゲテ下サイ。コノ人ハ敵デハアリマセン。コノ人ハタダ海ニ行キタイダケデス」
――海!
そうだ、海だ! 今頭に浮かんだのは海の光景――海の景色だ!
メロディは数瞬前の記憶を思い出した。
でも、なぜ!? どうしてあの『はぐれアーマー』は海を目指してるの!? 海に行きたがっているの!?
「海!? 海だと!? 海に行くには町を通らなければならないじゃないか! そんな真似させられるか!」
市長が、血が上った頭を両手で掻きむしって怒鳴った。
「ポーケントッターさん、あんた戦しか能がないんだから、こんな時ぐらい役に立ってくれ!」
――キッ!
「そんな――そんな言い方はないでしょう!」
市長の言葉に、今度はメロディの血が熱くなった。
「あなたにポーケントッターさんの何が分かるって言うんですか!」
病気がちな奥さんと生まれたばかりの幼い娘のために兵士になったこの人の――。
愛する家族を置いて、戦場に出なければならなかったこの人の――。
人間の身体を捨てて、冷たい鉄の鎧に魂を封入しなければならなかったこの人の――。
「あなたに何が分かるって言うんですか!」
「な、なんじゃ、いきなり!」
突然メロディに噛みつかれて、市長が狼狽する。
「み、見なよ、あれ!」
サンディスが震える声で、接近を続ける『はぐれアーマー』を指差した。
我に帰ったメロディが、その指し示す先を見る。
「――!?」
そこにいたのはようやく詳細が見極められた黒色のソウルアーマーの――成れの果てだった。
装甲はあちこちひしゃげている上に所々外れており、土中に葬られていたためか、剥き出しになった内部機構に泥が詰まっていた。
凄惨だったのは、右腕が肘から、左腕が肩の付け根から欠損していることだった。
その泥まみれの、かつてソウルアーマーだった鉄の塊が、耳障りな金属の擦れる駆動音を立てながらポートホープを――いや、その先の海を目指して真っ直ぐに――ただ真っ直ぐに近づいてくる。
「……ひ、酷い……」
メロディは顔を歪めた。
「……か、可哀想……」
ティアは青い瞳に涙を浮かべた。
『はぐれアーマー』は一直線に、自分と海との間に立ち塞がるポーケントッターに近づいてくる。
「コノ人ニハ、モウ意識ハアリマセン。アルノハタダ……」
ポーケントッターが悲しげに呟いた。
戦闘態勢は採っておらず、身構えても、武器を抜いてもいない。
「ポーケントッターさん! あんた、ポートホープを見捨てる気か!?」
市長が怒鳴る。
それでもポーケントッターは動かない。
「ポーケントッターさん!」「パパ!」
メロディとティアが同時に叫ぶ。
もはや回避不能、『はぐれアーマー』がポーケントッターに接触する。
「ポーケントッターさん!」
メロディがもう一度叫んだ。
ティアがメロディのスカートをギュッと掴んで、顔を伏せる。
真っ暗な視界の中、二体の巨人がぶつかる衝撃音が、ティアの鼓膜を打った。
一秒、二秒、三秒……そして恐る恐る顔を上げると、強張った表情の皆の視線の先で、ポーケントッターが『はぐれアーマー』を……壊れ、泥にまみれた黒色のソウルアーマーを、まるで傷つき倒れた戦友にするように抱きとめていた。
黒いソウルアーマーは、ポーケントッターがいつのまにか右手に形成していた光刃状のプラズマで胸を刺し貫かれていた。
コアを破壊された『はぐれアーマー』は、海まであと1リーグの距離でその歩を止めた。
◆◇◆
三人は、潮の匂いに包まれていた。
メロディと、ティアと、そしてポーケントッターは、町外れの海辺に立っていた。
静かだった。
波の音も、カモメの鳴き声も、どこか遠くに聞こえた。
静穏とした時の流れだけが、三人の側を通り過ぎていった。
「……怨霊ナドトイウモノハ、コノ世界ニハ存在シマセン」
海を見つめながら、ポーケントッターが言った。
「……存在スルノハ魂ダケデ、ソノ魂モ肉体ガ滅ビレバ、天国ニ召サレマス」
あの事件から数日が経っていた。
ポーケントッターが『はぐれアーマー』の阻止に成功したあと、彼らを遠巻きに固唾を呑んでいた群集は、歓喜の渦に包まれた。
自分たちの脅威を排除したポーケントッターを口々に賛美し、市長は恥知らずな演説を始めた。
御祭騒ぎの住人たちの中で、ポーケントッターと、ティアと、もう一人メロディだけが沈んでいた。
彼らだけは、目の前で倒れた『はぐれアーマー』の心に触れていた。
彼らだけは、あの黒いソウルアーマーの気持ちを理解していた。
だから今日三人は、彼を弔うためにこの海に来ていた。
「……ワタシ達ソウルアーマーノ身体ハ頑丈デス。戦イデ傷ツキ、意識ト理性ヲ失ッテモ、魂マデハナカナカ失ワナイ。正式ナ
そんなソウルアーマーは、意識と理性を失ったあとも、頑丈な身体故に死ぬことが出来ず、天国にも行けず、許しも得られず、この世を彷徨い続けるしかないのだ……と言う。
「……あの人は、ここに帰ってきたかったのですね」
メロディの金色の前髪を、海からの風が揺らす。
あの時、自分の脳裏に一瞬だけ見えた光景は、この海の景色だった。
「……ここは、あの人の故郷なのですね」
ポーケントッターは頷いた。
この少し前にポーケントッターは、数日前に黒いソウルアーマーから回収していた彼の『魔法の目』を、沖合の海深くに沈めていた。
自分たちが生まれる遙か昔、まだこのポートホープが名も無き小さな漁村だった頃、この土地から出征した兵士は運命の変遷の果てにいつしかソウルアーマーとなり、数百年の時と長い彷徨を経て、今ようやく帰郷したのだ。
「……可哀想なソウルアーマー……」
ティアが寂しげに呟いた。
「……せっかく帰ってきたのに、お家も、パパもママももういないなんて……」
「彼ノタメニ祈ッテアゲテ下サイ。彼ガ神様ノ御胸ニ抱カレテ安ラカニ眠レルヨウニ」
「うん、ティア、あの人のために神様にお祈りするわ。毎日お祈りするわ」
零れた涙を拭うティア。
「わたしとティアが、あの人と同じこの海の風景を見たのはなぜです?」
メロディがポーケントッターに問うた。
「オソラクワタシノ『クックピット』ニ、
同じことが、ティアとメロディにも起こったのだと言う。
だとするなら、あの夜自分がポーケントッターの中で見た夢は、間違いなく彼の記憶だったのだ。
自分はあの時、確かに彼の――ナカト・ポーケントッターの心に触れたのだ。
メロディは故郷の海を見つめた。
それは、名も知らぬ一人の兵士が目指し流離った末に眠る海でもある。
自分が心を通わせた二人の兵士のために、彼らの魂が安らぎで満たされるよう、メロディは祈った。
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