第13話
そこは遠方に深い森を望む、拓けた牧草地だった。
牧草地の真ん中を細い街道が東西に伸びている。
街道からやや外れた草の上で、傍らに馬を休ませた旅人が一人、道中沿いの旅籠で作らせた遅めの弁当をつかっていた。
旅人は若者だった。
裕福な商家の息子である彼は、かねてより欲していた駿馬を手に入れたのを機会に、見聞を広めるためと称して、気楽な一人旅に出ていた。
道標によると、次の目的地であるポートホープの港町まで、約三時間といったところだった。
若者が二枚のパンに豚肉の燻製を挟んだものを頬張っていると、視線の遙か先に広がる森から、それが現れた。
見たところ、それは人のようだった。
遠目に見ても、人の形をしていた。
しかし、それが人であるはずはなかった。
この距離であの大きさに見えるのなら、その人間の身長は8mはある巨人ということになる。
若者はパンを噛むのをやめて、呆然と視線の先のそれを見つめた。
頭の中で、これまでに蓄えてきた知識の中から、視線の先を移動するそれの正体を探る。
幸いにして若者の知識には、それに関する記述があった。
若者は弾かれたように立ち上がると、弁当を放り出して愛馬に飛び跨った。
拍車を入れて駆け出す。
それは真っ直ぐポートホープに向かっていた。
◆◇◆
「春の微風亭」の厨房に、チョコレートの甘い香りが漂っていた。
午後三時。
今日は朝からずっと忙しかったので、昼食を除けば初めての休憩だ。
メロディ、ティア、サンディス、老マート、そして二人の女給が、自分のマグカップを手に、温かいチョコレートの湯気をあご顎に当てている。
「ああ、この甘い一時が、いずれなくなってしまうのかと思うと、切なくなるねぇ……」
サンディスが、小樽の中のカカオパウダーが尽きたときのことを憂えて、嘆息した。
「幸せの喜びを知る者は、幸せを失う悲しみも知るのよ」
ティアが無邪気に言った。
「……あんた、そんな含蓄のある言葉、どこで覚えたんだい?」
退き気味のサンディスに、『パパに教わったの』――と、ティア。
「やれやれ、ほんと賢い娘だこと。こりゃちゃんと学校に通わせて、将来は学者にでもした方がいいんじゃないかい?」
サンディスは苦笑して、隣のメロディを見た。
「……」
メロディは湯気の立つマグカップを見つめて、物思いに耽っている。
チョコレートにはまだ一口も口を着けていない。
「メロディ?」
「……」
「ちょっと、メロディ」
「……え? あ、はい、なんです、サンディスさん?」
二度名前を呼ばれて、やっと我に帰るメロディ。
「なんです――じゃないよ、あんた今日は朝から変だよ? ずっとボーとして。どうかしたのかい?」
「い、いえ、別に」
メロディは、慌てて顔の前で手を振った。浮かべた笑顔がギコチナイ。
「昨夜はちょっと寝付かれなくて、寝不足なだけです」
なんでもないです、なんでもないです、あははは――と取り繕うメロディ。
しかしサンディスの言うとおり、メロディの胸の内は確かに変だった。
揺れていた。
鈍い痛みがあった。
昨夜、自分が見たあの夢は、やはりポーケントッターの記憶なのだろうか。
クックピットで眠りに落ちたことで、自分はポーケントッターの想いに触れたのだろうか。
それともあの夢は全てメロディの想像上の産物で、偶然見たただの夢に過ぎないのだろうか。
「ポートホープ随一の健康優良児が寝不足ねぇ。あんた、もしかして好きな男でも――」
納得しかねるサンディスがそこまで言い掛けたとき、宿の受付で呼び鈴が鳴った。
チンチン、チンチン! チンチンチンチン!
やたらと忙しなく連打される呼び鈴。
「は、はいはい、今いきます!」
メロディは逃げるように厨房から帳場に出た。
宿の入り口にある帳場に出ると、顔見知りの役人が血相を変えて呼び鈴を叩いていた。
「メロディ! メロディ! ――ああ、メロディ! 大変だ! 大変なんだよ!」
「ど、どうしたんです?」
「『はぐれアーマー』だ! 『はぐれアーマー』が出たんだよ!」
何度か飲みに来たことのある役場勤めの男が、口角泡を飛ばして訴えた。
「……え? 『はぐれアーマー』?」
メロディは、役場の男のいきなりの言葉に、一瞬言葉を失った。
「『はぐれアーマー』って、あの『はぐれアーマー』ですか?」
そして確認のために、もう一度聞き返す。
「そうだよ、あの『はぐれアーマー』だよ! コケアドルの森から急に現れて、この町に、ポートホープに向かってきてるんだ!」
コケアドルの森は、西の街道沿いにある広い放牧地に隣接する深い森だ。
地理的には、ポートホープとタイレルの二大都邑の間に位置する。
「馬を持った旅人が偶然森から出てくるところを見つけて、それで急報してくれたんだ!」
それはポートホープの町と住人にとって、幸運としか言いようがなかった。
ソウルアーマーの歩行速度は速い。
快速の駿馬を持った若者以外の誰が『はぐれアーマー』を見つけたとしても、ポートホープへの通報は間に合わなかっただろう。
だが、もたらされた話は最悪だった。
『はぐれアーマー』――戦場で傷つき、倒れ、魂を失い、持ち主であるアーマードライバーからも見捨てられたソウルアーマーに怨霊が宿り、埋もれた土中より彷徨い出たもの――。
発掘数の減少に伴い、戦場で傷つき、魂を失ったソウルアーマーは出来うる限り回収され、解体され、修理用の部品として再利用されることから、近年では昔語りに聞く程度の存在――。
その昔語りの存在が突然深き森の奥から現れ、自分たちの町に近づいてきているのだという。
まさに最悪の話だ。
旅の若者の通報を受けた役人はすぐに反応し、市長に報告した。
つい先日、ポーケントッターの騒ぎがあったばかりだったからだ。」
あの時も、正体の知れないポーケントッターを一時は『はぐれアーマー』扱いして、大騒ぎになった。
以来、ソウルアーマーに関する情報は最優先で市長に報告される規則になっていた。
報告を受けた市長は、当初その話を信じなかった――いや、信じたくなかった。
しかし、信じないわけにもいかなかった。
もし信じずに町が『はぐれアーマー』の被害を受ければ、次の再選はない。
そして、しかたなく対応策の検討に入った途端、自分には打つべき有効な手立てがないことに気づき、愕然とした。
ポートホープは王家の直轄領であり、王室に直接税を納める代わりに、ある程度の自治権を認められていた。つまり、駐屯している『軍隊』がなかった。
いるのは戦闘力の低い警吏と自警団だけで、とても『はぐれアーマー』の侵攻など防げない。
時間さえあれば、『はぐれアーマー』の進路上に、警吏と自警団を含めた街の住人総出で深い落とし穴を掘ることも出来ただろうが、今からではそれも間に合わない。
ソウルアーマーを装備した軍隊がいる近隣の駐屯地へ救援要請ももちろん考えたが、早馬を飛ばしても二時間は掛かる。
ポートホープ近郊に突如現れた『はぐれアーマー』は、あと一時間もすれば町に突入してくる位置まで近づいていた。
どんな対策を練って実行するにしても、全てにおいて時間がなかった。
市長はパニックになりかけた。
自分の再選のために、市長は一万の精強な歩兵より、一体のソウルアーマーを欲した。
自分が治める町に近づく『はぐれアーマー』を止めるために、それと同等の力を持つソウルアーマーが、どうしても必要だった。
そして、追い詰められた市長はそこで突然閃いた。
自分のお膝元にもソウルアーマーがいるではないか!
それも『白銀の稲妻』の異名を持つ英雄的ソウルアーマーが、つい先日から誰の支配下にもない牢人として!
市長はこの奇跡を、自分の再選を願う神の思し召しだと思った。
すぐに『春の微風亭』に、部下を急派した。
「ちょ、ちょっと待って下さい、それじゃポーケントッターさんにその『はぐれアーマー』を!?」
役人の言わんとすることを理解して、メロディが顔色を変えた。
「もちろんだよ! それ以外にこの危機を乗り切りる方法があるっていうのかい!?」
見ると宿の外では、別の役人がポーケントッターを見上げて、目の前の男と同じように慌てふためきながら事態を説明し、彼の出馬を説得している。
「なんだい、なんだい、こりゃ一体なんの騒ぎだい?」
「メロディ、どうしたの?」
表の騒ぎを聞きつけて、サンディスとティアが厨房から出て来た。
「サンディスさん……ティア」
メロディは、これから起こる出来事がティアを……このポーケントッターの幼く純真な娘を悲しませるだろうことに思い至って、表情を曇らせた。
帳場の前の役人はさらに早口で、たった今メロディにしたのと同じ説明を、サンディスとティアにした。
「おいおい、荷積みの仕事もクビになるあのトーヘンボクに、そんな荒事をさせようっていうのかい? あんた達、頭は大丈夫かい?」
サンディスの言葉にはポーケントッターへの気遣いと、慌てふためく市長や役人に対する毒があった。
元々、荒事をするのがソウルアーマーの仕事なんだよ――と役人が反論する。
「パパ……また戦争に行くの……?」
話を聞いたティアの顔が、不安に翳った。
不安と恐れに満ちた表情。
それは、ティアが初めてこの『春の微風亭』に訪れたときの表情だった。
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