第8話

 パ、パ――パパですって!?


 この巨人が――ソウルアーマーが、ティアがずっと待ち続けていた、ティアがずっと会いたいと思っていた――お、お、お父さん!?


「ウチノ娘ニ、何ヲシテルノデスカー!!!」


 巨人が吼えた。巨大な両眼が赤く明滅している。人間なら鼻がついている辺りから、プシュー! と白い蒸気が噴き出た。

 鉄腕がヌッと伸びて、ティアを羽交い締めにしていた男と、メロディに覆い被さっていた男の襟首を、ヒョイと掴む。

 そして、軽々と自分の顔の高さまで持ち上げると、


「オ仕置キデース!!!」


 ゴツン! と鈍い音をさせて鉢合わせにした。


 あれほどメロディとティアを恐怖に陥れた不潔で凶悪な二人の人さらいは、したたかに互いの顔をぶつけ合い、白目を剥いて気絶した。

 それはあまりにも突然で、呆気なく、そして言語道断に……予想外な幕切れだった。


「うわーーーん! パパーーーッ!」


 呆然と巨人を見上げるメロディの前で、ティアがその鋼鉄の足にペチッと抱き付いた。


「パパーーーッ! パパーーーッ! ティア、会いたかったの! 会いたかったの!」


 巨人の足にしがみついて、ワンワンと大泣きするティア。


「ティア、パパに会いたかったの!」


 それはメロディが初めて見る、ティアの泣き顔だった。

 6歳の少女が見せる、年相応の表情だった。


「遅レテゴメンナサイ。心細カッタデスカ?」


 もはやティアは言葉を発することすら出来ずに、涙と鼻水で顔をクシャクシャにしたまま、ただ何度も何度も頷いてみせた。


「あ、あなたがティアの……お父さん?」


 これまで押し殺してきた感情を爆発させて泣きじゃくるティアに代わって、メロディが何とか声を絞り出した。


「ハイ。ナカト・ポーケントッター、デス。コノ度ハ、ワタシノ娘ガゴ迷惑ヲオ掛ケシマシタ」


 そう名乗ると、ソウルアーマー『ナカト・ポーケントッター』――ティアの父親は、『春の微風亭』の女主人、メロディ・スプリングウィンドに向かって深々と頭を下げた。


 メロディは口をパクパクさせて、ティアの鉄腕ダディを見上げていた。


◆◇◆


 別れの時が近づいていた。


 広い石造りの埠頭に面した『春の微風亭』の前に、メロディやサンディス、マートたち宿の面々と、ポーケントッター父娘の姿があった。

 この日、ティアと父親のポーケントッターは、ようやく手配がついた大型帆船の乗り込み、海を渡って新大陸を目指すことになっていた。


 メロディとティアが、ポーケントッターと共にポートホープに帰ってから、二週間が経っていた。


 あの日、突如街中に現れたソウルアーマーを見て、多くの住人が腰を抜かさんばかりに驚愕した。

 すぐさま警使が呼ばれたが、そんな下っ端の役人の裁量で収拾がつくわけもなく、すったもんだの挙げ句、ついには市長までもが姿を現す事態となった。

 メロディとポーケントッターは、捕らえてきた二人の人さらいを警使に引き渡した後、事情の説明に追われた。


 ポーケントッターが『春の微風亭』で、娘のティアと待ち合わせをしていたこと。

 ポーケントッターの主人であったクロスフォード侯爵夫人が、ポーケントッターとの別れを惜しんで再三再四引き止め、何度も別離の宴を催したために、娘との約束に遅れてしまったこと。

 ポーケントッターは『春の微風亭』に自分が遅れる旨をしたためた手紙を出し(もちろん代筆で)、合わせて相応の金を送りティアの世話を頼んだが、その手紙が遅れて娘が自分を探しに宿を出てしまったこと


(この手紙と金は、ティアが宿から姿を消したその日に届いた)。


 そしてその娘と、娘を捜しに出たメロディが、ポートホープの郊外を荒らしていた人さらいに遭遇して窮地にあったところを、運良くポーケントッターに救われたことなどを、事細かく説明した。


 市長を筆頭に、街の住人はなかなか承知しなかった。

 同じ重さの黄金よりも価値があると言われ、超科学古代錬金術の結晶であり、戦争の勝敗を決定づける最重要因子であるソウルアーマーが、国王や貴族の支配下を離れ、自由意志で行動しているなど考えられぬことであったからだ。


 しかし、ポーケントッターが腹を開けて(腹を開けると、中には背もたれのついた窮屈そうな椅子があった! なんとポーケントッターの中には人が入れるのだ! 漏れ聞いてはいたが、これにはメロディを含めて、ソウルアーマーを目にしたことのなかった町の住人たちは、文字通り腰を抜かして驚いた!)、中から一巻きの羊皮紙の書状を出して市長に見せたことで解決した。


 書状は通行証で、ポーケントッターのゴドワナ内の自由な通行を許可していた上、署名欄にはクロスフォード侯爵夫人の署名と印章の他、現国王アルフレッド三世の署名と捺印までもが押されていた。


 加えて、ポーケントッターがクロスフォード侯爵夫人の乗機として、先の戦争で抜群の戦功を上げた『白銀の稲妻』と呼ばれる英雄的ソウルアーマーであることが従軍経験のある住民の指摘で判明し(その名前はメロディたちも聞いたことがあった!)、『はぐれアーマー』扱いだったポーケントッターは、一躍ポートホープの賓客として迎え入れられることになったのだった。


 それから二週間、ようやくポーケントッターが乗船できるだけの空きがある帆船が見つかり、その船が今日出航するのだ。


「元気でやるんだよ。生水を飲むんじゃないよ、腹を壊すからね」


「サンディスも元気でね」


「ああ、わたしはいつだって元気さ」


「残念じゃのう、もう少しいれば、わしの秘伝のレシピを教えてやったのに」


「マートお爺さんのお料理、とっても美味しかったです」


 ティアがサンディスやマート、女給たちと次々に別れの挨拶を交わしていく。

 みんな、目を真っ赤にしている。

 そして……最後にティアは、メロディの前に立った。

 メロディは膝を折り、ティアの目の高さに自分の視線を合わせた。


「……ティア、元気でね」


「……メロディも」


 メロディの目にも、ティアの目にも、女給たちや老マート目にも――気丈なサンディスの目にまで涙が浮かんでいた。


「……ティア、メロディのこと忘れない」


「……わたしもティアのこと忘れない」


「メロディ!」


 ティアがメロディに抱き付いた。

 メロディが自分の胸に飛び込んできたティアを、しっかりと抱きしめ返す。


「ティア!」


 思いは尽きない。

 この四週間、メロディとティアは、友達のように、姉妹のように、母娘のように、片時も離れることなく過ごしてきたのだ。

 でも、それももう終わりだ。

 ティアはポーケントッターと共に、新たな生活を築くために旅立たなければならない。

 そして、二人を笑顔で見送るのが、『春の微風亭』の女将であるメロディの役目なのだ。


 一期一会。

 一期一会。


 メロディは、ティアを抱きしめながら、何度も胸の中で繰り返した。


「ティア、ソロソロ時間デスヨ」


 頭上からのポーケントッターの声に、ティアがメロディから離れた。


「……はい」


「皆サン、本当ニオ世話ニナリマシタ。アナタ方ノゴ恩ハ一生忘レマセン」


 ポーケントッターは顔を足元に向けて、自分を見上げる小さき恩人たちに礼を言った。


「特ニ、メロディサン。アナタノオ陰デ、ティアハ本当ニ楽シイ一時ヲ過ゴスコトガ出来マシタ。アナタノオ陰デ、ティアノコノ国デノ想イ出ハ、明ルク、楽シイモノニナリマシタ……本当ニ、本当ニアリガトウ」


「……ポーケントッターさん」


 別れの時がきた。


「……さようなら、ティア」


「……さようなら、メロディ」


 メロディは、一生涯ティアのことを忘れないだろう。

 自分が何者であるかを教えてくれた、この幼い少女の姿を生涯忘れることはないだろう。

 そしてティアも、何の下心もなく、ただただ自分を受け入れてくれたメロディという少女がいたことを、決して忘れはしないだろう。


「ソレデハ皆サン、オ世話ニナリマシタ」


「……お世話になりました」


 礼儀正しい白銀の鉄巨人ナカト・ポーケントッターは娘と共に、恩人たちに向かって深々と頭を下げ――。


 その巨大な鋼鉄の顔面で――。


 宿屋の三階を――。


 物の見事に粉砕した!


 砕ける漆喰! 割れるガラス! 曲がる柱に、折れる梁! 轟き渡る悲鳴と怒声! テメエ、ポーケントッター、何しやがる!


「アア、申シワケアリマセン!」


 狼狽したポーケントッターが、客室にめり込んだ顔面を引き抜こうと、慌てて両側の客室の外壁に鉄腕を添えた!


 不運にも今度はその両腕が左右の客室にズボッと突き刺さり、被害をさらに拡大させる!


「アワワ、コ、コレハナントイウ!」


 ますます狼狽する英雄的ソウルアーマー……白銀の稲妻。


 そして――。


◆◇◆


「こ、この度は~、ティアのパパが~大変ご迷惑をお掛けしました」


 二時間後にようやく騒ぎが収まると、半壊した『春の微風亭』の前で、ティアが恐縮至極な面もちで頭を下げた。


 ポーケントッターが顔面で宿屋を破壊したとき、下にいたメロディたちは、頭上から振ってくる瓦礫を避けるので必死だった。

 客室のお客も含めて、怪我人が出なかったのは本当に幸運だった。

 しかし、その代わりに宿の三階部分は壊滅的な損害を受け、大規模な修理の必要が出てしまった。しばらくの間、三階は使い物にならない。


「メ、面目次第モ、ゴザイマセン……」


「あんたは、二度とお辞儀をするな!」


 さらに頭を下げようとするポーケントッターを、サンディスが一喝した。

 ポーケントッターが、ビクッと背筋を伸ばす。

 そしてハ~っと溜め息を吐いた後、なぜかサンディスは含み笑い浮かべてメロディを見た。


「これはさすがに、弁償してもらわないとねぇ」


「え、ええ、そうですね、これはさすがに」


 メロディは、複雑な表情で頷いた。

 修理の費用は結構な額になるだろう。

 ポーケントッターが用意した大陸往来船の船賃は、全て飛んでしまうに違いない。


 そうなると――。

 そうなると――。


「クスッ、クスクス――きゃはははは!」


 メロディと同じことを考えたのだろう、それまで神妙な表情をしていたティアが、たまらず笑い出した。


「パパ! 宿屋が直るまで出発したらいけないわ! ねぇ、そうでしょ?」


「ソ、ソレハ勿論、ソノ通リデス」


 娘の言葉に、ポーケントッターが極力顔を動かさないように、声の調子だけで頷く。


「ワタシ達親子ニハ、コノ宿屋ガ元通リニナルノヲ見届ケル義務ト責任ガアリマス!」


 まるで宮殿を守る衛兵のようにシャキンと背筋を伸ばして宣言する、鋼鉄の巨人ポーケントッター。


「メロディサン、申シワケアリマセンガ、宿ノ修理ガ終ワルマデ、モウ少シダケワタシ達親子ヲ逗留サセテ頂ケナイデショウカ?」


 メロディに、満面の笑顔が浮かぶ。


「ええ、ええ。もちろん、もちろんです」


 その申し出をずっと、ずっと待っていたのだ。


「ナカト・ポーケントッター様と、ティア・ポーケントッター様。ご宿泊が二名様でございますね? 『春の微風亭』にようこそ!」


 大ラトリア海を渡ってくる穏やかで優しい海風が、メロディたちを包み込む。


 鎧と娘と若女将。


 もう少しだけ、この希望に満ちた出会いは続きそうである。


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