第2話

「お食事ですね。それじゃ、どこでも好きな席に座って」


 メロディはにこやかに頷くと、厨房に戻った。

 少女は入り口がよく見えるテーブルに座ると、チラチラと、たった今

自分が入ってきたばかりの入り口に視線を向けている。


「……なんだか、訳ありのようだね」


「……ええ、あんな小さな子が一人だなんて」


 厨房に戻る途中で、メロディはサンディスと囁き合った。


「……とにかく、食べる物を持ってきます」


「……ああ、そうしておやり」


 メロディは厨房に戻ると、楓のトレイに目につく食べ物を片っ端から乗せて、すぐにとって返し、


「はい、お食事、お待ちどおさま!」


 と、ドン!と少女の目の前に置いた。


 今朝焼いたばかりのパンに、マグカップ一杯の牛のミルク。

山羊の乳のバターに、兎とキャロットとポテトを煮込んだ、ハーブの効いた具沢山の煮込み。それにアップルが1つ。

 庶民の朝食としては豪勢すぎる献立である。


 少女が戸惑う。

 少女のつたない経験と知識でも、自分が差し出した銅貨でこんなには食べられないことは知っている。


「……あ、あの、こんなに……」


 ……払えません……


 そう言いかけた少女の言葉を、メロディが遮る。


「いいの、いいの。なぜならあなたは、この『春の微風亭』の100万人目の記念すべきお客さまなんだから」


「……100万人……ですか?」


「そう! 100万人!」


 創業215年!(これは確実!)

 100万人目のお客様!(累計すれば、多分それぐらい!)


「これはこの宿『春の微風亭』からの奢り! サービス!」


 メロディは未だ成育途上の胸を張った。


「だから、遠慮なく食べて」


 そういうと、メロディは今し方受け取ったばかりの古い銅貨を、パチリと少女の前に置いて、スッと彼女の方に滑らせた。

 100万人目の記念すべきお客さまから、お代など取れない――ええ、とれませんとも!


「どうしたの? 早く食べないとシチューが冷めるわよ?」


 クスッと親しげに微笑むメロディに頷くと、少女は小さな手を合わせてお祈りを始めた。

 信仰心の篤い育ちのようだ。


「……い、いただきます」


 やがて食前の祈りを終えると、そこから少女は、(幼いなりに)猛然とした勢いで食べ始めた。

 まず兎と人参とジャガイモの煮込みを木製のスプーンで掻き込み、掻き込みながら、大きめのパンを千切って口に入れた(あとでパンにバターを付けてないことに気づいて、バターだけを舐めた)。

 何度か喉につかえる度にマグカップのミルクで流しこみ(ミルクを飲み干すたびに、メロディは厨房から新しいミルクを持ってきて空のカップに注いでやった)、最後に林檎を芯まで囓って、ようやく少女はホッと息を吐いた。


「もっと食べる?」


「……い、いえ、もうお腹いっぱいです」


 ……どうもありがとうございました。


 少女が、目の前に立つメロディを見上げて言った。


「……あの」


「ん?」


「……あの、これでどのくらいここに泊まれますか?」


 少女は再びくたびれた革の財布を取り出して、今度は(やはり古びた)ターナー銀貨を取り出してメロディに訊ねた。


 やはり通貨としての価値は低く、多く見積もってもせいぜいが一週間分の宿賃だろう。


「それだとね」


 即座にメロディは言った。


「あなた、ここに泊まりたいの?」


「……はい」


「一人で?」


「…………はい」


 段々、返事が小さくなっていく。

 どう見ても五つか六つの幼女である。それが一人で旅を続けてきたようだ。

 何か事情があるのは一目瞭然だった。


「あなた……名前は?」


「……ティアリンク……ポーケントッターです」


「ティアリンク――ティア。素敵な名前ね」


 ラストネームの方は、あまり聞かない変わった性だけど。


「……泊めて……くれますか?」


「もちろんよ」


 メロディがドンと胸を叩く。


「ティア、あなたどうしてこのポートホープに来たの? 誰かを訪ねてきたの?」


 メロディの言葉に、ティアが再びうつむく。

 そして小さな、心細げな声で言った。


「……ここで、パパと会う約束なんです」


◆◇◆


「どうだい、あの娘?」


「ええ、よく眠っています」


 メロディが二階から下りてくると、サンディスが訊ねた。

 客室は二階と三階にあり、四階に主人であるメロディの他、サンディスら住み込みの従業員の部屋がある。

 突然ポートホープの古い宿屋『春の微風亭』を訪れた小さな客、ティアリンク・ポーケントッターは、遅い朝食のあと、メロディに連れられて二階に上がった。

 メロディはティアを、幸いにして空いていた、一番日当たりの良く風通しも良い乾いた部屋に案内して、ベッドの支度をしてやった。

 ティアはベッドに入る前に、やはり短い祈りを神に捧げた。

 それから、すでに10時間、幼い宿泊客は眠り続けている。


「よっぽど疲れていたんでしょう……」


「シデナの修道院から来たんじゃ、無理もないさね」


 食事のあとティアが語った話によると、ティアは6歳で、ここから西に20リーグほど離れたシデナにある、人里離れた修道院から来たのだという。

 二年前に母親を亡くして以来、ティアはそこに預けられて育てられたのだそうだ。

 父親は兵役にとられており、隣国メンデームとの三年に渡る戦争が終わったことから兵士を辞めて、晴れて娘であるティアを引き取ることになったのだという。

 そして、故あって修道院を訪れることの出来ない父親は、手紙で、このポートホープにある『春の微風亭』を、娘との再会の場所に指定してきたらしい。


 父親はここから娘と二人で新大陸に渡り、新たな生活を一から築くつもりのようだ。

 有望な金鉱が次々と発見され、未曾有の好景気に湧く海の向こう側では、いくらでも仕事がある。

 ティアは、ポートホープの手前まで世話をしてくれていた修道尼に連れられて旅をし、町の手前で戒律で町に入れない修道尼と別れて、往来の人間に宿の場所を訊ねながらここまで来たのだという。


 メロディはその話を聞き、ティアが孤独で危険な一人旅をしてきたのではないことを知って、安堵した。


「最近、人さらいの噂を良く聞くからね。あの歳で一人旅じゃ、いくらなんでも物騒すぎる」


 サンディスの言葉に、メロディが眉を顰める。まさにサンディスの言うとおりだった。

 若い娘や子供が人さらいにさらわれて、奴隷として売り飛ばされるのは、この時代珍しい話ではないのだ。

 現にポートホープでも、最近、町の外でそういった事件があったと聞く。


「とにかく育ててくれた修道院を離れて、見知らぬ町で独りぼっちじゃ、心細いだろうねぇ」


「ええ……」


 メロディとサンディスは、二階に続く階段を見上げて表情を曇らせた。


「早く、お父さんが来てくれればいいんですけど……」


 ……約束の期日は、今日から一週間以内だそうだ。


「……そうだね」


 メロディの言葉に、サンディスが頷いたとき、


「おい、サンディス、エールいつくるんだよ!」


 と、馴染み客の漁師が怒鳴った。


「――今行くよ! 子供じゃないんだからいちいち怒鳴るんじゃないよ!」


 サンディスがメロディの側を離れる。

 時刻は夜の八時。酒場が一番忙しくなってくる時間だ。

 それでもメロディは、少しの間、心配げな表情で階段の先を見つめていた。


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