中編
メトセラは長々期睡眠槽が設置されている区画に出向いた。ここで三〇〇人が死よりも深く暗い眠りについている。睡眠槽は無骨で堅牢な外見と相まってどこか棺のように見えなくもない。それが見渡す限りどこまでも整然と飾り気もなく並んでいる光景は、どこか巨大な地下納骨所のような印象を与える。メトセラは等間隔に並んだ棺を見回しながら、天啓を待ち続ける預言者のような足取りでゆっくりと歩いている。起こす人間は無作為に選出することに決めていた。彼にとって人間は造物主であり、文字通り神に等しい存在であり、その対話をするにあたって、あらかじめ方舟のデータベースに登録された情報で作為的に人材を選出するような真似はどこかおこがましく感じられたからである。やがてメトセラは足を止め、一つの睡眠槽に近づいた。外見上は他のと何の違いもないし、具体的な予感めいた何かを感じ取った訳でもないし、そのタイミングでその睡眠槽を選んだのは気まぐれに似た偶然に近かった。メトセラはその中に眠る人間を起こすことにした。睡眠槽の傍らに取り付けられた操作パネルに触れ、長々期睡眠の解除を実行する。覚醒への手続きにはおよそ数十分がかかる。然るべき待機時間の後、棺がそっと開いた。そこに瞼を閉じて横たわる人間の姿が現れた。既に呼吸が始まっており、その胸部がゆっくりと上下しているのが見えた。それは男だった。メトセラが鏡で何度も確かめた自分の外見と比較すると、審美的にいくらか劣っていないとも言えなくもなかったが、それでも、その眠り姿はメトセラにとってどこか神聖なもののように感じられた。やがて男がそっと瞼を開くと、それから大きく咽るように咳き込んで、男の口から渇いた唾が飛び散った。内臓を吐き出してしまうのではないかと危ぶまれるほど何度も何度も激しい咳を繰り返す。人工冬眠技術が実用化されたとは言え、数百年単位に及ぶ睡眠が人体に及ぼす影響は未知数であり、こういった反応が起こることはあらかじめ予測可能だった。メトセラは慈愛に満ちた手つきでそっと男の上体を起こすと、その背中を恭しくさすった。しばらくの間メトセラはそうしていたが、やがて男は正気を取り戻したように、メトセラの顔を見上げた。そして、弱々しく震える声でこう言った。
「もしかして、俺たちは第二の故郷を見つけたのか」
「残念ながら、その質問に対する答えはノーです」
「ノー、だって?」
男は混乱と困惑を色濃く浮かべた眼差しでメトセラを見詰めている。メトセラは敬意をこめた微笑みを浮かべながら言った。
「さぁ、喉が渇いていることでしょう。それに、空腹でもあるはずです。是非私に付いてきてください。あなたをもてなす準備は既に整ってあります」
道中、男はパドレと名乗った。覚醒を終えてからの彼の態度は飲み物を受け取る時や、入り組んだ通路を歩いている間も、決して紳士的とは言い難いものだったが、さりとて軽く言葉を交わした感じから察するに、根からの悪人という訳でもなさそうだった。そもそも地球が選んだ優秀な三〇〇人の内の一人なのだ、精神的に悪性の人間などいる訳がない。それに、メトセラにとって彼は創造性を有する神々に匹敵する存在でもあり、例え彼の言葉遣いが洗練された上品さとは少々かけ離れていたものだったとしても、彼に対する畏敬の念は一ミリたりとて欠けることはないのだった。メトセラはあらかじめ食堂に設えた部屋へと彼を誘った。広いテーブルには清潔な白いクロスが敷かれ、メトセラが用意した豪勢な料理の数々が並んでいた。パドレの胃袋がぐーと音を鳴らした。パドレはメトセラに一瞥をくれた後、そこに歓迎の微笑みが浮かんでいることを確認し、テーブルに着くなり、特に遠慮する素振りも見せずがつがつと料理を喰らい始めた。食事を不要とするメトセラにとって、それは初めて見る、生の食事の光景だった。その様子を興味深そうに、あるいはどこか楽しげに観察していた。
「で、」
食事を終えたパドレがメトセラの方を振り返って言う。
「お前は何者なんだ。事前に起こされた召使いか何かなのか」
「私は人間ではありません」
メトセラは完璧に人間的な微笑みを浮かべながら言った。それは、相手の抵抗と困惑を最小限に抑えるための彼なりの心遣いのつもりだった。
「私はメトセラ。人類によって創られた人造人間です」
「人造、人間」
パドレはその言葉の意味を確かめるようにゆっくりと繰り返した後、顔をしかめながら言った。
「あぁ、そういえばそんなことを睡眠槽に入る前に教わった気がするな……。俺はどれくらいの間眠っていたんだ?」
「数百年とだけ、言っておきましょう」
「そんなに眠っていたのか」
パドレは少々の憂鬱と落胆が混成された様な表情を浮かべていた。
「それでもまだ、第二の故郷は見つけられなかったと」
「残念ながら」
「そうか」
それからパドレはしばらく考え込むような表情を浮かべてから、
「で、何で俺は起こされたんだ?」
メトセラは率直に答えることにした。
「人間と、いろいろお話をしてみたかったんです」
「お話だって?」
パドレは怪訝そうに聞き返す。
「えぇ」
「それだけのために俺を起こしたってのか」
「はい」
「お前と言うやつは……」
パドレは大きな溜め息を吐きながら言った。が、しばらくしてから、気を取り直したように、
「まぁ、眠ってばかりも退屈だったし、暇潰しには丁度いいかもな」
「さて、今日はゆっくりと休むと良いでしょう。数週間ほどくつろいでから、改めてお話すると言うのはいかがでしょうか」
「数週間だって?」
今度はパドレが呆れたような表情を浮かべながら言った。
「馬鹿みたいに気の長い人造人間と一緒にしないでくれ。明日だって十分だ」
「では、明日また」
メトセラはパドレを人間用の居住区画へと案内し、それから一人で自室に戻った。メトセラに睡眠は必要なかったが、仮に彼が人間と同じように眠れたとしても、神経の高ぶりから眠りに落ちることは困難だっただろう。彼は半ば興奮しながら、自室の椅子に座ってあれこれと物思いに耽っていた。とうとう私は、私を創った造物主を話を交わすのだ。
舟に昼夜の概念は存在しなかったが、前回の食事を晩餐とするなら朝食と言えなくもない時間帯を見計らい、メトセラは調理場に立っていた。舟のデータベースにアクセスして得た情報を元に旧英国風の朝食を再現する形で、パドレのための朝食を作った。こういうのを、オールドスクールと呼称するらしい。それらを食べるパドレの反応は上々だった。パドレの国籍は不明だったが、どうやら気に入ってもらえたらしい。
「この舟の状況を教えて貰っても良いか」
食後の紅茶を啜りながらパドレが尋ねた。
「航海を始めて数百年、細かいトラブルこそ何度かありましたが、舟の運用に支障を来すような異常は現在一度も起こっていません。舟は順調に、第二の故郷を探しながら航海を続けています」
「地球との連絡は」
「通信が途絶してから既に長い時間が経過しています」
「人類は順当に滅んだって訳か」
パドレはやや投げやりな口調でそう言った。
「しかし、あなたがたと一〇万人分の胚子はまだ存在しています。人類という種がこの宇宙から完全に絶滅した訳ではありません」
「そいつは結構なこった」
パドレは皮肉っぽく鼻で笑う。
「で、俺は一体何をお話すれば良いんだ?」
メトセラはパドレの向かいの椅子まで歩いて行くと、そこに座った。背筋を伸ばし、正面からパドレに向かい合う。とうとうこの時が来た。メトセラははやる気持ちを抑えながら、丁寧な語気で言った。
「私という存在は、あなたがたに創られました」
パドレは無感動な眼差しでメトセラを見詰めている。
「人間は、一体何を思いながら私を創ったのでしょうか。私という存在に、どのような願いがこめられているのでしょうか」
メトセラの真摯な言葉を聞いたパドレはしばらく意味深な間を取った後、却って楽観的とも呼べる表情を浮かべて呆気なく言った。
「俺にお前を創った組織の思惑なんて分かりゃしないが、そんなに深く考えることでもないんじゃないか。要するに創れたから創ったんだよ」
「そこに、創造性が存在したということですか」
「そんなご大層なものじゃないさ」
パドレは言う。
「そこに試せる可能性があれば試さずにはいられない。人類の業みたいなものだ。科学の呪いだよ。それが原因で地球と人類のほとんどは滅んだんだ」
メトセラは無論、表情にこそ出さないが、そこに幾許かの寂しさを感じずにはいられなかった。そして、次に言うべき言葉を探しあぐねた。その沈黙を、パドレがどう解釈したのかは分からないが、
「人造人間も案外ロマンチストなんだな」
と言った。
「もしも、」
メトセラはようやく言葉を見つけて口を開く。
「あなたがたの神々が同じことを言ったら、失望しませんか」
それは皮肉のニュアンスで口にした訳ではなく、むしろ純粋な興味からだった。そして、そう言ってから、メトセラは自分がパドレの口にした答えに少なからず失望していることを自覚した。
「どうだろうね」
パドレは肩をすくめた。
「少なくとも俺は無神論者だ」
「神は存在します」
「そんな不毛な議論をするために宇宙の彼方を彷徨ってる訳じゃない」
パドレの表情の微妙な差分から、彼が少々不機嫌になった可能性をメトセラは察した。
「で、話したいことっていうのは、それだけか」
案の定パドレは少々苛立ったような語気で言った。
「はい、それだけです」
メトセラは微笑む。その表情はあくまで作り物で、内心は到底満足のいく心持ちではなかった。できることならまた何年もかけてパドレの言葉を反芻し思考したいところではあった。その上で、次は然るべき質問を尋ねたかった。しかし、パドレがこうして覚醒している以上、そんな悠長なことは言ってられない。パドレは第二の故郷で文明の礎を創り上げるための一人なのだ。そんな身勝手な理屈で寿命を浪費させる訳にはいかない。感謝の言葉を述べて、再び長々期睡眠槽に戻って貰おう。メトセラが口を開き書ける。その時、
「それにしても方舟ってのは退屈なところだな。お前の作る飯はそうわるかないが」
パドレが言った。
「なぁ、あれだけの食材があるんだ。酒はないのか」
「貯蔵庫に超低温で保存されているものなら、用意ができます」
「あまり美味そうじゃないな。が、この際酔えればなんだっていい。至急そいつを頼む」
「分かりました」
メトセラは椅子から立ち上がると、貯蔵庫へ向けてつかつかと歩き始めた。
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