21.倒れた塔




 跳ね橋から見る堀の底は深く昏い。カザリが踏み込むと、橋はぎしりと唸る。壊れることはなさそうだが、音が鳴るたびにカザリの神経をざわつかせた。そのまま城門だった場所に足をかけた。すでに門といえないほど、ほとんど崩れていて、もう白い石材の山でしかない。

 先ほどまでいたはずの人影はすでに見えない。辺りをもう一度確認した後、足元に注意しながら、慎重に進む。かつて、砦だったようだが建物は壊れ、倒れているのがほとんどだ。門の後を踏み越えると風が、少し顔を打った。風には灰が混ざっていて、カザリの目をしばたたかせた。

 手の甲を傘にしながら、前を見る。風が収まることはなさそうだ。狭まったカザリの視界の端に、火の粉が写った。レンカーサの蛾が、赤い鱗粉を散らして必死に羽ばたいていた。細かい灰が当たり、文字通り、身を削ってしまっている。


 咄嗟に手を伸ばす。手のひらに止まった蛾をカザリはやさしく小物入れにしまう。頭巾を深く被り、降ってくる灰を避ける。


 兵舎や礼拝堂だった建物は崩れていて、そこからは呻き声が漏れてくる。そこからボンヤリとした白い靄が噴き上がってきた。靄は歪んだ人の形を取っては、風や灰のせいで、ぐずぐずと形を乱していく。

 近寄ってきて、手を伸ばす靄を避けながら、カザリは静かに進む。死角を作らないように目と首をしっかりと使って視界を広げた。兵舎だった石の塊、その影からするすると伸びてきた白い腕を、カザリは矛を振って追い払う。

 刃が当たると、パンっと軽い音ともに爆ぜた。硫黄に似た臭いが、広がった。残った白い腕は、叩かれた蛇のようにしゅるしゅると岩影へと戻っていく。


 それを見たのか、他の気配が白い靄が手を伸ばしてくることはない。ただ視線のようなものだけが、こちらをじぃっと刺してくる。

 油断せずに石くれの山々を通り抜けていく。恨めしげな気配を後ろにして、灰の風へと向かっていく。


 ぼろぼろと崩れた城壁の向こうから、灰は吹いてくるようだ。乾いた灰に混じって、雨が降り始めた。灰が水を吸って、カザリの体を鞭のように叩く。痛みもあるが、張り付いた灰がカザリの動きを重くしていく。

 これはまずい。

 カザリが弱ったのを見ていた白い靄たちが、雨をすり抜けるように腕を伸ばしてくる。無造作に切り払う。

 灰の泥で滑りそうになる脚をしっかりと意識しながら、駆け足で倒れた塔へと向かう。城壁塔だったものだろうが、守るべき壁からはすっかの離れてしまっている。根本から折れて、横倒しになっているが、中に入れさえすれば灰の雨を避けられそうだ。


 何がこれを横倒しにしたんだろう。その考えを抑え込んで、入れそうな穴を探す。根本は瓦礫だらけで、そこから入るのは難しそうだ。しかし、崩れて広がってしまった射眼から、奥には入れそうだ。矛を先にして、前方を探りながら、その穴へと入り込んだ。


 中は思ったより広く、そして明るい。誰かが手を加えているようで、横倒しの塔、今は天井にあるはずの射眼は、灰色の石材のようなもので塗りたくられて埋められており、外から雨が降ることはない。

 端には絨毯が敷かれており、ランタンが焚かれている。この灯火を中心にして、大小様々な壺がいくつも並べられていた。かたりと、大きな壺が動き、硬い音と共に蓋が落ちた。


 カザリはさっと矛を落として、素早く銀の短剣を抜く。ここでは狭く、長柄の武器は扱いが難しい。

 壺の中からは、緑色の肌の小人が顔を出した。白目のない赤い瞳がギラギラと光って見えた。レンカーサと同じ、ギザギザの歯を剥いた。


「強盗! 強盗! 動くな! 動く、ぶすり!」

「え、あ、違う」


 爪で硝子を引いたような、甲高い声で威嚇してくる。

 それに合せたように、思わず一歩引くと冷たい刃が、太ももに突き付けられた。刺すことはなく、それでいて鋼の冷たさが伝わる距離に切っ先が置かれている。力を強くいれれば、太い血管をいつでも突き刺すことができるだろう。

 まったく気付くことが出来なかった。油断していたのだろうか。それとも自分を過信していたのか。いつ後ろに回られたのか、気配はなかった。風の感覚も後ろにいる何かの存在を捉えていない。


「違う? 違う、しめす。武器、落とす」


 カザリは素直に、短剣から手を放した。その様に、大きな赤い瞳が、パチパチと動いた。思案するように眉根を寄せて、片目を閉じた。眉根といってもこの緑色の小人には眉も毛も髭もない。それでも、ツルツルした翡翠のような顔を人のように歪ませて唸る。紅玉めいた目を、ぱちりぱちりと何度か、しばたたかせた。


「ない、殺す、ない」

「ん」


 子供のような声が、短く頷く。突き付けられた刃がすっと戻された。緊張が解けて、思わず、へたり込む。それを後ろにいたものが正面に立って、覗き込んできた。白いお面が、目の前に見える。面の覗き穴からは顔も、瞳すらも見えず、黒々とした闇だけがある。四肢もぴたりと、外套のうちに体をしまい込んでいて手足は見えない。ただ背は低い、というか小さい。子供のような体躯だ。


「だ、れ」


 仮面の奥から響き、問う声も舌足らずの子供そのものだ。だが、この子がカザリの命を奪える位置にいたのは違いなかった。畏れを持って、口を開いた。


「カザリ、です。人を探して、夜歩きを、しています」

「ん」


 こくりと頷く。白い面の子供はこちらをじっと、空虚な目で見てきた。瞬きもないが、ゆらりと揺れる光のせいで、仮面の濃淡が変わっていく。


「クミリ。白面の騎士クミリ」

「白面」


 記憶を揺らす言葉の欠片に、カザリはぐるりと思考を巡らす。自分でも聡いとは思えない頭から、記憶を引き出す。そうだ、あれはソルティーから聞いたことがあるはずだ。


『ああ、もう、その言い回しを止めろ、白面の奴みたいで嫌になる』


 カザリに、自分に似てると言った誰か。それが白面と呼ばれていた、はずだ。たった一言で、自信はない。それでも声に出してみた。


「ソルティー、知っています、か」

「そのソルティー、銃使う?」

「使って、ました」

「ん、知ってる。ぼく、ともだち」


 白面が嬉しげに首を揺らす。その様に、緑色の小人が鼻息荒く、唸る。


「クミリ、ともだち、一番、おれ」

「メンメ、ともだち、最初になった」


 どうだ、とばかり緑色の小人は、壺から体を出して、ふんすふんすと胸を張った。カザリは相手の嬉しそうな様子に押されて、拍手をした。わあ、と気の抜けた声と共にクミリも拍手をした。

 メンメのと呼ばれた緑色の小人は満足げに胸を張った。にんまりとしながら、壺から出てくる。クミリと同じぐらいの背丈で、しっかりとした造りの、麻の服を着こんでいる。小人はパンパンと絨毯を叩いて、埃を払う。


「カザリ、客。座る、話す」

「ん、ソルティー、今、知りたいから、話、お願い」


 たどたどしい言葉に言われるがままにカザリは絨毯に座っていた。


「わ、分かった。話すよ」


 似たような、たどたどしさでゆっくりとソルティーとのことを話していった。先ほどの騒がしい様子もなく、じっと耳を傾ける彼らに気おくれしながら、ゆっくり、ゆっくり言葉を落としていく。


「ええと、ソルティーとは、牢獄で、あって」

「ん」

「その時、僕は、死んでで。幽霊みたいで」

「ん、ん」


 カザリの言葉に、クミリがひたすら、短く頷く。それを何度も、何度も繰り返し続けていく。その様に緑の小人が呆れた顔で、額を抑えた。口を開いた。


「おまえら、話す、下手」


 うんざりとした声が、とがった歯から漏れた。




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