20.嘆きの荒野
呻き声の響く廃道へ、カザリは再び踏み出した。その横には赤く光る蛾が火の粉を散らしている。風にふわりと乗って、カザリの行く先を照らしてくれた。それに従って、ゆっくりと崩れかかった道を進む。
火の蛾はレンカーサの血と呪いを編んで造ってくれたものだ。カザリが探知のために作り出した風に乗っている。見やすく、灯代わりになるようにと受け渡された。
それでも背のうに、松明や火打石を入れてある。荷物はできれば減らしたかった。しかし呪いを過信するなと、水、保存食と共にを背のうに押し込まれた。
少し重いが、体がようやく慣れてきた。食事から、時間がたったせいか、腹の中も熟れてきて、調子は良い。
自分でも驚くほど順調に、坂道を下りていくと、崩れた道の横から呻き声が響いてくる。やはり、藪の中から人骨が這いずってくる。立ち上がると草木と泥にがぼろぼろと落ちた。虚ろな骨だけの体を使って、カザリへ向けて無茶苦茶に錆びた剣を振ってくる。
「はッ」
それをさっとかわすと、矛の石突で足を払う。軽い音を立てて人骨の怪異は体勢を崩れす。その勢いのまま石突で人骨の頭蓋を叩いて砕く。怪異はそれだけで動かなくなった。初めは戸惑っていたこの人骨も簡単に倒すことができる。
人骨しか出ない廃道は、油断さえしなければ安全に進むことが出来た。ぞろりと数が出てくることもあったが、矛の間合いを意識して倒していけた。
そのまま藪を抜けてて、岩ばかりの荒地へと踏み込む。以前、紫水晶の騎士イルヴァが案内した道から、逸れていく。廃村と壊れた鐘楼のある方向とは逆の方向へと進んだ。
転がっている人面の大岩はじっとりと湿っており、どこか生臭ささが鼻を強く刺激する。嗚咽するような声がその下から響いてくる。これでは耳と鼻が潰されてしまう。探知のまじないが、もう少しうまく使うことができれば、そういう不安もなかったのだろうか。
そんな考えを頭を振って、追い払う。今ある手札で勝負するべきだ、ないものをねだっていても仕方ない。
自分の目と肌の感覚を引き締めると、岩ばかりの荒野を進む。時折、夜気に乗っても悲鳴のようなものかが聞こえる。それが、岩が泣いているだけなのか、それとも本当の人間の悲鳴なのか、あるいは人に擬態した怪物なのか、それも分からない。
その音の先に目を向けようとすると、風に逆らって火の蝶が視線を遮る。ぐるぐると回る蝶に、頷きを返す。今は道を逸れている場合ではない。黙々と歩みを続けると、木々がまばらに並ぶ地へと踏み込んだ。
木に止まっていたカラスがじっとこちらを見ている。鳴くこともしない。黒い目を闇の奥から、こちらを見ていた。襲ってくる様子はない。それでも警戒を弱めず、荒地を進む。
夜闇の中、うっすらと浮かぶように建物が見えてきた。それは丸く白い岩の塊のように見える崩れた門だ。跳ね橋は降ろされたままで、奥には倒れた塔があった。堀が見える場所まで近づくと、崩れた門の影から大きなものが立ち上がった。
夜の初めに、あの礼拝堂へ侵入してきた継ぎ接ぎの巨人だ。腐敗した狼の骸骨から唸り声を上げている。獣と人を無茶苦茶に、縫い合わせた化け物だ。あの時とは違い、大鉈を握っている。粗雑で分厚く、錆ばかりが浮いている。
巨人を腐った瞳で見ると、天に頭を向け、大きく吠える。おおおん、おおおんと幾重も人間の喉を重ねたような声が耳朶討つ。
それにカザリはじりっと足を開く。あの時とは違って、怯えはない。動ける。確実に手札は増えている。その意識を掴むように、矛を握りしめた。
継ぎ接ぎだらけの巨人は応じるように、大きく鉈を振り下ろした。カザリは滑るように跳ねた。間合いを離して、鉈を避けたところに、矛で薙ぐ。左足を切り払って、ぐずぐずとした腐肉を削り取る。転げ落ちた肉は、めえめえと悲鳴を上げてグズグズと溶けた。
アルテムのように足を一撃で切り捨てることはできないが、相手を鈍らせるには十分だ。鉈が戻ってくる前に、持ち手の腕を突いてから下がる。血の代わりに流れ落ちる腐肉の臭いを堪える。
痛みか、怒りか。巨怪は複数の唸り声を上げて、鉈を振り回す。それは、ただの乱雑な動きだ。カザリは息を乱さないように意識しながら、落ち着いて避けていく。よく見れば、敵の姿は苦しんでいるように見える。狙いは甘く、鈍い。川で溺れている子供のように、無茶苦茶に、必死に手足を動かしているに過ぎない。
皮膚のめくれた懲罰騎士や、あの海の怪物ほどの怖さはない。ゆっくりとした動作で避けながら、相手をよく見て狙いを定める。
「ハッ」
短い声で気合を入れると、ずいっと踏み込む。ぎっと足元が突きを放つ。柔らかな腹の腐肉を抉り、深く刺さった。穂先から伝わる、ぬるりとする触感を押し込むように力を込めた。かき回すように、腐肉を抉りながら素早く離れる。
ぐずりと液化した腐肉が、腹から落ちた。巨怪は苦しみのまま、手足を無茶苦茶に振るう。その様子は以前感じていた、恐ろしさよりも、哀れさが顔を出す。傲慢になっているのだろうか。いけない、と自分を引き締める。
矛の穂先、意識、いや呪いを集めていく。その間にも振りかかってきた鉈をするりと避けて、穂先を向ける。赤い飾り布が呪いによって、バタバタと騒がしく踊る。
「涸れた虚ろ、夜の風よ、吹き荒べ」
静かな声に応えて、解き放たれた呪いが爆ぜる。甲高い音と共に暴風と化し、巨怪を叩いていく。風に絡めとられ皮膚が薄く捲れ、悲鳴を上げる。そのまま体勢を崩して仰向けに倒れ込んだ。石や木くずなどが巻き上げられて、崩れた門や巨怪の体へと当たってく。
カザリは風の呪いが消えないうちに、風へと飛び込んだ。真新しい外套と頭巾が抗議するように暴れるが、気にしている余裕はない。カザリは暴風が自分を押し出す勢いのまま、もがく巨怪を薙いでいた。
踏み込みに使った足が風に押されて地を擦る。そこでようやく肉と骨を裂く感触をカザリは遅れて認識した。振り向けば、矛の刃は顎から頭蓋をばっさりと裂いている。
うまくいった。安堵がつま先まで伝わると、カザリは自分の呪いである風を消すことができた。
巨怪の肉体は崩れて、以前と同じく腐った狼の頭が落ちた。やはり頭はカザリが裂いた箇所から、いつくもの人間の死体が蠢き、這い出してくる。歯を剥き出しにしてこちらへ這ってくるが、距離を取って一人、一人と止めをさしていけば恐れる相手ではなくなった。
カザリは落ち着いて、最後の一体まで葬り、塵へ返す。
「ふう」
視線であたりを確認してから、息をついた。そして崩れた門に寄りかかるようにへたり込んだ。汗が今更になって噴き出してくる。息を整えながら、拳を握っては開いた。
アルテムのように楽々とは行かないが、自分でも対処できた。風のまじないのおかげでなんとか成りそうだ。出ていく前にコツを掴めてよかった。何度も何度も根気よく、付き合ってくれたレンカーサのおかげだ。
彼女が作った火で出来た蛾が、ふわふわと舞い、当然とばかりカザリの鼻先に留まった。羽を広げて、ゆったりと休んでいる。火傷はしないが、じんわりと温かい。
その感覚を楽しんでいると、こつんと軽い音がした。音の方を見上げると、崩れた門の上に何か、人影のようなものが立っていた。
それは、こちらに気付くとぱっと跳ねて、倒れている塔の方へと消えていった。
「なん、だろうか」
答えるものはいない。ただ火の蛾だけが、カザリの鼻の上をぐるぐると回っているだけだった。
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