18.神殿跡地
くつくつっと鍋が音を鳴らしていた。即席のかまどは、しっかり補強されたものに変わっている。火の暖かさに当たりながら、ふうふうと薬草茶をすすった。目にいたいほどの赤色だがをしているが、ほのかに甘い。
「すげえ色だな」
「でも、おいしいよ」
「我はもっと甘くしたいな、砂糖壺はあるかね」
「あぎ」
茶の感想を口々にいいながら、火を囲む。その様子を微笑みながら、見ているのは揺蕩いの司ルファだ。あの真っ赤な茶は彼女が入れてくれたものだ。積もる話の前にと、彼女が煎れ始めたのだ。
「エルフの作ったモンだぞ、もっと警戒しろよ」
言いながらも呪い師は、ちびりちびりと飲んでいる。それにルファは微笑んだまま、答えた。
「エルフといってもねぇ、人間育ちだから対したことはできんよぉー」
「あぎぎぃ、ぎ。ぎぎぎ?」
「あーいや、周りはみんな、ええ人やったし、そんなえらいことはなかったから、心配せんでー」
苔むした岩が転がるような、重いトロールの声が響く。それに間延びした声でのったりと話すルファ、彼女もトロールの言葉が分かるらしい。エルフもトロールも昔話でよく聞く存在だから、近しいものがあるのかもしれない。
「取り替え子かよ、まあ、そんなら、わからんでもないが・・・・・・」
取り替え子、赤子が妖精に誘拐されて、その変わりに妖精の子どもを育てさせられる、という伝説だ。育った子供がいやに優秀な子供だったり、先天の疾患がある子供をそう言って揶揄することはあった。
「実際、あるんだ」
「まあ、な。旅していると、結構見るぞ」
ふんっと鼻息を荒くしながら、レンカーサが拗ねたような声を上げた。そうした後、ずずっと茶を飲み干した。そのあと、頭を掻いてから、その頭をすっと下げた。
「悪かったな、ルファ。つっかかちまってよぉ」
「ええんよぉー、ウチは気にしてへんからー」
手を動かしながら、ルファはのったりのったりとした言葉を続ける。あの怪魚を封じるために張っていた気が抜けたのか、元々の性質なのだろうか。最初より、大分、ふわふわとしている。
その柔らかな顔をルファは締めて、胸に手を当て、一礼をした。
「改めて、お礼を。わたくしは揺蕩いの司ルファ、イーザファルの東にある青の洞窟を守護しております。海のよどみ、赤潮を祓おうとした際に、この夜に引き込まれてしまいました」
「イーザファル? だいぶ、南の半島じゃあねぇか」
カザリへ向けて補足するように、すっとアルテムが声を上げた。
「かぎ爪湾のあたりだろ、大陸の南端だぞ、そこまで入んのかよ。広すぎるな、この夜」
広い。牢獄にいた人ソルティーも言っていたことだ。
「なにか、まずいの?」
「“螺旋の夜”が深く、永いものへとなるでしょう、自然に解放されることはまずありません」
神妙な口調のまま、ルファが問いかけに答えた。
「そしてこれほどの夜となれば、深き王たちが現れたのでしょう」
「深き王」
思考にぽっかりと浮かんで来たのが地下牢で出会った老人ザイオンを思い出す。
「彼らが楔となって、この夜を深く、明けぬものへとしています」
「つーことは、この夜で還ってくるもりかよぉ」
「おそらくは」
「最悪だな」
頷き合う二人に対して、ぼんやりとするカザリ。キエンに視線を向けるが、くりっとした黒目を伏せられてしまった。
アルテムが呆れたように声をぶつける。
「いや、そっちで納得するなよ」
「すまんなぁ」
ルファは締めていた顔をへにゃりと崩れた。長い息を吐いたレンカーサが、自分の首の辺りを、軽く叩いた。長くなるぞ、と前置きをしてから、言葉を続ける。
「深き王っつーのよぉ、かつて存在していた大いなるものたちだ。まあ、馬鹿みたいに力が強かったり、魔力が高かったり、魂の総量が大きい人間。まあ、のちに英傑だの奸雄だの呼ばれる連中だな」
呪い師は自分の持つ杖をかまどに突っ込む。そして火かき棒がわりにかまどの中を突いた。ごりごりと音を立てながら、灰を掻き出していく。そうしてから、手近においてある薪を放り込んだ。
その灰をレンカーサはぐりぐりと弄りながら続ける。
「そいつらが元がなんであれ、“螺旋の夜”に取り込まれて変わっている。奴らはすでに人の範疇じゃあない」
「うん、ザイオンさん、とかだよね」
レンカーサは静かに頷く。それにルファ、そしてアルテムが合せて顔をしかめた。
「覇王ザイオン。かつて大陸の西部を支配したセディム帝国、最期の王だな。死霊を操り、生死を超越した魔人。ただ一人で千年の支配を行ったという」
額を揉みながらアルテムが唸っている。
「意外だな、神官様よ、詳しいな」
「これでも真面目に経典は読んでるんでな」
経典、確か神官達が読んでいる書物だったろうか。文字はせいぜい自分の名前しか書けないカザリには縁遠い。キエンと仲良く、ほえーと口を開けた
「そいつは神々の使徒に討伐されて、封じられたと聞く。うちの神さん、含めて様々な神が協力してやったつー話だぞ。結構、多くの神殿で伝えているはずだが」
「故郷にゃあ、なかったからなあ」
「ぼ、僕も隣村まで行かないと……」
「我はそういうのは、苦手で……」
アルテムのじろっと見てくる視線に、カザリたち三人はそれぞれ苦笑いで答える。
「まあ、いいけどよぉ。経典はともかく機会がありゃあ大陸通史ぐらいなら今度教えてやるから」
「神官様のお説教はともかく、だ。おそらく、そのザイオンと同格ぐらいのが何人かいるだろうな、少なく見積もって三、いや四人はいる」
ほうっと毛むくじゃらの騎士キエンが息をついた。
「あの爺さんの四肢を奪った奴、結晶の騎士達。おそらくそいつらの頭」
「あとは海を汚していくもの、淀みの主がおるはず」
あの固い口調で続けるのは諦めたらしいルファが、かぎ爪湾特有の言葉で続ける。
「ザイオンが封じられた牢獄の主もいるだろう。あとはあの腕を封じた術式は、結晶の奴らとはまた別だろうな。海の淀みとも違う。文字を使った術理だ」
「呪い師殿、文字の使い手が牢獄の主と同じということはないのか?」
「いや、たぶん、趣味がこう、違う感じだ」
呪い師が指をわしゃしわゃと動かしながら、キエンの言葉を否定した。補足するようにルファが言葉を続けた。
「まあ、なんとなくそういうの、あるんよねぇ。呪いの癖っていうの」
「だろぉー」
にへぇー、笑うレンカーサ。今まで見たことない笑い方で、ちょっと怖い。
「少なくとも、深き王どもは現世に戻るつもりだぜ。そうでなきゃ、わざわざ冥府から“螺旋の夜”へ入ってこないだろうよ、迷惑な話だ」
「戻る、そんなことができるのか」
「こっちだって帰れるんだから、出来るぞ。実際に、戻ってきてやらかした連中がいるしな」
しゃべり続けていたレンカーサが息を吐いた。鍋から柄杓で白湯をすくい、湯呑に注ぐ。ふうふうと冷ましながら、言葉を続ける。
「やり方は簡単だ。要は楔を引っこ抜けばいいんだよ」
カザリはその言葉にピンと来なかった。のったりとした動きで首をかしげることしかできない。
「ふむ。要するに他の楔となっている存在たち、四名を打ち滅ぼすこと」
「そうだ、俺たちはそんな面倒な殺し合いに巻き込まれているってこった」
静かに聞いていたアルテムが、珍しく不満げに声を上げた。
「深き王を誰か、勝たせなきゃ帰れないっつーことか。最初から、こっちが負けみたいなもんじゃねーか」
「まあ、王が現世に出れば、配下の化け物どもも地上に出てくるしな。だが、“夜”が明けるまでには、余裕がある。その間に、アンタが王のド頭、ねじ切ってやりゃあいい」
うえーっという渋い顔をするアルテムに、へらへらと呪い師は笑う。
「それでも心配なら最期にザイオンを討てばいい。幸い奴は四肢を他の深き王どもに奪われている。そんな状態で現世に戻ることはないだろうよ」
「ざ、ザイオンさんの手足を僕らが奪っておく。それでギリギリまで返さない」
言い切ると頬を叩いて、カザリが立ち上がる。座り続けて固まった体をゆっくりと伸ばした。アルテムが、それをじっと眺めて言う。心配そうな瞳が、彼の強さに似合わず大きく揺れていた。
「五人の深き王を討ち、脱出する、か。言うに安し、だな」
「でも、やるんだ。僕は、みんなと帰りたいから」
顔を強張らせながらも、カザリは必死に笑って答える。槍の穂先を模した首飾りが、震えを抑え方を教えてくれた。それでも、端々から、怖さが漏れてしまう。ぐぐっと拳をーに力を込めて、笑い顔のまま歯を嚙み合わせた。どうにも威嚇する獣めいた笑い方になってしまった。
「似合わねぇ―から、やめとけって」
レンカーサがわき腹をやさしく突いてきた、へにゃっと崩れてしまう顔を情けなくそちらに向けると、ゆるい笑いで返されてしまった。
「頑張ったのに」
「分相応に行こうぜぇ」
執拗に突いてくる呪い師のせいで、カザリはそのまま椅子に座り込むことになった。
「ううう」
「まあ、ダンナ以外にも他に迷った連中もいる、そいつらと協力できれば、なんとかなんだろ」
呪い師は顎で毛むくじゃらの騎士を差す。彼はにっと笑い、くりくりとした瞳を輝かせた。それに不満そうにアルテムが唸った。
「出られないんだがなあ」
「アンタは後回しだよ。それとも夜明けまで戦い続けるか」
呆れ顔のレンカーサが、犬でも追い払うように、手首を振った。苦虫を潰したように、歯を剥いて続けた。
「どっちにしろアンタらは大人しくしてろ。雁首揃えて“螺旋の夜”を動くのはあぶねぇ。目立つと寄ってくるバケモンの数が増えっからなぁ」
「せやなー」
ルファが落ち着いた様子で、頷いた。
「ともかく出来ることから、やっていきましょ。とりあえずウチの作業台を……」
彼女の言葉を遮るように、カタリと正面の扉が揺れた。皆がそちらを見た。すっと立ち上がり、武器に手をかけた。しかし、いつまでたっても、風だけが入り込むだけだ。
真っ先に構えを解いたのは、呪い師だった。
「紛らわしい、ただ戻ってきただけじゃねぇか」
あきれ顔のまま、カザリの槍をすっと杖で差した。ゆらゆらと飾り布が揺れている。
「ダンナが送った風だよ、あの散々なやつ」
「ぼくの、風」
飾り布の前に手を出すと、風が皮膚をくすぐった。懐いた犬のように、カザリの掌でぐるりぐるりと回り続けている。
ふんわりとした林檎の香りがカザリには感じられた。牢獄で出会った、ソルティーが吸っていた煙の匂いだ。はぐれてしまったソルティーから運んできてくれたようだ。
「確かに、探してきてくれた」
行くべき場所が分かった。ソルティーが捕えられている牢獄、そこに行けばザイオンに、そしてこの夜についても知ることができるだろう。
カザリは風を握りこんだ。そうすると林檎の香りがより強く感じられた。
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