17.神殿跡地




 長椅子に座ったまま、静かに息を整えた。カザリはいやに力んでしまっていた。対面にいる呪い師は口を少し開けて、呆れたような顔をしている。


「いい加減、落ち着け。風を想い、それを形に起こす。それだけだ」

「やってる。やってるけど」


 指摘されても、中々、抑えられるものではなかった。長い休息の後、いまだに戻らないアルテム達を待つ間、まじないの訓練を頼んでいた。教えてもらっているものの、カザリは感覚を掴めない。


「力の入れ所が違うんだよ、筋肉に力込めたってしゃあねーだろ、想うんだよ」


 レンカーサは指をぱちんと鳴らす。それだけで、ニンニクにも似た沼特有の強い臭いが広がり、指先に昏い火が灯った。


「こうやるんだよ、流れる血をちょいっと集めてやるような感じだ。そこから呪いを吐き出してやる」

「ん、んんん」


 言われるがままに、指先に集中するが、風が吹く様子もない。血を集め、呪いを吐き出すといっても理解ができない。


「ダメか、すまんな。下手くそでよぉ」


 彼女にしては珍しく自信なさげにわしゃりと頭をかいた。唸り声を上げて、困った表情を見せてくる。カザリはおどおどと声を上げる。


「い、いや、僕ができないから」

「ちげーよ、アタシが教えるのが下手なんだよ」


 ふひぃーっと正していた大勢を崩す。レンカーサは眉間を揉んで、長椅子にだらしなく座り直した。


「弟子なんてもん、取ったことねぇからなあ。なんか集中する手段がありゃあいいんだが」

「しゅう、ちゅう」


 ふとカザリは立ち上がり、置いておいた矛を握った。その先端を意識していく。


「ぼくが、一番、集中できるものなら」


 矛の中まで、血が通ったような感覚がぶわっと広がった。同時に穂先から風が吹き上がり、暴れた。辺りにあった蜜蝋の火が瞬いて、揺れる。


「おわわわ、っぶねぇ、やめろ」

「ひゃっ」


 自分自身でも驚いたカザリは手をぱっと離して、矛を落とした。穂先から吹き出していた風はゆっくりと収まっていく。


「で、できた?」

「まあ、な。悪くない」


 彼女は転がり落ちた矛を掴んで、座り直した。ふんっと鼻息を噴き上げると外套の袖、その影の中から赤い布を一枚、取り出した。それを飾りとして穂先の根元にぎゅっと結ぶ。


「ほれ、こいつを目印に使って、風を吹かせてみな」


 そう言って渡してきた矛を受け取った。次はすっと、力が入った。魔力というものはよく分からないが、なんとなく帆を張ったような感覚がある。

 帆? 知らないはずの知識と体感にカザリの思考が停まった。帆、船に使う風を受ける布だ。カザリはそう聞いたことがあるが、見たことも触ったこともないはずだ。首飾りに思わず手を当てた。槍の穂先を象った護符、その中に眠る戦士の魂は帆船に乗ったことがあるようだ。

 戸惑いはある。けれど、その感覚に合わせて、風を吹かせた。


 たるんでいた赤い布が、ゆっくりと揺れた。帆を張るイメージ、それに向ける力の入れ具合を変えると、その揺れが大きくなったり、小さくなったりする。


「出来そう」

「上出来上出来。じゃあ、まずは失せ物探しでも教えてやるよ」


 呪い師はようやく歯を剥いて笑い、カザリはそれにこくりと頷く。


「呪文は、どうすればいいの」

「呪文は、なんとなくでいい。やりたいことの意思表示みたいなもんだ」


 肩をぐるりと回してから、袖の影から銅貨を一枚取り出して、放り投げた。長椅子の間に潜り込んでしまった。


「鬼火よ、踊れ、我を誘え」


 ぼうっと指先から火が飛び立ち、ある長椅子の上にふわふわっと止まった。レンカーサはそこに近寄ると腰をかがめた。さっと、さきほど投げ捨てた銅貨を取り出して、こちらに見せた。

 それを指で弾いて、また長椅子の下へと放り捨てる。


「ま、こんな案配よ、ダンナ。やってみ」

「う、うん、風よ、探して」


 軽思わず力んでしまった。槍の穂先から、ぶわっと風が吹く。猛然とした勢いで礼拝所の中を吹き散らす。蜜蝋の火をゆらし、埃を巻き上げた。それでも逃げ場のない風は神殿の正面扉を開けて、その先へと吹き抜けていた。

 ガタンと勝手に閉まった扉、同時に風に巻き込まれたレンカーサがぼっさぼっさの髪でこちらに顔を向けた。ひくりと顔をゆがめながら、赤い目でじっとこちらを見ながら、歯を剥いた。


「ダンナァア、もっと基礎から、やらなきゃぁ、なあ」

「ご、ごめん」


 謝るしかできない。小さくなるカザリに、レンカーサは怒りを収めた。


「こっちこそ、わるかった」


 髪を直しながら、呪い師は怒りをすぐ収めてくれた。同時にさっと彼女が黒い杖をどこからともなく構えた。

 ぎぃっと中庭の扉が鳴った。そちらに目を向けると青い瞳がこちらをのぞき込んでいた。


「ああ、ごめんねぇ、ごゆっくり」

「いや、えぇー」

「こそこそしてんなよ」


 レンカーサが中庭の扉をむんずと開く。中庭から倒れ込んでくるのは細身の少女が転がり出てきた。色黒い肌をした青い瞳、尖った耳、カザリたちも着せられていた白い貫頭衣姿だ。

 おそらく、あの岩のように成っていた揺蕩いの司ルファなのだろうが、なんとなく気が抜けているように感じられた。

 倒れたままのルファ、それを毛むくじゃらの騎士がわたわたと見ていた。キエンも無事だった。聞いただけなのと実際見るのは違い、すとんと安心がはまった気がした。


「く、くたびれた」


 続いて、よろよろと出てくる神官戦士が出てくる。アルテムは解呪のために大分消耗したらしい。それでも、こちらに残った元気を向けて、にっと笑ってくれた。


「よぉ、おかえり」

「ただいま、です」


 カザリはたどたどしく、それでもしっかりと笑い返した。




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