9.枯れた裏庭
神殿の裏手から出ると、枯れ木が並ぶ草むらに出た。低木が多く、いくつかは切り倒され、根から引き抜かれていた。かつては手入れされた庭なのだろうが、今はハッカをはじめとした、生存力の強いハーブだけが青々と茂っている。月と星に照らされ、夜風でわずかにざわめいている。
アルテムはその間をザクザクと進み、低木のない辺りで立ち止まる。
「さあて、慣らしだ。とりあえず軽く素振りしてみな」
カザリは頷くと、彼から十分に離れた。草を踏むたびに強い匂いが広がってくる。そしてアルテムに向き直る。
最低限の備えとして習った型を繰り返す。矛を振り、突き、薙ぐ。最初は知っている長槍の動きだった。だが、体はだんだんとカザリの知らない動きをしている。受け、防御のための払い、石突を使った攻撃などは、使い捨ての傭兵だったカザリが習うはずもない。
身に着けた首飾りが知っている、ということだろうか。違和感はあるが不快感はない。怨念だと聞いたが、それは父親が手を握って教えてくれているような感覚だった。そして何度振っても、突いても、疲れが薄い。
それでも、体が熱くなり、自分の息が忙しなく聞こえた。
「おいおい、軽くっていったろ」
「あ、ごめんなさい」
呆れた声にようやくカザリは素振りをやめた。
「はあ、そんならもういいな。マジで訓練するぞ」
ぼんやりとした声を上げた後に、アルテムは顔を引き締めた。そして静かに聖印を握り、ゆっくりと祈りをささげた。
「北風を割くもの、白き母たるクルラよ、その慈悲の腕で彼の者を守り給え」
ざわざわと草木が騒いだ。その合間からぬっと白い蛇が現れて、カザリへとするりと巻き付く。そして、体の内へと溶けていく。するとカザリの肌は膜が張ったように、薄い光を放つ。守りの奇跡だろうか。
「そいつがあれば即死はしねぇ。まあ、かかってこい」
鞘から抜かないまま、神官戦士は大剣を中段に構える。頷くカザリも穂鞘へ刃を収めてから、矛をアルテムへと向ける。
カザリが突きかかり、薙ぐ。自分でも驚くほど、慣れた動きだった。それでも届かない。それこそ蛇のように絡めとられるようだった。いくら突こうが、振るおうが、受け流され、弾き飛ばされる。
そしてカザリに入る蹴り、拳、肘。それらが容赦なく打ち据えてくる。大剣は守りのためだけにしてくれている。それでも、その剛腕で殴りつけられるだけで一瞬、意識が飛んだ。それも一度ではない、幾度もだ。転げ回され、弾かれて倒れる。
だが、不思議と不愉快ではなかった。着ぐるみだったような力がだんだんと自分のものへと変わっていく感覚があった。それが、今は楽しい。強くなる、これで前に進める、という感触がカザリの心を踊らせた。
大剣と矛が幾度も触れ合った。
そして、繰り出した横薙ぎをアルテムが踏み込んで、矛の柄を左手一本で弾き、そのまま、足払いでカザリを転ばす。草むらに打ち付けられて、カザリは呻く。それでも、素早く立ち上がろうとするが、腰からすとんと落ちてしまった。
アルテムは左手を何度か握り開く。そして、ふっと息を吐く。
「まあ、十分だ。少し休んでな。飯作っておくぜ」
「は、はひ」
立ち去っていくアルテムを見送るとぐったりと倒れ込む。肺が悲鳴をあげながら、何度も膨らんでは縮む。汗が渇いていくのを感じながら、だんだんと四肢に力が戻ってくる。体力回復の早さに自分でも驚きながら、立ち上がる。
着ぐるみだったような首飾りの力、その感覚が大分馴染んだような気がする。
軽く体をほぐしてから、ゆったりと神殿の中に戻る。冷たい夜気を吸った肺に甘い蜜蝋の匂いに交じった。
すでにアルテムは即席のかまどの上に深底の鍋を乗せて、木べらでぐるぐると中身をかき混ぜている。手持ちの穀物を混ぜ合わせた粥のようで、燕麦とソバの煮える匂いが腹を鳴らす。
「かあーさん、あたし、青菜きらいー」
「だれが、母上か」
呪い師にそんな軽口をいわれながら、神官は料理を進めていた。小さく切った塩漬けの青菜を入れて味を整えている。軽く混ぜたあと、火からの下ろすと鍋敷き代わりの平たい石に置く。そしてさっと取り出した木の深皿にのせて、配り始めていた。
「ほれ、先に食ってな」
「あいよ」
「はい」
「ぎ」
受け取るとトロルは飲むように、皿のまま、すすり始めた。呪い師はこちらに匙を投げ渡してくれた。そして、立ったままバクバクと食いついた。カザリは受け取ってから、長椅子に座ってから静かに口に運ぶ。
暖かい。すこし甘い。砂糖か、ハチミツをわずかに混ぜている。あまりべたついていないのは、わずかに何かの乳をいれているのだろうか。
なんだかお祝いの時、みたいだ。
「すまんな、混ぜ物ばかりで」
「いえ、おいしい、です」
アルテムはまだ食べていない。干し肉をあぶっては、食えとばかり回りに配ったりしている。肉をゆっくりと食べきり、そして粥に戻ると、また一枚と渡してくる。そんなに食べられない、と思っていたがするすると胃に入ってしまう。
皿は気が付けば粥の空になっていった。もう少し欲しいな、と思うより早く、呪い師が彼の皿をさっと奪う。そして、自分の皿とともにアルテムへと突き付けた。
「かあちゃん、めし、もっと」
「はいはい」
苦笑しながら、神官は受け取ろうとした。だが、ぴたりと止まる。呪い師はそれに気づくとすっと皿を置いて、骨の短刀を握る。アルテムも大剣を握るが、刃を抜くより早く神殿の扉が開いた。
そこから闇から浮かび上がるように、金属鎧で身を包んだ戦士が踏み込んできた。鱗鎧を纏い、武器は円盾を左腕に通し、腰には大きな斧を下げている。全身から剛毛が生えており、埋まった顔から赤々とした口を開いくと、ざらりと並んだ牙と臼歯が折り重なって見えた。
その怪物はふらりと一歩、二歩と進んでくると、ようやく声をしぼり出す。
「たのむ、飯を、分けてくれ」
それだけ言うと、怪物はへろへろと崩れてしまった。こちらも長い息を吐いて、力を抜くしかできなかった。
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