8.神殿跡地
呻き声の響く夜道を何事もなく抜けた。重い木の扉をゆっくり開くと、暖かい光が夜闇を裂いて漏れてきた。同時にふわりと甘い香りが広がった。火に溶けた蜜蝋の匂いだ。
「おう、帰ったぜ」
「た、ただいま」
カザリは尊大に言い放つ呪い師に続いて言う。
長椅子から立ち上がって、アルテムがほっと息を吐いた。そして、ずんずんとこちらに近づいてきた。大柄な体からぬっと伸ばした手で肩を叩いた。アルテムの手の平はとにかく暖かく、じんわりと熱が広がっていくような気がした。
「おかえり、怪我はねぇみたいだな」
にっと笑う彼の後ろ、神殿の中はすっかり埃は払われていて、淀んだ夜の中には不似合いなほど、きれいに清掃されている。長椅子の一部は動かされており、いくつかは隅に置かれていた。
その分、祭壇前は広く場所が取られていた。その真ん中にあるのはありあわせの石材で作ったらしいかまどだ。すでに火が、ぱちぱちと燃え上がっている。鍋が載っていて、湯気がふんわりと浮かび上がっている。その様子をトロルが長椅子に座ったまま、ぼんやりと眺めていた。気まぐれに大袋から薪を取り出しては投げ込んでいる。
「軽く腹に入れるか」
「ぎぃ、あぎ」
そう言ってアルテムはかまどの方に踵を返す。それに呼応するようにトロルが小袋から、大玉の林檎を三つ取り出した。大きな指でくるくると遊んだ後、ひょいっと三人にそれぞれ投げ渡してきた。どうやったのか、すっぽりとそれぞれの掌に収まった。
「おまけだとよ、ありがてぇ」
林檎を軽く袖で拭きながら、呪い師はずんずんと進む。そして、どっかりと偉そうに長椅子に腰かけた。かまどから伝わる光が彼女をよく照らした。そして、長椅子の板を軽く叩いた。横に来い、ということだろう。頷いてカザリは座った。
同時に林檎をかじる心地の良い音が響いた。横では呪い師が、ギザギザとした歯で削ぐようにゆっくりと食べていた。薄い唇が、果汁で濡れていく。
こちらを見てもいないトロルに、カザリはぺこりと小さな礼をする。そうしてから、林檎をかじった。思わず目を開いた。
「あまい」
乾いた喉に向けて甘酸っぱさが一気に広がった。消えていた食欲が鎌首をもたげた。果汁を吸うように、丁寧にかじる。果肉を削ぎ、皮をつぶしていく。そのたびに口に果汁が広がっていく。
あとは無心だった。気が付けば、大玉の林檎は小さな芯だけになってしまっていった。
「いい喰いっぷりだな、ダンナ」
隣からくっくっくっと意地の悪い笑いが漏れてきた。カザリは気恥ずかしくなって、残った芯をかまどへと放り込んだ。そうすると余計に、悪辣そうな笑いが強くなっていった。
「あんまり、からかってやるなよ」
「へいへい」
カザリに習って二人も火の中に芯を放り込んだ。アルテムも火を囲むように近くの長椅子に座っている。彼も長く息を吐いて、体を伸ばす。
「んで、ダンナ、あがりはおいくらで?」
「ま、まって」
灰の積もった瓶をいくつも並べた。呪い師がさらうように一瓶、握る。
「こいつは、悪くないな」
ひひっと笑ってから、その後にすっと表情を落とす。祈るように、静かに瓶を両手で包む。呪い師から黒々とした泥が手の平いっぱいに広がった。泥は燃えあがり、火の中で瓶の灰はちらちらと輝いた。そうして、燃え尽きた泥は火の粉となって消え去った。灰はすべて時砂と変わっていた。
呪い師は天井に向けて長く息を吐く。血の気の引いた彼女の顎から汗がだらりと落ちた。
「くそっ、一瓶で限界、かよ」
それをひょいっとトロルの商人へ投げ渡す。トロルはにたりと笑い、瓶を開けた。巨大な鷲鼻に近づけて、ひくひくさせる。そうしてから、にたりと笑い乱杭歯を見せた。
「あぎぃ、ぎぎぃ」
「おう、こいつでダンナに見繕ってくれ」
トロルは大袋に手を突っ込み、いくつもの品を並べた。ほうっと唸りを上げたのはアルテムだ。素早く立ち上がってトロルに近づく。
「品定めは頼む、ダンナ、アルテム。すまねぇがしばらく休む、ぜ」
「ああ、任せてくれ」
ぐったりと目をつむる呪い師に比べて、楽しげにアルテムは品定めを始めた。カザリもそれに続いていく。剣に槍、鎚に斧、盾に鎧が雑然と並べられていた。いくつかの武器を撫でていく。槍を一本、手に取り穂鞘を抜いて刃を見る。広く分厚い、両刃のものだ。この穂先は刺すより斬りつける方が向いている。感覚で言えば、分厚い短剣が穂先になったようなものだ。
「槍というよりは矛だが、こいつはどうだ」
渡された矛はずしりとした感触があった。穂先の根元には紅色の飾り布が巻かれていて、黒く塗られた柄は木材としては重く硬い栗の木だ。栗の木は実家の裏手にあった。そんなことを思い出すと手にはなんだか馴染む気がした。
「短槍よりは薙ぎ払いやすい。敵に囲まれた時にはいいんじゃないか」
「少し、重いです、けど。いい、と思う」
「あぎ、ぎ」
そう言うに合わせて、天秤計りを取り出した。カザリのその皿に矛を置くと、先ほど渡された時砂の瓶をトロルは傾けていく。その天秤が釣り合うまで砂を落とす。それに満足したのか、矛を押し付けるようにカザリへと渡してきた。
「ぎぃぎ」
「ど、どうも」
「ぎぃ、あぎ」
そして、さらにいくつかの品物を前に出した。ほとんどが防具と装飾品だ。アルテムは唸りながら、いくつかの防具を手に取った。
「どうにも重いな、モノは良くても使えない」
素人目にも立派な金属製の籠手や胴鎧などもあるが、これらを着るとなると消耗が激しい、今のカザリには向かない。長く動き回るのだから。そうアルテムは短く説いた。軽い革鎧もあるが、こちらの質はあまり納得いかないようで、唸りだけが長々と響く。
結局、カザリに合う厚めの革手袋を選んで、天秤の皿へとのせて勘定する。わずかに時砂が減ったが、矛と合わせてもまだ半分以上は残っている。
その後に装飾品を一つ一つじっくりと選別していく。その中から、ひとつアルテムは首飾りを選び、渋い顔で計りの皿に置く。槍の穂先を模した細工物、それを革紐に通したものだ。カザリには特に変わったものには見えなかった。
「こいつ、かね」
「へ、お目がたけえこった」
休んでいたはずの呪い師が片目を開いた。ぎっ、と短い声を上げてトロルが瓶からざらりと時砂を出した。ほんの少し、槍の首飾りが重いようだった。トロルは鼻を三度鳴らしてから、ニタリと笑い、皿をほんの少し押した。
「ぎ、ぎぎぎぃぎ、あぎぎぎ」
「ああ、悪いな。分かった分かった。今後ともひいきにするぜ」
「任せるっつったのによ、ったく」
呪い師は青白い頬をかいて、ふうっと息を吐く。カザリは彼女を覗き込む。弱々しく苦笑いする。わりぃ、そのまま沈み込むように姿勢を崩した。
「ほれ、つけてみろ」
アルテムから無造作に渡された首飾りを身につける。体が軽くなったような、大きくなったような奇妙な感覚があった。
「違和感は強いだろうが、少しづつ慣しておけばいい」
「これは」
「ダンナぁ、こいつは物に宿った記憶だぜ、怨念に近いけどよぉ」
目をつむったまま、したり顔で呪い師はちっちっと指を振った。
「ここは“螺旋の夜”だぜ、過去と記憶が混在して積み重なったような世界だ。まあ、夢みたいなもんさ。そんな中で強い記憶つーのは、持っているだけで力になるってえ寸法だぜ」
「それが今の感覚だろうよ、あまり進めるものじゃあねぇが、今は即席でも戦士になってもらわなきゃ困る」
わしゃわしゃとアルテムが頭をかいた。そして大剣を握り、立ち上がる。
「疲れているだろうが、得物持ってついてこい」
「わあお、お厳しいことで」
「悪い」
「そういうマジな反応は困るぜぇ」
けけけっと笑いながら呪い師はこちらに手を振っている。トロルも楽しげにあわせていた。なんだかよく分からない。それでも言われるがままにカザリは続いていくしかなかった。
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