6.懲罰騎士
「カザリッ! 煙のを頼むッ!」
切羽詰まった声でイルヴァが叫ぶ。彼女は同時に皮膚のはがれた巨漢、懲罰騎士へと突き進んだ。先ほどとは違う、大振りの攻撃を繰り出しては、懲罰騎士の視線をこちらから逸らしてくれている。
言われるまま、煙水晶の鎧を纏った騎士の方へ向かう。胴が鎧ごと砕かれて明らかに死んでいるはずなのに、血の一滴も落ちてはいない。肉が在るべき砕けた断面は灰色の水晶だ。鎧ではなかった、彼は全身が水晶で出来ているのだ。
「すま、ぬ。私の短剣を、くれ」
「わかり、ました」
有無を言わせない、低い声だった。分断された下半身へと駆け寄った。怯えを抑えて彼の半身を探る。装飾のように張り付けられた鞘から、短剣を抜く。柄には煙水晶が埋め込まれ、繊細な銀の細工がされていた。だが、それをじっくりと見ている時間はない。
彼に剣を渡すと柄の水晶をぐっと握りこんで、無造作に砕く。軽い音と共に砕け散ると彼の砕かれた胴体がゆっくりと繋がり、癒着していった。彼は安堵したようにふっと体の力が抜けた。彼はつなぎ目をさすり、確かめるように胸を上下させた。
「助かった。もう大丈夫だ。姉上を、イルヴァを」
「わ、わかった」
たどたどしく頷く。たいまつを彼の横に置き、両手で短槍を握った。
振り向けば、火の前で踊るような戦いが続いていた。
悲鳴のような吠え声が耳を叩く。壊れそうな叫びと共に炎の大鎚が唸りを上げてた。イルヴァがさっと避けて、細い剣で即座に突き返す。懲罰騎士の中指を切り離す。皮膚を剥がれた肉体、その血管をびくびくと振るわせて苦痛の声を上げた。懲罰騎士は細々とした怪我が増えていく。
瞬く間、という言葉をカザリは初めて理解した。体感したというべきだろうか。懲罰騎士の動きに合わせて、短い間に傷を負わせていた。一振りする度に、見える限り、三度は斬りつけていた。
しびれを切らして、左腕だけで掴みかかる。だが、それは懲罰騎士が指をまた一本、失う結果になるだけだった。
苦痛と怒りのまま、懲罰騎士は叫ぶ。そして大きく跳び上がった。そのままイルヴァに向けて、体重ごと大鎚を振り下ろした。紫の騎士はさすがに大きく避ける。避けきった。しかし、イルヴァの動きがわずかに止まって、しまった。
そこに片腕だけを大きく伸ばし、這うような体勢のまま、懲罰騎士は大鎚をなぎ払った
「ッがぁ、あ」
小盾を構えようとしていたが、間に合わない。いや、むしろ構えようとしたのが良くなかった。固い音が響くとイルヴァがふき跳ばされていた。腕はあらぬ方向へとねじ曲がり、くごもった悲鳴が短く漏れた。ずるずると端材が散らばった地面を転がると、彼女はぐったりと動かない。あとはただ赤い血が点々と滴り落ちているだけだ。
いやに白い歯を剥いて、懲罰騎士が笑う。大きく振り下ろすために、皮の剥がれた赤い肉体を力強く構えた。破れた肉から粘性の血がどろどろと落ちてきた。大鎚の纏った炎がより強く、燃え上がった。
まずい。
近づくのは間に合わない。
それでも姿勢を整えて足に力を込める。狙えるかは、分からない。うまく行けと祈りながら、槍を構えた。息を整える間もなく、体を振り絞るぼるようにして、力を込めて投げつけた。狙ったのは胴だった。
しかし、幸運にも力を入れすぎたのだろうか。わずかに上に逸れた。血に塗れた布がちらちらと光の帯を描くと、無謀な首へと突き刺さった。不意の一撃で巨体がぶるりと震えた。全身から光が吹き上がり、体から漏れていた粘りのある血がほどけるように光へと消えていく。
だが、そこまでだ。ぶるぶると震えた肉体はこちらを向き、一つ吠えた。応じるようにカザリも吠えた。短剣を抜き放ち、怯えを押さえていく。
「僕は、帰るんだッ!」
ただ一日より短い時間、いっしょにいた人たち、その顔が浮かぶ。大きく角張ったアルテムの優しげな双眸、儚く壊れそうな呪い師の不敵な笑い。それが待っている。そう考えると震えは止まる。
懲罰騎士の攻撃は速い。きっと対面した今、目で追うのはできないだろう。だから、先ほど大鎚の振りを思い出しながら、ゆったりと体を動かす。
大鎚が炎と共に風を巻き上げ、振り下ろされる。負傷で鈍くなったのだろうか、刺さったままの槍のせいかもしれない。カザリが一歩、素早く踏み込んで間合いの内へと入って避けた。もう一度、振り回す前に腹へと深々と短剣を刺す。抜けない。咄嗟にカザリは一度捻り込んでから手放す。
痛みに吠えて、こちらに素手で掴もうと伸ばすが、短くなった指先のおかげで鼻先をかすめただけで済む。
その隙に背負い込むように、首に刺さった短槍をねじり回す。肉をそぐ感覚と同時に、みしりと槍の柄が軋みを上げた。悲鳴の変わりに淀んだ血が吹き上がった。腐った血が喉を圧迫して、懲罰騎士は声が出せない。
それでも、なお懲罰騎士は体ごと鎚を振り回してきた。攻撃はあたらないが、反動でべきりと音が鳴った。槍の柄が砕けて、放り捨てられるようにカザリ転がった。ぺしゃっと間の抜けた音とともに湿った地面へと体を打ち付けた。
懲罰騎士は、こちらへと数歩近づいてきた。それにさっと立ち上がる。
懲罰騎士は血を吐きだした。そして、動きはそこまでだった。膝からぐっと崩れ落ちて、体が光と化して消えていく。大鎚すら夜に溶けて、武器も何も残らない。懲罰騎士から最後に上がった咆哮だけが、彼がいた証明になった。
「貴公、よく、やった」
イルヴァの声がした。面をずらして、苦しげに上体だけを起こしている。それでも鎧ごと治癒が始まっているらしい。細やかな傷が、時を戻すようにゆっくりと逆巻いて治っていく。
それで、カザリはようやくへたりこめた。息を噴き上げると、夜空がようやく目に入った。星は鐘楼の炎と煙によって光を奪われている。今はたたただ赤黒くしか、見えなかった。
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