4.呻きの廃道




 松明を片手に月明かりのない小道をカザリは進んでいた。星は見えるが、今の夜空とは違う形をしていた。カザリは息を荒くしながら下っていく。暗い小道には藪や岩が転がっており、その影から痛みに耐えるような、不気味な声が聞こえてくる。

 だが、それだけで、何かが出てくることはないが、ただただ不気味だった。


 カザリは銀糸を編み込んだ紺色の貴族服を纏い、腰には短剣と小瓶を差した革ベルトを身につけていた。そして左手には松明を、右手には血布を巻いた短槍を握る。背のうもあるが、肩にかかる重みは軽い。松明三本と水袋をぶら下げているだけで、他に中身はない。


 それがぴちゃぴちゃと少しだけ音が鳴る。飲みたくなるのをぐっと我慢した。いま手に持った松明を使い切ったら、来た道を戻る予定だ。


「無理は、するな、戻れるうちに戻れ」


 申し訳なさそうに眉を曲げた、アルテムの顔が思考に浮かぶ。どうにも彼自身が探索に出られないのが歯がゆいのもあるのだろう。それ以上に、カザリの心配をしてくれているようだ。

 呪い師は、相変わらずにやにやと歯を剥いていたが、態度と違って服をきっちりと整えてくれた。意外と世話焼きなのかもしれない。


「帰ってこいよ、カザリのダンナ」


 送り出すときに、神妙な顔でカザリの胸を叩いて言い放った。純粋に心配してくれていたようだ。

 暗い闇の中でも、その時に抱いた感覚が胸から伝わってくるような気がした。呻き声が不安を煽るが、それも踏みつぶして進んでいける。


 坂になった小道を下りきると、呻き声が強くなった。

 そして、藪の中から這い出してくるものがいた。人骨だった。汚れた頭蓋骨からは草木が伸びている。服だったものを着ているが汚れ崩れて、ただの布切れにしか見えない。動く骸骨は背を丸めて、錆びた剣を握っている。


 そいつは吠えるように顎を大きく開いた。声帯もないのに、無茶苦茶な金切声がひぃぃんひぃぃんと耳に響く。屠殺された牛を思わせる音だった。


 理性もなく力もなく、ただただ無茶苦茶に、剣を振り回してくる。それを一歩、下がって避ける。カザリは落ち着いて、構えた短槍で肩口を突く。わずかな光が爆ぜると右腕が付け根から崩れ落ちた。

 悲痛な金切声を上げて、ぼろぼろと倒れた。そして、それが崩れて落ちた。それでもひるまず片手で剣を振るうのを、たいまつで腕を叩いて受け流す。骨だけの軽い体はそれだけで体勢が崩れた。そこにもう一撃、力を込めて槍を頭蓋骨へと突き刺した。

 頭蓋骨を眉間から砕くと、頭がざらざらと灰になって道端に落ちた。体も倒れこんで、そのまま動かなくなった。


「や、やった」


 へたりこみながら、いい放つ。腰が砕けてしまった。それでも呪い師に言われた通り、小瓶を確認した。倒れた怪物、その遺骨から白いものが噴き上がる。それは蓋も空いていないのに吸い込まれて、微々たる量が灰として溜まった。時砂の材料となるものをこうして、集めてくれるそうだが、不思議なものだ。

 一息つこう、と背のうの水袋に手を伸ばす。伸ばそうとした。ひぃぃんひぃいんと屠殺された家畜のような声が周囲から集まってくる。


「これ、は」


 軽い足音が複数、近づいてくる。これはまずい。全力で廃道の坂を上っていく。いくつかの軽い音がそのまま追随してくる。呻き声が響く中、藪へと跳び込んだ。呻きの元であろう、人面の大岩がいくつもあり、無表情に声を漏らしていた。


「げ」

「あ」


 その奥には紫の色をした鎧を纏った騎士のようなものが座り込んでいた。呻く大岩の上に座っていたそれは腕をぐいっと伸ばして、カザリを抑え込んで、岩の影へと引きづりこんだ。松明がごろごろと転がって、岩陰に落ちる。


「静かに」


 澄んだ女の声がした。頷くと動きを止める。いっしょに耳をそばだてて、息を抑える。心臓の音が激しく打つ。

 軽い足音が通り過ぎていくのが分かる。彼らはしばらく立ち止まると、ゆっくりと戻っていったようだ。

 二人はふうっと息を吐く。彼女はゆっくりとカザリを解放してくれた。

 星灯にきらきらと彼女の鎧が光っていた。


「ああ、すまなかったな」

「いえ、助かりました」


 呻く大岩の上に座り込んだ。嫌悪も感じない、慣れた様子だった。カザリは岩陰の松明を拾い上げて、地面に刺す。そうしてから彼女の対面にある呻きの大岩に恐る恐る座り込んだ。


「貴公、現世からの迷い人かな」

「そうです」


 頷き返すカザリを見て、紫の騎士は困ったように喉を鳴らす。そうしてから、静かに兜の面を上げた。中には作られたように整った顔があった。美しいのだが、それ以上に精巧だ、という感想が不思議とカザリの内に浮かんだ。


「貴公、これも何か縁だ。某もしばらく夜渡りに付き合おうじゃあないか、どうだ。一人より二人の方が安全だろう、どうだい」


 手甲が硬い音を立てた。紫の騎士は握手を求めてくるが、籠手の指先はやたら鋭い。少しの逡巡の後、カザリは手を伸ばした。握ると彼女の力強さがよく分かった。


「某は水晶の騎士が一人、紫のイルヴァ」

「ぼ、僕はログ村のカザリ、です」


 手を離すとゆるりと大岩から降りた。カザリもそれにならう。並ぶと彼女は小柄だった。


「そのままでは夜は渡れまい。貴公の槍は中々のものだが、それだけではね。幸い武具については伝手がある。そこで積もる話でもしようじゃあないか」


 彼女は腰に手を当てて、どこからか丸い石を一つ取り出した。それは小さな卵の形をした黄水晶で、淡い光を発している。


「古き精霊、光の鳥よ、心を癒し我を導き給え」


 水晶からふわりと光の羽が辺りに舞う。ゆるやかに光は集い、輝く小鳥となってイルヴァの周りをぐるぐると飛び回った。

 見たことのない神秘をカザリがほあっと眺めるのを、紫の騎士は自分の頬を撫でた。こそばゆさに、表情が少し緩んでいるのを元に戻そうとしているようだ。


「さあ、行こうじゃないか。道案内はこの子に任せてくれ」


 頷き、地面に刺した松明をカザリは手に取った。それを確認するとイルヴァは一歩踏み出した。すると、すうっと光の鳥が飛んでいく。歩く速度に合わせてくれるようなゆっくりとした動きだった。

 

 二人は呻き声を背に、大岩と藪の間を抜けていく。そうして、夜の奥へ奥へと歩き続けた。





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